メッセージブログ

  • 2021年10月10日  角和正毅牧師
    テーマ : 主の御名を呼び求める者は皆救われるのです。
    聖 句: ローマ人への手紙 10章13節

    「主の御名を呼び求める者はみな救われるのです」と、みことばは断言しています。これは創世記4:26に、エノシュ(セツの子)の時から始まったと記されています。この頃は既にカインの子孫が増え、神なしの自分たちの力で、生活も快楽も行う時代でしたが、エノシュは真の神の道を歩きました。創世記5章には、アダム〜ノア迄の10人の信仰者の名があります。7代目エノクは世俗に染まらずに忠実に神と共に300年歩み、生きたまま天に挙げられました。彼は息子をメトシェラ(彼が死んだらそれが来る)と名付けました。それは、ノアの洪水のさばきと未来の神の審判が下される預言でした。この預言は、新約聖書のユダの手紙にも記されており、患難時代の前に教会が携挙されることをも表しています。神はアダムの罪を赦し、罪のない獣を犠牲にした皮の衣を着せて、イエス様が十字架で私たちの罪の代わりに死なれて復活し、私たちに義のキリストの衣を着せてくださることを約束されました。十字架の血によって洗われたきよい衣です。今の時代もまた、しっかりと自分の信仰を固めて生きなければ、持っていたものを失います。最後まで光の中を歩き続けるとき、イエス様は私たちを罪から守り、きよめてキリストに与る者とされるのです。みことばは、祝福と共に警告を与え、私たちを目覚めさせます。さばきの前に主の名を呼び求めることと、キリストの愛、赦し、優しさ、寛容を私たちは証していかなければなりません。
    文責: 金子 和子           
    参考聖句: 創世記4:26、20、5:18〜22、24、1ヨハネ1:5〜7、ユダ14〜15、ルカ17:26〜27、1テサロニケ1:9〜10、4:16〜18、黙示7:9、マタイ24章、ヨハネ14:3



  • 2021年10月3日  角和正毅牧師
    テーマ:キリストの平和
    聖 句:コロサイ人への手紙 3章15節

    十字架でイエス様が苦しみを受けた時、弟子たちは、皆自分の身を案じて逃げて行ってしまいました。彼らは一箇所に集まり、ユダヤ人を恐れて部屋に錠をかけて潜んでいました。そんな時に復活されたイエス様が部屋の中に入って来たのです。イエス様が彼らに会うなり最初に言われた言葉は「平安あれ。」でした。驚くことに弟子たちを責めることなく、それは優しく傷を癒す言葉でした(ヨハネ20:19~23)。その言葉は彼らのすべての状況を開放してくれたと感じたことでしょう。平安だけが彼らを包んでくれた最初の言葉です。イエス様は次に「聖霊を受けなさい。」と言われて、彼らに新生体験をさせました。弟子たちは新しく生まれ変わりました。この聖霊体験が福音宣教の前に彼らに必要だったのです。それをさらに確かにさせたのが聖霊の力、聖霊のバプテスマです。イエス様の弟子たちは一つになって、これから伝道のために励んでいくことを決心しました。最後にコロサイ人への手紙3章12節から17節までの御言葉を皆様へお贈りして、今朝の礼拝の言葉にしたいと思います。 
    文責:川村 則之
    参考聖句:ヨハネ20:19~23 コロサイ3:12~17


  • 2021年9月26日  角和正義牧師
    テーマ : めんどりがひなを翼の下に集めるように。
    聖 句: マタイの福音書 23章37節
    前回は歴代誌に書かれているヨシアが宗教改革を行った事を話ししました。偶像礼拝を撤廃し、モーセの律法に出会い、心を痛めます。そして、神様の前にへりくだり、霊的リバイバルが起こったのです。このヨシアが行った宗教改革は過去・現在・未来においても大切な時代です。まず、イスラエルの歴史は、紀元前2000年に神様はアブラハムに現れます。そこで、あなたを大いなる国民とすると告げるのです。1800年には、大飢饉が起こりヤコブの家族がエジプトに行き、その地でイスラエルの人口は増えていくのです。1400年にモーセと共にエジプトを脱出し、40年後、ヨシュアとカナンの地へ戻りました。ここまでは、神様の御心に従っていく、神権政治だったのです。次に士師時代があり、1053年には初めてサウル王という王が、民の意向により建てられます。後にダビデ、ソロモンと続きます。この間、偶像礼拝が行われ、一つの裁きとしてイスラエルは北と南に分かれる事となります。722年に北イスラエルはアッシリアよって、586年には南ユダはバビロンによって滅んでしまいます。しかし、ヨシアの宗教改革時代の教えが守られて、引き継がれていました。エレミヤ・ダニエル・エゼキエルの真の神様を信じる預言者達が神様に遣わされるのです。神様の深い愛の計画でした。神様はいつの時代も雌鶏が雛を翼の下に集めるように、一人一人を導いておられます。神様は一人一人を愛しておられます。           
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:ルカ19:41 ローマ5:8



  • 2021年9月19日  角和正義牧師
    テーマ : 痛みは重要なシグナル
    聖 句: 歴代誌 第二 34章27節

    痛み〜感覚・感情としての痛覚そのように辞書などでは説明されています。痛みは傷や病気で起きる肉体的な痛みと、精神的な悲しみや苦しさからくる心のそれがあります。身体の痛みを感じる時と心の痛みを感じる時の脳の活動部分はほとんど同じ部分なのだそうです。痛みのもっている役割は共通しているといえます。何故、痛みは必要なのか?痛みを感知することで損傷を受けた部分を庇い、次からはそのようなことにならないように用心する。歴代誌Ⅱには神の言葉に敬虔であることと、痛みを与えて下さる恵みについてが記されています。若くして王になったヨシアは神への言葉に従順でした。宗教改革のさなか律法の書(聖書)を発見し、その内容(神の言葉に不従順な民の状況)を知り、心を痛め、神の前にへりくだり悔い改め、霊的リバイバルへと導かれます。ー主イエスは医者なりーその御手と御声をもって、あらゆる災いを取り除いてくださいます。主のもとにどんなに人が集まっていたとしても、私達は何も臆することはありません。十字架のもとにはあなたのスペースが用意されています。主の前に祈りましょう。神の前にへりくだりましょう。主の御言葉が注がれます。
    文責:仲平 滋
    参考聖句:Ⅱ歴代誌34章 申命記31:9~12 


  • 2021年9月12日 角和正毅牧師
    テーマ :神への渇き
    聖 句:詩篇2篇1節 ~ 5節、11節

    この詩篇には、BC600年代、偶像の地バビロンに捕囚されていた頃、真の神と深く交わり礼拝できないイスラエルの「神への渇き」が背景にあります。また、このコラの子たちは、神のしもべの役割を担う立場で、神に反き神の怒りにさばかれたレビ族の残りの者たちで、生き延びて神のあわれみと赦し、救いのゆえに謙虚に神に近づきたいという渇望の中にありました。渇きは、空腹より深刻で、死が目前にある状況です。コラの子たちはそれを、鹿が水を求め喘ぐ姿と重ねました。私たちの霊の渇きもこれと同じなのです。神の臨在は、目に見えない神が共にいて、どんな時にも見捨てないことで、それは日常生活にも霊的生活にも欠かすことが出来ません。つまり、たましいの渇きは、コラの子たちの切実な叫びが表すように霊的な死を意味するのです。ですから、生活の中で、神を求める生き方を妨害したり、誘惑する思い煩いや地上のものへの追求、快楽などはすべて危険で、排除するべきです。イエス様は、十字架で私たちの罪咎を贖い、復活され、永遠のいのちを保証してくださいました。このイエス様とともに生きることが私たち信者の指針であり、私たちには、神を慕い求める神への渇きが大切です。神は、私たちを満たし、赦し、受け入れ、助ける方、私のために十字架にかかり、神の前に全く義として立たせてくださる唯一の方です。私たちのたましいの渇きを満たすイエス様を信じ、神を見上げるとき、主は私たちを愛し、祝福し、導かれるのです。     文責: 金子 和子
    参考聖句: マルコ4:19、マタイ5:6、6:33、6:34


