2022メッセージブログ

  • 2022年 12月25日  角和正義牧師
    テーマ: すべての人を照らすまことの光
    聖 句: ヨハネの福音書1章9節

    今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれなりました。この方こそ主キリストです。(ルカの福音書2章)とあるようにクリスマスは、救い主であるイエス・キリストの誕生日です。そして、イエス様はまことの光でもあります。被造物である太陽の光には、①丈夫な骨、歯を作る事➁免疫力をアップさせる③朝、太陽に当たると体内時計がリセットされ、生活リズムが整うなどの効能があります。しかし、これは、不変の物ではありません。まことの光は、混じり気の無い完全な不変の光です。いつまでもその状態が変わらない物です。そのお方がイエス様です。創世記3章には、神様との約束を破ってしまったアダムとエバの事が書かれています。約束を破り、罪を犯してしまった2人は神様の御顔を避けて身を隠しました。そのような2人に神様は呼びかけるのです。ここから分かるように、神様の方から罪深い人間を探し、救おうされているのです。イエス様も失われた人を探して救うために、このクリスマスにお生まれになって下さいました。 イザヤ49章6節の「わたしはあなたを国々の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」とあります。その光こそイエス様なのです。このクリスマスにまことの光として、この世に来て下さった救い主イエス様のご降誕を感謝してまいりましょう。    文責:吉田 恵子
    参考聖句:ヨハネ1:5 創世記2:16~17、3:6~9 イザヤ49:6



  • 2022年12月18日  志賀孝作長老
    テーマ: パリサイ人の祈りと取税人の祈り
    聖 句: ルカの福音書18章9節 ~ 14節

    主の前に祈る時、どのような姿勢で祈っていますか?取税人は、自分と神様との間の祈りに徹しています。対して、パリサイ人のそれは、まるで自分の信仰をあたかも自慢するような態度です。自分が罪赦された存在であることを自覚することもなく、神様の前に肉の想いによってのみ祈ります。神様は御前にて身を低くする者を引き上げて下さいます。私達が祈る際には、何処を、何を見て祈っているのか、顧みることが大切です。クリスチャンとはキリストに倣う者です。自分が罪人であることを自覚し、一切の混ぜ物をせずに素直に感謝の祈りを捧げることで神様と一致することが出来ます。
    忙しさやゆとりの無さなどから、いつの間にか主を置き去りにしてはいないでしょうか。知らずの内に他を裁いてはいないでしょうか。それが出来るのは天のお父様ただお一人です。祈りの時と心を和していく。主であり、師であるイエス様に見倣っていくことが信仰生活の基本であり、初めの一歩です。純粋な感謝が前面にあり、主の御跡を追うものである信仰生活を送りたいものです。                   
    文責 仲平 滋
    参考聖句:ヨハネ13:5~10


  • 2022年12月11日 川口 芳一長老
    テーマ: 初めの愛
    聖 句: 黙示録2章1節 ~ 5節

    今日は初めの愛という事で御言葉をみて行きたいと思います。この黙示録は使徒ヨハネがパトモス島に流されて、神の霊感によって書いたものです。エペソの人々は2章2~3節では褒められています。しかし、4節ではイエス様の愛からさめてしまったようです。エペソはパウロが第三回目の伝道旅行で、伝道した教会でした。当時のエペソはアジアの中心でも有り、偶像礼拝の中心、そこにはアルテミスの神殿が有り、ギリシャのパルテノン神殿の3倍もの大きさでした。パウロは3年間伝道をしたと、使徒の働きには書いてあります。そこでは、素晴らしい主の働きがなされました。病人が癒され、悪霊も出て行きました。エペソで大きなリバイバルが起こりましたが、サタンも黙ってはいません。神殿で商売をしていた人たちから騒動が起こりました。華やかさと裏腹に霊的には暗いところでした。使徒の働き20章16節~38節でパウロはエペソの教会の長老たちへ最後の説教をなさいました。パウロはエペソの人々を愛し、誠心誠意イエス様の言葉を余すことなく伝えました。パウロは走るべき行程を走りぬき、イエス様から戴いためぐみを余すことなく宣べ伝えました。イエス様が求めているのは、イエスを愛する事です。初めの愛に立ち返ることが必要です。愛は御霊の実の現われの一つですが、私達は意識してその実を結ぶのです。日々御霊に従い、充たされることが必要です。イエス様に自分を明け渡し、祈ることによって可能になります。マザーテレサもどれだけイエス様を愛したかが重要だと言っています。
    文責:志賀 孝作
    参考聖句:使徒19:8~12、18、19 20:16~38 ガラテヤ2:20 
    Ⅰコリント11:22 13:13 ヨハネ14:12 


  • 2022年12月4日  角和正義牧師
    テーマ: 神は、夏と冬を造られた。
    聖 句: 詩篇74篇17節

    今日は冬の間に備えるべき重要な事があるということを見ていきたいと思います。冬の時期に何をしたかで収穫の時に良い収穫ができるかどうかがはっきりするということを私は教わりました。苦難に会うと心底神様を求めて祈ります。問題と困難の中にあってどうすることもできない場合、私たちは神様のもとにひざまずくようになります。イエス様のゲッセマネの祈りはこの究極的な祈りです。人々を生かし、人々の病を癒し、力を与えて希望を与えてこられたイエス様が「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。」と叫んでいるのです。それは天の父なる神様と子の関係が断たれるからです。イエス様にはそれが一番の悲しみ、苦しみでした。祈っている人の姿を見たとき、神様はそのままにしてはおきません。「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。」(新改訳聖書第3版 詩篇50:15)という約束があります。主の前にひざまずいて祈る姿は何物にも代えがたい尊い人の姿です。冬の寒さの中で求められているのは、主のもとに祈ることだということを皆さんに覚えていただきたいのです。 
    文責:川村 則之
    参考聖句:詩篇50:15 マタイ26:38 ルカ22:41~45 Ⅰペテロ2:2 Ⅱテモテ3:16~17



  • 2022年11月27日  小村誠志郎長老
    テーマ: 主の御恵みは、とこしえに
    聖 句: 詩篇89篇1節 ~ 4節

    詩篇89篇はエズラフ人のエタンが書いたものです。エタンは、ダビデやソロモン時代に活躍した人でした。主に奉仕する事や聖歌隊として用いられていました。「わたしは、わたしの選んだ者と契約を結び、わたしのしもべダビデに誓う。わたしは、あなたの末をとこしえまでも堅く立て、あなたの王座を代々限りなく打ち立てる。」とエタンは書いています。ここで書かれているように、イエス様はダビデの子孫として生まれてくる事が約束されています。また、他にも「それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」のイザヤ書7章14節や「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」ミカ書5章2節にもイエス様のご降誕の事が書かれています。マタイの福音書1章1節〜ヨセフの家系とルカ福音書3章23節〜マリアの家系の系図を見てもダビデの名前があります。このようにイエス様がダビデの子孫として救い主となって、このクリスマスに人としてお生まれになることが旧約聖書には約束されていました。この救いのご計画が新約聖書に繋がっています。このアドベントの時に、もう一度、聖書を読み、イエス様に感謝してまいりましょう。  文責:吉田 愛子
    参考聖句:Ⅰ歴代誌6:44、15:19、4:29~31 Ⅰテモテ3:16~18 
    創世記3:15 イザヤ7:14 ミカ5:2 マタイ1:1~17 ルカ3:23~38

  • 2022年11月20日   角和 正義牧師
    テーマ: 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
    聖 句:伝道者の書 3章11節

    神様は私達に永遠を思う思いを与えられました。永遠とはいつまでも果てしなく続くことですが、不完全で有限な私達にはその想いを成し遂げることが出来ません。時と永遠を司っておられる神様に、ただただおすがりするしかありません。神様が私達に何かをなさろうと働かれる時には、サタンも働きます。サタンの働きは一見穏やかで平穏なものに見えます。弱くて愚かな私達はそのサタンの誘惑に抗う術もなく、盲目的に従いがちです。しかし、神様の行う御業は全て「時」にかなっています。主は世の終わりまで私達と共に居てくださり、いつも私達を見守っていてくださいます。神様だけが始めから終わりまでを見ていて、私達に最善のタイミングで物事を示唆されます。信じて祈り求める者には何でも叶えてくださいます。祈る際には奇跡を信じて、期待して祈りましょう。限りのある私達は、ここで終わりだ、駄目だと諦めてしまいがちですが、全能の神様は私達をお見捨てにはなりません。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:詩篇50:15 マタイ21:22 7:7~8


  • 2022年11月13日 上迫和清長老
    テーマ: 神は細部に宿る。
    聖 句: 使徒の働き 17章28節

    本日のメッセージタイトルは、ある有名なドイツ人建築家の言葉です。これは仕事における心構えとして、細部をいい加減にせず、誠心誠意をもって事にあたらなければ、いい仕事はできないという意味で使われます。天地万物を創造された唯一無二の絶対的な神は、これらを瞬時に創造されたのではなく、七日間かかって細部に至るまで丁寧に創造された建築家です。同様にもし私たちがイエス様を通して神と共に歩むなら、神は私たちの人生を細部に至るまで導き、築き上げる建築家と成って下さいます。
     パウロがギリシャのアテネに伝道した当時、町中が偶像だらけでした。しかし世の偶像は実際にはいません。唯一の神以外に神は存在しません。また唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、私たちも含めてすべてのものがこの主イエス様によって存在しているのです。私たち一人一人の全存在が神の前に、さらけ出されています。生まれた時に既に、自分の人生のすべてが神の書物に書かれています。私たちはこの神に対して弁明しなければいけません。一度死ぬことと死後、裁かれるからです。しかし、主イエス様を救い主として受け入れるならば、神の書物は、裁きの書から命の書と成り、天国の住民となれます。そして地上では自分の体が聖霊の住む神社と成るので、自分の体で神の栄光を現すために、つぶやくことなく、日々の出来事の中で自分の人生を神に委ね、感謝し、賛美して行きましょう。                    文責:志賀 孝作
    参考聖句:使徒17:28~30 詩篇121:1~4 139:1~6、16 
    箴言3:5~6 Ⅰヨハネ1:9 伝道5:20


