メッセージブログ

  • 2021年5月2日  角和正毅 牧師
    テーマ:この人を見よ
    聖 句: ヘブル人への手紙 12章2節

    ベタニアのマリアは、突然高価なナルドの香油をイエス様の頭に注ぎました。彼女はイエス様の話を初めから聞いていて、その背後にある意味を悟っていました。彼女はイエス様が私たちの罪のために身代わりになって死ぬこともよく理解していたので、イエス様の埋葬の準備をしたのです。マリアは別の形でイエス様の神性と贖いの御業の秘訣を見ていたのです。クレネ人シモンは、ローマの兵士によってイエス様の十字架を背負わされました。彼はイエス様の足跡を追いながら遂にイエス様にすばらしい救いの姿を見て、その心はイエス様に献げられました。この体験が彼の人生に大きな証しとなり、彼の子供のアレクサンドラとルフォスはローマ教会の忠実な指導的な信者となりました。
     イエス様と共に十字架に掛けられた犯罪者の一人はいまわのぎわで回心して、天国に入ることができました。犯罪者は最初は二人ともイエス様をののしっていましたが、そのうちの一人は神の御臨在を感じたのでしょう。彼は傍でイエス様のその姿をずっと見ていて、イエス様の祈りも聞いたでしょう。この方が十字架に掛かったのは私の罪の身代わりなのだと悟ったのでしょう。
     私たちに大切なのは、諦めないで最後の最後まで証しを続けることです。それはイエス様が人生にかけがえのない物を私たちにくださるためです。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ヨハネ12:1~7 マルコ15:21 ローマ16:13 マタイ27:38~44
     ルカ23:39~43
  • 2021年4月25日  角和正毅 牧師
    テーマ:祈りの働き
    聖 句:使徒の働き 1章14節

    使徒の働き1章には、イエス様の弟子達やイエス様の家族達が心を合わせ、祈りに専念している様子が書かれています。これは、聖霊様の力を頂くためです。聖霊様の力を与えられれば、私達はその力によって慰められ、祝福や伝道する力も備えて下さるのです。ペテロはイエス様から二つの鍵を頂きました。その一つ目は、ユダヤ人に正しくイエス様を伝える事でした。ユダヤ人はイエス様をメシヤだと認めていませんでした。イエス様は旧約の重い律法を廃止し、心から神を愛すること、自分の隣人を愛することなどの新しい律法を与えて下さったのです。そして、全人類の罪を背負って十字架に掛かって下さりました。その事を知ったユダヤ人は、悔い改めてバプテスマ受けて、三千人の弟子が加わりました。二つ目は、異邦人への伝道でした。まず、神様は敬虔なユダヤ教であるイタリア人の百人隊長コルネリウスの前に現れて、ヨッパにいるペテロを招くよう導かれました。その後に神様はペテロの前にも現れました。神様はペテロの前に天からあらゆる四つの足の動物、地を這う物、空の鳥を与えました。そして、屠って食べなさいと申しました。ペテロが躊躇していると、「神がきよめた物をきよくないと言ってはならない」とおっしゃったのです。この事からユダヤ人にも、異邦人にもイエス様を信じる者は全ての罪が赦されて、聖霊様の力が頂けるのです。そのためにも、祈りの生活は大切です。いつもイエス様を信頼し、祈ってまいりましょう。
    文責:吉田 愛子 
    参考聖句;使徒10:3~48 1:14 ローマ12:12 ルカ18:1 Ⅰテサロニケ5:17
    Ⅰテモテ2:8 エペソ6:18


  • 2021年4月18日   角和正毅 牧師
    テーマ:キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを知ろう。
    聖 句: エペソ人への手紙 3章17節 ~ 19節