  • 2021年9月5日  角和正毅牧師
    テーマ:神の御言葉を信じる価値
    聖 句:ルカの福音書 4章27節 

    シリアの将軍ナアマンはイスラエルとの戦いで大きな戦果を得て、一人の娘を捕らえて来て妻の召使にしました。彼はツァラアトに冒されていましたが、サマリアにいる預言者にお願いすれば、ツァラアトを癒してくれるという娘の一言は正に神の良き福音でした。残念ながらナアマンは自らの手で事を複雑にしてしまいました。しかし彼は娘の言葉を思い出し、預言者エリシャの家に向かいます。だが彼は今までの行き詰った状況に嫌気がさして、そこを去りましたが、彼の家来の言葉によってナアマンの心はもう一度元に戻りました。ナアマンは覚悟して裸になり、謙虚になって水の中に七回身を沈めると神様の奇跡がそこに現れたのです。これから何百年も経ち、メシアは地上の人となって私たち人間の社会に来て、神様の本当の真理、神の道を示しました。そして十字架の上でイエス・キリストが全人類の罪の裁きを身代わりに受けたのです。イエス様の福音は今や全世界に広がって、世界中の人がこの福音を信じて天国を獲得することができます。罪が清められ、神様の新しい力をいただいて、生きることができるのです。あなたも素直に信じて従うなら神の栄光を見ます。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ルカ4:27 Ⅱ列王記5:1~15


  • 2021年8月29日  角和正義牧師
    テーマ:霊的な健康の維持と成長のために。
    聖 句:詩篇3篇5節 

    以前霊的な健康のために必要なものは①しっかり食べること(聖書を読む)②しっかり呼吸すること(祈ること)を話しました。今回は3つ目、しっかり睡眠をとることを話します。睡眠は心身のメンテナンスのためにとても重要です。身体の不具合をリセットし、翌日の活動に備える大切な整備の時間です。睡眠不足によりバランスが崩れると鬱状態が出てきます。旧約聖書の預言者エリヤも鬱状態で苦しんでいました。時はバールの神を拝んでいるアハブ王がいた時代。エリヤは真の神の命によりバールの神に仕える預言者450人、アシュラの神に仕える預言者400人と祈りによる戦いを行いました。そしてエリヤは大勝利を収めたのですが、アハブ王の妻イゼベルに命を狙われることとなりました。列王記第一19章4節にはエリヤの切実な思いが書いてあります。その疲れ切ったエリヤに神様は睡眠と食事を勧められました。旅の道のりはまだ長いのだからと。その後エリヤは神の山ホレブ(シナイ山)につきました。信仰の原点です。肉体の回復は霊的な回復への循環になります。よく食べ、よく呼吸し、よく寝ることにより霊的にも健康的でありましょう。
    文責:小原照代
    参考聖句:列王記 第一 17章 ~ 19章


  • 2021年 8月22日  角和正毅牧師
    テーマ: 聖書が言っているとおり
    聖 句:ヨハネの福音書 7章37節 ~ 39節 

    ヨハネ7章には、仮庵の祭りというユダヤ人の祭りの終わりの日にイエス様が出向かれた事が書かれています。当初、イエス様は祭りには行く気はありませんでした。しかし、このお祭りが時を経て、中身の無い形式的な祭りへと変わってしまいました。人々の心は、渇いていたのです。その事を知っていたイエス様は、祭りへと出かけられ人々の前で叫ばれたのでした。38節に、イエス様が「聖書が言っているとおり」と叫ばれております。これは、旧約聖書のイザヤ書55章の事で、イエス様を信じる者には無代価で豊かな恵みを与えて下さるのです。44章には、私の祝福をあなたの末裔に注ぐとあります。信仰のあるユダヤ人は、この未来の約束を信じて過ごしていたのです。58章には荒野での苦しい旅の時にも、神は全ての物を与え骨を強くし、水源のように豊かに祝福し導かれた事も書かれています。この約束は新約のユダヤ人達にも与えられている事を、祭りの時に叫ばれたのです。使徒の働きの2章には、ペテロがヨエル書から話されています。ペンテコステで弟子達は聖霊様に満たされました。そして、慰め、力を与えられました。この事は、今の私達も体験している恵みです。また、イエス様を受け入れなかった者への、神の御怒りについても預言されています。聖書は未来に起こる出来事についても書かれているのです。この事を心に留めて、福音を伝えてまいりましょう。   文責:吉田 愛子
    参考聖句:イザヤ44:3 イザヤ55:2 イザヤ58:11 ヨエル2:28~32


  • 2021年8月15日  角和正義牧師
    テーマ:霊的な健康の維持と成長のために
    聖 句:ペテロの手紙 第一 2章2節 コロサイ人への手紙4章2節

    霊的な健康の維持と成長のために2つの重要なことがあります。1つは「しっかり食べること」です。ペテロの手紙第一2章2節に「純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです」と霊的成長が得られると断言されています。ですから聖書を読むとことによって、霊的な栄養を摂り成長することができます。聖書は、霊的な食物という性格だけではなく、私たちの心を映し出す鏡であり(ヤコブ1:23,24)、私たちの心を刺し通す剣でもあります(ヘブル4:12)。医者の使うメスのように、私たちの病んでいる患部を取り除き治療してくださいます。聖書は読む一人一人の全ての必要に応えることができます。霊的な健康を維持し成長させるために必要な2つ目は、「しっかり呼吸をし、酸素を取り入れること」です。 酸素は私たちの体全体に栄養を運んでくれます。その酸素を取り入れるために呼吸は大切な働きです。「祈りはクリスチャンの息であり、力である(ジョン・スポルジョン)」。祈りは霊的呼吸です。「たゆみなく、目を覚まして、祈りから気をそらせるものに警戒して絶えず祈ること(コロサイ4:2、Ⅰテサロニケ5:17)」それがクリスチャンの呼吸です。
    霊的な健康を維持し成長するために必要な2つのことは、①「しっかり食べること」=「聖書を読む」。②「しっかり呼吸すること」=「祈り聖霊様に導いていただくこと」です。
    文責: 仲平 滋                      
    参考聖句: Ⅱテモテ3:15  Ⅰテサロニケ5:17

  • 2021年8月8日  角和正毅牧師
    テーマ:もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。遅れることはない
    聖 句:ヘブル人への手紙 10章37節

    今日のヘブル10:37は、初めから今日まで私たちが信じてきているイエス・キリストが地上に信者を迎えに来られる日(定めの日)を神は知っておられることを語っています。
    これは旧約で、神がハバククに幻を見せて語られたことの引用です。全人類は罪人で、みな罪の性質を持っており、環境や立場などによってその罪の性質は成長します。そのために人々が神のさばきに会うことは定めです。しかし、神のことばは必ず成ると信じる心の正しい人は、信仰によって生きることを、ハバククは神から教えられました。信仰を持った人は、新しい生き方ができるのです。また、ヘブルの手紙ではイエス様が迎えに来られるという信仰と希望を多くの人が持ち、励まされました。弟子たちは今こそ国を支配する時かと、心を騒がせましたが、イエス様は、「天の父がその時を知っている。あなたがたは出て行って世界中の人々に、十字架で獲得した罪の赦しの福音を伝えよ」と命じられ、それは今日まで続いています。民数記ではバラムに伝えられたことばで、「神は人ではないから偽らない。神のことばは必ず成る。」と記されています。そして、その時が来れば必ず成ることと、私たちの罪の身代わりに十字架で死なれたイエス様を信じるなら、私たちは神に義とされます。アブラハムは、信仰によって義とされた手本です。私たちには遅いと思えても信じて待つ忍耐が、約束のものを手に入れるための鍵となるのです。              
    文責: 金子 和子                      
    参考聖句: ヘブル10:36〜39、ハバクク2:3〜4、民数記23:19 ヨハネ14:1〜3、ローマ4:3〜5