  • 2022年11月6日  角和正義 牧師
    テーマ: 謙遜と従順
    聖 句: 列王記 第二 5章14節
    メッセンジャー: 角和 正義 牧師
    アラムの王の軍の長であったナアマンは地位もあり名誉もあり尊敬されていた勇士したが、ツァラアトに冒されていました。一人の娘がイスラエルから捕らえられて来てナアマンの妻に仕えていました。彼女はナアマンがサマリアにいる預言者の所に行けば、彼のツァラアトを治してくれるでしょうと主人に言いました。彼女が「サマリアの預言者の所に行ったら」と言ったのですが、ナアマンは自分の常識に従って行動し、イスラエルの王の怒りを買うことになります。ナアマンは預言者エリシャの家に来ましたが、エリシャは出て来ないで使者を遣わして、「ヨルダン川へ行って、七回身を洗いなさい。」と言いました。ナアマンは激怒して去りました。高慢が私たちの心に芽を出すときに神の言葉は見えなくなります。しかし彼のしもべたちの助言に従って、ヨルダン川に七回身を浸すと、彼の体は清められました。遜って神の言葉を受け取っていく時、霊的に内側が祝福され他の必要も満たされていきます。ナアマンは異邦人を代表しています。イスラエルからの少女が福音を伝えることにより、この異邦人が癒され、救われていくという絵がここに描かれています。神の前にへりくだり全てを委ねてまいりましょう。
    文責:川村 則之
    参考聖句:列王記5:1~3、6,7 4:7~8、10 ルカ4:27 
    Ⅰペテロ5:6~7


  • 2022年10月30日  角和 正義 牧師
    テーマ: わたしは・・・あなたを自由に愛する。
    聖 句: ホセア書14章4節

    喜びを持って彼らを愛する。の「喜び」とはヘブル語で自発的な、邪魔されずに、自由な意志で、という意味が含まれています。神様はわたしたちを先に愛して、恵みを注いで下さっているのです。その愛に条件を付けるのはわたしたちの方です。恵みを受けるために条件は無いのです。一方的な神様からの愛があるのです。ホセア書は不変不滅の愛が書かれています。イスラエルは神様を裏切り背きましたがそれでも神様は愛されました。わたしたちも罪深い者ですが、神様が代価を払って買い取られたのです。神様はわたしたちを導くために誰かを送って下さいます。救われたわたしたちは次は誰かのために神様に導かれ従う者になりましょう。                    文責:小原 照代
    参考聖句:ローマ5:8 ホセア1:2、3:1~3 Ⅰコリント6:20 エペソ3:18~19
  • 2022年10月23日  角和正義 牧師
    テーマ: あなたは、どんな種類の種を蒔いていますか?
    聖 句: ガラテヤ人への手紙6章7節 ~ 9節

    聖書には、「人は種を蒔けば刈り取りもすることになります。」と書いてあります。人は心の中で、肉と御霊の霊的な戦いが起こっています。肉の実は悪、破壊、自己中心的、永遠の滅びなどがあり、それに対して御霊の実は、善、聖なるもの、献身的、永遠の命などです。神に近づくほど、世の中との葛藤が起こるのです。罪の報酬は死です。深刻な神の裁きが近づいてきている今の時代には、神の前に悔い改める事が大切です。ヨエル書2章には、衣ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。とあります。悔い改める事とは、神の前に心を向け立ち返る事です。聖書には、遊女ラハブの悔い改めが書かれています。ラハブは、エリコを偵察に来た2人のイスラエル人をかくまい、助けてあげました。それは、この事が神の御計画だと信じて悔い改めたからです。神様の前に悔い改めて信仰を表すならば、神様はその人を救って下さいます。そして、神様はラハブの願いも聞き、ラハブの家族をも救って下さったのです。ラハブは家族を愛していました。最高の愛とは神様の裁きから救いへと導く事です。失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取る事となるのです。
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:ローマ6:23 ヨエル2:12~13 ヘブル11:31 
    ヨシュア2:10~13、18、21 6:25 ガラテヤ6:9


  • 2022年10月16日  志賀孝作長老
    テーマ: 成長させるのは神です。
    聖 句: コリント人への手紙 第一 3章6節

    パウロはコリント人への手紙の中で、「パウロが植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」と書いています。コリントは多くの人種、民族の住む商業の盛んな国際都市でした。コリントの人達もいつしか偶像崇拝の街へと変貌していきました。教会員達も、色々な状況下にあって、避けては通れないこともありますが、そこに目と心を奪われていると、真の道が見えなくなり、迷い込んでしまうことがあります。信仰のスタートは、自分自身と神様との間に何人も入り込まない、入り込めない関係でありました。何時しか私達はイエス様から眼が離れ、よそ見をしてしまいます。そして、それに気付かないままにイエス様から段々離れてしまい、この世の流れに流されてしまいます。ふと我に返り、悔い改めて神に立ち返るのです。信仰を成長されて下さるのは神様なのです。イエス様の為に祈り、感謝をし、主の為に奉仕をする時に私達の心に喜びが溢れ出します。信仰の創始者であり、完成者であるイエス様から目を離さずに、いつも見上げていきましょう。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:Ⅰコリント1章、2章 Ⅰコリント11:28



  • 2022年10月9日  川口芳一長老
    テーマ: 天からのマナ
    聖 句: 出エジプト記16章13節 ~ 18節

    天からのマナ、神様が与えて下さった食物についてみて行きたいと思います。イスラエルの人々はエジプトに430年、過酷な奴隷生活を送ってきました。モーセに導かれて、エジプトから解放されますが、最初の試練は紅海が前に立ちはだかり、後ろにはエジプト兵が迫っていました。しかし、モーセに命じて神様は、紅海を分けてイスラエルの民を乾いた地を渡らせました。出エジプト記15章2節、11節では、大いに神様を褒めたたえていますが、3日経つと渇きのために、モーセにつぶやきました。また、エジプトを出て、一ヶ月経つと食物が無くなり、モーセとアロンに不平を言い出しました。紅海を渡るという素晴らしい奇跡を体験した民でしたが、一ヶ月も経つと2度目のつぶやきをしました。人間の弱さが表れています。どんなに恵まれた生活をしていても、試練や困難に会うとき、心が揺さぶられ、めぐみを忘れ信仰が試されます。信仰生活に試みは必ず来るわけですがどう受け入れ向き合っていくかが肝心です。イスラエルの民は飢え死にしそうだとつぶやきましたが、申命記8章2節で民がつぶやく前にマナを持って養うとの御計画がありました。マナは朝早く集めなければ成りませんでした。それは毎日主に頼り従う事を学ぶためでした。主に信頼して歩むことでした。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつの言葉によって生きる。」事を学ぶ必要があったのです。マナはイエス様ご自身であり、受け入れる時心は満たされ、心の渇きは癒されます。マナを毎日集める事とは、毎日聖書を読み、祈ることです。
    文責:志賀 孝作
    参考聖句:出エジプト5:2、11 16:2~4 申命記8:2 ヨハネ6:32~35


  • 2022年10月2日  角和 正義牧師
    テーマ: とりなす者
    聖 句: イザヤ書59章16節

    今私たちが生きている新約の時代は、誰かのためにとりなそうとすると、助け主なる聖霊様も皆さんの祈りを助けて導いてくれるという約束がある恵みの時代です。「とりなす者がいないことに唖然とされた。」このことは私たちに何を教えているのでしょうか。助け主なる聖霊様が共にいて、私たちの祈りを助け導き、とりなす祝福を与えてくださる神様がいらっしゃるのに、もし私たちがとりなしをしてないなら、神様は唖然とされたというよりも、悲しまれたと言うほうが適切なのかもしれません(イザヤ59:16)。万物の終わりが近づいた今(Ⅰペテロ4:7)、主はとりなす者を起こそうとしておられます。滅びようとしている魂の為に祈るとりなし者を起こそうとしています。皆さんはいつも祈っているでしょうが、神様はさらに強く強く迫ってくるはずです。皆さんの中に何かぽっと火が点いたときに、是非それを消さずに祈ってください。必ず主がそのことを通して回復へと導くと約束されておられるのでそれを用いてください。必ず主の祝福が現わされていきます。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ローマ8:26 マタイ13:54~58 21:19、21,22 
    エレミヤ29:1、4,7,10 12~14 Ⅰペテロ4:7



  • 2022年9月25日 小村 誠志郎 長老
    テーマ: イエス様の証人
    聖 句: 使徒の働き 1章8節

    私達の一人一人がイエス様の証人となり、福音を伝えていく事はとても大切です。福音とは、イエス様が私達の罪のために死なれた事、葬られたこと、そして三日目に蘇られたことです。イエス様は、全て事を聖霊様と共に成し遂げられました。色々な誘惑のある中で聖霊様に満たされていくならば、私達も自分の心を聖霊様が制御して下さいます。聖霊様は御言葉に合った生き方をさせれて下さり、私達を聖霊の宮として整えて下さいます。小村長老もイエス様を信じて、生き方が変えられていきました。お酒・タバコの誘惑にも、聖霊様の力によって止める事ができました。この終わりの時代に、度々、聖霊様の事が否定されています。しかし、エペソ4章にもあるように神の聖霊を悲しませてはいけません。神様は、一人一人を愛し、祝福して下さっています。御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。聖霊様に満たされて祈っていくならば、恵みが与えられます。私達はイエス様を目で見る事はできません。でも、聖霊様の深い理解力が与えられて、信じることができました。聖霊様が信仰も引き上げて下さるのです。私達は聖霊様にいつも満たして頂いて祈ってまいりましょう。そして、周りの方々に福音を伝えてまいりましょう。                 文責:吉田 恵子
    参考聖句:Ⅰコリント15:3~4 ヨハネ14:16~17、26 
    マタイ10:20 エペソ4:30 ガラテヤ5:22


