メッセージブログ

  • 2024年6月16日  ルリ子 ボーマン先生
    テー マ:すべての人の真の父である神は愛です。
    聖 句:ヨハネの福音書3章16節

     「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3章16節)世を愛された〜とはこの世に住む人々のことを表しています。決してクリスチャンのみを対象としているわけではなく、偶像崇拝をしている者すらもそこには含まれています。肉の父は自身の良いと思うところによって我が子を訓練しますが、真の父である神様は私達の益となるように、義と平安を得られるように訓練されます。そこに神様の愛があります。真の父である神が判らなければ愛を知らないことになります。イエス様は、私達の生まれながらに背負ってきた罪からの解放と赦しのために、この世に来られました。ですから、キリストを知らなければ、それはただの「人」です。行いと真実によって、考えてみてください。私達の全生涯の罪は赦されています。ヨハネは「神の愛は私達に与えられた」と語りました。クリスチャンには全員、愛が与えられています。私達はこの世という荒地で訓練を受けています。神様の大いなる愛と御心。考えてみてください。
    文責 仲平 滋


  • 2024年6月9日 角和正義牧師
    テー マ:『キリストの生涯(第15回目)』-故郷ナザレで拒まれたイエス様-
    聖 句:「ルカの福音書4章28節~30節」
    テキスト ルカの福音書4:16~30

    カナの地においてイエス様は二つのしるしを行いました。婚礼において、水をぶどう酒に変たこと。王室の役人の願いを聞き役人の息子の病を治したことです。この二つのしるしを通してイエス様はご自分が救い主メシアであることの宣言をされました。今週はイエス様が故郷であるナザレで、拒まれたお話です。ナザレにおいて拒まれた話は2度出てきます。1回目は本日の箇所でルカ4章の16節から30節です。2回目はマルコ6章1節から6節(マタイ13章54から58節)です。本日の箇所のアウトラインとして、三つに分かれます。一つ目は会堂での礼拝の様子(ルカ4:16~20)、二つ目はイエス様のメッセージ(ルカ4:20~27)、三つめはナザレの人々の拒否(ルカ4:28~30)です。当時のユダヤでは、会堂で礼拝をおこなっていました。安息日に会堂に集まった人々に対し、管理者が決めた方によって聖書の朗読(トーラーと預言書)とメッセージを与えていた。イエス様も安息日に会堂に入っていかれていたとあります。イエス様はすでにガリラヤで有名だったので、管理者に依頼されたイエス様は集まった人々へ話された。イザヤによってご自分のことが預言されている箇所を朗読されました。そしてその箇所が今日、実現されたことを宣言され、メシア宣言をされました。その後の民衆の反応は、二つに分かれました。素晴らしい方だと思った民衆と、ただのヨセフの子供ではないかと。イエス様は民衆の不信仰な心をすでにご存じで、エリアとエリシャの話をされました。これを聞いた人々は憤りに満たされ、崖から落とそうとしました。イエス様はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった(ヨハネ1:11)主は人から拒絶される心の痛みを知っておられるお方です。ですからあなたの心の痛みに寄り添い救うことができるのです。(へブル4:15~16)。           文責:片岡 哲郎


  • 2024年6月2日   角和 正義牧師
    テー マ:『キリストの生涯(第14回目)』-王室の役人「信仰の成長」-
    聖 句:「ヨハネの福音書4章50節」
    テキスト ヨハネの福音書4:46~54

    (46節:祈りの課題)王室の役人がカペナウムから山村のカナにいたイエス様のもとに来ました。彼には地位も財産も名誉もありましたが、地上ではどうすることもできないことがあるのです。(47節:一方的な願い,未熟な信仰)彼の息子は死にかかっていました。どうにもならない状況でなんとか息子を助けたいと思っていましたが、彼の信仰はまだ未熟で、イエス様が来なければ癒せないと思っていました。(48節:イエス様の指摘)イエス様は厳しい答えをしています。それは彼の中に神の側に委ね切っていない自分がいたからです。時には私たちの行動が神様の御業を留めてしまうということがあります。(49節:指摘の言葉への不完全な応答)問題が大きければ大きいほど、私たちの願いが優先して、神様の御業が働けない状況を作ってしまうことがありえるのです。(50節:信仰による応答、信仰の成長)その役人はイエス様の権威ある言葉を聞いた時に聖霊の祝福の中で悟りました。彼はイエス様に従い、イエス様が言われた言葉を信じて帰途に就きました。(51節から54節:祈りの答え)彼は途中まで行くと息子が癒されたという知らせを持って来た人に出会いました。彼は神様は時空を越えることができるという信仰をいただいて、彼の信仰は成長しました。信仰とは、信じて、崇めて、或る意味神様の前に降参することです。イエス様に全面的に降伏して委ねた時に主はあなたを導いてくださいます。
    文責:川村 則之
    参考聖句:使徒8:27 Ⅰコリント1:22 Ⅰペテロ1:8


  • 2024年5月26日  角和 正義牧師
    テー マ:『キリストの生涯(第13回目)』-サマリヤの女性(3)「自分の罪と向き合う」-
    聖 句:「ヨハネの福音書4章15節~17節」
    テキスト ヨハネの福音書4:3~26

    聖霊様に満たされていくならば、未知の体験へと導かれて行きます。そして、今回はイエス様とサマリアの女性から聖霊様の祝福に与る方法救われるまでの道のりを見ていきます。当時は、ユダヤ人からサマリア人に話しかける事はありませんでした。しかし、イエス様はサマリアを通られた際に、水を汲みに来たサマリアの女性に優しく声を掛けられたのです。その事によってサマリアの女性は驚きつつも、イエス様へと心を開くキーワードになりました。イエス様は私たちに遜る事の大切さを教えて下さっています。イエス様はサマリアの女性に命の水について語っておられましたが、女性は物質的な物、地上の物を求めていました。その時、イエス様は女性に自分の心の罪の問題の解決が必要であると伝えていきます。人は自分の罪と向き合った時に救いは近いと言われています。また、神は霊ですから神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければならない事も話されました。イエス様によって女性の心もメシアを求めるように変わっていきました。次第にサマリアの女性は聖霊様に満たされ、自分の水がめを置いて人々にイエス様を伝えに行く事となったのです。私たちも一人一人といつも一緒にいて下さる聖霊様に満たされ導かれ、歩んでまいりましょう。
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:黙示3:20 ヨハネ4:19~20。24~25 ローマ5:5


  • 2024年5月19日  角和 正義牧師
    テー マ: 『キリストの生涯(第12回)』-サマリヤの女性(2)「聖霊の盈(えい)満(まん)」
    聖 句:ヨハネの福音書4章11節、13節、14節
    テキスト:ヨハネの福音書4:3~26 エゼキエル47:1~12

    私達に何か心配事や悩み事がある時、私達の後ろに神様がいるのではなく、イエス様はすでに私達の前にいて導き、待っていてくださいます。「聖霊」とはギリシャ語で「パラクレートス」といいます。「パラ」とは傍らに〜、「クレートス」とは呼ばれた者という意味です。つまり、弱い私達の側に立って弁護をし、サポートし、慰め、助けるために呼ばれた者ということです。これが神の愛です。サマリヤの女性が求め、与えられた「生ける水」とは神様に対する霊的な飢え渇きを満たす水のことです。アダムとエバが神様と断絶して以来、私達にはかつて心の中心に居られた神様への飢え渇きがあります。私達はそれを人間関係の愛や知識、芸術やアルコールなどによって埋めようとします。霊的な渇きをこの世にある水(物質的な水)で満たそうとします。しかし、それはまたいつか乾きます。「生ける水」はいつまでも決して乾きません。そしてそれは、内から外へ泉のように流れ出ます。 枯れることがありません。 これを「盈満」(えいまん)と言います。神様を見上げ、感謝と祈りを捧げる時に聖霊様の満たしの盈満が与えられます。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:Ⅱテモテ1:5 ヨハネ4:3~4 ピリピ2:6~8 ローマ5:8


  • 2024年5月12日  角和正義牧師
    テー マ:『キリストの生涯(第11回)』-サマリヤの女性「新しい人生の旅立ち」-
    聖 句: ヨハネの福音書4章13節~14節
    テキスト:ヨハネの福音書4:3~26

    イエス様は真理を求めていたパリサイ人のニコデモに、答えを与えました。今週は二人目のサマリアの女性に真理を語るお話です。この二人は社会的に見て対照的な立場でした。ニコデモは地位の高い指導者ですが、サマリアの女性は不品行で汚れた人として、世間からみられていました。ユダヤ人にとってサマリア人とは過去にアッシリアに滅ぼされた際、民族を弱体化させるために異邦人と結婚させられ、偶像礼拝をおこなう汚れた人種として、軽蔑していました。またサマリアの人々もユダヤ人に敵対していました。当時のユダヤ人はエルサレムへ巡礼に行く際、サマリアを経由せずわざわざ回り道をしてサマリアを避けて行きました。しかしイエス様は目的のために、あえてサマリアへ向かいました。それは信仰心のあるサマリアの女性に対し、真理を語るためでした。当時、男性が女性に声をかけることはタブーでした。また、ユダヤ人がサマリア人に語りかけることもありませんでした。さらに、イエス様は「この女性がどういう人か良く知っておられました。この女性は5人も夫を換え、今は夫と呼べない6人目の人と同棲をしている汚れた女性でした。それでも、その彼女に「イエス様から先に」声をおかけになりました。彼女がまだ罪人であったときに、イエス様は声をかけてくださったのです。ここに罪人に対する神様の愛が示されています。(ローマ5:8)
    文責:片岡 哲郎
    参考聖句:Ⅱテモテ1:5 ヨハネ4:3~4 ピリピ2:6~8 ローマ5:8

  • 2024年5月5日 角和 正義牧師
    テー マ:『キリストの生涯(第10回)-ニコデモ「新生について」-
    聖 句:ヨハネの福音書3章1節~3節
    テキスト: ヨハネの福音書3:1~15

    ニコデモはパリサイ人で、ユダヤ人の指導者でした。彼はラビであり、ユダヤ人議会の議員でもありました。その人がイエス様の所に夜こっそり人目を避けてやって来ました。 ニコデモは真理を求めていました。彼は神の律法を厳粛に守るパリサイ人でしたが、答えを持っていませんでした。イエス様はニコデモの叫びを知っておられ、彼が求めていた真理に対する答えを与えました。イエス様は「水と御霊によって生まれなければ」と言われました(ヨハネ3:5,6)。天からの水である神の御言葉があなたを洗い聖め、天からの御霊のいのちの息吹があなたに吹き込まれ、あなたは新しく生まれる(新生する)のです。十字架に架けられたイエス様の両手両足には釘が打ち込まれ、周囲から罵声を浴びせられる中で、イエス様は「父よ。彼らを赦してください。彼らは何をしているのかわからないからです。」と祈られました。その御言葉を強盗の一人は確かに聞いて、御言葉の洗いを受け、彼の心は聖められました(ルカ23:41~43)。彼はイエス様から直接約束をいただき、イエス様と共に天に帰って行きました。イエス様を救い主として信じた瞬間にその人は救われるのです(ローマ10:9,10)。
    文責:川村 則之