    2021年 8月1日  角和正毅牧師
    テーマ:真の礼拝者
    聖 句:ヨハネの福音書 4章23節 ~ 24節

    今日は特別に詩篇115篇の1節から13節までを見てみたいと思いました。私はこの詩篇を読んで私たちが信じている神がどんな対象に置かれているかがはっきりわかります。偶像とは人間が作った神です。しかし生きている神は人間を造ったのです。全世界の何億という人を神は皆愛しています。だから彼らを罰する前になんとかもう一度立ち直ってほしいという思いで、神は御子イエス・キリストを人間として地上に送りました。イエス様は人類の罪を自らが背負って、その罪の裁きを私たちの身代わりとして十字架の上で死なれてその罪の罰を受けました。神が人類に悔い改め、救われて、新しく生まれ変わるチャンスをくださったのです。今日もこのお方を信じていくなら、あなたの人生は祝福され、限りなく喜びがあるのです。だれでも主を恐れる者を神は等しく祝福してくださいます。この喜びと感謝をもって神の前に祈るなら、その祈りは本当の祈り、本当の礼拝です。神がくださった聖霊様と、神がくださった真理の御言葉をしっかり信じた上で生ける神を礼拝するなら、神はあなたの礼拝をどこであろうと喜んで受け取ってくださり、あなたを祝福されます。
    文責:川村 則之
    参考聖句:詩篇115:1~13


  • 2021年7月25日 角和正義牧師
    テーマ:主イエスはただ信じて祈り続けることを教えられた
    聖 句:ルカの福音書18章1節

    イエス様の生活には、いつも祈りがありました。その姿から私達は見習うべき事が沢山あります。ルカの福音書からイエス様が祈りと共に歩まれた足跡が書かれています。イエス様はバプテスマを受けられ、導きを祈ると天が開け聖霊様の力が与えられました。(3章)次に祈りを通して、御言葉を心に留めながら40日間の断食をされました。これは、祈りの中で力、祝福を頂きました。(4章)また、イエス様は神様の働きを終えられた後にも、自ら寂しい所でお祈りをされています。祈りのために時間を作る事の大切さも示されています。(5章)弟子達を選ぶ際にも夜を徹して神様に祈り、(6章)イエス様が教会を建てるとおっしゃった時も夜を徹して祈られています。それは、重大な物事を決定される前に、神様に祈っていく事が重要だということです。そして、3人の弟子達を連れて祈るために山に登られました。祈っておられるとイエス様の姿が変わっていきました。私達は祈っている最中にも物事が神様によって導かれているのです。(9章)イエス様がお祈りをされた後に、弟子の一人が祈りを教えて下さいと申し出ます。これは、一人で祈る時でも天の神様は見ていて下さり、憶えられているのです。(11章)イエス様は十字架にかかる前にも(22章)十字架の上でも、十字架で息を引き取る直前でも(23章)祈っておられます。そして、復活された後も祈っておられるのです。(24章)天に上げられたイエス様は、今も私達のために天で祈っておられます。(ローマ8章34章)祈りはクリスチャンの息であり、力です。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:マタイ18:20 エレミヤ23:24ルカの福音書全体コロサイ4:2


  • 2021年7月18日 角和正毅牧師
    テーマ: 信者は時を知れ
    聖 句:ローマ人への手紙 13章11節 ~ 14節

    パウロは言います。私達は「時」を知っているのに、どうしてまだ目覚めないのですか?マタイ25章に、花婿を出迎える10人の娘の話が出てきます。いい時も悪い時もありますが、私達はいかに良い時を迎え充実した人生を歩むのか。短き人生を無駄に浪費してはいけません。時間こそが私達の人生を活かす材料です。時が経つにつれ人々は、神から真の啓示を受けた預言者の言葉よりも、自分らに都合の良い偽預言者の言葉を聞くようになりました。空の鳥は自分の帰る時、季節を知っています。イエス様は誰でも興して福音を伝えさせます。多くのクリスチャンはまだ眠っています。今、警鐘が鳴らされていることを私達は知り、そして、起きなければなりません。夜はサタンが支配する時間です。サタンの悪巧みに日々誘惑を受けますが、聖霊様が守り続けて下さいます。世の中は夜に向かって進んでいますが、罪をまとっている身体も救われる日が近付いています。光の武具であるイエス・キリストを着ましょう。主の前にいつも信仰を告白出来るよう、昼の明るい日差しを浴びましょう。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:Ⅰ歴代誌12:32 エレミヤ8:7 マタイ24:46 ガラテヤ1:4


  • 2021年7月11日 角和正毅牧師
    テーマ: 人間も神の計画の中にある。
    聖 句:詩篇16篇11節

    神はそれぞれに計画をもって万物を造られました。万物は神の命令通りに動き、秩序を保っています。人間を造られたとき、神は人に自由意志を与えられました。それは、自分の意志で神に従うことを求められたのです。しかし、アダム以来、人には罪が入り、自分勝手に生きるようになり、神の計画によって地上にイエス様が送られました。みことばの中には、人の罪を取り除く道、贖罪の道が書かれていて、ひとつひとつが実現しています。このイエス様が地上に生まれることも、その一つです。イエス様のみことばの力が万物を保っていること、イエス様が人々の罪の身代わりとなって十字架で死に、復活されて今は神の右に座しておられること、イエス様の御名を信じない者は死後にさばかれることが聖書に書かれています。イエス様は人々が、そのさばきに会わないよう、また、人の心をきよめ新しくして、神の意志を行う霊に満たされた者となるように、私たちの罪の身代わりに死なれたのです。このことも神の計画であり、イエス様を信じる私たちには第二のゴール、天国へいくことが約束されています。死後のさばきは、人々の定めです。サタンのために用意された地獄へ下るのではなく、私たちは自分の意志によって、イエス様を信じ従う幸いな者になりましょう。神のご計画の中、イエス様は、私たちを救うことができるのです。
    文責: 金子 和子
    参考聖句:ヘブル1:1〜3、ヨハネ1:1〜3、9〜12、ヘブル9:27、マタイ24章

  • 2021年7月4日 角和 正毅牧師
    テーマ: 独占欲は幸せか。
    聖 句:列王記 第二 7章9節

    ツァラアトに冒された四人の人は、サマリアの町の門の外に放り出されていました。彼らがアラムの陣営の端まで来ると、そこにはだれもいませんでした。神様が素晴らしい奇跡をなして、アラムの陣営に、戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎを聞かせたので、アラムの軍勢はいのちからがら逃げてしまったからです。このツァラアトに冒された人たちはそこに残されていた物をたくさん食べ、残されていた服を着て、宝物を隠しました。しかし、その後王様にも知らせ、町の中の人々も食べ物を得ることができました。この列王記第二7章は一節一節が素晴らしいメッセージです。イエス様がこの世に与えられたのは、あなたを救うため、十字架に掛かって死ぬため、罪の裁きを身代わりに受けるため、それからあなたに永遠のいのちを与えて、本当に生かすためです。イエス様はあなたを祝福して救われたのですから、あなたにしかできない事があるのです。あなたにしか行けない所があるのです。あなたにしか話せない人がいるのです。どうか祈りながら、その人と向き合った時にイエス様の福音を話してあげてください。
    文責:川村 則之
    参考聖句;Ⅱ列王記7:1~20