  • 2022年9月18日 角和 正義 牧師
    テーマ: 他の人のことも顧みなさい。
    聖 句: ピリピ人への手紙 2章4節 ~ 5節

    ペテロが三度、イエス様を知らないと答えた時にイエス様は慈愛に満ちた優しい眼差しで彼を見つめられました。イエス様はペテロのことを顧みられました。顧みるとは心に掛け、気に掛けること〜つまり、心に留めて考えることです。困難にあっても、信仰を持って耐えていかなくてはならないことがあります。私達には神様の恵みによって、その力が与えられています。福音が与えられ、それを信じているからです。
    福音とは、1、イエス様が私達の罪の為に死なれたこと。2、葬られたこと(本当に、確実に死なれたこと)3、死なれて三日目に蘇られたこと。
    私達には救いの確信の御言葉があります。心で信じて義と認められ、口で告白することで救われます。日常生活の中で『証』をしていくことはとても大切です。あの人、この人の為に…と祈る時、神様の大いなる恵みが私達に訪れます。他の人のことも顧みて、神様のご愛を受け取りましょう。神様の栄光の癒しにあずかれます。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:Ⅰコリント15:3~4 ローマ10:9~10 ピリピ2:4~5 マタイ20:28 マルコ2:1~12 ローマ5:12 Ⅰコリント9:22~23


  • 2022年9月11日 上迫和清長老
    テーマ: 揺れ動く地に立ちて
    聖 句: 詩篇46篇 1節 ~ 3節

    今日のテーマに関する曲は、聖歌397番「遠き国や」です。この曲を作詞・作曲された方は、J・V・マーチンという宣教師で、関東大震災の日、明治学院のグラウンドに悲しみながら集まった被災者に配られたろうそくの光が、蚊帳を通して希望の光を与える十字架のように見えたところからこの曲が生まれました。21年前の今日、アメリカで同時多発テロ事件が起こりました。災難がいつ起きるか、明日のことは誰にもわかりません。揺れ動く地に立ちて、どうしたら、確固とした人生の目的をもって、希望を抱いて生きていけるかが問われます。2年前のコロナパンデミックが起きてから、明らかに世界は節目が変わり、飢餓、地震、戦争、偽キリストの出現等、イエス様の預言された御再臨前の終末時代の様相を日に日に強めています。この揺れ動く時代の中にあって、私たちが指針となる聖書の御言葉を2つ紹介します。1つめは心を騒がせずに神を信じ、またイエス様を信じること。2つめは、今がどのような時であるか知っているから眠りからさめて、主の御再臨という救いの完成が近づいているので、光の武具を身に着けるべきことです。私たちの光はたとえ小さくても、周りが暗くなれば、それだけ明るく輝くことができます。そしてその光は、何事にも動じない土台であるイエス様からいただくことができるのです。
    文責:志賀 孝作
    参考聖句:マタイ24:3~8  ルカ21:11  詩篇50:15  ヨハネ14:1  ローマ13:11~12


  • 2022年9月4日  角和正義牧師
    テーマ: あかしをする(伝道)
    聖 句: マルコの福音書16章15節

    私たちの霊性が成長するには1.聖書を読む。2.祈る。3.あかしをする。4.教会生活を持っていく。という4つ栄養が必要であると以前お伝えしました。今日は、3番目の「あかしをする」ということについてお話ししたいと思います。「あかしをする」とは「証言する」ということです。それは神様によって私になされた救いのみわざを人に伝えることです。あかしをすることは霊的運動です。あかしをすることによって私たちの霊が活性化されるのです。私たちが生きている理由はあかしのためです。あなたがいる所であかしの思いを持って、祈りの思いを持って立っているならば、主は喜び、祝福してくださるということをぜひ覚えてください。また、あかしの大きな目的は滅びゆく人々が救いに導かれることを願うことです。ラハブが家の中に身内の者たちを導いたように、またそこに赤いひもがあったように(ヨシュア記2:1~18)、私たちもイエス様のもとに人々を招いていかなければなりません。この赤いひもは新約においてはイエス様の十字架の血潮です。一人一人が主イエス様の血によって清められる必要があります。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ローマ6:23 ヨシュア記2:1、11,13,18 ヘブル11:31 マタイ1:5 


  • 2022年8月28日  志賀孝作長老
    テーマ: 岩の上に家をたてる。
    聖 句: マタイの福音書7章24節

    今年は日本では、各地で大雨が降り、東北地方ではりんごの実が水をかぶったり、九州地方では川が氾濫しました。多くのニュースの中でも家が流されたり、崖崩れの映像には心が痛みました。今日の聖書箇所の岩の上に家を建てる事は、このような災害からも守られる事です。外見からも岩地にしっかり立っている家と、砂地に建っている家では区別ができます。マタイの福音書16章18節に教会の基礎となった石が出てきます。私達のプロテスタントでは、この岩はイエス様であると信じています。私達の信仰の土台は、この岩つまりイエス様です。この土台がしっかりしていて、流されなければ、災害からも逃れる事ができるのです。今多くの事で私達は教えの風の中に置かれているかもしれません。しかし、イエス様という土台をしっかりと持っているならば、この風に流される事はありません。視点がしっかり定まっているなら、右にも左にもそれないのです。4福音書の中で、特にこのマタイの福音書はイエス様がメシヤである観点から書かれていると言われています。5章~7章は山上の説教と言われ、7章の最初から兄弟を裁くなということや、祈りの事、狭い門から入りなさい、偽善者に注意しなさい、と続いて24節での岩に続いています。岩の上に建てた家、つまり山上の説教で教えられた事を実行しなければキリスト者と自称する事は無益であると言っています。
    Ⅰペテロ2章6節にもあるように、私達は、イエス様という巨岩の上にしっかりと家を建てる者でありましょう。教えの風にもて遊ばれる事なく、この世の流れにも流されない信仰者でありましょう。 
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:マタイ16:18 Ⅰペテロ2:6 



  • 2022年8月21日 角和正義牧師
    テーマ: 渇き
    聖 句: 詩篇42篇1節 ~ 2節

    コロナ禍において、私達は真の神様との出逢いを渇望しています。共に集まり、心を一つにして神様を賛美し礼拝出来ることは大いなる、素晴らしい恵みです。渇望とは、喉が渇いた時に水を求めるように心から満たされることを望むことです。肉体的な渇きばかりではなく、霊的な渇きは私達クリスチャンにとっては信仰の死をも意味します。人体にとって、水はとても大切です。意識してそれを摂らねばなりません。クリスチャンには心的にも神様のご臨在を望んで飢え渇く恵みが与えられています。世の中には神様の御声から私達の耳を塞ぐ力がはびこっています。御言葉から私達を遠ざけてしまおうとする邪悪な力があります。そればかりではなく、私達の心でも「なぜ私をお忘れになったのですか」と叫んでしまうことがあります。けれども、そのとき思い出してください。私達が神様を求める前に、神様が先に私たちを愛してくださったことを(Ⅰヨハネ4:19)。この愛にとどまり神様を待ち望んでいきましょう(詩篇42:11)。    
    文責 仲平 滋
    参考聖句:マルコ4:19 Ⅰヨハネ4:19 詩篇42:9~10 42:11



  • 2022年8月14日 川口芳一長老
    テーマ: アブラハムとイサク
    聖 句: 創世記 22章1節 ~ 3節

    この創世記22章の冒頭に神はアブラハムを試練に合わせられました。神が名前を挙げて試練に合わせたのはアブラハムだけです。創世記11章からアブラハムが登場しますが、ハランでアブラハムに神が示された地に行くように示されました。約束の地に着きましたが、多くの事が有った後、アブラハム100歳の時に待ち望んでいた、イサクが生まれます。この箇所は30~31年後の出来事です。サタンの試みは私たちを打ちのめさせるだけのものですが、神様の試みは最終的には私達の信仰を引き上げ、神様により近づくものとして下さいます。創世記22章2節で神様は「イサクを捧げなさい。」とおっしゃいました。アブラハムの愛が神様よりイサクに移っていたのかもしれません。3節では、アブラハムの心中は穏やかではなかったとは思いますが、信仰のいただきに到達しました。それは復活の信仰でした。イサクがもし死んだとしても神様は復活させて下さるという信仰の頂に達したのです。信仰の要と成るものです。イサクは全焼の捧げもののための薪を背負いましたが、イエス様は自分が架かる十字架を背負いました。イエス様はゲッセマネの園で祈りを捧げましたが、天の神様はもっと苦しまれました。創世記22章12節で、アブラハムは神様の試験に合格しました。自分に与えられたものは全て神様からのものであるという信仰が礼拝です。礼拝に出る時神様への感謝、喜びがあふれるのです。
    文責:志賀 孝作
    参考聖句:ローマ4:24 Ⅰコリント15:13~14 イザヤ53:7~8 ヨハネ13章~17章 4:23~24