  • 2024年4月28日  角和正義牧師
    テー マ:『キリストの生涯(9)』-宮きよめ「人間の貪欲さ」-
    聖 句:ヨハネの福音書2章12節~22節
    テキスト:ヨハネの福音書2:12~17

    イエス様は自分のためには、決して御力を使うことはされませんでした。先週お話をした最初の奇跡は婚礼という所で人々の幸せために御力を使われたのです。イエス様はユダヤ人の過越しの祭りのためにエルサレムに上られました。巡礼祭には①過越しの祭②7週の祭(ペンテコステ)③仮庵の祭があります。イエス様は宮の城壁を入ってすぐの異邦人の庭という所に来られました。そこでは、儀式のために生け贄をささげなくてはならないので牛や羊などが売られていました。しかし、その値段は高値がつけられた物でした。また、神殿税も支払わなくてはなりませんでした。神殿専用のお金が必要であり、デナリ貨幣は皇帝の像が刻まれていました。ユダヤ人はそれを使用すると偶像礼拝となるために、神殿専用のお金に両替しなくてはなりませんでした。その手数料も高値でした。それは宗教指導者たちが私腹を肥やすために、その宮の中での商売を許可していました。ですから、人々は巡礼をするための旅費や時間もかかることや、生け贄や神殿税にもお金がかかることから正しい礼拝を行うためにあたって困難な状況に置かれていました。イエス様は礼拝の妨げになるそのような行為について、聖なる怒りを表したのです。それはイエスさまが最初に行われた宮の清めでした。人間の貪欲さは際限のないものですが、いつもイエス様に清めて頂いて主に栄光を帰してまいりましょう。  文責:吉田 愛子
    参考聖句:ガラテヤ3:28


  • 2024年4月21日  角和正義牧師
    テー マ:『キリストの生涯(8)』-カナの婚礼「最初の奇跡」-
    聖 句:ヨハネの福音書2章1節 ~ 11節

    イエス様はその公生涯において様々な奇跡の御業を行なわれましたが、初めの奇跡はカナで行われた婚礼の場でした。それは決して大掛かりなものではなく、その御業に触れた者もごく限られた人数でした。私達はもし、何か特権や奇跡の業を持っていたとしても、それを自分の安心や満足のためにのみ用いようとします。イエス様はそのような人としての「我」を離れて、ただただ神の御子としてのみ奇跡の御業を行いました。マリヤは神様の前に従順にへりくだりました。イエス様を我が子としてではなく、神の子と信じてその御言葉に従いました。全ての信頼をイエス様に委ねた時に神様は御手を差し伸べてくださいます。マリヤのその姿勢は給仕人をも動かしました。私達も福音を隣人に伝える際には「我」を捨てて神様の臨在と聖霊との交わりから自ら遠ざかってしまわないように常に神様を見上げていく必要があります。私達は、その居る場所で賛美したり、祈ることが礼拝なのだと片時も忘れてはいけません。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:使徒2:14 ヨハネ6:8~9 マルコ6:36~38 ピリピ2:13

  • 2024年4月14日  角和正義牧師
    テー マ: 『キリストの生涯(7)』-弟子たちの召命(2)-
    聖 句: ヨハネの福音書1章40節~42節

    今週は先週の続きで、イエス様と弟子達の出会いについてのお話です。バプテスマのヨハネの弟子であったヨハネとアンデレは、イエス様の弟子としてついて行くことになりました。今日はそのアンデレについて詳しく見ていきましょう。個人伝道がキーワードになります。聖書の中でアンデレの記述は少ないですが、個人伝道の名手と言えます。彼はイエス様のもとに多くの人々を導いた弟子でした。アンデレが最初にイエス様に会わせた人は兄弟のシモンでした。アンデレはメシア(キリスト)に会った確信と、喜びをもってシモンをイエス様のもとへ連れて行きました。イエス様はシモンをペテロ(意味は岩)と呼びました。弟子としては頼りないペテロでしたが、聖霊の助けを受けたのちは偉大な伝道者として多くの人々に福音を伝えていきました。ペテロをイエス様へ導いた結果、大きな実りとなったのです。聖書の中でのアンデレのもう一つの記述はヨハネの福音書6章8~9節にある五つのパンと二匹の魚を持った少年をイエス様のところへ連れてきた話です。この時、その少年も祝福され、多くの人々にも祝福がありました。ともに最初の働きはアンデレでした。個人伝道の中には神様の不思議なご計画が隠されています。私たちが福音を伝えるとき、神様の力が働くのです。このことに感謝し、福音を届けていきましょう。
    文責:片岡 哲郎
    参考聖句:使徒2:14 ヨハネ6:8~9 マルコ6:36~38 ピリピ2:13


  • 2024年4月7日  角和正義牧師
    テー マ:キリストの生涯(6)』-弟子たちの召命-
    聖 句:マタイの福音書 1章35節~42節

    ここに二人の弟子とありますが、一人はペテロの兄弟のアンデレで、もう一人はこの福音書の著者のヨハネです。二人はイエス様について行く前はバプテスマのヨハネの弟子だったことがわかります。バプテスマのヨハネは「見よ、神の子羊」と告白しました。それは二人の弟子に対して「あの方こそが私たちが待っていたメシアで、あなたたちが従っていくべきお方ですよ。」と伝えているのです。イエス様は二人に「あなたがたは何を求めているのですか。」と訊ねました。これは「誰を探しているのですか。」という意味です。弟子たちはイエス様に「ラビ、どこにお泊りですか。」と返しました。これは「イエス様がお泊りの所に一緒に行って、ゆっくりお話しできませんか。」という意味がその質問の背景にあると言われています。イエス様は「来なさい。そうすれば分かります。」とおっしゃいました。私たちはイエス様や父なる神様、聖霊なる神様に受け入れられるような状況にはなく、求めることさえ許されない環境にありました。しかしイエス様は「わたしがあなたがたの罪を十字架で担うから私のもとに来なさい。」と言われたのです。イエス様が私たちの罪を全部担われたので、イエス様の名のゆえに私たちは父のもとに行くことが許されたのです。このすばらしい特権を覚えて感謝しましょう。   文責:川村 則之



  • 2024年3月31日 角和正義牧師
    テー マ:私たちの国籍は天にあります。
    聖 句:ピリピ人への手紙 3章20節

    クリスチャンには3つの大切な行事があります。1つ目はクリスマスです。イエス様の誕生をお祝いします。2つ目はイースターです。イエス様の復活をお祝いします。3つ目はペンテコステです。教会の誕生をお祝いします。イースター(復活)は重要な意味をもっています。もし、イエス様が復活しなかったならクリスチャンはなんと虚しい人たちでしょう。けれど、イエス様は復活されました。初穂として甦られたのです。初穂ということはその後に続く者がいるということです。イエス様を信じると天国に行けるという確約を得ます。イエス様を信じた時から私たちの隣で共に歩いて下さいます。苦難で歩けない時には抱き抱えて歩いて下さいます。その道のりを天国に旅立たれた先人たちは歩んで行きました。私たちもその道を習い歩んで行きましょう。 
    文責:小原 照代
             

  • 2024年3月24日  志賀孝作長老
    テー マ:岩の上に家を建てる。
    聖 句:マタイの福音書 7章24節 ~ 27節

    先月、山梨県にある白根研修所の土の穴埋め作業をして来ました。その事を通して神様から頂いたメッセージをお話します。そこは昔、水はけの良い果樹園でした。年月が経ち、今はそこには石や砂利があり、その物を排除しながらの穴埋め作業でした。マタイの福音書5章〜7章はイエス様の山上の説教であり、群衆に語りかけています。その中で7章24節〜27節の御言葉には、岩や砂が出てきます。それは、5章から7章までの話を聞いて実行する人は岩の上に、実行しない人は砂の上に家を建てる人と表現されているのです。私たちの信仰は行いではありません。イエス様に救って頂いたので、御言葉を実行するのです。イエス様の話を聞いて心に留める、そして、実行するのです。岩の上に家を建てる事とは、苦しい時もあります。しかし、イエス様はサタンの誘惑を聖書の御言葉を用いて退かれました。ですから、私たちも信仰の土台を聖書から離れてはならいのです。私たちは人ではなく、目に見えない神様を見ていく必要があります。信仰生活をイエス様と一歩ずつ、御言葉と共に歩んでまいりましょう。         文責:吉田 愛子
    参考聖句;マタイ16:18~19


  • 2024年3月17日  角和 正義牧師
    テー マ:『キリストの生涯(5)』-イエス様が受けた3つの試み(4)-
    聖 句:マタイの福音書 4章1節~11節」テキスト マタイ 4:1、4,7,10

    イエス様は神である特権を天に置いてこられ、私達のように「人」として聖霊の導きを受けて様々な試みに遭われました。それは、肉体的な試み、感情的な試み、心理的な試みと大別されます。人類の先祖アダムとエバは蛇の狡猾な試みに負けてしまいました。イエス様は御霊に導かれて回復すべきもののために3つの試みを自ら荒野において受けられたのです。イエス様がこの世に来られたのは私達が犯した失敗を全て償うためでした。そして、神様と離れてしまった私達を救うためでした。イエス様はサタンの試みに対して神の言葉聖書によって勝利されました。ただ、「…と、書いてある。」と仰ったのです。神の御言葉「御霊の剣」を用いられました。そこには聖霊のお導きがありました。私達も様々な試練や困難に遭遇します。その時に私達は、肉の想いを先行させて解決を図ろうとしてはいないでしょうか?たとえ、いかなる時も神を見上げ、聖霊の御声に耳を傾ける姿勢をイエス様は身をもってお教えくださいました。どんな試みのときでも「御霊の剣」聖書の言葉を用いてまいりましょう。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:創世記3:1 3:4 3:5 マタイ5:17 申命記8:6 6:13 6:16 エペソ6:13~18


  • 2024年3月10日 ルリ子 ボーマン師
    テー マ:神の愛で生きる
    聖 句:ヨハネの手紙 第一 4章9節 ~ 12節
    メッセンジャー:ルリ子 ボーマン師

    神はご自身の愛を伝えるためにイエス様をこの世に送られました。人間の愛はすべて感情によるものでそれが消えたり、憎しみに変化したりします。しかし神の愛は自分の益に対するものではなく他人の益に対する普遍的な愛だと教えています。パウロはかつては自分の義に生き、クリスチャンを迫害するものでした。しかし神の深い恵みと愛を知った彼は生まれ変わり、主の恵みと愛を伝える伝道者になりました。ヨハネの手紙第一4章の中で神の愛について記述されています。神は私たちを罪から救うために御子を送られました。そして十字架の御業によって、信じる私たちに新しい命を与えてくださいました。ここに神の愛があります。御霊によって神の愛を頂いた私たちはこの愛を人々に伝える必要があります。神は霊であるため人には見えません。しかし聖書の御言葉によって神を知るのです。私たちは言葉で伝えることもありますが、行いによって伝えるべきです。そして伝えるためには神の愛に生きることです。イエス様と同じ生き方が神の愛で生きる、または神の愛に生きることになります。神の愛を知らない人は、何かの決め事でも妥協をして結論をだすので、その後バラバラになりうまくいきません。しかし私たちクリスチャンは祈りによって霊的に一致し、心を一つにして神にゆだね、結論を頂きます。神の愛で生きるとはキリストを中心に生きることです。とても無理のように思えますが、弱い私たちのことは神はご存じです。祈りによってすべて神が導いてくれます。    
    文責:片岡 哲郎
    参考聖句:ヨハネ1:18 ローマ5:5 Ⅰコリント13:4~8 Ⅰヨハネ3:18~20 
    Ⅰコリント4:4~5
  • 2024年3月3日  角和正義 牧師
    テー マ:『キリストの生涯(4)』-イエス様が受けた3つの試み(2)-
    聖 句:マタイの福音書 4章1節~11節」テキスト マタイ 4:1~4