  • 2021年6月27日  角和正義牧師
    テーマ:主の山には備えがある。
    聖 句:創世記 22章14節

    へブル人達の名前には特別な意味が込められていました。神という御名にも多くの名があり、意味がありました。創世記には神がアブラハムを選び、多くの国民の父とすると約束されました。しかし、年老いたアブラハムとサラの間には子供はいませんでした。それでも、神は一人の男の子を与えると二人に約束されたのです。その事に二人は笑ってしまいましたが、神は翌年、約束通りイサク(彼は笑うという意味)をお与えになったのです。次に神は、アブラハムにイサクを全焼のいけにえとして捧げなさいとおっしゃいました。それは、アブラハムにとっては大きな試練でした。私達は試練、葛藤、迫害などに遭うと心の不純物が取り除かれていきます。アブラハムは神との約束を疑う事なく、神がお告げになった場所へと向かうのです。そして、アブラハムがイサクを刀でほふろうとした時、神はアブラハムの信仰を称え止めさせたのでした。アブラハムはこの試練に合格したのです。でも、神はそこで終わりではなく、全焼のいけにえを捧げる儀式を続ける事が大切でした。神はアブラハムにイサクの代わりに、一頭の雄羊を与えて全焼のいけにえを捧げさせたのです。アブラハムはその場所を、アドナイ・イルエ(主の山には備えがある)と名付けられたのでした。イエス様を信じ一歩ずつ共に歩んで行くならば、神は私達のお世話をして下さると約束しています。そして、全ての事を備えて導いて下さるのです。
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:創世記12:1~20 22:1~19 Ⅰペテロ1:7 ヘブル11:17~19 ローマ8:32


  • 2021年6月20日  角和正毅牧師
    テーマ:土の器の中にある宝
    聖 句:コリント人への手紙 第二 4章7節

    私達の地上での生涯は短いものです。しかし、私達は神様からの賜物(御霊という宝物)を頂いています。それは天国へのパスポートであり、鍵です。奇跡はイエス様を信じ、頼む者の前にあらわされました。パウロは「自分は弱い時にこそ強い」と言っています。私達は自分の強い姿を見せようとしますが、それは神様があらわして下さいます。神様から頂いた福音はいつか私達の内から滲み出てきます。良いロウソクは静かに揺らぎもせずに輝いています。その輝きはイエス様から頂いた宝です。その宝の置き場所は私達の心の中にあります。大切に大切に扱わなければなりません。頂いた宝に感謝する想いは天のお父様に届いています。光は闇に勝っています。その宝を大切にしないならサタンはすかさず奪いにきます。天のお父様は祈る人の姿を見ておられます。悔い改めの祈りを捧げている人の姿は美しいです。イエス様を信じ、授けられている光を失ってはいけません。信じる者の毎日は輝いています。毎日、イエス様の御力を信じ宝を大事にしている者の上に必ず栄冠は輝きます。    
    文責 仲平 滋
    参考聖句:Ⅱコリント1:4 12:9~10 5:17 使徒9:1 ルカ15:7 詩篇34:18


  • 2021年6月13日  角和正毅牧師
    テーマ:人は神なしにはいきられるのか
    聖 句:イザヤ53章1節 ~ 3節

    「あなたは、読んでいることがわかりますか」ピリポは、エチオピアの宦官に、そう問いかけました。このエチオピアにもたくさんの神々がいましたが、彼はエルサレムの唯一の神に惹かれ、たったひとりの神で一国が保たれるか、真実の神はいるのか知りたく、また信じたい思いに駆られていました。そうして、遠いエルサレムまで礼拝するために来ましたが、心は満たされずに虚しさの中、イザヤ書53章を大声読んでいたのでした。そのとき、神が御霊によって働かれて、リバイバルの只中にいたピリポを、宦官のいる砂漠の真ん中へ導かれました。そこでピリポは、冒頭の質問の答え(彼とは救い主イエス・キリストを指していること、彼は神の遣わすメシヤであること、十字架で人類の罪のさばきを身代わりに受けて死ぬことをイザヤが預言している。)を教えたのです。イエス様が神のみこころに従って人類の身代わりとなったことを知った宦官は、イエス様が神の御子であることを心底から信じて、その決心を神の前に示して、水のバプテスマを受けました。宦官は、信じて罪が赦されて大きな喜びとともに、生まれ変わったのです。福音を伝えよ。父と子と聖霊の名によってバプテスマを受けよ。どう生きるかを教えよ。とマタイ28:19〜20が教えています。宦官も、私たちも、信じた瞬間から疑問が消えて、生まれ変わり、心の真のリーダーがわかり、神のみことばを信じる者になります。神は、イエス様を通して私たちを見るので、私たちは義人とされ、イエス様に従います、と言うとき、このイザヤ53章の預言が、私たちに実現するのです。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: イザヤ53:4〜6、使徒8:26〜35、イザヤ53:10、使徒8:37、38〜39、ヘブル3:14、ヨハネ3:17、ローマ3:10


  • 2021年6月6日 角和正毅牧師
    テーマ:全ての名に勝る名
    聖 句:ピリピ人への手紙 2章6節 ~ 11節

    父なる神様はすべての名にまさる権威ある名をイエス様に与えました。イエスという名は、父なる神様が天使を通してマリアとヨセフに生まれる子どもに付けるようにと言われた名で、その時から権威ある名前でした。さらにイエス様が十字架で死んで蘇ったがゆえに、父なる神様は、地においても、地の下においても、天においても、全てにまさる名をイエス様に与えたのです。理解することと信じることは違います。理解するとは、自分の能力が知識の範囲でそれを受け入れることです。しかし信じるとは、自分の信頼の全てを任せ、目の前のお方を受け入れることです。罪赦されることと義とされることも違います。罪赦されるとは、自分が犯した悪事が帳消しにされることです。義とされるとは、イエス様が私たちを赦された時、イエス様の義が私たちのものとなり、罪人から神の子にその地位が引き上げられることです。聖書はさらにイエス様の御名を信じて、私たちに愛し合いなさいと言っています(Ⅰヨハネ13:22)。イエスの御名のみが地上で唯一の権威ある名前です。その名前を私たちは親しく心に受け取って「イエス様」と呼べることは本当に幸いです。
    文責:川村 則之
    参考聖句:マタイ1:21 ルカ1:26~31 使徒16:31 4:12 ヨハネ1:12 20:31 Ⅰヨハネ2:12 3:23 Ⅰコリント6:11


  • 2021年5月30日 角和正毅牧師
    テーマ:御父の約束
    聖 句:ルカの福音書 24章49節

    弟子たちはイエス様が3日後に復活し出会ったので感情が奮い立っていました。しかしイエス様は「上から力を着せられるまでエルサレムにとどまっていなさい。」と話されました。弟子たちにとってエルサレムは多くの失敗をした、一番居たくない場所でした。モーセとイスラエルの民は神様に言われた通り完璧な幕屋を建てました。それはのちに生まれるイエス様の型を現しています。そのイエス様が民の罪を背負い、十字架にかかり死なれましたが、復活しました。天にのぼったイエス様と全く同じ別の助け主が聖霊様です。父の約束は聖霊の力です。聖霊の賜物はイエスの証人となるための能力です。あらゆる真理へと導いてくれます。神様が話す通りに働くようになるために聖霊を受けるのです。神様の働きが1つ1つ実現していくために、聖霊に導かれるのです。弱い弟子たちも、聖霊様の力に満たされて、出て行きました。そしてこの福音を全世界に伝えることが御父の大きな命令なのです。
    文責:小原 照代
    参考聖句;使徒1:4~5、8 ルカ24:46~48 出エジプト25:8~9 35:30~35 36:1~2 39:42~43 40:32~38 申命記18:15