  • 2022年8月7日 角和 正義 牧師
    テーマ 主の教えを口ずさむ
    聖句: 詩篇 1篇 1節~3節

    イエス様を信じた時に与えられた新しい霊のいのちが神様からの栄養をいただいて成長するにはいくつかの方法があります。そのうちの四つを示すと、①聖書を読むこと②祈ること。③証しをすること④交わること、つまり教会生活を持っていくことです。聖書の言葉を口ずさんで、その心の深みにまで持っていく時に私たちの生活の中にいつの間にか必要な栄養が注がれ、私たちの霊のいのちが強められて力強く歩むことができるようになります。神様の前に飢え渇いて、聖書の言葉を深く深く私たちが思い巡らせていく時に、その中に湧き上がってくるいのちの水を私たちは汲み出すことができます。私たちはこの飽食の時代に飢饉ということは想像つかないかもしれません。けれども私たちは聖書の中で一つの飢饉を見なければなりません(アモス8:11)。今、世界中で神の言葉が語り続けられていますが、やがて私たちは聞きたくても聞けない時代が来ます。最後にイエス様の言葉を読みたいと思います。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」(マタイ4:4)
    文責:川村 則之


  • 2022年7月31日  角和正義 牧師
    テーマ:励まし手
    聖 句:使徒の働き 4章36節

    ヨセフはバルナバと言うあだ名で呼ばれていました。励ましの子、慰めの子という意味です。あだ名はその人の性質、行動などの特徴を表します。バルナバは初代教会時代、異邦人宣教にとっても重要な役割をしました。パウロ(サウロ)はユダヤ教パリサイ派に属し律法を重んじていました。正しいと信じ、クリスチャンを迫害していましたがダマスコで神様に会い、今までと反対に「イエス様こそ神の子です。」と宣教し始めました。神様は時折特別な方法で人生に直接アプローチするのです。パウロはバルナバの執り成しで使徒たちと交流出来るようになり、新約聖書に13の手紙を残しました。バルナバの励ましは大きな働きを動かしたのです。バルナバの従弟のマルコ(ヨハネ)はパウロの第一回目の伝道旅行に同行しましたが、二回目はパウロに反対され二手に別れることとなりました。バルナバはマルコが孤独を感じる時に寄り添ってくれました。その後、第二テモテ4章11節ではパウロは「マルコを連れてきてと」頼りにしています。イエス様は罪人と共に居てくれました。どのような苦しみの時も私たちを慰めて下さいます。そのため私たちもあらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることが出来るのです。   文責:小原 照代                  
    参考聖句:使徒9:1~20、21、26、28 13:2~13 15:36~40
    マルコ14:50~52 Ⅱテモテ4:11 Ⅱコリント1:4


  • 2022年7月24日  小村誠志郎 長老
    テーマ: 私たちの神、主の心配り
    聖 句: 申命記 4章7節

    神様はイエス様を信じている一人一人に心を配り、大切に思っておられます。申命記には、エジプトから出たイスラエルの民がカナンの地に入る時に12人の偵察隊を出した事が書かれています。その中のカレブとヨシュアはその地は良い地である事を伝えました。ほかの10人は3~4mの巨人がいる危険な所などを伝えました。神様が共にいて下さるという約束にも関わらず、イスラエルの民は怖じ気づいてしまいます。そして、カナンの地に入る事なく、40年荒野をさまよう事となるのです。申命記には、多くの命令が書かれています。礼拝のあり方、捧げ物についてなどです。16章にはレビ人、寡婦、奴隷や孤児、寄留者に捧げ物を分け与える事が書かれています。自分の周りの人たちも幸せにする事は大切です。 また、14章には食べても良い動物が書かれています。その動物達は、神の命令を守ってきた動物達でした。22章には、新しい家を建てる時は屋上に手すりをつけるように書かれています。それは、誰かが誤って落ちてしまわないようにという神様の心配りなのです。私達が愛用している聖書は紙の角が丸くしてありますが、紙で手を切らないようにと神の御言葉を伝えようとする方々の配慮です。18章には、モーセのような一人の預言者を起こして、彼に言葉を授けると書いてあります。その預言者はイエス様です。私達は弱さがあっても失敗をしても神の前に行く事が大切です。神様は私達の近くにいつも共におられ、執り成して下さっておられます。そのイエス様に感謝し、祈ってまいりましょう。
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:申命記14:3 16:1,10~12 12:18 18:18~19 22:8
    創世記1:29~30 ヘブル4:11~16


  • 2022年7月17日 角和正義 牧師
    テーマ: へりくだる
    聖 句: ヨハネの福音書 13章 3節 ~ 5節

    へりくだる…たった五文字の言葉ですが、その難しさはイエス様と行動を共にした、愛弟子とも云われるペテロの数々の言動からも窺い知れます。湖の上を歩いていたペテロはイエス様から目を離した瞬間に水の中に沈みました。最後の晩餐の際には、弟子達は主賓であるイエス様を差し置いて、誰が一番偉いかなどと論議していました。イエス様は席を立ち、腰に手ぬぐいをまとわれ弟子達の足を洗いはじめます。救われた者であっても足は汚れます。悪魔は巧妙な手段によって私達に近付いてきます。聖書を読む時にも、知らずに私達の感覚に合うものを探してしまいます。主の解説なしに読むことによって、時に歪められてしまうことがあります。汚れてしまい、今日の罪を犯すことがあります。愛する御子を私達のために差し出された神様が、その私達のために何もなさらないわけがありません。足を洗うという行いは当時、奴隷の役割でした。イエス様はへりくだり、身をもって私達に教えてくださいました。足を洗う想いを人々に伝えていく。淋しい人、苦しい人、悩んでいる人、悲しい人… 寄り添う心を持ち続ければ神の祝福があり、必ず変化をもたらします。他の人にも神の恵みを分け与えることが出来ます。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:ルカ22:24 12:34 ヘブル12:2 箴言16:25 ローマ5:8
    ヨハネ13:14~15 Ⅰペテロ5:6


  • 2022年7月10日   上迫和清 長老
    テーマ: キリストの香り(ユーオーディア)
    聖 句: コリント人への手紙 第二 2章 14節 ~ 15節

    まず初めに、キリストの香り(ユーオーディア)の源泉は何でしょうか。それは、イエス様の十字架と復活という贖いの御業から生み出されます。イエス様はその芳ばしい香りを生み出すためには、十字架までの激しい苦しみを通らなければなりませんでした。キリストという言葉の意味は「油注がれた者」という意味です。その油から、その香油から、芳ばしい香りが立ち上がります。旧約聖書には、最上の香料として、没薬が登場してきます。没薬は、イエス様の受難と贖いの死を意味します。没薬の採取方法は、木の幹にわざと切り傷を付けると、樹脂を分泌するようになります。苦い没薬から芳ばしい香りが生み出されるには、自らを傷つける必要が有ります。イエス様はその打たれた傷のよって、私たちを癒されました。私たちがイエス様を信じた瞬間、聖霊が内在されるので、キリストの香りの源泉は、信仰者の内側にあります。次にどうしたら、その内側にあるキリストの香りを放つことが出来るでしょうか。第一に、神の言葉に耳を傾けることです。つまり、御言葉を食べることによって、キリストの香りを放つことができます。第二に祈りを通して、キリストの香りを放つことが出来ます。第三に、喜びと賛美を通して、キリストの香りを放つことが出来ます。私たち一人一人、その環境の中で、野の百合の花の香りを放ってゆきましょう。
    文責:志賀 孝作
    参考聖句:エペソ5:2 出エジプト30:23~25 ヨハネ12:1~7 
    詩篇141:2 雅歌7:13 ヘブル13:15 黙示禄2:8~11


  • 2022年7月3日 角和正義 牧師
    テーマ: 礼拝
    聖 句: ネヘミヤ記8章5節 ~ 6節

    ネヘミヤはエルサレムの城壁が崩されたままであることを聞き、彼の取った最初の行動が祈りです。彼は神の前に四箇月間祈り続け、委ねていった時に神はペルシャの王の心を動かして、王の方からネヘミヤに聞いてきます。ネヘミヤは3回目の帰還で城壁の修復のために戻って行き、修復作業は52日間で完成することができました。神の導きの中で事が行われるときそこに神の栄光があらわれます(ネヘミヤ6:16)。祭司エズラは城壁が修復されてから人々の内側をリバイバルしていく働き手として用いられていきました。リバイバルが起こると、私たちの内に御言葉に対する飢え渇きが起こってきます。御言葉を読んでいくうちに私たちの心に罪が示されて、救いを求め始めるのです。神が礼拝で一番関心を持っているのは私たちの心です。「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(1サムエル16:7) 神は私たちの心の霊的な状態を見ています。教会に来て礼拝することだけが私たちの礼拝ではありません。私たちは毎日礼拝をささげることができます。起きた時忙しい一日が始まる前に、忙しい中でも、そして働きを終える時でも。そのために長い時間をとる必要はありません。今から日々の生活の中で礼拝していきましょう。
    文責:川村 則之