    マタイの福音書4章1節に「悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。」と書いてあります。イエス様が荒野に出て行ったのは、神の敵である悪魔との一騎打ちの戦いのためでした。水のバプテスマを受けられたイエス様のその後の流れから必然的にこの荒野での戦いがイエス様の公生涯を始めるにあたって大変重要な流れであったと見ることができます。荒野の戦いの意義の一つ目は神の子であり義なる方であることを証明するため。二つ目は悪魔に勝利するため。三つ目は私たちクリスチャンの救いの総指揮官として荒野の戦いを戦ってくださったということです。イエス様は私たちの総指揮官として荒野で先に戦ってくださったのです。今の私たちはそのリーダーであるイエス様に付いて行くのが恵みの特権なのです(ヨハネ16:33)。私たちクリスチャンも祝福を受けた後に必ず試みが襲って来るのです。悪魔は私たちが弱くなって、悪魔に屈服しやすい時期を知っていて狙って来ます。「もし私たちが今日勝利を得るとしたら、すぐ明日の戦闘に備えよ。」という言葉があります。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ルカ4:2


    2024年2月25日 角和正義 牧師
    テー マ:『キリストの生涯(3)』-イエス様が受けた3つの試み(1)-
    聖 句:マタイの福音書 4章1節~11節」テキスト マタイ 4:1~4

    イエス様は神の子でもあり、神のしもべでもあります。そのイエス様がこれから神のしもべとして働いていくにあたって、サタンから3つの試みをお受けになりました。①肉体的な試み ②財産と権力の試み ③高慢、自分に栄光を帰したい試みです。今回は①肉体的な試みについてお話します。サタンとは告発者、訴える者いう意味があります。サタンはクリスチャンの心に訴える者です。クリスチャンを神から引き離そうとサタンは心に?マークを投げかけてきます。しかし、祈りによって神と繋がっていくならば、サタンに勝利していく事ができるのです。試みはペイラスモス(ギリシャ語)といい、誘惑と試すという意味があります。悪魔の試みは私達をだめにするため、神から引き離すため誘惑します。一方、神の試みは私達の信仰を証明するためになされます。信仰を試されるためのテストとしてなされるのです。イエス様は御霊に導かれて荒野に行かれました。聖書の荒野は神が語ってくれる場所でもあり、サタンの声も聞こえてくる場所でもあります。私達も人生の荒野の中でサタンが心の扉に誘惑をしに来たとき、イエス様にまず出てもらい祈って信仰を持ってまいりましょう。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:マルコ1:12~13 ルカ4:1~13 ローマ8:23



  • 2024年2月18日  角和正義 牧師
    テー マ:『キリストの生涯(2)』-イエス様のバプテスマの意味(2)
    聖 句:マタイの福音書 3章 16節 ~ 17節

    バプテスマの意味に「そのようになる」という意味があります。 罪の無いイエス様がバプテスマを受けたのは、これから罪人の一人のようになられるという証です。罪ある私達の代わりに、罪とされ十字架で贖いをなされるという、福音宣教のための備えでした。旧約の時代を過ぎた後、神が民に語るということがありませんでした。イエス様を通して神の語りかけが再開されました。親鳥は自らの翼を拡げるようにして雛を覆い、守ります。人々を霊的に救う為に、聖霊が鳩のように私達の周りを覆い囲んでくださいます。イエス様のバプテスマの場面には三位一体の神が働かれています。御子イエス様はバプテスマを受け、聖霊は鳩のように下り、天から父の声がしました。イエス様は天の父により、神の子として証され、バプテスマを受けられたことで神の僕であることを示されました。私達も神の子であると共に僕でもあります。僕には神様の特権が与えられています。イエス様がされたように、私達も僕として仕えていくことが望まれています。困難なことも多々ありますが神様は見ていてくださいます。そして、大いなる恵みを私達に施されます。それはこの上もない恵みです。なんという幸いなことでしょう。ハレルヤ
    文責:仲平 滋                  
    参考聖句:Ⅱコリント5:21 ルカ3:21 創世記1:2 申命記32:11 マタイ23:37 ローマ8:14 ヤコブ1:1


  • 2024年2月11日  ベアンテ ボーマン師
    テー マ: 機会を与えてくださるイエス
    聖 句:黙示録 3章7節 ~ 8節

    使徒ヨハネがパトモス島にいたとき主から啓示を受けアジアにある七つの教会へ、それぞれに受けたことを手紙にして送りました。今日はフィラデルフィアにある教会へ送った手紙を見ていきます。この教会は弱く、貧しい教会でしたが主の教えを忠実に守っていた教会でした。神はその教会に対して励ましの言葉を送りました。手紙の送り主であるイエス様の紹介として、聖なる方、真実な方、ダビデのカギを持っている方とあります。そのカギはすべての門を開閉できる権威をもっている、とあります。そしてこの教会に対し誰も閉じることができない御国への門を用意したと言われました。ヨハネの黙示録はイエス様の再臨とその前に起こることが記されています。聖書には主の御心と違った門へ行くときはその門は閉ざした、とあります。使徒の働きの中で、パウロが伝道旅行の際、アジアへ行くことを聖霊によって禁じられ、ヨーロッパへ行く門が開かれました。そして困難な状況の中無事に守られ、目的地へ行くことができました。神はこの教会に対して行ったように、主の教えに生きている弱い人、謙虚な人、貧しい人に対し力を与えます。パウロは弱い時こそ神によって強くなると言っています。主の御心に人生をゆだね、願う私たちにおいても、自分の考えが間違っていればその門は閉ざされます。そしてその失敗に対し正しい門を開けてくれます。主はすべてのことを益とし、正しい道を備えてくれます。感謝しましょう。
    文責:片岡 哲郎
    参考聖句:Ⅱコレント2:12 使徒16:6~10 Ⅰコリント1:26~31 ガラテヤ5:5


  • 2024年2月4日  角和正義牧師
    テー マ:『キリストの生涯』 イエス様のバプテスマの意味
    聖 句:マタイの福音書 3章13節 ~ 17節

    この箇所はイエス様の公生涯の始まりを記しています。それは同時に福音宣教の始まりです。この箇所は二つに分けることができます。①「イエス様のバプテスマ」マタイ3章13節~15節 ②「天からの証明」マタイ3章16節~17節。今日は前半の「イエス様のバプテスマ」にのみ触れていきます。イエス様はヨハネからバプテスマを受けるために三十年間大工として、その時を待って暮らしていたガリラヤのナザレからヨルダン川に来られました。それは天の父の御心をすべて行うためであり、律法をすべて成就するためでした。またヨハネの水のバプテスマが重要なものであることを私たちに教えるためでもあったからです。もう一つ別の理由はバプテスマの意味は「繋がる。もしくは一体化」ということです。イエス様がこの水のバプテスマを受けられたのは「罪人との一体化」を表しています。あなたを、私を救うためにイエス様は罪人の一人のようになられました。私の罪は神の御子イエス様を罪人の一人のようにさせてしまったという表現ができます。最後にⅡコリント5章21節をいっしょに読みましょう。         文責:川村 則之
    参考聖句:詩篇4:1 マタイ3:13~17 マルコ1:9~11 ルカ2:42 創世記41:46 民数記4:3 Ⅱサムエル5:4 Ⅱコリント5:21


  • 2024年1月28日 角和正義牧師
    テー マ:真実の愛
    聖 句:ヨハネの福音書 10章11節

    羊は詩篇23篇2節に書かれているように、安心をしないと伏す事ができない動物です。伏すとは体を横にして身を委ねることを意味します。その羊が安心する条件は①とても臆病なため、恐れを全て取り除いてあげる事(恐れ)②群れで行動するため、仲間とのストレスをなくしてあげる事(緊張)③お腹が空いた状態をなくすこと(飢え)です。この条件から解放してあげなければ、羊はゆっくり休む事ができません。その羊を満たす事ができるのは、羊飼いだけです。ある羊飼いはピューマによって9匹の羊を亡くしてしまいました。それ以来、羊飼いは犬と銃を持ってすぐに駆けつけていけるようにしました。その中で羊たちはこの羊飼いは私達を守ってくれると思い、安心して横に伏していくようになりました。良い羊飼いの働きの条件は、①一匹ずつに名前をつける②充分に牧草や水を与えてあげる③獣が襲って来たときに、命をかけて守ることです。イザヤ書53章6節にあるように私達は良い羊飼いであるイエス様から離れてしまうならば、さまよう羊になってしまいます。イエス様と共に歩むならば、恐れ、緊張、飢えからも解放され本当の平安が与えられるのです。良い羊飼いであるイエス様に導かれ、歩んでまいりましょう。
    文責:吉田 愛子                   
    参考聖句:ピリピ3:20~21 詩篇23:2 ヨハネ15:13


  • 2024年1月21日  角和正義牧師
    テー マ:天のゴール目指して(御国を第一に求めなさい。)
    聖 句:ルカの福音書12章29節 ~ 32節

    この世の未信者達は物質的なものに重みを置き心を騒がせ、霊的なものを求めたりはしません。何を食べ、飲み、何を着るか…と、心配ばかりしています。沈みゆく客船の中で特等席を奪い合うことに狂奔し、その船が目的地に辿り着けるのかに心を砕くことはありません。沈みゆく船の行く末を思うことが霊的なことで、その席がどのようなものなのかを気にすることが物質的なものです。聖書に『小さな群れよ。恐れることはない。』とあります。この世の衣食住について過度に、程度を超えて心配ばかりしていると信仰を失うことに通じていきます。私達は「主よ、あなたの御言葉により、あなたに私の心配事を全て委ねます。」と、具体的に望むもの、満たされぬものを祈るのです。神様は私達の欲するものをご存知ですから、必ずその願いを叶えてくださいます。『神の国とその義を第一に求めなさい。』私達がはじめに、そして最後まで祈り続ける姿勢を神様はこのように仰っています。そうすれば私達に必要なものは全て与えられますと神様はお約束してくださっています。イエス様を心にお迎えした時に既に私達は御国の住人となっています。何と素晴らしい恵みなのでしょう。ハレルヤ 
    文責:仲平 滋
    参考聖句:Ⅱテサロニケ3:12 Ⅰペテロ5:7 マタイ6:33 ルカ17:21 1コリント15:24~28 黙示20:7~21 マタイ6:21


  • 2024年1月7日  角和正義牧師
    テー マ: 恐れることはありません。(心を騒がせてはなりません)
    聖 句:ルカの福音書12章32節 ヨハネの福音書 14章1節

