- 2025年3月23日 角和 正義牧師
タイトル:『御霊は真理に導く』
聖 句: ヨハネの福音書16章13節
クリスチャンが福音を伝える時は、御霊の助けが必要です。ヨハネの福音書14章16節には助け主の事をギリシャ語でパラクレトスと書いてあります。その直訳は助けるために傍に呼ばれた人という意味です。神は霊ですが人格はあり、いつも一緒にいてくださる存在という事です。そして、この方は真理の御霊です。真理であるイエス様の霊です。ですから、御霊はイエス様を証しする霊ということになります。イエス様は私たちを通して今、働かれています。御霊に満たされるならば福音を伝える機会が与えられるのです。御霊は聖書を思い出させて下さいます。そして、語る事ができるように導いて下さいます。イエス様には12弟子がいました。ペンテコステ(教会の誕生日)以降、弟子たちの御言葉に対する理解が深まり変化しました。それは、弟子たちが聖霊のバプテスマを受けた後、力を頂き、特にペテロは声を張り上げて人々に福音を語るまでに変えられたのです。御言葉に従順になっていくならば、御霊様が満たして下さります。そして、聖霊があなたがたの上に臨む時、あなたがたは力を受けます。地の果てまで、私の証人となりますとイエス様は仰って下さっています。御霊に満たされていりましょう。
文責:吉田 愛子
参考聖句:ヨハネ14:16~17 使徒2:14.16~40 使徒1:8
- 2025年3月16日 角和 正義牧師
タイトル:『御霊に満たされなさい』
聖 句:エペソ人への手紙5章18節
メッセンジャー: 角和 正義牧師
感謝の背後には主の恵みがあります。私達はこれまでに数え切れないほど神様の愛と恵みを受けてきました。しかし、弱くて愚かな私達はその全てに対して感謝の想いを抱いて素直に神様の御前に出られないことがあります。自分の力だけでは感謝することが難しいのです。「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と聖書に記されています。理解はしていても、なかなかそうは出来ないのが人間の愚かしさです。聖霊の力によって導かれなければいけません。霊的な力が必要です。SNSの発達によって私達の暮らしは大きく変容しました。この流れはますます加速していくことでしょう。しかし、いくらそれが発展しても人々の心は変わらずに淋しく、癒されることはないでしょう。罪人である私達を愛し、より良い方向をお示しくださる神様におすがりするしか私達の心の安定はありません。感謝を忘れないことが幸せに通じていくと信じることは大切です。けれども、自分だけの力で必死にそれを守ろうとしても難しいことは前述しました。我を捨てて御霊の力によって導かれなければいけません。私達の心が御霊に満たされる時に、主への感謝の想いが満ち溢れてきます。 私達は素直にそれを受け取れば良いのです。御霊に満たされましょう。主の愛と恵みはとこしえに私達に注がれます。 アーメン
文責 仲平 滋
- 2025年3月9日 角和 正義牧師
「キリストの生涯(第29回目)」
タイトル:『ツァラアト患者10人の癒し』-恵みに対する感謝-
聖 句:ルカの福音書17章15節~16節 テキスト ルカ17;11~19
イエス様はエルサレムに向かう途中、ある村でツァラアトに侵された10人の出迎えを受けました。彼らは遠く離れたところから声を張り上げて、イエス様へ救いを求めました。当時、この人たちは汚れた者として扱われ、隔離されて生活していました。イエス様が彼らの信仰に答え、その病を癒されました。そして病を認定する祭司に、治った体を見せに行かせました。するとその中に一人いたサマリア人は、神に感謝しながらイエス様のもとに引き返し、イエス様の足元にひれ伏し、感謝しました。当時、ユダヤ人とサマリア人は仲が悪く、お互いを避けていましたがツァラアトに侵され、隔離され、同じ痛みで苦しんでいたことで一緒にいたと思われます。イエス様の行ったことでわかることは、イエス様の救いはユダヤ人だけではないこと、感謝に来なかった人でも信仰によって救いを求めた人には与えられたことです。しかし感謝をしないで癒された人と感謝をした人との違いはなんでしょうか?イエス様は感謝した人に言いました「あなたの信仰があなたを救ったのです」感謝することでイエス様から信仰の尊さを教えてもらいました。このことから感謝に満ちたクリスチャンは、神様の恵みを実感できることにつながります。そして感謝することで信仰の成長につながります。主によって頂いた恵みを忘れず、感謝によってさらなる恵みを受けとる生活を送りましょう。 文責:片岡 哲郎