  • 2021年5月23日 角和正義 牧師
    テーマ:主イエスの約束
    聖 句:ヨハネの福音書 14章1節 ~ 3節

    ペンテコステは教会が誕生した日でもあり、キリスト教の大切なお祝いの日でもあります。ヨハネの14章には、イエス様が十字架にかかられる前日の出来事が書かれています。その中でイエス様はご自身が捕らえられて死ぬことを弟子達に話されました。悲しむ弟子達にイエス様は、神を信じ、また私を信じなさいとおっしゃいました。そして、天国への唯一の道がイエス様である事も伝えました。イエス様と天の父と聖霊様は一つです。その中でも聖霊様が働くならば、多くの人に福音を伝えていく力が与えられるのです。聖霊様はイエス様の話した全ての事を思い起こさせて下さり、人を真理へと導きます。弟子達は聖霊様の力が与えられ、新生されました。弟子達はイエス様の復活から、罪の赦しの福音を体験したのです。使徒の働きの2章には、弟子達が聖霊様に満たされて、異言を話している事が書かれています。そして、ペテロが三千人もの人々にバプテスマを授け、弟子達に加わりました。これが、教会の始まりです。今でもクリスチャンには、同じその聖霊様の力が与えられています。イエス様がもう一度、私達を迎えに来る時まで、世の人々にイエス様の事を伝えていくのです。聖霊様より力を頂き、人々に福音を伝えてまいりましょう。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:ヨハネ14:1~18、26 16:8、13


  • 2021年5月16日 角和正義 牧師
    テーマ:おおらかな人
    聖 句:箴言11章25節

    「おおらか」…辞書によると、ゆったりとして言動に落ち着きがあるさま…と書かれています。聖書に、おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される(箴言11:25)と、あります。イエス様は殺されるかもしれないと思われる場面であっても、立ち上がって叫ばずにはいられませんでした。イエス様の目には人々の渇いた心の状態が見えていました。飢え渇いた人々に、イエス様は「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っている通りに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37~28)と訴えずにはいられなかったのです。自分ばかりではなく、他の人をも潤す流れ。では、命の泉を求める資格とは何でしょうか。一つ目は、「私は渇いています」と、求めることです。その声は必ず届き、聞き入れてくださいます。次に、信仰を持つことです。「来て、飲む」ことは信仰の姿です。イエス様は仰います。聖書が言っているようになると…。聖書は私達のために書かれた大切なものです。そこに書かれていることは必ずその通りに実現します。神様が与えて下さる恵みはひとり一人の内に数量的に増え、力となります。その力、祝福はやがて隣り人へも伝播されていきます。アーメン 
    文責:仲平 滋
    参考聖句;ヨハネ7:37~39 詩篇36:9 詩篇42:1、2 エレミヤ2:13

  • 2021年5月9日 角和 正毅 牧師
    テーマ:母の心
    聖 句:テサロニケ人への手紙 第一 2章7節

    牧師の母は、牧師が幼い頃に、徹夜して作ったタビをその日に失くした時も、小さな弟と迷子になった時も、叱らずにただ大きな愛で包んでくれました。母とはそういうものであり、私たちの神様もまた、そのようなお方です。パウロは、偶像の罪から悔い改めて、真の神に立ち返ったテサロニケの人々に対して、どんなことも責めずに受け入れて、その善し悪しを教えました。それは、権威を主張するのではなく、幼子を養い育てる母のような姿でした。アブラハムに祝福を約束されたいと高き神(エル・エリオン)は、彼に「わたしは全能の神(エル・シャダイ)である」と言われました。つまり、乳房を持つ者、母のような神を表しています。授乳する姿は母子の絆そのものであり、神が人間を養い育てる姿と重なります。イサクはこのような愛をもって神に育てられ、平和な人になりました。パウロはまた、厳しい父の面も現しました。人々の信仰は、始め生まれたての赤子のようですが、やがて霊的大人、堅いみことばの食物を食べられる者へと成長していきます。肉の父は自分の良いと思うままに教えるだけですが、私たちの霊を新生させた霊の父は、私たちが良くなるために訓練します。その忍耐が実り、天国までの一生を養ってくれるのです。今は恵みの時、救いの日です。今もまだこのみことばは生きて、私たちを助けます。神が私たちを母の心、父の心で見守っておられます。だから、私たちは恐れや心配から解放されて生きていけるのです。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: 1テサロニケ2:11〜12、創世記17:1、ヘブル5:12、12:5、10、Ⅱコリント6:2、1テモテ2:4〜7

  • 2021年5月2日  角和正毅 牧師
    テーマ:この人を見よ
    聖 句: ヘブル人への手紙 12章2節

    ベタニアのマリアは、突然高価なナルドの香油をイエス様の頭に注ぎました。彼女はイエス様の話を初めから聞いていて、その背後にある意味を悟っていました。彼女はイエス様が私たちの罪のために身代わりになって死ぬこともよく理解していたので、イエス様の埋葬の準備をしたのです。マリアは別の形でイエス様の神性と贖いの御業の秘訣を見ていたのです。クレネ人シモンは、ローマの兵士によってイエス様の十字架を背負わされました。彼はイエス様の足跡を追いながら遂にイエス様にすばらしい救いの姿を見て、その心はイエス様に献げられました。この体験が彼の人生に大きな証しとなり、彼の子供のアレクサンドラとルフォスはローマ教会の忠実な指導的な信者となりました。
     イエス様と共に十字架に掛けられた犯罪者の一人はいまわのぎわで回心して、天国に入ることができました。犯罪者は最初は二人ともイエス様をののしっていましたが、そのうちの一人は神の御臨在を感じたのでしょう。彼は傍でイエス様のその姿をずっと見ていて、イエス様の祈りも聞いたでしょう。この方が十字架に掛かったのは私の罪の身代わりなのだと悟ったのでしょう。私たちに大切なのは、諦めないで最後の最後まで証しを続けることです。それはイエス様が人生にかけがえのない物を私たちにくださるためです。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ヨハネ12:1~7 マルコ15:21 ローマ16:13 マタイ27:38~44
     ルカ23:39~43
  • 2021年4月25日  角和正毅 牧師
    テーマ:祈りの働き
    聖 句:使徒の働き 1章14節

    使徒の働き1章には、イエス様の弟子達やイエス様の家族達が心を合わせ、祈りに専念している様子が書かれています。これは、聖霊様の力を頂くためです。聖霊様の力を与えられれば、私達はその力によって慰められ、祝福や伝道する力も備えて下さるのです。ペテロはイエス様から二つの鍵を頂きました。その一つ目は、ユダヤ人に正しくイエス様を伝える事でした。ユダヤ人はイエス様をメシヤだと認めていませんでした。イエス様は旧約の重い律法を廃止し、心から神を愛すること、自分の隣人を愛することなどの新しい律法を与えて下さったのです。そして、全人類の罪を背負って十字架に掛かって下さりました。その事を知ったユダヤ人は、悔い改めてバプテスマ受けて、三千人の弟子が加わりました。二つ目は、異邦人への伝道でした。まず、神様は敬虔なユダヤ教であるイタリア人の百人隊長コルネリウスの前に現れて、ヨッパにいるペテロを招くよう導かれました。その後に神様はペテロの前にも現れました。神様はペテロの前に天からあらゆる四つの足の動物、地を這う物、空の鳥を与えました。そして、屠って食べなさいと申しました。ペテロが躊躇していると、「神がきよめた物をきよくないと言ってはならない」とおっしゃったのです。この事からユダヤ人にも、異邦人にもイエス様を信じる者は全ての罪が赦されて、聖霊様の力が頂けるのです。そのためにも、祈りの生活は大切です。いつもイエス様を信頼し、祈ってまいりましょう。
    文責:吉田 愛子 
    参考聖句;使徒10:3~48 1:14 ローマ12:12 ルカ18:1 Ⅰテサロニケ5:17
    Ⅰテモテ2:8 エペソ6:18


  • 2021年4月18日   角和正毅 牧師
    テーマ:キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを知ろう。
    聖 句: エペソ人への手紙 3章17節 ~ 19節