    今週は先週と同じタイトルのうち、ルカの福音書12章32節の(恐れることはありません)についてお話しします。今の時代において、様々なことにより私たちの中に不安な心が常に起こります。そしてその不安は恐れにつながります。しかし主はそのような時に私たちに語られています。ルカ12:32、ヨハネ14:1の御言葉です。この御言葉に共通していることは「クリスチャンには、御国が用意されている」と言うことです。テキスト(ルカ12:22~34)に至る文脈は、ルカ11:53にあるように「パリサイ人や律法学者によるイエスへの「激しい敵意」が決定的になりました。ここで教えられることは「一生懸命に福音を伝えても、真理を受け入れようとしない、この世の力が働いている」と言うことです。つまりクリスチャンは「霊的戦い」の中に置かれているということです。だから主は「恐れてはなりません」と仰いました。そのことについて、ルカの福音書12章22節から34節を見ていきます。ここは4つのアウトラインに分かれますが今週は前半の二つを話します。ルカの福音書12章22節から24節は動物界のカラスからの学びです。 食べることや、着ることについて、心配するのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る以上のものだからです。レビ記11章13節にあるように忌むべきカラスでさえ神が養っておられます。そのカラスより私たちはどんなに大きな価値があることでしょう、と語っています。そしてルカの福音書12章25節から28節は植物界の草花からの学びです。何もしない草花でさえ神は美しく装って下っています。神はこのように草花でさえ装っているなら、あなたがたにはどんなに良くしてくださる事でしょう、と語っています。「あなたは、この地上の事を過度に思って生きていかれますか?」。永遠の視点を持って歩む人は幸いです。私たちを愛しておられる主に感謝し、信仰生活の中での不安や、恐れがあるときこそ今日の御言葉に立ち帰り、天の御国が用意されていることに感謝しましょう。                  
    文責:片岡 哲郎



  • 2024年1月7日  角和正義牧師
    テー マ:心を騒がせては成りません(恐れることはない)
    聖 句:ヨハネの福音書 14章1節 ルカの福音書12章32

    ヨハネの福音書14章1節とルカの福音書12章32節の御言葉に共通していることは地上の一時的な事に心を騒がすことなく永遠に属する事に心を向けていきましょうということです。この箇所は最後の晩餐が終わったところで、イエス様が離別の長いメッセージをされている場面です。ここでは弟子たちを励ますための約束の言葉と勧めの言葉が語られています。イエス様は弟子たちに対して心を騒がせてはならないと仰ったのです。「わたしはあなたがたを迎えるためにまた来ます。いっしょにいるための備えをしに行きます。だから心を騒がせてはいけない。行くべき所は決まっていて、そこに向かっています。」とイエス様は言われています。私たちもその置かれている環境の中で、天国を目指して、そこに向かっているのです。主はやがて私たちを迎えに来ます。天を見上げているなら、今のこの患難を乗り越えていくことができます。私たちの国籍は天にあります。今年も福音を宣べ伝えながら、私たちも御国を目指して共に進んでいきましょう。
    文責:川村 則之
    参考聖句:箴言4:23 マタイ26:31 ヨハネ14:2~4


  • 2023年12月31日  ルリ子ボーマン師
    テー マ:喜びと感謝の人生
    聖 句:テサロニケ人への手紙 第一 5章16節~18節

    喜ぶとは笑うことだけではなく、静かに喜ぶことも含まれます。例え迫害されても喜んで生きることが出来るのです。どんなことがあってもイエス様の名にあって喜んで生きるのです。神の御心、神の願いとは全ての人が救われて真理を悟ることです。世の中と調子を合わせると恐れが出て罠に落ちます。心がどこを向いているのかが決め手です。主にあって喜びなさい。真理を知るといつも喜び、たえず祈るようになるのです。自分の都合で喜ぶのではありません。過去に縛られ、過去の罪を思い起こし悲しんではいけません。過去の罪は十字架の血により取り除かれています。しかしサタンは揺さぶりをかけてくるのです。過去の罪は切り捨てましょう。振り返るのなら主から受けた恵みを数えましょう。わたしたちは現在から未来へ生きていくのです。日々恵みは新たにされ、わたしたちは栄光から栄光へと生きていけるのです。主に感謝して、キリストに仕える者となりましょう。
    文責:小原 照代
    参考聖句:コロサイ1:6 ローマ8:26 ローマ8:33



  • 2023年12月24日 角和 正義 牧師
    テー マ:マリアの賛歌
    聖 句:ルカの福音書1章46節 ~ 56節

    クリスマスはイエス様の誕生日です。そしてまた、イエス様が再び来て下さる事を心に留める日でもあります。全能の神様は全ての人々に関心を持っておられます。ヨハネの福音書15章16節の御言葉には、その事が書かれています。その神様が、人を御心に導かれた時、その方の人生にご自身を表してくださるのです。神様は人を愛しておられるので、何とか接触して信じて従ってくれる事を期待しておられるのです。それによって、多くの人への接触点になってもらい、多くの人へと神の御意志を広げる人になってもらいたいと思い、その最初の接触点をお選びになるのです。その一人がマリアでした。マリアは聖霊に満たされてエリサベツの所に行きました。そしてマリア自身が励まされ強められました。聖霊に満たされた人に会うならば、自身も満たされていくのです。教会で祈りあい、霊的に交わる事の大切さを表しています。神の祝福を頂いたマリアのように、神様は一人一人に神の祝福を伝えていく人になって下さることを願っておられます。 
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:イザヤ40:26 ヨハネ15:16 Ⅰサムエル2:1~10
    Ⅰサムエル1:17~18 ルカ1:37~38 詩篇37:5 139:23~24 ルカ1:41~42、45


  • 2023年12月17日 角和正義牧師
    テー マ:東方の博士たちの歩み
    聖 句:マタイの福音書2章9~10節

    東方の博士たちは異邦人として初めてメシアを礼拝した者らと言われています。メシアが現れることをダニエルは預言していました。メシアの誕生と、それを報せる星の出現は民数記にも記されています。博士たちはどれほどその瞬間を待ち望み、その出現に歓喜したことでしょう。博士たちはイエス様の誕生を救い主として来られるのだから、エルサレムでお生まれになるだろうと思い込んでいました。けれども主の御心を示され、ベツレヘムへと星の導きにより歩んでいることを知ると大いなる歓びが溢れてきたのです。聖書を読み、調べることはイエス様の御心に導かれます。賛美したり、聖書を読むこと、そして祈ることは全て神様へと通じています。祈る際には具体的に、小さなことでも主の前に詳らか(つまびらか)にするべきです。主の前に祈ることで祝福が与えられます。私たちはただその御印を信じ、歩んでいけば良いのです。主は必ず導いてくださいます。東方の博士たちが導かれた星がとどまったところに幼子はおられました。長い旅路であったでしょうが、博士たちは祈りの先に大いなる神様の御心に触れることができました。神様はいつでも私たちを見守っていてくださいます。アーメン。  
    文責 仲平 滋
    参考聖句:ダニエル2:48 民数記24:17 ヨハネ1:9~10


  • 2023年12月10日  角和正義牧師 
    テー マ:イエス様の誕生の意味
    聖 句:ルカの福音書 2章7節

    イエス様の誕生については700年も前にミカ書5章2節の中で預言されていました。おどくことに当時2か所あったベツレヘムのうちエフラテであることまで預言されていました。ローマ時代のユダヤ人はこの預言に無関心でした。ルカ2章の出来事は福音書の中ではルカだけが取り上げている情報です。ルカはイエス様の誕生を世界の歴史の中にしっかりと残そうとしました。ヨセフは皇帝からの命令に従って、自分の町で住民登録を行うために、マリアを連れてナザレからベツレヘムへ上って行きました。そこでイエス様は誕生されました。神は預言の成就のために他国の王まで動かしました。ルカの福音書2章7節において、イエス様は家畜小屋の中でお生まれになり、布にくるまれて飼葉桶の中に寝かされていたと書かれています。当時の家畜小屋は洞窟の中にあり、暗く、汚く、臭い場所です。まるで私たちに潜む、汚れら心を現わしているようです。そしてご自分の犠牲により、罪ある人間を救うために、この世に来られました。しかし世の人はイエス様を知らなかった。イエス様はご自分の民のところに来られたが、民は受け入れなかった(ヨハネ1:10~11)しかしイエス様はこのことを十字架刑の中で、彼らはお許しください。彼らは自分が何をしているのかがわかっていないのです。と神に言われました(ルカ23:34)すべての人々に対しては、このような思いをもっておられたと思います。旧約時代は大祭司だけが幕屋にはいり、神へのとりなしを行うことができました。しかしイエス様を受け入れ、信じた人々は神の子としての特権が与えられました(ヨハネ1:11)私たちは神の子としての特権を与えられているのです。このことに感謝し、イエス様のご降誕をお祝いしましょう。
    文責:片岡 哲郎


  • 2023年12月3日  角和 正義牧師
    テー マ:マリヤの信仰
    聖 句:ルカの福音書1章5節 ~ 56節

    ルカの福音書1章5節から56節にはヨハネの誕生とイエス様の誕生が4つ点で対比して書かれています。この出来事を通して神様は御自身の御計画を実行するにあたり、信じて受け取ってくれる器を探しておられること。その受け取った器を用いてくださろうとしていること。そのために必要な環境を整えて、私たちに備えてくださるということを見ることができます。イエス様の誕生のアウトラインは次の4つになります。1.イエス様の両親(ルカ1:26~27)、2.マリヤに対する天使の御告げ(ルカ1: 28~33)、3.約束の印(ルカ1: 34~37)、4.マリヤの妊娠 (ルカ1:38、ルカ1:42)今朝はこの中から二番目の「マリヤに対する天使の御告げ」について見てみたいと思います。ここに素晴らしい真理が書かれています。それは百パーセント神様の恵みであるということです。マリヤは神の恵によって用意された器でした。私たちも恵みによって神様に選んでいただいたのです。私たちも御言葉を握って、一歩を取って行く時に、その直前までは変わってはいなくても、一歩を取った時に道が開けていくのです。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ヨハネ15:16 ルカ1:18


  • 2023年11月26日  角和正義牧師
    テー マ:祈り—「わたしの声を聞いて戸をあけるなら」
    聖 句:ヨハネの黙示録3章20節

    先週に引き続き、祈りについて考えてみたいと思います。ヨハネの黙示録3章20節の御言葉にあるように、イエス様が私たちの心の戸の外に立ちたたいて下さっています。イエス様が戸をたたくとき、それはその人に祝福を与えるためなのです。心の戸を開き、イエス様を招き入れるならば、イエス様と食事をすることができます。食事をするということは、祝福の契約を意味します。親しい交わりができ、イエス様から安心と温かさが与えられるのです。オーレ・ハレスビー「我々の祈りは常に、イエスが我々の心の扉をたたかれた結果である。」そして「祈るとは、イエスを我々の心の内に迎えることである。」ルカ福音書19章にイエス様がザアカイを救う出来事が書かれています。取税人のザアカイはイエス様を一目見ようと木に登っていました。すると、イエス様は「ザアカイ急いで降りて来なさい」と初めて会ったにもかかわらず、名前を呼び言われました。ザアカイは急いで降りて行き、喜んでイエス様をお迎えしました。すると、取税人のザアカイは「私は財産の半分を貧しい人たちに施します。誰かから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」と言ったのです。これは、ザアカイが戸を開けてイエス様を心に迎え入れたことによって救われたのです。また、ラオデキア教会のように自分たちの中からイエス様を締め出してしまった時に与えられた御言葉でもあるのです。自分中心的な生き方をやめて神様への熱心な信仰へと招いています。イエス様をいつも心に迎い入れて、祈り交わってまいりましょう。               
    文責:吉田愛子
    参考聖句:ローマ8:26 ルカ19:1~10 24:13~35 ヘブル4:16 詩篇81:10