参考聖句:レビ 13:45~46 詩篇103:1~2
- 2025年3月2日 ルリ子 ボーマン先生
タイトル:「恵みに富む人生」
聖 句:ヨハネの福音書 1章 14節 ~ 17節
旧約聖書で律法が与えられ、新約聖書ではイエス様がこの世に人として来られて律法を成就してくださったことにより恵みの世界が開かれたことをこのヨハネの福音書1章17節で見ることができます。私たちは恵みによって救われただけではなく、恵みの上に恵みが増し加えられていく人生に導き入れられていることをこの聖書の箇所は語っています。しかし私たちは恵みの中に生き続ける生き方を忘れてしまうことがあります。日常生活の中で「私」というものに囚われてしまい、恵みを無駄にしてしまう状況に落ち込むこともあります。世界中の大きな問題は金銭を愛することです(Ⅱテモテ3:1)。イエス様は神を愛し、隣人を愛しなさいと言われたのに、終わりの時代には神も隣人も愛さずに、自分や金銭または快楽を愛するようなクリスチャンが現れることをパウロは警告していますが、私たちは正にそういう時代に生きています。私たちは十字架を見上げて、神の恵みと神の愛を感謝して、神に愛されていることを忘れないことが大切です。神の国は喜びと平安と恵みに満ちた所、また神の愛で満ちた所です。神の国は義と平和と聖霊による喜びです(ローマ14:17)。私たちは恵みと永遠のいのちの中を生き続ける人生を歩ませていただきましょう。
文責:川村 則之
- 2025年2月23日 角和正義牧師
タイトル:『恵みについて』
聖 句: コリント人への手紙 第一15章10節
恵みとはイエス様の福音の中心を意味しています。本来の恵みの意味とは優越者の劣等者に対する過分の愛顧です。そして、聖書の恵みとは受けるにふさわしくない私たちに対する神様の好意、愛、助け、力の事を意味します。その神様の恵みを受け取る事を邪魔するものがあります。それは、劣等感とコンプレックスです。劣等感とは自分が他人よりも劣っているという感情です。コンプレックスとは過去の経験などが原因で特定の事に抱くマイナスの感情です。これらの感情を持ち続けると人間は自己嫌悪に陥ってしまいます。聖書の恵みという言葉はパウロの書いた手紙に多くでてきます。それは、パウロ自身が神様の恵みよって変えられた人生だったからです。その恵みであるタラントをどのように用いるかも重要になってきます。何を実行したかではなく、神様とどのような霊的関係にあるかが大切です。自分には価値が無いと思うのではなく、ありのままの自分を捧げていく事が求められていきます。「私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」と神様は私たちに仰って下さっています。神様が一人一人に与えて下さっている恵みに目を向けて、へりくだり歩んでまいりましょう。
文責:吉田 愛子
参考聖句:1コリント15:3~5 マタイ25:14~15 イザヤ43:4 1ペテロ5:6
- 2025年2月16日 角和 正義牧師
タイトル:『祈りについて』
聖 句:テサロニケ人への手紙 第一 5章17節
聖書には「いつも喜んでいなさい」(テサロニケ人への手紙第一5章16節)とあります。それは、17節の「絶えず祈りなさい」と続いていきます。祈りの形に拘る必要はありません。ひざまずいて胸の前に両手を組み、天を仰いで…と、理想の姿に縛られるものではありません。私達の居る所々において喜びを得たなら、感謝の想いを素直に神様に告げることが大切です。祈りは喜びに通じ、それはまた祈りへと繰り返されていきます。神様はその私達の気持ちを受け取ってくださいます。感謝から賛美へ、そして、神の名を崇めていく……。それが礼拝です。喜びが大きいほど祈りへと導かれます。そこには祝福が用意されています。それは全て聖霊様の御力によるものです。信仰生活とは祈りの生活です。祈ることで神様との距離が縮まり、より良い関係へと昇華していきます。 祈りとは、神様との交わりであり、会話であり、そして、霊的な呼吸です。生きていく健康のためには換気が必要です。天からの新鮮な空気を吸うことが大切です。それが祈りです。日々、恵みによって生かされていることを喜び、感謝し、祈りへと繋げていく〜その祈りを受け取られた神様は私達に生きるに必要な糧と空気を与えてくださいます。そこに喜びがあり、感謝が生まれます。今日も喜びを持って、神様を見上げていきましょう。