    私達はキリストの愛という固い基礎の上に根ざしていることを片時も忘れてはいけません。そのためにはイエス様の愛の広さ、長さ、高さ、深さを知り、理解する力を持たなければなりません。十字架を負いながら(その重さは私達の罪の重さです)刑場へと歩を進めたイエス様は十字架につけた者たちだけのためにとりなしの祈りを捧げたのではありません。ダビデの、詩篇69篇19節~28節の祈りは私達が見習うべきものではありません。ダビデの中に愛が無かったわけではありません。むしろ愛に溢れた人でした。それでも律法の復讐心からは開放されてはいませんでした。イエス様は十字架上で、私達全ての者を赦してくださいと祈られたのです。私達はほんの目先しか見ていませんが、神様はそのずっとずっと先を見ておられます。「私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」 愛に乾いた私達のために聖霊様が愛をもって私達の内に住まわれて下さっています。愛と恵みがあり、それは誠(真理)に繋がります。旧約の、600を超える厳しい律法を愛によって全て変えられました。全律法の頂点に愛があります。これこそが神様の愛の大きさです。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:出エジプト21:14、15,17 詩篇69:19~28 ヨハネ1:14~17 ルカ23:32~34 ヨハネ13:34


  • 2021年4月11日 角和正毅 牧師
    テーマ:土の器の中にある宝
    聖 句:コリント人への手紙 第二 4章7節

    パウロには多くの試練、苦しみを通して、神の慰めがありました。「私のからだは土の器です。その中に宝物(神からの救いのいのち)は入っていると言っています。神は、壊れやすい土の器を通して、福音の光を外に現すことを求めておられます。この光は、土の器のどんな小さな隙間からでも差し込み、サタンの策略にも負けずに、しみ込んで、私たちは神の愛に満たされて福音を伝える思いを与えられます。また、パウロは落馬して、心を砕かれて悔い改めて、イエス様にお会いしました。十字架で、私たちの罪の身代わりとなって、すべてを払ってくださったイエス様の永遠のいのちが、その土の器の中に入ったのです。土の器は、神の栄光を現し、あかしがあふれ出ます。牧師の母の絶望的な状況のガス中毒の苦しみを通して、父親が救われたというあかしは、今日も私たちに神のみわざと力を教えてくれます。試練を通して私たちの信仰は強くされ、苦しみに耐えて練られ、神の栄光が現れるのです。主に不可能はありません。そして、恵みは私たちに十分です。どんな患難にもつぶやかず、賛美し、主の約束は実現することを信じ抜きましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: 使徒9:3〜20、Ⅱコリント12:9、黙示3;11、ローマ5:4、1コリント10:13


  • 2021年4月4日   角和正毅 牧師
    テーマ:イエスの死と復活の意味するもの
    聖 句:ルカの福音書 24章1節 ~ 12節

    女たちは恐れながらもイエス様の復活を信じて早速イエスの十二弟子たちに伝えましたが、彼らは容易には信用しませんでした。イエス様は十字架の死を完璧な身代わりの死として、いのちを捨ててまで人々のために犠牲になられました。そのようなイエス様の行為に天のお父様も喜ばれて、イエス様を復活させて、天の神の右の座に着かせたのです。人間は皆罪人で、その罪を自ら取り去ることも贖うこともできません。そこで神様が恵みと憐れみをもって私たちの罪を赦し、救われるチャンスをくださったのです。イエス様を自分救い主として信じて信仰を告白するなら、私たちは救われるのです。今後困難や問題にぶつかったり、どんな状況に立たされても、主を見上げて前進して行きましょう。主は決してあなたを見捨てず、約束を忘れません。主は必ず祈りを聞いてくださいます。私たちは人々のためにも執り成していきましょう。互いに励まし合い、集会をやめることなく、主の再臨の日が近いのですから、兄弟姉妹助け合い、引き上げ合い、支え合って前進して行きましょう。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ルカ24:1~49


  • 2021年3月28日   角和正毅 牧師 
    テーマ:信じることの価値
    聖 句:ヨハネの福音書 3章14節 ~ 18節

    今週は受難週です。イエス様の死と復活を思いながら過ごす事が大切です。旧約の民数記には、奴隷生活を強いられたイスラエルの民がモーセによってエジプトから脱出された事が書かれています。その旅の中で民はモーセに不満をぶつけるのです。「この荒野でパンもなく、水もない。私達はこの惨めな食物に飽き飽きした。」とつぶやきました。惨めな食物とは、神様が天から40年間養って下さったマナという物でした。忍耐力が欠け傲慢になったイスラエルの民に神様は燃える蛇を送られたのです。蛇は民にかみつき、多くの死者がでました。民は自分の罪を認めて、モーセに祈ってくれと念願しました。その中でモーセは民のために祈りました。すると、神様は「燃える蛇を作り、それを旗竿の上につけよ。全て噛まれた者は、それを仰ぎ見れば生きる。」と申されました。モーセは青銅の蛇を作り、旗竿の上につけました。そして、その青銅の蛇を仰ぎ見た者は、生きたのです。木にかけられた青銅の蛇とは、十字架にかけられたイエス様の型です。青銅の蛇を仰ぎ見るとは、イエス様を信じる事です。罪のないイエス様は、私達の罪のために十字架にかかられました。罪のない方が死んで、罪のある者の罪が赦されました。そして、私達はイエス様のお蔭で、生かされ、義とされ、新しい命を頂いたのです。この受難週には、そのイエス様の十字架への歩みに感謝し歩んでまいりましょう文責:吉田愛子
    参考聖句:ヨハネ3:14~18 民数記21:4~9 ローマ3:10~26 6:23 マタイ7:13~14


  • 2021年 3月21日 角和 正毅 牧師
    テーマ:マリヤの行動が語るもの
    聖 句:ヨハネの福音書 12章1節 ~ 3節

    イエス様は数々の奇跡の御業を行なったとヨハネによる福音書に書かれています。それによると最後に行われた奇跡は、マリヤの兄弟のラザロを生き返らせたことでした。人々はその奇跡にただただ驚き畏れるばかりでしたが、マリヤだけはイエス様の御言葉を全て信じ、受け入れていました。マルタはイエス様に懸命に給仕することが自分の務めと信じていましたが、マリヤはただ神様の御言葉に聞き従うことこそが喜びであり、救いであると確信していました。 人々はイエス様や弟子達に様々な捧げ物をしました。けれどもそれは心の奥底に、他の人に見てもらいたいという想いの籠もったものでした。マリヤはイエス様を遇するために高価な香油を御足にかけ、それを己の髪の毛で拭いました。弟子のイスカリオテのユダがその事をたしなめましたが、イエス様は「マリヤはわたしの葬りの日のための備えをしたのです。」とおっしゃいました。マリヤの行動の語るもの…。私達に出来ることは何でしょうか?私達は何を為すべきでしょうか?神様に祈り、求めるならば神様はきっと応えて下さいます。             文責 仲平 滋
    参考聖句:ヨハネ12:4~8 マルコ14:8~9 ルカ10:38~42



  • 2021年3月14日  角和正毅 牧師
    テーマ:天の御姿に輝いたイエス
    聖 句:マタイの福音書 17章 1節 ~ 2節

    三人の弟子たちは、高い山で、イエス様が栄光と威光に輝く御姿に変貌するのを目撃しました。イエス様は神の子でありながら、この世に普通の家の普通の人として誕生されました(イザヤ53:1〜3)。イエス様が公に現されたのは30歳、バプテスマのヨハネから水のバプテスマを受けた時からです。水から上がったイエス様に、天が開き主の御霊が鳩のように下り、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」という天の父の声がありました。そこからイエス様は、父の命令に従って、人々をただし、奇跡を行い、病を癒し、人々に真の神を教え伝えたのです。この三年半の働きの頂点が、冒頭の高い山での変貌の御姿です。つまり、普通の人の姿から本当の天の姿を弟子たちの前に現したのです。この時の天の父の声は、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」というものであり、父に忠実に従ってきた働きを称賛されたのでした。こうして、イエス様は父のみこころにより、人々の罪の身代わりとなる働きの最終局に至ります。イエス様は弟子たちに、イエス様が「死人の中からよみがえる」まで目撃したことを誰にも言わないように、命令されました。これは「死と復活」のことで、また「再臨」も意味して語られました。やがて、驚きと不安の中にいた弟子たちにも、十字架の死、三日後の復活から、イエス様の語られた意味がわかってきます。間もなく復活祭を迎えますが、その一週間前が受難週です。私たちは引き続きイエス様の働きを学んでいきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: 使徒10:38、マタイ17:5〜8、9