  • 2023年11月19日 角和 正義牧師
    テー マ:祈りは心の呻き(うめき)
    聖 句:ローマ人への手紙 8章 26節 ~ 27節

    祈ることによって、感謝を知ることができます。それはまた、求める人に安らぎを与え、希望の芽を見ることができます。パウロは自らの弱さを赤裸々に語り、その葛藤を経験していました。「何をどう、祈たら良いのか判らない」パウロは語っています。呻き、もがいている私達を見て神様は救いの手を差し伸べて下さいます。助けて下さいます。「助ける」とは、原語では「共に受け取る」という意味も含まれています。御霊ご自身が呻きと共に私達のために執り成しをしてくれます。呻きとは言葉に出来ないほどの苦しみですが、それを御霊が受け取って下さるのです。我が子が苦しんでいるのを見たなら、その親は身代わりとなってでも、何としてでもその苦しみを取り除いてあげたいと思うものです。御霊によって、主の前に私達の呻きは聞き届けられます。 祈りの不足は信仰の不足に通じます。祈りは私達の人生に信仰を溢れ出させる鍵です。 祈ることによって、神様は私達に大いなる祝福と信仰を与えて下さいます。
    文責:仲平 滋
    参考聖句:詩篇50:15 ローマ7:14 ユダ 20


  • 2023年11月12日 角和 正義牧師
    テーマ:弟子たちの失敗
    聖 句:マルコの福音書 9章28節 ~ 29節

    今週は先週のメッセージの続きです。マルコの福音書の中で悪霊につかれた息子に対し、その父親が弟子たちに追い出すように頼みましたが、出来ませんでした。今週はなぜ弟子たちが、失敗したかを考えて見ます。彼らはすでにイエス様から汚れた霊を、制する権威を与えられ、多くの悪霊を追い出していました。そこで弟子たちはイエス様に、今回出来なかった理由を尋ねました。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出す事が出来ません」とイエス様は言われました。祈りが重要であることがわかります。おそらく弟子たちは以前出来た事なので、今回も同じようにできると考え、主に対して、祈りの思いが不足していたのでしょう。祈りは量的な事より、質的な事が重要です。質的は祈りとは主に対し、どのような思いであるかです。そして祈りの質的な不足は信仰の不足につながります。ルカの福音書18章でイエス様が祈りについてのたとえ話をされました。パリサイ人の祈りと、取税人の祈りです。パリサイ人の祈りは自分を基準にし、主に対して自慢をしています。一方の取税人の祈りは自分を低くし、神を基準とし、罪びとの自分をあわれんで下さいと祈りました。義と認められたのは取税人でした。サムエル記第一 16:7「人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」詩篇 51:17「神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。」だれでもへりくだり心が主に向かって祈れば、聖霊様が働かれ、主が答えて下さいます。               
    文責:片岡 哲郎
    参考聖句:マルコ6:7、12~13 ルカ8:9~14 18:8 Ⅰサムエル16:7  詩篇51:17



    2023年10月29日 角和 正義牧師
    テーマ:できるなら、と言うのですか。
    聖 句:マルコの福音書9章23節 テキスト マルコの福音書9章14節~24節

    今日のテキストは2つの部分からできていて、タイトルを付けるなら、1「麓で問題が起こっていた」(9章14節から16節)と2「イエス様と少年の父親との対話」(9章17節から24節)です。 イエス様は山上から麓に下りて来られ、問題の只中に来てくださいました。イエス様は自分の御位を天に置いて、罪の中に死んでいた私たちの只中に来て、立ってくださったのです。イエス様は厳しい言葉を投げ掛けます(マルコ9:19)。「ああ、不信仰な時代だ。」これは問題提起です。イエス様は不信仰にスポットを当てられ、不信仰こそが霊的働きに対する一番の敵だと教えています。イエス様はこのお父さんの不信仰に対しても、信仰とはどういうものかを教えています。信仰は神の力に制限を与えません。また、信仰は願いに対する結果も神に委ねることができるのです。私たちが信仰を持っていくためには、また不信仰を変えていくためには神様の助けが必要だということをここに示唆しているように思います。 最後にマタイの福音書16章17節とゼカリヤ書4章6節の御言葉を読んで閉じていきたいと思います。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ピリピ2:6~9 マタイ11:28 16:17 ゼカリヤ4:6

  • 2023年10月29日 小村誠志郎長老
    テーマ:神の神殿(宮)
    聖 句:コリント人への手紙 第一 3章16節

    聖書には聖霊、霊、人の霊、悪霊など書かれた箇所があります。神様は天地創造された時御言葉で創られました。人間を創られた時、御姿に似せて形造づくられ、神様の息吹きを吹き込まれました。人は神様の御霊と交流することが出来ていたのです。しかし、善悪を知る木の実を食べたことにより罪を犯し自分に目を向け、自分本意の行動をしたために聖霊は人から離れてしまいました。神様の思いと離れてしまったのです。旧約聖書の時代、神様の前に行くためには動物の生け贄が必要でした。しかし罪のないイエス様が十字架にかかり私達の払うべき代価を全て払われました。そのためイエス様を信じる人たちに聖霊が送られたのです。御霊の思いは命と平安です。イエス様を信じた時に聖霊が心に宿り礼拝出来るものとしてくれました。終わりの時代、イエス様を仰ぎ見て礼拝し聖霊の導きに従いましょう。そこに神様は現れ平安が与えられるのです。   文責:小原 照代
    参考聖句:創世記1:2 2:17 3:7 6:3 Ⅱテサロノケ5:23 ローマ8:1~10 Ⅰヨハネ4:7~11 4:1~3 3:23~24


  • 2023年10月22日  ベアンテ ボーマン師
    テーマ:人のすべての考えにまさる神の平安
    聖 句:ヨハネの福音書 14章 25節 ~ 27節

    いつも聖霊様は私たちの人生への正しき方向性や励まし、勢いを与えて下さいます。アン・ランナーさん(カウンセラー)は人間が抱えている最も大きな問題は恐れだと言いました。先進国ではうつ病になる方が増加傾向にあります。人間は五感で恐れを感じた時、脳に化学反応がおこります。そして動悸や息切れがおきます。そのような弱い人間にイエス様は平安を与えますと言われました。イエス様の下さる平安はこの世が与えるものとは違います。イエス様の平安は脳の化学反応を超えた、超自然的で瞬間に与えられるものなのです。色々な試練の中で神様から離れてしまったり、自分の思い通りにいかなくて不平不満を言うことで平安は無くなってしまいます。聖書では「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」とあります。神様から離れは平安を持つ事はできません。いつも神様に感謝し、祈り歩んでまいりましょう。
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:ピリピ4:6~7 マタイ6:33 ローマ8:28 Ⅰコリント10:9~13



  • 2023年10月15日 角和正義牧師
    テーマ:大宣教命令
    聖 句:マルコの福音書16章15節 マタイの福音書28章16節~20節

    イエス様は今から2000年ほど前に、預言者として来られました。今は祭司としておられ、先は王として働かれます。この世の終わりの時は近付いています。偽メシアの登場や、国同士の争いなどイエス様のおっしゃったことが全て現実に起きています。私達の不安を掻き立てるに充分な出来事が世界中で日々湧き起こっています。身近なことでも心を騒がせることが多々ありますが、私達は自らの価値観だけでイエス様から目を離してはいけません。それは、イエス様が私達に下されたご命令に背いてしまうことになるからです。イエス様は私達、全ての民を救うために、この世に来られました。イエス様の権威あるご命令〜それは、あらゆる国の人々に福音を伝えること。今は終わりの始まりの時です。もうすぐ患難の時を迎えますが、神様を信じる者はその前に携挙され救われます。そして、天の御国で神様にお逢いすることができます。私達の隣り人、救われて欲しいと願う人、そして、名も知らない人のために祈ること。それが神様の御心に沿う私達の務めです。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:マタイ24;1~6 ダニエル9:27


  • 2023年10月8日  角和正義牧師
    テーマ:人生航路の羅針盤『神のことば』
    聖 句:ルカの福音書1章45節 テキスト使徒の働き27章9節~26節

    パウロはカイサリアからローマへ囚人として護送されていました。パウロ自身もローマで福音を伝えることを望んでいました。使徒の働き27章9節から26節は、クレタの(よい港)と呼ばれる場所から次の寄港地に向かう時の出来事が、記載されています。この箇所は4つに分けることができます。①パウロの警告 9節~12節 ②漂流する船 13節~17節 ③絶望する船の人たち 18節~20節 ④パウロの励まし 21節~26節パウロは航海の経験からこの時期での航海の危険性を理解していて、人々に警告しました。しかし百人隊長は船長の意見を信じ、また人々はこの地での冬を越すことが困難なため、次の寄港地へ行くことを願っていました。穏やかな風がちょうど吹いた日に出航しました。ところが間もなく暴風にさらされ、漂流してしまいました。積み荷や船具を捨てましたが、暴風は何日も続き、人々は絶望しました。パウロは主からローマでの証の命令を言われていたので、必ず助かることを確信していました。さらに神の御使いの言葉を聞き、全員が助かることを告げられました。パウロは人々へ言いました。最初の警告に従えばこのような事態に遭わなかったのです。続けて神の御使いの言葉を伝え、全員が助かると人々を励ましました。人生の羅針盤である神の言葉によって、私たちが迷わず正しく歩む事が出来ます。神の言葉はすべての人への励ましです。このことを私たちは多くの人へ伝えていきましょう。                      文責:片岡 哲郎
    参考聖句:使徒19:21 ルカ1:45 レビ16:29~34 Ⅱコリント11:25 箴言14:12


  • 2023年10月1日 角和正義牧師
    テーマ:主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いでしょう
    聖 句:ルカの福音書1章45節

    今朝は「嵐を静めるイエス様」について見ていきます。この個所は四つに分けられます。1.「イエス様のお言葉」(8:22)、2.「弟子たちの信仰状態は岩地」(8:23~8:24前半)、3.「イエス様の権威」(8:24後半~8:25前半)、4.「弟子たちの信仰の成長」(8:25後半)。1.イエス様自身が「向こう岸に渡ろう」とおっしゃっています。これは弟子たちが無事に向こう岸に渡れる保証です。弟子たちがこの場面の前に聞いていた「種まきのたとえ」を心に持っていたなら、何があろうとも向こうの岸に着くという信仰が与えられる場面です。2.イエス様は船に乗るやいなや眠られました。これはイエス様の人間性を表しています。と同時に父に頼って信仰にあって休んでいたのです。それは私たちも平安をもってその嵐を乗り切ることができるという証しでもありました。しかし弟子たちの心の状態は、いざ力を発揮しなければならない時に常識や色々な出来事に目を向けて、信仰に立つことができない岩地の状態になっていました。3.イエス様が弟子たちの岩地のような信仰状態に対して権威をもってどうあるべきかということを表されたのです。この場面はイエス様の神性を証ししています。4.自然界すべてを主は言葉によって権威によって治めることができるということを表してくれました。弟子たちはイエス様が神の子キリスト、メシアであることを受け取ったのです。主によって語られたことは必ず実現するのです。
    文責:川村 則之
    参考聖句:マタイ8:18、23 創世記1:3 ルカ8:22~25 ヨハネ16:33