    私達はキリストの愛という固い基礎の上に根ざしていることを片時も忘れてはいけません。そのためにはイエス様の愛の広さ、長さ、高さ、深さを知り、理解する力を持たなければなりません。十字架を負いながら(その重さは私達の罪の重さです)刑場へと歩を進めたイエス様は十字架につけた者たちだけのためにとりなしの祈りを捧げたのではありません。ダビデの、詩篇69篇19節~28節の祈りは私達が見習うべきものではありません。ダビデの中に愛が無かったわけではありません。むしろ愛に溢れた人でした。それでも律法の復讐心からは開放されてはいませんでした。イエス様は十字架上で、私達全ての者を赦してくださいと祈られたのです。私達はほんの目先しか見ていませんが、神様はそのずっとずっと先を見ておられます。「私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」 愛に乾いた私達のために聖霊様が愛をもって私達の内に住まわれて下さっています。愛と恵みがあり、それは誠(真理)に繋がります。旧約の、600を超える厳しい律法を愛によって全て変えられました。全律法の頂点に愛があります。これこそが神様の愛の大きさです。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:出エジプト21:14、15,17 詩篇69:19~28 ヨハネ1:14~17 ルカ23:32~34 ヨハネ13:34


  • 2021年4月11日 角和正毅 牧師
    テーマ:土の器の中にある宝
    聖 句:コリント人への手紙 第二 4章7節

    パウロには多くの試練、苦しみを通して、神の慰めがありました。「私のからだは土の器です。その中に宝物(神からの救いのいのち)は入っていると言っています。神は、壊れやすい土の器を通して、福音の光を外に現すことを求めておられます。この光は、土の器のどんな小さな隙間からでも差し込み、サタンの策略にも負けずに、しみ込んで、私たちは神の愛に満たされて福音を伝える思いを与えられます。また、パウロは落馬して、心を砕かれて悔い改めて、イエス様にお会いしました。十字架で、私たちの罪の身代わりとなって、すべてを払ってくださったイエス様の永遠のいのちが、その土の器の中に入ったのです。土の器は、神の栄光を現し、あかしがあふれ出ます。牧師の母の絶望的な状況のガス中毒の苦しみを通して、父親が救われたというあかしは、今日も私たちに神のみわざと力を教えてくれます。試練を通して私たちの信仰は強くされ、苦しみに耐えて練られ、神の栄光が現れるのです。主に不可能はありません。そして、恵みは私たちに十分です。どんな患難にもつぶやかず、賛美し、主の約束は実現することを信じ抜きましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: 使徒9:3〜20、Ⅱコリント12:9、黙示3;11、ローマ5:4、1コリント10:13


  • 2021年4月4日   角和正毅 牧師
    テーマ:イエスの死と復活の意味するもの
    聖 句:ルカの福音書 24章1節 ~ 12節

    女たちは恐れながらもイエス様の復活を信じて早速イエスの十二弟子たちに伝えましたが、彼らは容易には信用しませんでした。イエス様は十字架の死を完璧な身代わりの死として、いのちを捨ててまで人々のために犠牲になられました。そのようなイエス様の行為に天のお父様も喜ばれて、イエス様を復活させて、天の神の右の座に着かせたのです。人間は皆罪人で、その罪を自ら取り去ることも贖うこともできません。そこで神様が恵みと憐れみをもって私たちの罪を赦し、救われるチャンスをくださったのです。イエス様を自分救い主として信じて信仰を告白するなら、私たちは救われるのです。今後困難や問題にぶつかったり、どんな状況に立たされても、主を見上げて前進して行きましょう。主は決してあなたを見捨てず、約束を忘れません。主は必ず祈りを聞いてくださいます。私たちは人々のためにも執り成していきましょう。互いに励まし合い、集会をやめることなく、主の再臨の日が近いのですから、兄弟姉妹助け合い、引き上げ合い、支え合って前進して行きましょう。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ルカ24:1~49