  • 2022年6月26日  志賀孝作長老 
    テーマ: わたしにとどまりなさい。
    聖 句: ヨハネの福音書 15章7節

    志賀長老は、先日、白根研修所に青梅の収穫をして来ました。その時の体験をヨハネの福音書15章の御言葉と共に語って頂きました。2節に実を結ばないものは父が刈り込みをなされる事が書かれてあります。それは、実を結ぶものはみなもっと多くの実を結ぶためであるからです。青梅には、小さい物や虫に食われている物、大きく成長した物など様々ありました。この青梅は無農薬であり、ある木はツタが絡まっていた物もありました。ここから学んだことは、同じ梅の木でも千差万別であるということです。私達の信仰生活も皆同じではありません。日常生活や仕事に忙しい方もおられます。それ中でも、私にとどまりなさいと聖書に書かれています。このとどまるという言葉は10節までに12か所出てきます。12という数字は聖書では権威と完璧を表します。私達がイエス様のうちにとどまっていれば実を結ぶ事ができるのです。16節にはイエス様が私達を選んで下さったとあります。それは実を結び、その実が残るためです。時々実を結ばない若枝が伸びてきたら、剪定して頂きましょう。私達は目に見える神ではなく、目に見えない神イエス様を信じているのです。目に見えないものは永遠に続くのです。いつも自分を吟味してみましょう。他人を吟味するのではなく、自分で自分自身を吟味するのです。私達は枝なのですから、木であるイエス様に繋がっていきましょう。そうすれば、いつまでも残る実を結ぶ事ができるのです。                    
    文責:吉田 愛子


  • 2022年6月19日  角和正義牧師
    テーマ:御父の思い
    聖 句:ルカの福音書15章20節

    ルカの福音書には三つの例え話が書かれていますが、そこにただ一つの真理を見つけることができます。失われた一匹の羊、失われた一枚の銀貨。そして、失われた一人の息子の話。失われたものに対して神様はどのように見つけ、愛されるのか。羊飼いとしての御子の働き、家を掃き続ける聖霊様の働き。失われた息子を待つ父親の働きの中に神様の御愛を知ることができます。失われた魂のために三位一体の神様が探し続けてくださいます。放蕩息子は、父の存在はもう要らない、必要な財を貰って出ていきたい…。しかし、私達は神様によって様々なものを与えられました。それは神様のために存在しているものです。あらゆる守りから生かされていることを私達は時に忘れてしまうことはないでしょうか。自由を得たと思って、守りの外に出ていってしまうようなことはありませんか?私達は賛美した直後にでも神様から離れることがあります。それほどに私達は弱くて小さくて愚か者です。けれども、神様は決して私達をお見捨てにはなりません。悔い改めに導かれることは大きな恵みです。放蕩息子がどのような姿かたちに変わろうが父親はいつも待ち、すぐに見つけることができました。これこそが御父の思いです。                    
    文責 仲平 滋
    参考聖句:ローマ8:14 ガラテヤ3:26 ローマ6:23


  • 2022年6月12日  川口芳一 長老
    テーマ:信仰がなくては神に喜ばれることはできません。
    聖 句:ヘブル人への手紙 11章1節 ~ 6節

    福音書の中には、イエス様が人々の信仰の姿勢について関心を持たれていることを見ることが出来ます。ある時は喜ばれたり、また叱責されたりという場面が幾度も出てきます。マタイ14章には湖の上を歩いたペテロの話が有ります。ペテロは湖の上を何歩か歩きましたが、風を見て怖くなり沈みかけ、イエス様に助けられました。イエス様は「なぜ疑うのか」と叱責なさいました。また一方で、マタイ8章の百人隊長の信仰の姿勢に驚かれ、賞賛しています。3つの観点から見て行きましょう。第一は、私達の思いが信仰です。マタイ9:20~22 この女はイエス様の衣に触れることが出来れば、きっと治ると考え、実行したのです。イエス様の奇跡を聞いた時から思い続けていたのでした。イエス様のお言葉は「あなたの思いが信仰と成って治したのです。」とおっしゃいました。しかし、サタンもユダの思いの中に入ってきました。聖書には信仰の大盾で防ぎなさいと有ります。二つ目は私たちの口の告白です。私達が普段話している言葉も告白です。箴言12:4 18:21 私達が話している言葉によっても歩みが左右されるという事です。Ⅰテサロニケ5:16~18 いつも喜んでいる者でありましょう。三つ目は信仰は一歩を踏み出すことです。マタイ13:31~32 17:20 からし種程の信仰でも一歩を取るなら成長すると言っています。イエス様が問うのは、あなたが神の召しに如何に忠実であったかです。どのような働きをしたかでは有りません。おかれている環境で主に忠実なものと成りましょう。                  
    文責:志賀 孝作



  • 2022年6月5日  角和正義牧師
    テーマ:聖霊のバプテスマ
    聖 句:使徒の働き 1章8節

    ヨハネの福音書20章19節以降はイエス様が復活され、弟子たちが鍵を閉めて恐れながら隠れていた部屋に入って来られ「聖霊を受けなさい。」と言って弟子たちに息を吹きかけ聖霊の注ぎをしてくださった場面が書かれています。この聖霊は、ペンテコステの日に起こった聖霊のバプテスマとは別です。イエス様を信じる時、知らないうちに聖霊様が私たちの内側に入り、私たちをイエス様のもとへと導いてくださいます。この時、弟子たちは旧い契約から離れて新しい契約を受け取ったのです。それは新生とも言われます。ペテロはイエス様がゲッセマネの園で捕まった後では全く弱い者でした(ルカ22:54~)。しかしペンテコステの日に聖霊の力を受けた彼は伝道する力を与えられ、語るべき言葉も与えられ、大勢の人々の前でイエス様を大胆に証ししました(使徒2:4~)。聖霊が注がれ、満たされていく時、神様の御心があふれ流れていきます。その条件は「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」(使徒1:4)ということです。私たちが今いる場所に留まって待ち望んでいくのです。   
    文責:川村 則之


  • 2022年5月29日 角和正義牧師
    テーマ: キリストにあり、御霊によって神の御住まいとなるのです。
    聖 句:エペソ人への手紙 2章21節 ~ 22節

    私たちは礼拝が出来る特権、神の栄光の中で生きる特権を与えられています。イスラエルの民はエジプトで奴隷でしたがモーセと脱出しました。その旅の中で神様は幕屋を建てるように言いました。イスラエルの民にとって神様の存在は遠いものでした。その幕屋は神様の指示通り完璧な物でなくてはなりませんでした。自分の考え、人の思いではなく神様の言う通りにしなくてはなりませんでした。主の働きをする上で知恵と叡知と知識を与えられるのです。あらゆる仕事を成し遂げるためです。今幕屋の役目は教会であり、私たちです。神様が私たちに何を語っているのか聞く耳、受け取る心を備えましょう。主にゆだねその通りにした時、栄光が現れ祝福があります。しかし私たちは不完全なものであり、完全なる神様を迎える為にはどうしたら良いのでしょうか。幕屋を作るための材料には全て意味がありその全てはイエスキリストを表しています。イエス様を内側に招くことにより私たちの心に神様が住むのです。イエス様を信じることにより神様が住んで下さるのです。
    文責:小原 照代
    参考聖句:出エジプト記25:9、40 35:30~35、40:33~34、Ⅱ歴代誌5:11~12、Ⅱコリント5:17


  • 2022年5月22日 小村誠志郎 長老
    テーマ:益とされる神
    聖 句:ローマ人への手紙8章28節

    私達は、信仰を持っていても失敗し、試練にもあいます。今回は、神様が小村長老に三回の失敗を通して示されました。小村長老が良かれと思ってしたとっさの行動が、失敗(過ち)となり試練となりました。ヤコブの手紙3章2節には、「私達はみな、多くの点で過ちを犯すからです。」とあります。聖書の多くの人物たちも失敗しました。創世記3章6節には、神様から善悪の知識の木からは食べてはいけないと命じられたにも関わらず、蛇に騙されエバとアダムはその実を食べてしまいました。他にも、モーセも自分の同胞であるへブル人の一人が、エジプト人に打たれているのを見て、モーセはそのエジプト人を殺してしまうのです。旧約聖書のノアやダビデ、ソロモンたちも、新約聖書のペテロやパウロも、失敗した事が書かれています。しかし、ただ一人イエス様だけは失敗されませんでした。それは聖霊様と共に祈りつつ御業をなされたからです。イエス様を信じた私達は聖霊様の宮です。ですから互いに敬い、仕え、愛し、祈りあいましょう。イエス様もヨハネの福音書で「わたしが愛したように互いに愛しあいなさい」と命じられました。そして、赦し合う事も命じられています。またローマ人への手紙8章で「聖霊様も弱い私達を助けて下さいます」と有ります。イエス様に祈っていくならば、私達の失敗をイエス様は益に変えて下さり、御業を表して下さるのです。いつも、イエス様を見上げてまいりましょう。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:Ⅰコリント3:16 ヨハネ14:21 ローマ8:26~27
    マタイ18:19~22、34


  • 2022年5月15日  角和正義牧師
    テーマ:みこころがなりますように
    聖 句:マタイの福音書 26章39節

    主は人の心に志を立てさせ、事を行わせてくださいます。神を信じる者には祝福があります。色々な状況にあっても、神様の御心の歩みならば、そこに神様の栄光が表されます。そのためには、クリスチャン以外の人の心までをも動かしてくださいます。神様がしようとされている御心に触れるとき、主が守ってくださいます。御心を求める手本となるのはイエス様です。イエス様はゲッセマネの祈りにおいて、肉体的な苦しみからの解放を願ったのではありません。イエス様は、父のご計画を進めることが一番と信じておられました。ですから、主の御心がなりますようにと祈られました。神様の前では感謝の後に、自分の想いを素直に出して祈りましょう。神の愛と想いが天でも地でも行われますように…。主のご計画が前進していきます。神様は100匹の羊のうち、1匹でも迷ったならば探しにきてくださいます。私達が道に迷った1匹の羊です。それを気付かせてくれるために神様は時には未信者まで用いられます。それは、神様が必要だからと備えられたのです。アーメン。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:ピリピ2:13 エズラ記1:1 ヘブル5:7