  • 2023年9月24日 角和正義牧師
    テーマ:苦しみを通して、あなたのおきてを学びました。
    聖 句:詩篇119篇71節

    今月は信仰の訓練をテーマにお話ししています。スポルジョンというイギリスの牧師さんが従順は神の意志を実行し、苦しみ、悩むことでしか学ぶことができないと話しています。神様は愛する者を訓練されます。苦難の中でこそ最も素晴らしい、神様からの慰めを受けることができるのです。詩篇というのは賛美という意味です。詩篇の中では祈りや感謝や悔い改め、神様への信頼の様々な内容が書かれていますが、基本は礼拝のための賛美です。詩篇119篇71節「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたのおきてを学びました。」とあります。日本人の家内安全、ご利益という精神とは真逆のことです。苦しいというのは見たくないというのが本音です。私たちは望んでいない苦しみはきてほしくありません。しかし、体験したが為にそこにある主の言葉に出会ってゆくのです。そこで思いのほか甘くて美味しんだということに気づかされてゆくのです。神様の方法は不思議なものです。苦しみの中に祝福という宝物を隠してあります。詩篇の中に十字架にかけられたイエスさまがおられます。自ら重ねてエス様に出会い、そこにある祝福を見つけてください。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:詩篇119:103~106



  • 2023年9月17日 角和正義牧師
    テーマ:イエス様も信仰のレースを走られた。
    聖 句:ヘブル人への手紙12章1節 ~ 2節

    「イエス様を信じて救われたならば何もかもが上手くいく…苦難やトラブルは起きない…」と、このような考え方を持っていると問題や苦難が来たときに「こんなはずではなかった」ということになってしまいます。ヘブル人への手紙を読んでいるユダヤ人は熱心なクリスチャンではありましたが、信仰による忍耐が求められていました。イエス様を信じたから、このような苦難と試練に遭うのか?そのように考えるユダヤ人クリスチャンもいました。そうして、信仰に疑いを持ち、イエス様から離れていってしまう者もいました。11章には旧約の時代に戦った信仰の勇士たち22人の名前が列挙されています。 主にある信仰を持ち続けることを古の信仰者は願っています。イエス様も信仰のレースを走られました。苦難の意味を理解していました。人生における重荷とは物質的、精神的、人間関係などに依るものです。そして、不信仰は最も重い罪です。たくさんの証人の中で最も優秀なお手本はイエス様です。イエス様は信仰の創始者であり、完璧に信仰を完成されたお方です。主は様々な問題の中に私達を立たせます。それは、より多くの果実を私達にお与えになるためです。私達の周りには多くの信仰の友がいます。 イエス様から片時も目を離さずに見上げていきたいものです。
    文責:仲平  滋
    参考聖句:マルコ16:16 コロサイ3:8 ピリピ2:6~9



  • 2023年9月10日  角和正義牧師
    テーマ:まっすぐな道
    聖 句:ヘブル人への手紙12章13節

    へブル人への手紙はユダヤ人クリスチャンに送られた手紙です。彼らは迫害を受けていました。迫害の理由がイエスを信じたことだと思いイエスから離れ、もとのユダヤ教に戻ろうかと、信仰が薄くなりかけました。そのような人々に対する励ましの手紙でした。先週の復習ですが、12章は信仰の訓練が記されています。1節から11節は信仰の訓練、12節から17節は訓練の中で働く信仰、18節から29節はクリスチャンの最終ゴールです。さらに12節から17節は二つに分けられます。12節から14節は、追い求めるべき4つのこと、15節から17節は避けるべき4つのことです。追い求めるべき4つの内容は①考えを変える②まっすぐな道 ③すべての人との平和 ④きよめられることでした。12章13節の内容はクリスチャンの信仰を誰かが見ている、誰かの目標になっていると言うことです。試練の中にあってもまっすぐな道(神に従順に従うこと)を作ることができれば、ほかのクリスチャンの目標となり、励ましとなります。信仰が弱くなった人に対して励みとなり、その方の目標になり、イエスの信仰に立ち帰る力になります。私たちの、主への信仰を追い求めている姿が、他の人への励ましになっていることを確信し、秋の特別伝道集会に向けて備えて行きましょう。                  文責:片岡 哲郎
    参考聖句:Ⅰペテロ5:8 ヘブル12:2 箴言4:26 イザヤ50:4


  • 2023年9月3日 角和正義牧師
    テーマ:考え方を変える。
    聖 句:ヘブル人への手紙 12章12節 ~ 13節

    ヘブル人への手紙12章のアウトラインは、①1節~11節「信仰の訓練」、②12節~17節「試練の中で働く信仰」,③18節~29節「クリスチャンの最終ゴール」です。
    さらに二番目の「試練の中で働く信仰」は①12節~14節「追及すべき四つの事」。②15節~17節「避けるべき四つの事」に分けられます。「追及すべき四つの事」とは、①考え方を変える(12節)、 ②真っ直ぐな道(13節)、 ③すべての人との平和(14節前半)、 ④聖められること(14節後半)です。今朝は「考え方を変える」という部分を見て行きたいと思います。私たちに与えられた苦難は神様がクリスチャンを教育、もしくは訓練する手段であると言われています。訓練されて強められていくのです。「これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。」(ヘブル12: 11)ですから今までの考えを変えましょうというのです。「弱った手と衰えた膝をまっすぐにしなさい。」(ヘブル12:12、文語訳聖書では「強くし」と訳されています)内面的な失望が外面的に現われると言っています。手と膝を主の働きのために強くする。「強い手」というのは主への奉仕を表しています。そして「強い膝」は祈りのためです。私たちにとって手と膝は強くされなければなりません。神様の恵みの力と私たちの信仰の応答が調和していく時に私たちは内面が強められ、奉仕の力、祈りの力が強められていきます。        文責:川村 則之


  • 2023年8月27日 角和正義牧師
    テーマ:とどまる
    聖 句:ヨハネの福音書15章4節

    私たちの体は肉的にできているのでしょうか?霊的にできているのでしょうか?私たちは何につながるかによって与えられるものが変わってきます。ヨハネの福音書15章4節には「わたしにとどまりなさい」と書かれています。枝がぶどうの木につながるのは、成長するためです。信仰の成長につながる5つの霊的栄養分があります。この成長の流れは赤ちゃんの成長に例えられます。①聖書を読むこと(第一ペテロ2章2節・霊的食物)②祈ること(第一テサロニケ5章17節・霊的呼吸)③証しをすること(第一ヨハネ1章3節・霊的運動)④服従すること(第二コリント13章8節・従順に身を委ねる)⑤教会生活をすること(エペソ4章11,12節・霊的交わり)です。ヨハネの福音書15章1節「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です」とあります。なぜ「まことの」と言ったのでしょう。旧約聖書ではイスラエルの民はぶどうの木として描かれています。神様はイスラエルの民を純種の良いブドウとして植えられました。しかし質の悪い雑種のブドウになり神から離れていきました。そこでイエス様は父なる神がイスラエルに対して願われたことを成就するために来られたのでした。故に、イエス様こそがまことのぶどうの木なのです。イエス様につながれば、強められ、祝福され、導かれます。イエス様とつながって歩みましょう。
             
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:Ⅰペテロ2: 2 Ⅰテサロニケ5:17 Ⅰヨハネ1:3 Ⅱコリント13:8 エペソ4:11~12 エレミヤ2:21 ヨハネ15:5、8

  • 2023年8月20日  上迫 和清長老
    テーマ:災い転じて福となす二刀流の信仰
    聖 句:創世記 50章 20節

    私達は生きている限り、人生の中で多くの労苦と災いに襲われることがあります。困難は無い方が良いと誰しもが考え、望みます。では実際、人生にそのような苦難が全く無いとどうなるのでしょうか?それは一見、理想的な人生であり、社会であるように思えます。神様は何故に、私たちの人生に苦難があることをお許しになられているのでしょうか?それは、苦難を通して神に近付き、真の幸福を私たちが手にするためです。神と共に歩む人生こそが最高の幸せです。苦難が忍耐を生み出し、忍耐は品性を生み出します。そして、それは幸福に繋がります。私たちが天の御国に持っていけるのは、苦難や災いから得られた品性と人格のみです。神様は試練の道と共に、私たちが耐えられるように脱出の道も備えられている二刀流のお方です。イエス様も完全な神の御子であると同時に、完全な人の子である二刀流の存在です。私たちが経験する試練は、災いで終わるのではなく、神様が内に入り込んで福となしてくださるものです。私たちは常に神様と共に居て、キリストの御姿に近付いていく信仰を持ちたいものです。       文責 仲平 滋
    参考聖句:詩篇90:10 ローマ5:3~4 ヨブ1:21 詩篇137:1~4 119:71 エレミヤ29:11、15 Ⅱコリント4:17


  • 2023年8月6日 角和正義 牧師
    テーマ:主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。②
    聖 句:使徒の働き 16章14節

    パウロは神からの命令を確信し、ヨーロッパに行くことになりました。神は、求める人の叫びを聞かれ、そこへ伝道者を導かれます。パウロの第2回伝道旅行で、一行は、ヨーロッパへ向かうことは、神の導きであることを確信して航海していました。ピリピに着き一行はそこに会堂がなかったため、安息日に川岸の祈り場へ行き、パウロはそこで集まってきた女性たちに話し始めました。ヨーロッパにおける最初の福音伝道でした。以前、パウロはパリサイ派でした。パリサイ派の祈りの中で女性は差別されていますので以前のパウロであれば女性に語る事はしなかったと思います。しかし、救われたパウロはイエス様にあって180度変えられていました。異邦人も、男も女も、奴隷も皆平等です。パウロの話を聞いていた者の中に、リディアという名の女性がいました。彼女は裕福な異邦人でした。主は彼女の心を開いて、パウロの話を心に留めるようにされました。そして彼女とその家族がイエスを信じて救われました。使徒16章31節「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」とパウロは語っています。使徒の働き16章では福音伝道において重要なことが記されています 。福音を聞く人の心を開く方は主なのです。その働きは今も同じです。伝道の導き手は聖霊様であり、復活の主イエス様のみ業です。10月21日、22日の「秋の特別伝道集会」に備えて、私たちが福音を伝えたいと思う人に対し、主が心を開いてくださるように祈ってまいりましょう。                    
    文責:片岡 哲郎
    参考聖句:ピリピ3:19~20 ガラテヤ3:28 ピリピ2:13 使徒16:31 ローマ1:18 使徒16:14