  • 2021年3月28日   角和正毅 牧師 
    テーマ:信じることの価値
    聖 句:ヨハネの福音書 3章14節 ~ 18節

    今週は受難週です。イエス様の死と復活を思いながら過ごす事が大切です。旧約の民数記には、奴隷生活を強いられたイスラエルの民がモーセによってエジプトから脱出された事が書かれています。その旅の中で民はモーセに不満をぶつけるのです。「この荒野でパンもなく、水もない。私達はこの惨めな食物に飽き飽きした。」とつぶやきました。惨めな食物とは、神様が天から40年間養って下さったマナという物でした。忍耐力が欠け傲慢になったイスラエルの民に神様は燃える蛇を送られたのです。蛇は民にかみつき、多くの死者がでました。民は自分の罪を認めて、モーセに祈ってくれと念願しました。その中でモーセは民のために祈りました。すると、神様は「燃える蛇を作り、それを旗竿の上につけよ。全て噛まれた者は、それを仰ぎ見れば生きる。」と申されました。モーセは青銅の蛇を作り、旗竿の上につけました。そして、その青銅の蛇を仰ぎ見た者は、生きたのです。木にかけられた青銅の蛇とは、十字架にかけられたイエス様の型です。青銅の蛇を仰ぎ見るとは、イエス様を信じる事です。罪のないイエス様は、私達の罪のために十字架にかかられました。罪のない方が死んで、罪のある者の罪が赦されました。そして、私達はイエス様のお蔭で、生かされ、義とされ、新しい命を頂いたのです。この受難週には、そのイエス様の十字架への歩みに感謝し歩んでまいりましょう文責:吉田愛子
    参考聖句:ヨハネ3:14~18 民数記21:4~9 ローマ3:10~26 6:23 マタイ7:13~14


  • 2021年 3月21日 角和 正毅 牧師
    テーマ:マリヤの行動が語るもの
    聖 句:ヨハネの福音書 12章1節 ~ 3節

    イエス様は数々の奇跡の御業を行なったとヨハネによる福音書に書かれています。それによると最後に行われた奇跡は、マリヤの兄弟のラザロを生き返らせたことでした。人々はその奇跡にただただ驚き畏れるばかりでしたが、マリヤだけはイエス様の御言葉を全て信じ、受け入れていました。マルタはイエス様に懸命に給仕することが自分の務めと信じていましたが、マリヤはただ神様の御言葉に聞き従うことこそが喜びであり、救いであると確信していました。 人々はイエス様や弟子達に様々な捧げ物をしました。けれどもそれは心の奥底に、他の人に見てもらいたいという想いの籠もったものでした。マリヤはイエス様を遇するために高価な香油を御足にかけ、それを己の髪の毛で拭いました。弟子のイスカリオテのユダがその事をたしなめましたが、イエス様は「マリヤはわたしの葬りの日のための備えをしたのです。」とおっしゃいました。マリヤの行動の語るもの…。私達に出来ることは何でしょうか?私達は何を為すべきでしょうか?神様に祈り、求めるならば神様はきっと応えて下さいます。             文責 仲平 滋
    参考聖句:ヨハネ12:4~8 マルコ14:8~9 ルカ10:38~42



  • 2021年3月14日  角和正毅 牧師
    テーマ:天の御姿に輝いたイエス
    聖 句:マタイの福音書 17章 1節 ~ 2節

    三人の弟子たちは、高い山で、イエス様が栄光と威光に輝く御姿に変貌するのを目撃しました。イエス様は神の子でありながら、この世に普通の家の普通の人として誕生されました(イザヤ53:1〜3)。イエス様が公に現されたのは30歳、バプテスマのヨハネから水のバプテスマを受けた時からです。水から上がったイエス様に、天が開き主の御霊が鳩のように下り、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」という天の父の声がありました。そこからイエス様は、父の命令に従って、人々をただし、奇跡を行い、病を癒し、人々に真の神を教え伝えたのです。この三年半の働きの頂点が、冒頭の高い山での変貌の御姿です。つまり、普通の人の姿から本当の天の姿を弟子たちの前に現したのです。この時の天の父の声は、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」というものであり、父に忠実に従ってきた働きを称賛されたのでした。こうして、イエス様は父のみこころにより、人々の罪の身代わりとなる働きの最終局に至ります。イエス様は弟子たちに、イエス様が「死人の中からよみがえる」まで目撃したことを誰にも言わないように、命令されました。これは「死と復活」のことで、また「再臨」も意味して語られました。やがて、驚きと不安の中にいた弟子たちにも、十字架の死、三日後の復活から、イエス様の語られた意味がわかってきます。間もなく復活祭を迎えますが、その一週間前が受難週です。私たちは引き続きイエス様の働きを学んでいきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: 使徒10:38、マタイ17:5〜8、9