  • 2022年5月8日  上迫和清長老
    テーマ: 主の再臨まで非難されない生き方
    聖 句: テモテへの手紙 第一 6章14節 ~ 15節

    イエス様の再臨は、神の決めておられる最もタイミングの良い時に、実現します。このとき人からではなく、神から非難されるか否かが問われています。イエス様は一度目は、二千年前に処女マリヤから生まれ、罪人の救いのために十字架で死に、復活されました。二度目は将来、待ち望んでいる人々のすくいのために来られるのです。私たちは既に、心は救われていますが、この二度目の空中再臨(携挙)の時に、永遠に朽ちない栄光の身体に変えられるのです。この贖いを切に待ち望むことは、非難されない生き方です。その時が近いと思われる今、聖書にはその前兆が記されています。①ユダヤ人が世界各地からパレスチナに帰り国を再建する。②エルサレムがイスラエルの支配下に戻る。③イスラエルが国際的に孤立して世界中から敵視される。このうち①、②は実現しており、③は預言です。ユダヤ人はイエス様をメシヤとして拒み、十字架につけてしまいました。いちじくの木のたとえでは、いちじくの木がユダヤ人です。今はこのユダヤ人が各地から戻ってきており、葉が繁りその実を結ぶときが、救いの完成です。黙示録にあるように将来、患難時代に反キリストの666の刻印を押されることを選ぶか、信仰を貫き通して永遠のいのちに至るイエス様を選ぶかは、信仰の踏み絵です。非難されない生き方とは、完全無欠を求めているのではなく、初めの愛から離れないことです。天の父から愛されているように隣人を純粋に愛することです。信仰にプラスαをしてはなりません。聖霊の火がそれを助けます。イエス様の来られる時まで、非難されない生き方をしていきましょう
    文責: 金子 和子
    参考聖句: ヘブル9:28、1テサロニケ4:16〜17、マタイ24:36〜39、32〜33、ゼカリヤ12:9〜10、黙示録13:16〜18、2:3〜5、Ⅱコリント10:12


  • 2022年 5月1日 角和正義 牧師
    テーマ: 主イエス様に委ねる
    聖 句: ペテロの手紙 第一 5章7節

    死別などにより深い悲しみにある人に寄り添う支援をグリーフケアと言います。第一ペテロ5章7節の御言葉は「これらのすべてのあなたの心配事(その一番の中心は罪です)を私は背負う。そして十字架においてすべてを為すから、あなたは心配せずにその荷をわたしに預けなさい。」と言っているように思えます。ピリピ人への手紙4章7節にある神の平安という言葉はヘブル語ではシャロームといい、これは神と正しい関係にある時に与えられる平安です。罪を犯し、恐れを持ち、神の臨在を避けたアダムとエバの所に神が近づいて来られ、「あなたはどこにいるのか」と言われました。これは私たち個々人に呼びかけている問いです(創世記3:8~10)。ヨハネの福音書20章19節でイエス様が弟子たちに言われた御言葉の意味は「わたしはあなたの罪のために十字架に架かりました。そしてあなたがたの罪を取り除きました。あなたは父のもとに行くことができるようになりました。だから平安があるように。」という意味です。主が私たちの内におられるならば、私たちの心に平安が与えられ、私たちは人々に愛を注いでいくことができるようになります。
    文責:川村 則之


  • 2022年4月24日 志賀孝作長老
    テーマ: 聖霊が臨む時、あなたがたは力を受けます。
    聖 句:使徒の働き1章8節
    メッセンジャー: 志賀 孝作長老

    先週はイースターでした。私達は、初穂となられたイエス様の復活に感謝しました。それと同時に、私達はイエス様の復活に希望も与えられたのです。ヨハネの福音書20章9節には、弟子達がイエス様の復活を理解していない様子が書かれています。弟子達は3年半もイエス様と共に過ごしていました。その中で御国の話や沢山のイエス様の奇跡も体験していました。しかし、イエス様が処刑された現実に恐れをなしてしまったのです。部屋に鍵をかけて閉じこもるようになり、信仰が落ち込んでいる状態になってしまったのです。そのような時に復活されたイエス様が現れて、聖霊を受けるように言われます。使徒の働き1章8節にあるように「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」とおっしゃったのです。後に、聖霊様の力を受けた弟子達は、以前の弱々しい姿ではなくなっていました。聖霊様の力を戴いて、力強く福音を地の果てまで伝えていく者と変えられたのです。今でも聖霊様の力は変わることなく、私達にも注がれています。忍耐を持って、イエス様を待ち望む事は大切です。御言葉を信頼し、聖霊様から力を戴いていくならば、弟子達のように力を授けて下さるのです。イエス様から目を離さず、歩んでまいりましょう。
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:ヨハネ20:9 使徒2:4 マルコ16:1 ルカ24:1



  • 2022年4月17日  角和正義 牧師
    テーマ: 捜して救うために
    聖 句: ルカの福音書 19章10節

    イースターとはイエス様の復活を祝うと共に感謝する日でもあります。イエス様は「平安がありますように」と、弟子達の前に姿を見せて下さいました。心の内に、主が私達と共に居られる時に湧き上がってくる素晴らしい祝福が平安です。イースターとはイエス様の、受難〜十字架〜復活〜昇天までを感謝することです。イエス様は失われた人を救うために来られました。今、全人類(失われた人)が滅びの危機にあります。エデンの園にはいのちの木と、その実を食すと死に至る善悪の知識の木がありました。 何故、そのような木が植えられていたのでしょうか?そこには、神の言葉に従うなら神と共に永遠に生きるという祝福の原理がご用意されていました。神は人に選択の余地を与えられたのです。しかし、人は神の言葉に逆らい背いてしまったのです。その末裔が現代の私達です。神様はそんな私達を立ち返らせて救うことを望んでおられます。 悔い改めて神様の愛の中に生きること、真実の愛に触れると怖れや不安が消し去られていきます。イエス様の十字架は、私達を救おうとしっかり抱き締めて下さっている愛の姿です。十字架のもとには、あなたのスペースがあります。イエス様はそのままのあなたを待っておられます。
    文責 仲平 滋



  • 2022年4月10日 川口 芳一長老
    テーマ: 天の故郷
    聖 句: ヘブル人への手紙 11章8節 ~ 10節

    4月は、多くの人が新しい環境に入る季節ですが、信仰生活もイエス様を信じたときから新しく始まります。アブラハムは神様から召しを受けて、神の示す地へ行く新しい信仰の道に入りました。彼の目はいつも、神ご自身が設計して建てた天にある故郷を目指していました。しかし「信仰の父」「神の友」と呼ばれた彼の信仰生活は、決して順風満帆ではなく、飢饉のときには、この世の象徴であるエジプトに下り、自分の妻を妹だと偽る罪を犯しました。約束の地を離れて、主との交わりが途絶えると信仰は後退します。神に全面的に頼るのではなく、自分の力や他のものに頼って、人を恐れる心が生じるのです。私たちも、苦しみ、悩みの中で「なぜ?」と思うのですが、ちょうど真珠が異物の入ることによって、苦しみ悶えた後に美しい宝となるように、多くの試練は、その苦しみの後に、やがて朽ちる金よりも高価であることを、私たちに教えます。パウロも多くの苦しみを経て、地上の苦しみは、天に受ける栄光に比べれば取るに足らないものだとさえ言っています。理不尽と思えることも、神の御手の中で許される範囲のものであり、神が背後にあって平安と喜びを与えてくださるのです。『天国は本当にある』(トッド・バーポ著)という本は、イエス様はあなたを、そして子どもたちを愛していることを繰り返し伝えています。イエス様のみわざによって、私たちの国籍は天にあります。受難週の今、十字架の道をたどり、イエス様がどんなに大きな犠牲を払って苦しみを受けたのか、みことばを通して学びましょう。そしてアブラハムに倣い、天の故郷を目指して、信仰の歩みを続けましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: 創世記12:1〜4、12:10、詩篇73:13〜14、1ペテロ1:6〜7、使徒14:22、Ⅱコリント11:23、ローマ8:18、Ⅱテモテ4:7〜8



  • 2022年4月3日 角和正義牧師
    テーマ: 一粒の麦となって
    聖 句: ヨハネの福音書12章24節

    麦が地に落ちて死ぬという出来事は植物の世界では当然のように起こっています。このことを通してイエス様は豊かな実を実らせるためには一粒の麦の死が必要だと私たちに教えています。またこの言葉はイエス様ご自身の十字架の死に当てて語られたと見ることができます。イエス様は良い実を実らせる良い種になられたのです。エデンの園の中央には2本の木が置かれました。1本はいのちの木で、これは肉体の死を防ぐものであり、食べてよいのです。もう一本は善悪の知識の木です。これについて神は「食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:17)と言われ、それが一つの約束でした。神の御言葉に従うなら、神と共に永遠に祝福されて生きますが、神に背くならば、罪により裁かれ死に至ります。これは歴史の最初に神が与えられた原理です。アダムは罪の性質を持った種になってしまいましたが、イエス様は永遠のいのちを与えてくださる救いの種になられたのです。皆さんは既に福音の種を受け取りました。どうぞその種を心で温めて根を張りまた茎が伸びて葉が出て神様の光を受けさらに聖霊の風と祝福の流れの中で成長していってください。         
    文責:川村 則之
    参考聖句:創世記1:1 2:17 ローマ5:19 3:29