文責 仲平 滋
参考聖句:詩篇42:1 マタイ7:7
- 2025年2月9日 ベアンテ ボーマン先生
タイトル:「教会に与えられた力」
聖 句: エペソ人への手紙1章15節 ~ 19節
パウロによって建てられたエペソの教会に送られたエペソ人への手紙の中で、本日は賛美から祈りに移った箇所に注目していきます。パウロは1章17節において、イエス様についてさらに良く知るように、と書かれています。エペソの教会の人々はイエス様のことは知っていました。しかしパウロの願いは、イエス様のことをもっと深く知ってほしいと、願っていました。聖書によってパウロはすべての教会に対しても、同じ思いであることが分かります。さらにパウロは聖霊によって主を理解できる力が与えられると、言っています。ですのでその御霊が人々に与えられるように神に祈っています。イエス様の弟子は普通の人たちでした。しかしペテロやヨハネの手紙を見ますと、イエス様に対してたくさんの知識があることがわかります。彼らはいかにしてその知識を得たのでしょうか?それは聖霊の啓示を受けて得た知識でした。知恵と知識は神からの賜物だと第一コリント12章8節で語っています。そしてさらには神の偉大な力を知ることが重要です。パウロはエペソ1章19節でその神の偉大な力をその神の力によって人々が知ることができるようにと、祈っています。イエス様によって建てられた教会は今日までサタンから守られてきました。イエス様によって教会に与えられた偉大な力によって、さらに主への理解が深まることに感謝しましょう。
文責:片岡 哲郎
参考聖句:1コリント12:8 2:9~10 ヨハネ15:4 マタイ16:18 Ⅱテサロニケ2:6
- 2025年2月2日 角和正義牧師
タイトル: 『苦難の意味』
聖 句: ローマ人への手紙5章3節 ~ 5節
ローマ人への手紙5章3節から5節には霊的公式があります。1.苦難+恵み(神様の御手)=忍耐 2.忍耐+神様の恵み=練られた品性 3.練られた品性+恵み=希望 ヤコブの手紙の1章2、3節にも同じテーマの御言葉があります。ヤコブは迫害に合って国外に離散したユダヤ人クリスチャンたちを励ますためにこの手紙を書きました。ここには迫害に耐えることでそれが祝福に変えられていくと書かれています。クリスチャン生活におとずれる様々な試練を罰とか呪いと考えるのではなく、むしろ試練を喜びの土台とすること、つまり試練の中に喜びを見出していくことが導かれていく一つの大きな特権です。私たちが試練に合うことにより、神様があなたをすばらしい祝福された状態にしたいと願っているということを教えられます。「価値ある人生」という証し集に正毅牧師のお母さんがガス中毒に罹った事が記されています。そこには家族全員が絶望のどん底に突き落とされたような状況でもイエス様を信じる信仰により神の御手に委ねることにより希望と平安があったこと。またその後奇跡が起こりお母さんが回復したことが記されています。
文責:川村 則之
- 2025年1月26日 角和正義牧師
「キリストの生涯(28回目)」
タイトル:『取税人ザアカイ』-失われた者の救い―
聖 句:ルカの福音書19章10節 テキスト19:1~10
イエス様はエルサレムに行く途中でエリコに立ち寄られました。十字架にかかられる前の最後のエリコへの訪問でした。イエス様はエリコではザアカイ(心の病)と盲目の物乞いバルティマイ(体の病)を癒されました。この事からイエス様の十字架には全ての人の癒し、救いがある事がわかります。ザアカイの名前には義人・聖い人という意味が込められています。しかし、イエス様に出会う前のザアカイはローマに魂を売ったような生き方をした取税人の頭でした。当時、取税人は罪人と呼ばれていました。それは、人々から税金を多く騙し取っていたからです。ですから、ザアカイはお金持ちでもありました。にも拘らず、心は渇いていたのです。イエス様がエリコを通られる時、背の低いザアカイは木に登って見ようとしました。その木の下に来たイエス様は上を見上げ、ザアカイの名を呼びました。この出来事からイエス様は一人一人を見ておられることがわかります。そして、その人の全てを知っておられ、招いておられ、心の中に入れて頂きたいとも願っておられるのです。人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。この御言葉に感謝して歩んでまいりましょう。