  • 2021年3月7日 角和 正毅 牧師
    テーマ:神と人との間の仲介者
    聖 句:テモテへの手紙 第一 2章5節 ~ 6節

    人としてのキリスト・イエスとは私たちの立場を本当に御存知で、人と神の間にある問題を解決して、生ける神に私たちを繋ごうという大きな役目をもってこの地上に来た仲介者ということです。イエス様は罪の世界の奴隷になったすべての人をこの世界から神の世界に移すために御自分のいのちという身代金を払って、御自分の罪のない聖いいのちを十字架上でお捨てになりました。それは全人類のあらゆる時代の罪人を救うための神様の唯一の手段でした。イエス様は人間と神との間の大きな障壁を取り除き、人間が神に近づくことができ、交わることができる立場に変えてくれました。終わりの日が或る日やって来ます。しかし今は恵みの時、救いの日であり、今ならばイエス・キリストを信じることによって、真の神を信じるチャンスが与えられています。ですから私たちはイエス様を信じることを先に延ばさないようにしましょう。イエス様を信じることが真の神を信じることなのです。人であるイエス様が私と神の間の神から遣わされた唯一の仲介者です。イエス様を信じるならば、心に罪の赦しによる大きな平安が、また希望が与えられ、私たちは本当に安心した生き方ができるのです。 
    文責:川村 則之
    参考聖句:ヨハネ12:44~50



  • 2021年2月28日  角和正毅 牧師
    テーマ:わたしにとどまりなさい。
    聖 句:ヨハネの福音書 15章 1節 ~ 12節

    イエス様はぶどうの木です。私達がイエス様にしっかりと繋がっていなければ、良いぶどうの実を結ぶ事はできません。旧約時代、神様はイスラエル民族を選び、導いておられました。しかし、神様の期待された者となる事なく、酸っぱいぶどうの実となってしまったのです。新約時代、イエス様がこの地上に来て下さいました。そのイエス様の御言葉にどどまることが大切です。御言葉は汚れた心を聖めて下さいます。イエス様にどどまり続けていくならば、神様の命が流れ、霊的に生きる事ができます。イエス様の命の管に繋がっているからです。イエス様は私達の罪の身代わりに十字架にかかって下さいました。私達を死から救って下さり、愛を示して下さったのです。そのイエス様の愛を持って、お互いに愛し合う事はイエス様の戒めです。このイエス様を拒むならば、枝のように投げ捨てられ、枯れてしまいます。イエス様を離れては、私達は何もすることができないからです。イエス様にどどまり、御言葉にとどまるならば、求める者の祈りは聞かれます。そして、必要な物は与えられるのです。イエス様は私達を愛しているからこそ、十字架にかかって下さいました。そして、罪を赦して下さったのです。そのイエス様の愛にどどまり続けるならば、私達は良い実を結ぶ事ができるのです。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:イザヤ5:1~2 エレミヤ2:7 ローマ8:14