  • 2022年3月27日 小村誠志郎長老
    テーマ: 御霊の実
    聖 句: ガラテヤ人への手紙5章13節 ~ 17節

    ガラテヤ地方は、パウロが最初の宣教旅行に行った場所です。今のトルコの中央の山岳地帯です。パウロはイエス様の死と復活について、人々に語っていました。それは、人々が旧約時代の影響を受け、割礼などの律法の行いを重視していたからです。
    イエス様は十字架の死と復活により、私達を律法の束縛から解放して下さいました。その事を信じるならば、私達は義とされるのです。私達は聖霊様を物質的感覚や物理的測定方法を用いても、感じる事ができません。 聖書の御言葉を読み、聞いて、信じるならば、悟る事ができるのです。聖霊様が満たして下さり、神の霊を感じるのです。聖霊様は、愛と力と慎みの霊です。神様はその聖霊様の愛を持って、互いに愛し合う事を大切にされています。神様の愛は、一方的な変わらない愛です。今は終わりの時代でもあり、全ての霊が良いわけではありません。ですから、偽物の預言者や悪い霊もいる中で、聖霊様によって見分けることも必要です。聖霊様は、弱い私達を言葉にならないうめきをもって、とりなして下さいます。イエス様も神様の右の御座におられ、大祭司として私達を助けて下さっておられます。ですから、私達は肉の業ではなく聖霊様に従って行くならば、御霊の実を結ぶ事ができるのです。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:ヨハネ4:24 創世記1:31 2:20 Ⅰヨハネ4:7~11 Ⅰコリント13:4~8 ガラテヤ5:22~23 ローマ8:26~27 ヘブル4:15~16


  • 2022年3月20日 角和 正義牧師
    テーマ:キリストにあって一つのからだ…ひとりひとり互いに器官なのです。
    聖 句:ローマ人への手紙 12章5節

    器官〜「器」とは形を持つもの、つまり存在を表すもの。「官」とは一つのものを支えていく大切な働きのことです。これが共働して一定の、身体を作っている大切なひとつ一つの機能を果たしています。つまり、私達はキリストのからだを作っている大切なひとりひとりであると言えます。では、器官はどのように作られたのでしょうか。そのキーワードは教会です。教会については聖書にこのようなことが書かれています。ペテロとの会話でイエス様は次のように仰いました。キリストという大きな岩の上に教会を立てると…。教会とは建物、会堂のことではなく神様によって明確な目的のために選び、召し出された者達の集まりです。私たちはキリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。器官ということは互いに繋がっているということです。エペソ4章16節にあるように、主のための目的と愛の結び目がしっかり繋がっていると祝福が教会全体に流れ成長して愛のうちに建てられて行きます。主は私達の羊飼いです。そこに行けば主は私達を緑の牧場へと連れて行って下さいます。そこでは神様の愛と恵みと祝福が流れてきます。主が私達をお呼び下さり、お招き下さったのです。私達は選ばれた者です。
    文責:仲平 滋
    参考聖句:マタイ16:13~18 エペソ4:16 


  • 2022年3月13日 上迫和清
    テーマ: 抜き身の剣
    聖 句: ヨシュア記5章13節 ~ 15節

    モーセ亡き後、神から「モーセと同じようにあなたと共にいる。強くあれ」と言われたヨシュアでしたが、神の助けと信仰によって、ここまで来たものの、巨大なエリコの城壁のそばで、どんなに不安だったでしょうか。そのとき、ふと目を上げると抜き身の剣を持った人(受肉前のイエス様)がいたのです。見上げることは、信仰の分かれ目で、ヨハネ4:35〜36では「目を上げて畑を見なさい」と、刈り入れ時を教えています。私たちが、私たちの身代わりに十字架で死なれたイエス様を見上げることは勝利の秘訣です。私たちが神に忠実であれば、神は私たちの味方です。また、抜き身の剣の人は主の万軍の将として「今」現れました。それは、聖霊も同じです。旧約のモーセやダビデは、自己主張を捨て、砕かれて個人的に神にお会いしましたが、今の私たちは誰でも見上げれば、主に会えるのです。私たちの身体は、聖霊の宮です。ヨシュアは、「履き物を脱げ」と言われました。これは礼拝する姿勢であり、神の臨在する所はどこでも聖なる所になります。へりくだり、純粋に霊とまことをもって、私たちは主を礼拝するのです。そのためには、神の武具を身につけて、心の中の不義を取り除き、へりくだり悔いた心で、神に近づくこと、そして、自我の鞘を捨てて、聖霊の働きに明け渡すことです。主は近いのです。私たちは真剣勝負の祈り、賛美、礼拝を御霊の剣を持って、信仰を堅く守っていきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: ヨハネ35〜36、ローマ8:31、出エジプト4:24〜26、Ⅰ歴代21:16〜17へブル4:12、エペソ6:11〜17、Ⅰコリント6:19


  • 2022年3月6日 角和正義牧師
    テーマ: 聖書的希望
    聖 句: イザヤ書40章31節

    一般的な希望は「将来に良い事を期待する気持ち。こうあってほしいと望み願うこと。状況が変わって、何かが起こるかもしれないという希望的観測をする気持ち。」と辞書には書かれていました。しかし聖書の希望は揺れ動かない神の言葉を土台として、神から
    与えられる約束を疑わずに受け取ることです。それは信仰というものがとても重要に関わってきています(ローマ15:13)。信仰は目に見えない霊的なものを掴むことのできる手です。御言葉の土台の上に立っていくならば、見てはいなくても掴むことができ、確信できるのが信仰です(ヘブル11:1)。鷲は翼を広げて上昇気流に乗って自分でははばたかずに高く上がっていくのです(イザヤ40:31)。私たちも聖霊の 風の中に身を委ねていくと、神の臨在の中に高められていきます。御言葉を握った時に主の平安が一人一人に与えられます。私が弱くなると、キリストが力をもってそこに働いてくださるのです(Ⅱコリント12:9)。ですから自分の弱さのまま身を委ねていく時、そこには恵みがあふれて来て、それは感謝に変わっていきます。感謝は私たちの心を希望に変えていきます。   
    文責:川村 則之


  • 2022年2月27日 志賀孝作長老
    テーマ: 仰ぎ見よ
    聖 句: 民数記21章9節

    民数記には、苦しい奴隷生活を強いられていたイスラエルの民を神様がモーセを率いてエジプトから脱出させた後の事が書かれています。その旅の途中で民たちは、色々と不満を呟いてしまうのです。神様は、イスラエルの民に多くの恵みを与えていました。紅海を神様の御業によって、無事に渡らせました。また、民が困らないようにマナという食べ物も神様は与え続けたのです。しかし、民はそのマナにも飽き飽きしたと、呟くようになってしまいました。主はその民の中に燃える蛇を送られました。蛇は民にかみついたので多くの民が死にました。民は悔い改め、モーセに蛇を取り去って下さるように神様に祈って下さいと言うのです。すると、主はモーセに「燃える蛇を作り、それを旗竿の上に付けるよ。かまれた者は皆、それを仰ぎ見れば生きる。」と言われたのです。モーセは青銅の蛇を作り、旗竿の上に付けました。そして、青銅の蛇を仰ぎ見た全ての民は、再び生きる事ができたのです。私達は、日々イエス様から頂いている多くの恵みを忘れ、呟いてしまう者です。でも、青銅の蛇を仰ぎ見るように、いつもイエス様から目を離さず、恵みに感謝していく事は大切です。恵みを一つ一つ数え、感謝をしていくのです。初心を忘れずに、最初の確信を最後まで持ち続けてまいりましょう。    
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:民数記1:2 26:1~2 ヨハネ3:14~16


  • 2022年2月20日 角和正義牧師
    テーマ: 慰め
    聖 句: コリント人への手紙 第二 1章3節~4節

    感謝によって祈る時に神の平安がキリスト·イエスによって私達の心と思いを守ってくださいます。神は私達がどのような苦しみの中にあっても慰めてくださいます。聖書の慰めとは、「苦しんでいる人のそばに立ち、励まし助け強め支えること」と記されています。神様からその慰めを受けると、同じように苦しんでいる人を慰めることが出来るようになります。神様からの恵みは他の方に流れていきます。それは決して自分の力で出来ることではなく、聖霊様が共にいてくださるから可能なのです。「私があなたを愛したように、人を愛しなさい」これがイエス様の大きな愛です。私達はただで神様からの愛と恵みを受けました。ですから私達も隣り人に愛を伝え、慰めて合って行きましょう。何故、困難に遭うのか〜困難に遭う価値を知ればその困難に向き合う事が出来ます。私達は小さくて弱い者ですから、『この困難の訳を教えて下さい』そのように、素直に身をかがめて祈る時に神様は必ず応えてくださいます。 そして、慰めてくださいます。                
    文責 仲平 滋
    参考聖句:ピリピ4:6~7 ヨハネ14:16~18 



  • 2022年2月13日 ベアンテ ボーマン師
    テーマ: 勝利をもたらす信仰の秘訣
    聖 句: ヨシュア記1章1節 ~ 9節

    ヨシュアは、直接神と語ることのできる偉大なモーセの従者でした。彼らがエジプトから解放され40年間荒野を旅する中で、モーセが亡くなり、ヨシュアは突然、仕える者から導く立場に変わりました。自信もなく、大きな責任を背負う彼に、神は「強くあれ。雄々しくあれ」と励まされ、泣き続けずに、前進するように言われました。多くの人の、過去にしがみつく生き方は、将来の妨げになります。また、振り向くことは、神の国に相応しくありません。しかし聖書は、忘れるばかりではなく、罪が赦されていること、救い、病が癒されること、恵みあわれみに満ち、力が与えられること、などは忘れてはならないと教えています。それから、神は繰り返し約束の地があることを言われ、彼に神の約束を信じて前進するように言われました。神は約束を守る方です。また、永遠の真理のみことばに立って生きることが大事であり、みことばを熟考し、ひざまずくとき、主の臨在が強く臨みます。それはまた、受け取るだけでなく、人に伝えることが必要です。ヨシュア記に続く士師記は、神を離れて自分の考えで生きようとした時代で、それを通して私たちは、神のことばに従って生きるとき、神の臨在があると知ることができます。モーセと共にいた神が、ヨシュアにも共におられたように、この教会の新しいリーダーにも共におられます。前進していきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: 申命記34:8、イザヤ43:18〜19、ルカ9:62、詩篇103:1〜5、ローマ12:2、コロサイ2:8、ヨハネ3:19