  • 2021年3月7日 角和 正毅 牧師
    テーマ:神と人との間の仲介者
    聖 句:テモテへの手紙 第一 2章5節 ~ 6節

    人としてのキリスト・イエスとは私たちの立場を本当に御存知で、人と神の間にある問題を解決して、生ける神に私たちを繋ごうという大きな役目をもってこの地上に来た仲介者ということです。イエス様は罪の世界の奴隷になったすべての人をこの世界から神の世界に移すために御自分のいのちという身代金を払って、御自分の罪のない聖いいのちを十字架上でお捨てになりました。それは全人類のあらゆる時代の罪人を救うための神様の唯一の手段でした。イエス様は人間と神との間の大きな障壁を取り除き、人間が神に近づくことができ、交わることができる立場に変えてくれました。終わりの日が或る日やって来ます。しかし今は恵みの時、救いの日であり、今ならばイエス・キリストを信じることによって、真の神を信じるチャンスが与えられています。ですから私たちはイエス様を信じることを先に延ばさないようにしましょう。イエス様を信じることが真の神を信じることなのです。人であるイエス様が私と神の間の神から遣わされた唯一の仲介者です。イエス様を信じるならば、心に罪の赦しによる大きな平安が、また希望が与えられ、私たちは本当に安心した生き方ができるのです。 
    文責:川村 則之
    参考聖句:ヨハネ12:44~50



  • 2021年2月28日  角和正毅 牧師
    テーマ:わたしにとどまりなさい。
    聖 句:ヨハネの福音書 15章 1節 ~ 12節

    イエス様はぶどうの木です。私達がイエス様にしっかりと繋がっていなければ、良いぶどうの実を結ぶ事はできません。旧約時代、神様はイスラエル民族を選び、導いておられました。しかし、神様の期待された者となる事なく、酸っぱいぶどうの実となってしまったのです。新約時代、イエス様がこの地上に来て下さいました。そのイエス様の御言葉にどどまることが大切です。御言葉は汚れた心を聖めて下さいます。イエス様にどどまり続けていくならば、神様の命が流れ、霊的に生きる事ができます。イエス様の命の管に繋がっているからです。イエス様は私達の罪の身代わりに十字架にかかって下さいました。私達を死から救って下さり、愛を示して下さったのです。そのイエス様の愛を持って、お互いに愛し合う事はイエス様の戒めです。このイエス様を拒むならば、枝のように投げ捨てられ、枯れてしまいます。イエス様を離れては、私達は何もすることができないからです。イエス様にどどまり、御言葉にとどまるならば、求める者の祈りは聞かれます。そして、必要な物は与えられるのです。イエス様は私達を愛しているからこそ、十字架にかかって下さいました。そして、罪を赦して下さったのです。そのイエス様の愛にどどまり続けるならば、私達は良い実を結ぶ事ができるのです。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:イザヤ5:1~2 エレミヤ2:7 ローマ8:14


  • 2021年2月21日 角和正毅 牧師
    テーマ:誰でも主につまずかない者は幸いです。
    聖 句:マタイの福音書 11章1節 ~ 6節

    イエス様はいつの時代であっても恵み深いお方です。バプテスマのヨハネは、イエス様が軍を率いてローマを駆逐し、この世にユダヤ王国を築かれると思っていました。しかし、イエス様が三年半ほどの公生涯においてなされたことは、病を癒やし、不自由な者たちに奇跡の御業を行なったことでした。千年王国を築くことではなく、ユダヤ人をはじめ異邦人全てを救うために来られたのでした。旧約の時代にはメシアは裁くために来られると信じられてきました。最後の預言者だったヨハネはその神の真理を伝えてきました。しかし、人々はそれを受け入れようとはしませんでした。イエス様は国や民全体に話しかけるのをやめて、個人個人に語りかけます。イエス様は喩えを用いて、真理を奥義として判り易く語られました。ユダヤの人々は律法の重みに疲れ果てていました。イエス様は、「全て疲れた人、重荷を負っている人は私のところにきて、私のくびきを負いなさい」と仰いました。イエス様は真理だけではなく、恵みを持って来られました。恵みとは愛です。死人の内より蘇り、私達を赦し、そして、救おうとイエス様は二千年経った今でも生きて私達を導こうとされています。ここに愛があるのです。  文責 仲平 滋
    参考聖句:マタイ11:28~30 Ⅱコリント6:1~2


  • 2021年2月14日  ベアンテ ボーマン師
    テーマ:神からくる励まし
    聖 句:サムエル記 第一 30章1節 ~ 8節

    コロナ禍の中、多くの人は迷い悩んでいますが、クリスチャンは神殿の上に立ち、背後に偉大な神を知ることができます。ヨハネ16:32〜33でイエス様は、私たちには苦難があるが、決してひとりではなく、主にあって平安であることを前もって語られています。今日はこのことをダビデを通して学びましょう。ダビデはサウル王から命をねらわれ、ペリシテに逃げ込み、アキシュ王に気に入られ、様々な問題にあたりますが、イスラエルと戦うことになったとき、すべてをダビデのせいにする部下たちから命をねらわれます。これはダビデが自分の考えによって行動した時の結果でした。人は問題が起きたとき、オカルトに走るか、絶望するか、また神に奮い立ち主の元に返っていくかによって、その結果が大きく変わります。ダビデは神を「自分の神」と呼び、決して可能性志向ではない、インマヌエルの神と深く個人的に繋がり祈る姿勢をもちました。試練は人の力で防ぐことはできません。その一番の対処法は、経験する苦難を見るのではなく、問題から目を離して神を見ることです。人はその命を惜しむときに、自分の考えで動きますが、ダビデは主に祈り主を呼び、神から約束を与えられました。神は、苦難を用いて、主ご自身の力を現されます。また、困難の中で、神はリーダーを立てられます。モーセからヨシュアにバトンが渡されたように、私たちの教会にも今日、そのみわざが成されました。私たちは、御霊により一つとなって、サタンの足掛かりをゆるさず、前進していきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: ヨハネ16:32〜33、Ⅰサムエル28章、Ⅰサムエル28:5、詩篇9:9〜19、Ⅰサムエル27:1、ヨハネ17:21〜23、Ⅰヨハネ4:4


  • 2021年 2月 7日 角和正毅 牧師
    テーマ:神と共に歩んだ人
    聖 句:創世記 5章 21節 ~ 24節

    エノクは三百年も神と共に歩みました。彼は神の言葉を信じ、罪の結果として神の審判が来ることを感じました。神は忠実なエノクに目を留め、ずっと彼を導きました。
    神はやがてこの世を滅ぼすという計画を彼に打ち明けました。彼はそれをいち早く世の人に伝えなければいけないと思い、生まれた子供にメトシェラという名を付けました。それは「彼が死んだら、それが来る」という意味です。メトシェラという名を呼ぶごとに彼は世の人々に神の裁きが来ることを知らせたのです。私たちが神と共に歩くには十字架のイエス様を信じなければなりません。イエス様が十字架に掛かって私たちの罪を背負って、私たちの身代わりに死んでくださり、裁かれたのです。だからあなたの罪は赦されているのです。それを信じた時、その人は明らかに心の中が聖められるのを実感します。イエス様は世界中の人にこの良い知らせ(ゴスペル)を伝えなさいと命じました(マタイ28:18~20)。私たちも忠実にイエス様を信じて、十字架の贖いをしっかりと受け止め、感謝し、絶えずイエス様を賛美しつつ、十字架を褒め称えて共に歩んでいきましょう。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ユダ 14~15 マタイ28:18~20 Ⅱコリント6:1~2 創世記6:5~7 11~12 マタイ24:36~39 黙示禄3:11 