  • 2021年2月21日 角和正毅 牧師
    テーマ:誰でも主につまずかない者は幸いです。
    聖 句:マタイの福音書 11章1節 ~ 6節

    イエス様はいつの時代であっても恵み深いお方です。バプテスマのヨハネは、イエス様が軍を率いてローマを駆逐し、この世にユダヤ王国を築かれると思っていました。しかし、イエス様が三年半ほどの公生涯においてなされたことは、病を癒やし、不自由な者たちに奇跡の御業を行なったことでした。千年王国を築くことではなく、ユダヤ人をはじめ異邦人全てを救うために来られたのでした。旧約の時代にはメシアは裁くために来られると信じられてきました。最後の預言者だったヨハネはその神の真理を伝えてきました。しかし、人々はそれを受け入れようとはしませんでした。イエス様は国や民全体に話しかけるのをやめて、個人個人に語りかけます。イエス様は喩えを用いて、真理を奥義として判り易く語られました。ユダヤの人々は律法の重みに疲れ果てていました。イエス様は、「全て疲れた人、重荷を負っている人は私のところにきて、私のくびきを負いなさい」と仰いました。イエス様は真理だけではなく、恵みを持って来られました。恵みとは愛です。死人の内より蘇り、私達を赦し、そして、救おうとイエス様は二千年経った今でも生きて私達を導こうとされています。ここに愛があるのです。  文責 仲平 滋
    参考聖句:マタイ11:28~30 Ⅱコリント6:1~2


  • 2021年2月14日  ベアンテ ボーマン師
    テーマ:神からくる励まし
    聖 句:サムエル記 第一 30章1節 ~ 8節

    コロナ禍の中、多くの人は迷い悩んでいますが、クリスチャンは神殿の上に立ち、背後に偉大な神を知ることができます。ヨハネ16:32〜33でイエス様は、私たちには苦難があるが、決してひとりではなく、主にあって平安であることを前もって語られています。今日はこのことをダビデを通して学びましょう。ダビデはサウル王から命をねらわれ、ペリシテに逃げ込み、アキシュ王に気に入られ、様々な問題にあたりますが、イスラエルと戦うことになったとき、すべてをダビデのせいにする部下たちから命をねらわれます。これはダビデが自分の考えによって行動した時の結果でした。人は問題が起きたとき、オカルトに走るか、絶望するか、また神に奮い立ち主の元に返っていくかによって、その結果が大きく変わります。ダビデは神を「自分の神」と呼び、決して可能性志向ではない、インマヌエルの神と深く個人的に繋がり祈る姿勢をもちました。試練は人の力で防ぐことはできません。その一番の対処法は、経験する苦難を見るのではなく、問題から目を離して神を見ることです。人はその命を惜しむときに、自分の考えで動きますが、ダビデは主に祈り主を呼び、神から約束を与えられました。神は、苦難を用いて、主ご自身の力を現されます。また、困難の中で、神はリーダーを立てられます。モーセからヨシュアにバトンが渡されたように、私たちの教会にも今日、そのみわざが成されました。私たちは、御霊により一つとなって、サタンの足掛かりをゆるさず、前進していきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: ヨハネ16:32〜33、Ⅰサムエル28章、Ⅰサムエル28:5、詩篇9:9〜19、Ⅰサムエル27:1、ヨハネ17:21〜23、Ⅰヨハネ4:4


  • 2021年 2月 7日 角和正毅 牧師
    テーマ:神と共に歩んだ人
    聖 句:創世記 5章 21節 ~ 24節

    エノクは三百年も神と共に歩みました。彼は神の言葉を信じ、罪の結果として神の審判が来ることを感じました。神は忠実なエノクに目を留め、ずっと彼を導きました。
    神はやがてこの世を滅ぼすという計画を彼に打ち明けました。彼はそれをいち早く世の人に伝えなければいけないと思い、生まれた子供にメトシェラという名を付けました。それは「彼が死んだら、それが来る」という意味です。メトシェラという名を呼ぶごとに彼は世の人々に神の裁きが来ることを知らせたのです。私たちが神と共に歩くには十字架のイエス様を信じなければなりません。イエス様が十字架に掛かって私たちの罪を背負って、私たちの身代わりに死んでくださり、裁かれたのです。だからあなたの罪は赦されているのです。それを信じた時、その人は明らかに心の中が聖められるのを実感します。イエス様は世界中の人にこの良い知らせ(ゴスペル)を伝えなさいと命じました(マタイ28:18~20)。私たちも忠実にイエス様を信じて、十字架の贖いをしっかりと受け止め、感謝し、絶えずイエス様を賛美しつつ、十字架を褒め称えて共に歩んでいきましょう。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ユダ 14~15 マタイ28:18~20 Ⅱコリント6:1~2 創世記6:5~7 11~12 マタイ24:36~39 黙示禄3:11 