  • 2023年8月6日  角和正義 牧師
    テーマ:主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。①
    聖 句: 使徒の働き 16章14節
    メッセンジャー: 角和正義 牧師

    パウロたちは第2回伝道旅行でアジア州の首都である大都市エペソに回り、アジア州の宣教をして行こうと思っていたのでしょう。しかし聖霊によって彼らはアジア州で御言葉を語ることを禁じられました。そこでビティニア州に行こうと考えましたが、イエスの御霊がそれを許しませんでした。私たちの心を自分の思いが巡ります。しかしその歩みを確かにするのは主です(箴言16:9)。パウロたちはミシア地方を通って、アジア州の西にある港町トロアスに行きます。そこでパウロは夜に幻を見ました(使徒16:8,9)。パウロは確信を得て、ヨーロッパに行くビジョンを持ったのです。アストリッド・エリクソン宣教師が日本宣教に導かれて来たのも不思議な導きでした。モンゴル宣教がまず閉ざされました。そして脱出の時にも主の守りを経験しました。そして横浜港に着いた時に、次は日本ですという幻を見ました。宣教師の背後にいらっしゃるのは主です。主はあなたを、私たち一人一人を見ていたのです。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」(ローマ10:15)                   文責:川村 則之



  • 2023念7月30日  川口芳一 長老
    テーマ:種まきの例え
    聖 句:マタイの福音書 13章 3節 ~ 9節

    わたしたちは一緒に集まり礼拝を持てることは当たり前のようにも思いますが、それも神様の恵みです。イエス様は種まきの例え話をされました。種とは御言葉です。落ちた場所はわたしたちの心です。最初から良い土地があるわけではありません。土地を耕し空気を入れ、水や肥料を入れ良い土地を作ります。わたしたちは心の中に罪があります。そのため悪い畑なのです。しかしイエス様が耕してくれるのです。神様は父が子を訓練するように、わたしたちが聖さにあずかれるように訓練してくださいます。陶器が土から作られ完成する過程はわたしたちに行われる訓練のようです。土を水で何度も練り不純物を取り除きます。最後に火で焼かれることにより陶器になるのです。火の試練中、イエス様は共にいてくださいます。神様の訓練は愛によるものです。良く耕された良い土地になり何倍もの実を実らせましょう。                
    文責:小原 照代
    参考聖句:マルコ7:20~23 マタイ5:3~4 ローマ7:15~20
    ヘブル12:5~12 Ⅰペテロ1:6~7 ローマ5:8


  • 2023年7月23日 角和正義 牧師
    テーマ:主は彼女の心を開いて
    聖 句:使徒の働き16章14節、15節

    使徒の働き16章1節~16節にあるように、パウロはデルベとルステラそしてイコニオとアジアのガラテヤ地方で伝道をしていました。しかし聖霊によってアジアで御言葉を語ることを禁じられたのでガラテヤの地方とフルギヤ地方を通ってムシヤ地方の近くまできました。そしてビテニヤ地方に進もうとしましたが、主がそれを許しませんでした。それでムシヤ地方を通って、トロアスに下りました。その夜パウロは幻を見ました。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て私たちを助けて下さい」と懇願するのでした。パウロとシラス、テモテ、ルカはトロアスからサモトラケに船にて直航し、2日かけてネアポリスに着きました。260キロの距離を順風に進みました。そのことは彼らにこの伝道が主の導きであることを確信させたことでしょう。ネアポリスから陸路でピリピに行きました。ピリピはローマの植民都市でした。ピリピの人達はローマの特権が与えられており誇りがありました。パウロはピリピでの伝道を始めました。川岸に行き、集まっていた女性たちに話をしました。その中にリディアという女の人が聞いていました。主は「彼女の心を開いて」、パウロの語る事に心を留めるようにされました。主が備えて彼女を導いて下さいました。ここまでのパウロたちの歩みを見てわかるように、伝道は主によって求めている魂の所へと導かれて行きます。そして「主がその人の心を開かれる」のです。ピリピの人たちには「ローマの市民権」が与えられていましたが、それはこの地上だけの特権です。伝道を通して救われた魂は、天国の市民権を持つようになります。 クリスチャンの特権は天国にあります。そこから主がもうじき迎えに来て下さいます。喜びと希望を持って待ち望み歩んで参りましょう。    文責 吉田 愛子
    参考聖句:箴言16:9 使徒16:12、13 ルカ2:1 ピリピ3:19~20


  • 2023年7月16日  角和正義 牧師
    テーマ:環境に支配されない喜び
    聖 句:ピリピ人への手紙 4章4節

    人生において、最も嬉しかったことは何でしょうか?私たちの「嬉しかった」という経験は、大抵の場合、嬉しくなる理由があります。ピリピ人への手紙のテーマは「喜び」ですが、書いたパウロはローマの牢獄に居ました。本来なら「喜べない」状況です。しかし、パウロには「状況に影響されない喜び」がありました。パウロとシラスはそのような状況においても神への賛美を忘れることはありませんでした。どんなに過酷な環境下であっても神への深い信仰は変わりませんでした。神だけがその賛美を聞いていたのではなく、他の囚人達も聞き入っていました。二人は神のために奉仕をし、活動していたのに苦境に置かれました。辛い状況にあっても信仰を固く守り続けました。神は時として、私達に過酷な試練をお与えになることがあります。けれども、主を見上げていく時に主の臨在を知ることが出来ます。彼らはそこに喜びを見出していました。 どんな状況にも影響、左右されない真の喜びがありました。私達は時として、主の存在を忘れてしまうことがありますが、主はいつも私達を見守っていて下さいます。主を見上げていきましょう。必ず大いなる喜びが与えられます。     
    文責 仲平 滋
    参考聖句:コロサイ2:12 マルコ10:31 ピリピ4:16 1:5
    使徒16:19、23、25


  • 2023年7月9日  ルリ子ボーマン師
    テーマ:キリスト者のアイデンティティー
    聖 句:ガラテヤ人への手紙 2章20節

    キリスト者のアイデンティティーは、キリストと同じであると言えます。かつてパウロはキリスト教会を迫害していましたが、イエスによって直接啓示を受け、目が開かれ使徒とされました。パウロの伝道活動においての行動は感情の判断ではなく御霊の力によるものでした。まさにパウロのアイデンティティーはキリストと同じでした。パウロによって建てられたガラテアの諸教会は、キリストへの信仰と恵みによって救われるという唯一の教えでした。しかしその後にこの福音から離れ、律法の行いで義とされるという教えに変わってしまったことに対し、パウロは厳しい戒めの手紙を送りました。ガラテア人への手紙2章20節では、パウロは自分のことをかつての自分ではなく、キリストが自分のうちに生きておられると言っています。さらに自分の命は神の御子に対する信仰によって生きていると言いました。私たちの信仰も同じようにキリスト者として生きることが求められています。すでに信仰によって義とされ、御霊が宿っておられます。その助けを受けて信仰生活を送ることがキリスト者のアイデンティティーです。しかし私たちは弱いものです。感情や肉による考え、行動をしてしまうことがよくあります。そのような時はイエス様の十字架の御業を思い起こし、救われた時の感動の日に立ち返りましょう。考え、行動は情によらず、主にゆだね御霊の助けを受けましょう。イエス様は十字架上においても神のみこころに従い、あざけ笑う者に対し、とりなしの祈りまで捧げました。私たちのアイデンティティーはキリストそのものであるべきです。  文責:片岡 哲郎


  • 2023年7月2日  角和正義牧師
    テーマ:隣人愛の実践
    聖 句:ヨハネの福音書 13章34節 ~ 35節

    律法学者がイエス様に「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」と質問したのですが、イエス様は彼に逆に質問しました。彼の答えは百点満点でしたが、その答えには一つ問題がありました。律法を完全に守ることができる人はいません。彼はまた「私の隣人とはだれですか。」と訊ねました。隣人とは助けを必要としているすべての人で、人種は関係ありません。しかし彼はその隣人の範囲を限定しようとしました。イエス様の話された「良きサマリア人の譬え」に登場する祭司やレビ人は隣人愛の実践に失敗しました。しかし最も援助してくれる可能性の低い敵対しているサマリア人が憐れみの心を表したのです。憐れみの心は人種的偏見に打ち勝ち、人種差別を越えて行くことができます。イエス様はこの隣人愛がどういうものかを教えてくれました。愛は思いだけではなく、行動へと導くのです。終わりの時代にあって、私たちは主の前により祈り、聖霊の力をいただいて、御霊の実を実らせて、人々に寄り添って行かなければならないと思います。 今自分がなすべき事を主の前に祈っていくなら、必ず主は導いてくださいます。
    文責:川村 則之
    参考聖句:申命記6:5 レビ19:18 ヤコブ2:14


  • 2023年6月25日  角和正義牧師
    テーマ:救いは信仰のみによる
    聖 句:ガラテヤ人への手紙3章11節

     皆さんは救われた時に、「イエス様を信じて救われました。今後はイエス様が喜ばれるように生きます。頑張ります。」と証しをされたと思います。ですが、時には自分の力でクリスチャンらしく生きる事が苦しくなり辛くなってくることがあります。ガラテヤ人への手紙はパウロがガラテヤ地方の諸教会に送られたものでした。パウロが教会を建てて去った後に、ユダヤ主義者(元パリサイ派)が入ってきました。この方々は割礼を受けてユダヤ教に改宗しなければ救われないと信じていました。パウロはユダヤ主義者に翻弄されている人達を救うためにこの手紙を書いたと言われています。ガラテヤ1章11、12節に「私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間から受けたのではなく、また教えられたものでもありません。ただキリストの啓示によって受けたのです。」とあります。救われる為には、「~せねばならない」という律法ではなく私達の信じた救いによって救われるのです。ガラテヤ5章16節「御霊によって歩みなさい」とあります。これは、歩んで終わるのではなく歩み続けなさいという継続を表しています。救いは自分の力で達成するのではなく、主を信じる信仰によって達成されます。主を信じて歩み続けてまいりましょう。
    文責 吉田 恵子
    参考聖句:ガラテヤ1:2 ハバクク2:4 ローマ1:17 ガラテヤ3:11 1:6 1:11~12 3:3 5:22~23


  • 2023年6月18日  角和正義牧師
    テーマ:恐れに対する勝利の視点
    聖 句:申命記31章6節

    私達の身辺には経済的な困難、健康に関しての問題、人間関係における悩みなどがあり、様々な困難や恐れに襲われることがあります。ヤコブは兄であるエサウとの再会を恐れていました。ヤコブは神様との約束を盾に救いを求めました。神様の前に全てをさらけ出し祈りました。私達は弱くて愚かな者ですから、素晴らしい賜や贈り物をいくら用意しても安心ができません。試練にあって、私達は神様と格闘することがあります。神様は私達に試練をお与えになられます。しかし、それは決して乗り越えられないものではありませんし、脱出の道も備えていてくださいます(Ⅰコリント10:13)。私達は人や世と闘っていると思いますが、実は、神様のご計画と闘ってはいないでしょうか。私達の自我が取り払われ、心の底から神様を慕い求める祈りに徹する時に、神様は必ず救いの手を差し伸べてくださいます。ヤコブがそうしたように、私達もイエス様の御名のもとに肉の想いを捨てて祈りましょう。神様は必ず受け止めてくださいます。
    文責:仲平 滋 