  • 2021年 1月31日 角和正毅 牧師
    テーマ:従順の秘訣
    聖 句:詩篇40篇1節~8節

    主は私達の祈りに耳を傾けて、聞いて下さるのです。地上の人々の祈り、叫びを聞き分けて下さるのです。ダビデはサタンが作った罪の落とし穴にはまった時に、自分の罪を認識し悔い改め神様に助けを求めました。すると、神様は引き上げ、足を巌の上に置き、歩みを確かにして下さいました。十字架で私たちの罪の為に死んで下さったのです。私たちの罪はイエス様の十字架の死を信じることにより赦されています。罪から助けて下さった故に、従い、賛美し、栄光を帰すのです。エレミヤ7:22~23は素晴らしい神様の勧めの言葉です。「わたしの声に聞き従え。」エレミヤの時代は直接神様が語りました。今は聖書を通してお語りに成るのです。神様に信頼を置くことは人生において益です。私たちが幸せになれる唯一の方法です。十字架のイエス様を信じる時、私達は救われるのです。十字架で流された御血によって清められたと信じた時救われたのです。私たちは神様との和解を告げる使節なのです。平和の大使です。
    文責:小原 照代
    参考聖句:エレミヤ7:22~23 イザヤ6:1~8 Ⅱコリント5:17~21



  • 2021年1月 24日  角和正毅 牧師
    テーマ:互いに愛し合いましょう。
    聖 句: ヨハネの手紙 第一 4章7節 ~ 11節

    神の性質は愛です、神の全ては愛です、ですから神は愛です。神様は私達人間の罪のために、なだめの供え物としてイエス様をお送り下さいました。神様は人々を裁かず、怒らず、忍耐をして赦しを与えて下さいました。私達の罪のために、イエス様が十字架にかかって下さり愛を示して下さいました。そのイエス様を信じるならば、私達は新生し、神様の愛の性質を頂く事ができるのです。
     人々はイエス様に出会うまで、偶像礼拝をし、イエス様に敵対して歩んでいます。人間には身体、魂、霊があり、イエス様を信じるならば霊を新しくして下さるのです。イエス様の愛は喜び、平安、赦しです。また、憎しみ、敵対、呪いは取り除かれていきます。そして、その愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。イエス様の愛に触れたならば、その愛の中に生きる事ができ、恐れがなくなるのです。完全にイエス様に信頼して歩んで行くならば、イエス様が全ての事を責任を持って成してくださいます。イエス様はいつもすぐ側で共にいて下さり、私達を守って下さいます。その愛を受けて私達はお互いに愛を示し、前進して行く事ができるのです。イエス様はすべての道で、あなたを守って下さいます。
    文責:吉田愛子
    参考聖句:ヨハネ3:3、5 Ⅱコリント5:20、21 マタイ5:44 ルカ19:1~10 ガラテヤ5:22~23

 


  • 2021年1月17日 角和正毅 牧師
    テーマ:新生人のための服装
    聖 句:コロサイ人への手紙 3章10節

    現代のコロナ禍での暮らしは荒野を旅する人のそれのようです。この世の苦難に出会うことはクリスチャンにも起こり得ますが、その先に永遠の命と歓びの確信を持つ者は必ず幾多の試練をも乗り越えられると神様は約束されています。但し、それには人は新しく生まれ変わって新生人とならなければなりません。新しく生まれ変わるということは霊が神の御姿に変えられることです。新生人の服装とは新しい「人」を着るということです。それは私達を新たに作って下さった方〜神様の形に似せられることです。しかもそれは日々新しくされ続けるのです。新生した体験を忘れずにずうっと持ち続けることが「人」を着ることになります。どんな人でも救われると神の形に似せられます。神は霊です。神の霊はどこにでもあります。神の霊は愛であり、真実であり、真理です。元来、人間には神様の霊が与えられていました。けれども、サタンの巧妙で執拗な誘惑に負けて人は罪を犯してしまいました。そんな私達を神様は見捨てることなく、救おうとして下さいます。生ける神から離れないように、私達はキリストの帯(愛)を今一度しっかりと互いに結び付ける必要があります。与えられた新しい命が消え失せてしまわないように! 
    文責:仲平 滋
    参考聖句:コロサイ3:5~10 創世記1:26~27 コロサイ3:12~14 ヘブル3:12~14

 

  • 2021年1月10日  角和正毅 牧師
    テーマ:信仰が与える忍耐その結果は
    副 題:救いのもたらす祝福の連鎖・・義認→神との平和→恵みの充満→神の栄光への喜びの望み→患難をも喜んで耐えられる。
    聖 句: ローマ人への手紙 5章1節 ~ 5節

    神から義と認められるとは、神があなたを良しとされる、あなたの中に罪を認めないことです。それはイエスを信じる信仰によるものであり、一瞬にして信じれば、一瞬で義とされ、神はあなたを、イエスを通して見てくださいます。それゆえに私たちは、神との平和を得ることができ、恵みに導き入れられて、神の栄光に与る希望を喜ぶのです。そして、苦難さえ喜ぶ者となり、苦難が忍耐を、忍耐が練られた品性を、それが希望を生み出します。ゴルファーの中嶋常幸さんは、ミスショットをしたとき、心の強さが大事であると言われましたが、それは救われた者が失敗をしても、主に助けをいただける強さのことではないでしょうか。また、様々な逆境の末にアメリカ大統領になったアブラハム・リンカーンを支えてきたのは、幼い頃から教科書代わりに与えられ、教えられてきた聖書の存在でした。彼には、細く切れないイエスとの繋がりがあったのです。かつてアメリカの五人の宣教師は、アウカ族に福音を伝えに行って殺されましたが、やがてその失敗が新芽を出し、村人全員が救われ、さらに広がる大きな結果となりました。このように、信仰がもたらす祝福と、私たちに届く神の豊かな恵みの充満の中で、神との平和を持ち、喜び、望みが湧くのです。罪をきよめられ生まれ変わり救われた者には、神に与えられた聖霊によって、神の愛が心に注がれています。
    こうして私たちは、苦難さえも喜ぶ者となり、希望に満ちた人生を送ることができるのです。文責: 金子 和子
    参考聖句: ローマ8:28、ヨハネ12:24、箴言24:16、ヨハネ3:3〜5

 

  • 2021年1月3日  角和正毅 牧師
    テーマ:開かれた門
    聖 句:黙示禄3章8節

    フィラデルフィア教会は神の御前でイエス様から多大の祝福をいただきました。イエス様はだれも閉じることのできない開かれた門を約束しています。イエス様は私たちのためにも開かれた門を備えているということを信じていきましょう。だれもイエス・キリストを知らずに真の満足した人生、本当に幸せな人生を送ることはありえません。キリストの生涯のすべての面がクリスチャンにとっては喜びの源泉です。クリスチャンは交わりを通して、幸せ、喜びを分かち合うことができます。まず第一にキリストとの交わりです。また同時にクリスチャン同士の交わりです。さらにクリスチャンには闘いもあります。その闘いを通して私たちは喜びも感謝もあふれるのです。罪との闘い。愛との闘い。肉欲の誘惑との闘い。怠慢との闘い。色々な場面でクリスチャンは闘って勝ち抜かなければなりません。本当の幸せは救いから始まります。救われた喜びを保つためには、第一に毎日聖書を読み、次に毎日祈ることです。主を見上げていくクリスチャンとして、しっかりと御言葉を愛し、絶えず祈り、忠実な信者となるなら、あなたの行く道に門が開かれているのです。
    文責:川村 則之
    参考聖句:Ⅰヨハネ1:7 4:1~12 Ⅰテモテ4:1~5 マタイ24:12 4:19 マタイ22:37、39 ヨハネ15:16 Ⅰペテロ1:16