  • 2021年 1月31日 角和正毅 牧師
    テーマ:従順の秘訣
    聖 句:詩篇40篇1節~8節

    主は私達の祈りに耳を傾けて、聞いて下さるのです。地上の人々の祈り、叫びを聞き分けて下さるのです。ダビデはサタンが作った罪の落とし穴にはまった時に、自分の罪を認識し悔い改め神様に助けを求めました。すると、神様は引き上げ、足を巌の上に置き、歩みを確かにして下さいました。十字架で私たちの罪の為に死んで下さったのです。私たちの罪はイエス様の十字架の死を信じることにより赦されています。罪から助けて下さった故に、従い、賛美し、栄光を帰すのです。エレミヤ7:22~23は素晴らしい神様の勧めの言葉です。「わたしの声に聞き従え。」エレミヤの時代は直接神様が語りました。今は聖書を通してお語りに成るのです。神様に信頼を置くことは人生において益です。私たちが幸せになれる唯一の方法です。十字架のイエス様を信じる時、私達は救われるのです。十字架で流された御血によって清められたと信じた時救われたのです。私たちは神様との和解を告げる使節なのです。平和の大使です。
    文責:小原 照代
    参考聖句:エレミヤ7:22~23 イザヤ6:1~8 Ⅱコリント5:17~21



  • 2021年1月 24日  角和正毅 牧師
    テーマ:互いに愛し合いましょう。
    聖 句: ヨハネの手紙 第一 4章7節 ~ 11節

    神の性質は愛です、神の全ては愛です、ですから神は愛です。神様は私達人間の罪のために、なだめの供え物としてイエス様をお送り下さいました。神様は人々を裁かず、怒らず、忍耐をして赦しを与えて下さいました。私達の罪のために、イエス様が十字架にかかって下さり愛を示して下さいました。そのイエス様を信じるならば、私達は新生し、神様の愛の性質を頂く事ができるのです。
     人々はイエス様に出会うまで、偶像礼拝をし、イエス様に敵対して歩んでいます。人間には身体、魂、霊があり、イエス様を信じるならば霊を新しくして下さるのです。イエス様の愛は喜び、平安、赦しです。また、憎しみ、敵対、呪いは取り除かれていきます。そして、その愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。イエス様の愛に触れたならば、その愛の中に生きる事ができ、恐れがなくなるのです。完全にイエス様に信頼して歩んで行くならば、イエス様が全ての事を責任を持って成してくださいます。イエス様はいつもすぐ側で共にいて下さり、私達を守って下さいます。その愛を受けて私達はお互いに愛を示し、前進して行く事ができるのです。イエス様はすべての道で、あなたを守って下さいます。
    文責:吉田愛子
    参考聖句:ヨハネ3:3、5 Ⅱコリント5:20、21 マタイ5:44 ルカ19:1~10 ガラテヤ5:22~23

 


  • 2021年1月17日 角和正毅 牧師
    テーマ:新生人のための服装
    聖 句:コロサイ人への手紙 3章10節

    現代のコロナ禍での暮らしは荒野を旅する人のそれのようです。この世の苦難に出会うことはクリスチャンにも起こり得ますが、その先に永遠の命と歓びの確信を持つ者は必ず幾多の試練をも乗り越えられると神様は約束されています。但し、それには人は新しく生まれ変わって新生人とならなければなりません。新しく生まれ変わるということは霊が神の御姿に変えられることです。新生人の服装とは新しい「人」を着るということです。それは私達を新たに作って下さった方〜神様の形に似せられることです。しかもそれは日々新しくされ続けるのです。新生した体験を忘れずにずうっと持ち続けることが「人」を着ることになります。どんな人でも救われると神の形に似せられます。神は霊です。神の霊はどこにでもあります。神の霊は愛であり、真実であり、真理です。元来、人間には神様の霊が与えられていました。けれども、サタンの巧妙で執拗な誘惑に負けて人は罪を犯してしまいました。そんな私達を神様は見捨てることなく、救おうとして下さいます。生ける神から離れないように、私達はキリストの帯(愛)を今一度しっかりと互いに結び付ける必要があります。与えられた新しい命が消え失せてしまわないように! 
    文責:仲平 滋
    参考聖句:コロサイ3:5~10 創世記1:26~27 コロサイ3:12~14 ヘブル3:12~14