文責:吉田 愛子
参考聖句:ルカ18:35 マルコ10:46 箴言15:17 黙示3:20 マタイ11:28
- 2025年1月19日 角和正義牧師
テー マ:「神の摂理」
聖 句:ローマ人への手紙8章28節
礼拝の中に主は臨在しています。パウロは捕らえられた過酷な環境の牢獄の中にあってさえ、賛美をし、神を称えました。罪人である私達は子羊の血(キリストの血)によって清められ、神々しい主の前に近付くことができます。感謝を持って、主の御前に集いましょう。 求めることも大切ですが、まずは過ぎしこれまでの恵みを感謝しましょう。「救い」には三つのプロセスがあります。
・神様の救いの御業が私の人生に始まる(義認)
・救いの御業が継続する(聖化)
・救いの御業が完成する(栄化)
神様はゴールを備えて下さっています。その道筋には確かな摂理があります。摂理とは神様が備えられた私達のゴールへの確かな御働きのことです。神様は私達を神の似姿に作られました。ご自分が作られた者のお世話をして下さっているのです。主に仕える者として、パウロのように何処にあっても主を見失わずに賛美と感謝を捧げる時に神様は私達に救いの御手を差し延ばして下さいます。パウロの賛美は、同じ獄舎の中にいた罪人の心の中にまで響き渡りました。神様の摂理を形をとって私達に知らしめて下さったのです。なんという大いなる恵みでしょうか。アーメン 文責:仲平 滋
参考聖句:ヨハネ3:3 Ⅰテサロニケ5:23 Ⅱコリント3:18
- 2024年1月12日 角和正義牧師
テー マ:「信仰による希望」(パート2)
聖 句:ローマ人への手紙15章13節 テキスト:詩篇23篇1節~6節
詩篇23章1節から6節には、主を羊飼いにするならば乏しいことがない、とあります。主によって備えられるからです。そして希望に満ち溢れていくとあります。ここでの羊飼いとはイエス様のことです。そして羊とは人々のことです。このことは今年の聖句であるローマ15章23節と密接な関係にあります。羊と人間は良く似ているそうです。羊は臆病です。安心していられるためには恐れ、飢え、緊張から解放されなければなりません。それができるのは羊飼いです。羊は羊飼いがいると、安心して横たわるそうです。良い羊飼いの働きは3つあります。①羊一匹一匹に名前を付けて呼び羊の事を良く知っていること ②十分に食べさせるために牧草地に連れていき、草と水を与えること ③外敵から羊を命をかけて守ることです。 イエス様は良い牧者です 羊のために命を捨てます。イエス様が地上に来られた理由は全人類の罪の裁きをご自身で受け、十字架の御業によって人類を罪から救うことでした。羊飼いであるイエス様は羊のようにさまよっていた私たちを罪という獣からご自分の命をかけて救ってくださいました。そして信仰によって喜びと平安に満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいます。そのことを感謝しましょう。
文責:片岡 哲郎
参考聖句:ヨハネ15:13 10:11 イザヤ53:5~6
- 2025年1月5日 角和正義牧師
テー マ:「信仰による希望」
聖 句:ローマ人への手紙15章13節 テキスト:ローマ15:4~13
今年の鶴見純福音教会の聖句はローマ人への手紙15章13節です。内閣府の調査によると日本の若者の約4割が将来に希望がないと答えているそうです。人間の作り出す希望ははかなくて、良いように見えても長続きしません。そして不確かです。ですから日本の若者は将来に希望を持てないで、絶望感を持っているのです。 しかし神は全知全能なるお方であり、絶望はしません。今日のテキスト(ローマ15:4~13)のキーワードは希望です。この希望は聖書の希望であって、世の中で言う希望とは内容が違います。この箇所のアウトラインは次の通りです。➀4節:聖書が希望を与える。➁5節~6節:聖書の希望は一致を生む。➂7節~12節:教会の一致は神の栄光に繋がる。➃13節:神様の約束を信じる者は希望に満たされる。聖書の希望は神の約束を土台にしているので、揺るぐことはありません(ヘブル10:23)。「約束してくださった方は真実な方」です。主が約束してくださった事はもう変えようがないのです。ここには信仰によって私たちがそれを手にしていくなら、それを持つことができるという証しが書かれています。 文責:川村 則之