  • 2022年2月6日 角和正義 牧師
    テーマ: 天国への希望
    聖 句: 黙示録4章1節 ~ 4節

    角和正毅牧師はリハビリの病院の先生に福音を伝えたことで心が燃やされ、退院した次の日曜日にはもうメッセージを始めていました。正毅牧師は福音を伝えることの尊さを身をもって教えてくれたのだと思います。正毅牧師が置いて行った聖書を開いていた時にこんなメモが出てきました。「今朝夢を見た。電車に乗っていた。立っていた。すると若い娘さんが立って席を譲ってくださった。自分は戸惑ったが、良く考えると私は老人でした。席に座ると楽。天国へ行く席は十分空いています。」いつ書かれたのかはわかりませんが、正毅牧師の中には絶えず天国に向って行くというイメージが与えられていたようです。これは信仰です。そこに必ず天国への希望というものを内に秘めて、皆さんにメッセージをして来られたのです。聖霊様が内側で私たちを燃やしてくれるのです。私たちが天に向かって行く原動力、また燃料は聖霊様の燃える力です。それが私たちを神のもとへと導くのです。本当の平安の中に憩う場所が主のもとです。天国に行った時に、顔と顔とを合わせて私たちは共に生きていくのです。この希望を持って私たちはこれからも歩んで行きたいと思います。           
    文責:川村 則之
    参考聖句:黙示録21:4 詩篇23:6 ヨハネ3:16 Ⅱコリント5:17


  • 2022年1月30日 角和正義 牧師
    テーマ: どうか、私にならう者になってください。
    聖 句: コリント人への手紙 第一 4章16節

    正毅牧師が亡くなった哀しみはあります。先週(23日)には元気にメッセージのご奉仕をなさいました。残された家族にはまだ気持ちの整理がつかず、まだ入院しているんだと思ったりしています。父は天国に凱旋したのです。一番待ち望んでいたところに行ったのです。母が遠くを見ているとき、慰める言葉が見当たらず、一緒に祈ります。そうすると、聖霊様が内側に働き、母は力強く感謝を捧げるのです。弱々しい心が強められるのです。素晴らしい聖霊様の働きです。1月23日の正毅牧師のメッセージは今思えば、まさに、遺言のメッセージだと思います。モーセがイスラエルの民が約束の地に入るときに送った申命記の言葉と通じるものを、正毅牧師は私達に向かって「神を愛し」「神に従って」「歩んでいきなさい」とおっしゃいました。正毅牧師の信仰の集大成のようでした。救われた信仰の尊さから始まり、イエス様の十字架、復活の勝利、聖霊の油注ぎを受け、教会が立ち聖霊の力によって福音を伝えていくのです。神の導きにより宣教師がこの鶴見に来て下さったのです。伝道者の書には「すべてに時が有る。」とあります。神様のみこころの時、それは私達には分かりませんが、神様はすべてを見ておられるのです。「あなたの名が天に記されていることを喜びなさい。」と聖書に有ります。イエス様があなた方を迎えに来ます。それまで忠実に福音を伝えて行きましょう。  文責:志賀 孝作
    参考聖句:箴言27:9 ルカ10:20 詩篇50:15 Ⅰコリント4:16

  • 2022年1月23日 角和正毅 牧師
    テーマ: 現代に生きる信者の豊かさ
    聖 句: ペテロの手紙 第一 1章3節 ~ 5節

    クリスチャンとして生きていても、苦しみや困難に遭遇します。しかし、今の時代のクリスチャンは、聖書の時代のクリスチャンよりも恵まれているのです。聖書の弟子達は、虐待や奴隷などの迫害を多く受けていました。その試練の中でも、信仰により神の御力によって守られている事を決して忘れる事はありませんでした。イエス様が再び来られた際に称賛と栄光と誉れを与えて下さる望みがあったからです。イスラエルの民は、イエス様が来られたならば、すぐに世界統一が起こる事を期待していました。でも、イエス様は彼らの罪を取り除くために来られました。罪人を招いて、罪を赦し、新しく生まれ変わって神の国を受け入れる事を願われたのです。そして、教会が建てられた際には、全世界に福音を伝えていく事を望まれたのです。私達が、イエス様の御名によって行った全て事は、神様に覚えられており天に蓄えられているのです。聖書の御言葉は、今の時代のクリスチャンにも生きて働いています。イエス様は、私達を迎えに再び来られます。この携挙に望みを置き、信仰を維持していく事は大切です。イエス様は、一人一人を愛して下さり、今も守って下さっておられます。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:Ⅰペテロ1:3~16 黙示録3:11


  • 2022年1月16日 角和正義 牧師
    テーマ: とりなしの祈り
    聖 句: ルカの福音書 22章 31節 ~ 32節

    私達が身体を動かす際には骨格筋の働きが必要となります。これは私達の意思によって動かすことの出来る筋肉のおかげです。これとは別に、無意識の内に動いている筋肉があります。不随意筋と呼ばれる、内臓全般を動かしているもので、これによって私達の生命が保たれています。私達は自分の意志で手を組み、祈りの言葉を口にします。けれども、その背後で神様がとりなしの祈りをされていてくださいます。ヨブ記にあるように、神様は私たちがサタンから試みられることをある範囲許されることがあるようです。しかし、どのような場合であっても神様はいつも私達に寄り添っていてくださいます。ペテロの信仰がなくならないように、イエス様はとりなしの祈りをしてくださいました。私達の知らないところで不随意筋のように私達を守ってくださっています。罪を犯した人間のために、その罪も問題も一身に背負って祈ってくださいます。とりなしの力をお与えください。祈りを聞き届けてください。イエス様の、ゲッセマネの究極の祈りと十字架によって救われた私達です。だからこそ、隣人に伝えていきましょう。   文責 仲平 滋
    参考聖句:ルカ21:37 22:39~40 ヘブル7:25 イザヤ53:12



  • 2022年1月9日 角和正毅 牧師
    テーマ: 神と共に歩んだ人
    聖 句: マタイの福音書 6章 31節 ~ 34節

    今日は成人祝福式です。日々、試練や困難があっても、私たちには天国へ行けるという希望があります。この希望の錨を心におろし、イエス様を信じて歩いていきましょう。マタイ6:31〜34には、まず第一に、神の国と義を求めよと記されています。世の中は、名誉、富、健康などの一時の幸せを求めますが、人間として一番大事なことは、人生の永遠をも意味する神の道を求めることです。また、自分を第一にすれば、人は必ず壁にぶつかるのです。神は私たちを導くお方です。聖書には「人はパンによって生きるのではない」こと、神の語りたいことのすべて、私たちへの答えが書かれています。これはダニエル書の、ダニエル(神は審判者)、ハナニヤ(主はあわれみ深い)、ミシャエル(主と同じ者は誰だ)、アザルヤ(主は助ける)の四人の青年たちを通しても知ることができます。彼らはバビロンに捕囚された中で、名前を変えられ、バビロンの考え方を強要されましたが、真の神を第一として信じ、偶像で汚れたものを一切食べず、身を汚しませんでした。神に切に祈り求め、信仰を貫いたのです。すべての考えの背後には、神の導きがあり、人にその思いを与え、変えてくれます。ダニエルはこの後もイエス様の十字架の預言など大きな働きをしました。私たちを造られた神を第一に生きるとき、神はすべてのことを助け、私たちに未来を備えてくださいます。明日のことを心配する必要はないのです。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: マタイ4:4、ダニエル1:6、9:25、1ペテロ5:7



  • 2022年1月2日 角和正毅 牧師
    テーマ: 新しい契約と古い契約
    聖 句: ルカの福音書 22章 14節 ~ 20節

    ここにはイエス様が地上を去る時に最後の晩餐をする様子が描かれています。イエス様は「血による新しい契約」と言われました。ノアの時代、神は人間を造ったことを後悔し、すべての人を滅ぼすと言いました。しかしノアは正しい人であったので、神は全地を洪水で滅ぼす前に彼だけは助けたいと思い、契約を結びました。アブラハムは栄光の神に出会い、神の言葉をそのまま信じました。神はそれを彼の義と認めました。全能の神の力でアブラハムの不妊の妻サラは男の子を生みます。神はアブラハムと永遠の契約を立てました。その契約は彼の時代が終わっても、終わっていません。その後神はモーセと律法の契約を立てました。日常生活の生き方から、いかに犠牲を捧げるかという宗教的な儀式の行動などたくさんの律法がこの時に神から与えられました。イエス様は私たちのために血を流して、旧約時代の契約の必要条件を本質的に全部満たして、新しい契約に移ったのです。それによって、私たちは罪赦され、神の子とされ、神の特権に、また永遠のいのちにあずかっています。イエス様が私たちのためにいのちを捧げて新しい契約を立ててくださったことを日々覚えていきましょう。      
    文責:川村 則之
    参考聖句:出エジプト12:1~14 24:1~8 創世記6:1~16 17:1~24 ローマ1:5 マルコ14:24 ヘブル9:11~24 10:1~18 Ⅰヨハネ1:7~2:2