 

  • 2021年1月10日  角和正毅 牧師
    テーマ:信仰が与える忍耐その結果は
    副 題:救いのもたらす祝福の連鎖・・義認→神との平和→恵みの充満→神の栄光への喜びの望み→患難をも喜んで耐えられる。
    聖 句: ローマ人への手紙 5章1節 ~ 5節

    神から義と認められるとは、神があなたを良しとされる、あなたの中に罪を認めないことです。それはイエスを信じる信仰によるものであり、一瞬にして信じれば、一瞬で義とされ、神はあなたを、イエスを通して見てくださいます。それゆえに私たちは、神との平和を得ることができ、恵みに導き入れられて、神の栄光に与る希望を喜ぶのです。そして、苦難さえ喜ぶ者となり、苦難が忍耐を、忍耐が練られた品性を、それが希望を生み出します。ゴルファーの中嶋常幸さんは、ミスショットをしたとき、心の強さが大事であると言われましたが、それは救われた者が失敗をしても、主に助けをいただける強さのことではないでしょうか。また、様々な逆境の末にアメリカ大統領になったアブラハム・リンカーンを支えてきたのは、幼い頃から教科書代わりに与えられ、教えられてきた聖書の存在でした。彼には、細く切れないイエスとの繋がりがあったのです。かつてアメリカの五人の宣教師は、アウカ族に福音を伝えに行って殺されましたが、やがてその失敗が新芽を出し、村人全員が救われ、さらに広がる大きな結果となりました。このように、信仰がもたらす祝福と、私たちに届く神の豊かな恵みの充満の中で、神との平和を持ち、喜び、望みが湧くのです。罪をきよめられ生まれ変わり救われた者には、神に与えられた聖霊によって、神の愛が心に注がれています。
    こうして私たちは、苦難さえも喜ぶ者となり、希望に満ちた人生を送ることができるのです。文責: 金子 和子
    参考聖句: ローマ8:28、ヨハネ12:24、箴言24:16、ヨハネ3:3〜5

 

  • 2021年1月3日  角和正毅 牧師
    テーマ:開かれた門
    聖 句:黙示禄3章8節

    フィラデルフィア教会は神の御前でイエス様から多大の祝福をいただきました。イエス様はだれも閉じることのできない開かれた門を約束しています。イエス様は私たちのためにも開かれた門を備えているということを信じていきましょう。だれもイエス・キリストを知らずに真の満足した人生、本当に幸せな人生を送ることはありえません。キリストの生涯のすべての面がクリスチャンにとっては喜びの源泉です。クリスチャンは交わりを通して、幸せ、喜びを分かち合うことができます。まず第一にキリストとの交わりです。また同時にクリスチャン同士の交わりです。さらにクリスチャンには闘いもあります。その闘いを通して私たちは喜びも感謝もあふれるのです。罪との闘い。愛との闘い。肉欲の誘惑との闘い。怠慢との闘い。色々な場面でクリスチャンは闘って勝ち抜かなければなりません。本当の幸せは救いから始まります。救われた喜びを保つためには、第一に毎日聖書を読み、次に毎日祈ることです。主を見上げていくクリスチャンとして、しっかりと御言葉を愛し、絶えず祈り、忠実な信者となるなら、あなたの行く道に門が開かれているのです。
    文責:川村 則之
    参考聖句:Ⅰヨハネ1:7 4:1~12 Ⅰテモテ4:1~5 マタイ24:12 4:19 マタイ22:37、39 ヨハネ15:16 Ⅰペテロ1:16