  • 2023年6月11日 角和正義牧師
    テーマ:祈り続ける
    聖 句:ルカの福音書 11章9節

    イエス様は十字架の死後、復活され弟子たちの前に現れました。そして「平安があなたがたにあるように」と言われました。ルカの福音書11章の中で、イエス様の祈りの姿に感銘を受けイエス様にどのように祈ればよいか、弟子が質問しました。そこでイエス様は祈りについて弟子たちに話されました。祈りのひな型「 主の祈り」の前半の3つは、神の御心を求める祈り(2節)。「父よ、御名があがめられますように」これは父なる神の偉大さに対する信仰告白です。「御国が来ますように」これはイエス様が全世界を支配される主となってこられる日への希望です。後半の3つが、自分の必要のための祈りです(3~4節)。「日ごとの糧を、毎日お与えください」「私たちの罪をお許しください」「試みに合わせないでください」。後半の5節から10節はたとえ話で、あきらめない人のことです。友だちの頼みに対して1度は断りましたが、その粘り強さのゆえに最後は必要なものをなんでも上げました。人間同士でさえこのようにあきらめなければ、与えられます。なおのこと天の父はご自身に求めるものに対して必要を与えてくれるお方です。主に対してだれでも求めるものは手に入れ、探すものは見出し、たたくものは開かれます。人は自分の力で生きていると思う方が多いですが、実は主によって生かされているのです。主によって仕事があり、主によって毎日の必要が満たされています。生かされていることへの感謝を祈り続け、求めるものがあれば、続ける祈りによって頂きましょう。ルカの福音書の各所に、イエス様が祈りをされている場面が多くあります。イエス様は「父よ」と全服の信頼と親しみを込めて呼んでいます。この「父よ」の言語の「アバ」は日本語のおとーちゃんです。祈る際は「父よ」と親しみを込めて祈りましょう。
    文責:片岡 哲郎
    参考聖句:ルカ11:1~10 ピリピ2:6~7 ルカ3:21 5:16 9:18
    6:18 9:28~29 ローマ8:15 詩篇50:15 使徒17:28 Ⅰヨハネ1:9 


  • 2023年6月4日  角和正義牧師
    テーマ:破れ口に立つ者「とりなしの祈り」
    聖 句:エゼキエル書 22章29節 ~ 30節

    神は神と人との間の破れ口に立って、霊的に失われた人々や神に背いている人たちのために執り成す人を探しておられると感じるのです。しかし残念なことにここでは見つからなかったと記されています(エゼキエル22:29~30)。今日は創世記18章から「アブラハムの執り成しの祈り」について見ていこうと思います。なぜ神はアブラハムに裁きを伝えたのでしょうか。一つはすべての国民が彼によって祝福されるというアブラハム契約が将来成就するためでした。もう一つの理由としてアブラハムの神に対する信仰的な姿勢がありました。神は彼を友と呼びたい。迫っている出来事の中で彼に知らせたい。何とかそれを乗り越えてもらいたい。変えてもらいたいと考えているのです。神は私たちが執り成しをするのを待っておられます。執り成しの祈りの5つのキーワードは、①神を礼拝をする姿勢をもって願う。②大胆に神に願う。③謙遜に願う。④執拗に忍耐強く願う。⑤ に執り成すということです。イエス様を信じた者は祭司です。祭司の務めは祈りです。私たちは祭司として破れ口に立ち、罪人や私たちの愛する人のために執り成していきたいと思います(Ⅰペテロ2:5)。
    文責:川村 則之
    参考聖句:創世記18:16~21 3:5 4:1 イザヤ41:8 使徒10:1~4 創世記19:8、29 


  • 2023年5月28日  角和正義牧師
    テーマ:聖霊の働き
    聖 句:エペソ人への手紙 1章13節 ~ 14節

    飛行機や宇宙船などは、レーダーの誘導があって前に進む事ができます。私たち人間も地図やナビの情報によって行動しています。しかし、この誘導してくれているものが偽物だったらどうしますか?出エジプト記13章21・22節には、神様ご自身がイスラエル人を導くために彼らの前を進まれたと書かれています。神様はイスラエル人を荒野という困難な道の中でも、共にいて先頭に立ち導いておられました。エペソ1章13節には、イエス様を信じた人には聖霊様の証印を押されましたと書かれています。私達がイエス様を信じたことによって聖霊様が宿って下さいました。その聖霊様が私達の内側で働いて下さり、いつも導いて下さるのです。エペソ人への手紙は教会の奥義について語られています。旧約聖書では教会について隠されていました。新約聖書にて教会の啓示である奥義がキリストによって現されました。神様は世界の基が据えられる前から、私達一人一人を選んで下さっています。それは、神様の前に私達が傷のない者として下さるためでした。そして、神様はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私達を祝福して下さっています。クリスチャンは、この地上では信仰のため迫害されることもあります。そのような中でも聖霊様はいつも共にいて下さり、私達一人一人を導いておられるのです。その聖霊様の働きに感謝して、日々祈り歩んでまいりましょう。  
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:出エジプト13:21~22 エペソ1:3~4 1:17~19


  • 2023年5月21日  角和正義牧師
    テーマ:主にとって不可能なことがあるだろうか。
    聖 句:創世記18章14節

    誰にでも不思議な出逢いが訪れることがありますが、私達の最高の出逢いはイエス様とのそれです。今から4,000年ほど前に、アブラハムも神様に出逢いました。神様はアブラハムを選び、その子孫を通して全人類を救うという計画を立てられました。名を変えられる前のアブラムは神様の言われることを、ただ、単純に信じる人でした。その信仰者の姿を神様は義と認められました。ここに私達の見習うべき信仰への姿勢が表れています。神様はアブラハムに奇跡の恵みをお与えになりましたアブラハムは神様から頂いた恵みに対して、本人からお返しできるものはほんの少しであると自覚していました。彼はそれでも懸命に神様に仕えました。対して、ソドムの人達の反応はひどいものでした。アブラハムのとった僕の姿勢とは比べものにならないようなものでした。信じました…で、終わるのではなく、主が共に居てくださり、私達の心の扉を開いてくださることにいつも感謝の念を忘れぬことが大切です。神様に不可能なことはありません。私達が肉の想いで理解しようとする、その遥か上、遥か先まで実現されます。神様の言われることに背いてしまう時は、アダムとエバのように神様を怖れて隠れてしまうことがあります。私達は全ての想いを投げ打って主の前に出ていくべきです。主にとって、不可能なことは何もありません。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:創世記12:4 15:6 17:5 7:26 18:1 19:4~5、19 18:11~12 3:9~10 ヘブル11:8 ルカ1:37


  • 2023年5月14日  角和正義牧師
    テーマ:恐れないで、ただ信じなさい。
    聖 句:ルカの福音書 8章50節

    ルカの福音書8章の中でイエス様は3つの奇跡を行いました。嵐を鎮める事、悪霊を追い出す事、病と死に打ち勝つ事への奇跡でした。そしてそのことを通して、それぞれにご自身の権威を現わされました。ルカの福音書8章の中で、ヤイロが死にかけている娘のために、イエス様へ助けを求めました。イエス様がヤイロの家に向かう途中で、長血の女性を救いました。そしてその後に娘の死の知らせが届きました。おそらくヤイロは、イエス様に直ちに家に来てほしかったと思います。そして娘の死の知らせを聞き、絶望を感じたことでしょう。しかしイエス様は言われました。恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば娘は救われます」イエス様がヤイロの家に着いたとき、人々は皆、悲しんでいました。しかし、イエス様は娘は眠っているのだと告げました。その後娘の霊がもどり、起き上がりました。絶望の中でヤイロはイエス様の言葉を信じた信仰が重要でした。人の時と神の時は違うことが、わかります。私たちも信仰生活の中で、助けが必要な時に主にお願いします。しかし神の御業に気が付かなかったり、ただちに祈りが叶わない時もあります。そのような時に、私たちはあきらめたり、信仰が弱くなりがちです。重要なことは、ただ信じることです。神が用意された時が来れば願いは叶うのです。主は、私たちに最良な時に、最良の道をご用意して下さいます。そのことをただ信じていきましょう。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」(ヘブル12:2)                  
    文責:片岡 哲郎


  • 2023年5月7日 角和正義牧師
    テーマ:わずかな信仰によっても
    聖 句: 詩篇63篇6節

    ルカの福音書8章40節から56節には病と死に打ち勝つイエス様の権威について記されています。そして42節後半から48節に長血を患った女性の癒しが述べられています。
    この女性は12年間長血を患っていて、医者にも行き、財産全てを費やしたのですが、誰も治すことができませんでした。彼女は12年間健康が害されて、行動が自由にできず、どんなにか辛い思いをしていたでしょうか。彼女が抱えていたもう一つの大きな問題はモーセの律法によると血の流出は汚れているとされてしまい、その状態の人は公の場や社会から隔離されなければなりません。彼女は自己嫌悪に陥っていたかもしれません。
    イエス様はそのような人のところに来られたのです。彼女はイエス様の衣の房にさえ触れることができればきっと癒されるという信仰をもって群衆に紛れてイエス様に近づき、イエス様の衣の房に触れ、癒されました。あなたがいかにしてイエス様に出会ったか、そしてイエス様に出会って何が起こったかを伝えるのが証しです。私たちが証しをすることでそこから祝福が流れて周囲の人々へ広がっていきます。「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」(ヤコブ4:8)       文責:川村 則之


  • 2023年4月30日 小村誠志郎長老
    テーマ:わたしの兄弟、姉妹
    聖 句:マタイの福音書 12章 46節 ~ 50節

    肉である私たちは弱さがあり、従わない者で欲があります。そのため、聖い神様に近づくには生け贄が必要でした。イエス様は十字架にかかり永遠に続く血の贖いをしました。信じる者には救いを受けることが出来るのです。イエス様を信じ、霊的に新しく生まれた者は天の父の子どもたちであり霊的に繋がった者です。御姿を着るのです。だから天のお父様は私たちをイエス様と同等に見てくださるのです。自分の思った道、安易な案内に従うと失敗します。私たちの地図は聖書です。ナビゲーションは聖霊様です。教会はお互いを支え合い、執り成し合います。愛は御大切です。一人一人はとても大切な存在なのです。
    文責:小原 照代
    参考聖句:マタイ13:55~57


  • 2023年4月23日 志賀孝作長老
    テーマ:御霊とみ力の現われ
    聖 句:コリント人への手紙 第一 2章4節

    コリント人への手紙はパウロによって書かれました。パウロが建てたコリントの教会には、多くの問題が発生したようです。コリントの住人はギリシャ哲学をもてあそんでいたようでした。パウロは博学の人でしたが、2章1節「優れた言葉、優れた知恵を用いて、神の奥義を宣べ伝える事はしませんでした。」とあるように知恵や知識をひけらかして論破する事はしませんでした。議論よりもイエス様だけを心から宣べ伝えると決心したからでした。イエス様の十字架の御業だけを信じる者が、救われ、奥義を知る事ができるのです。5節「あなたがたの信仰が、神の力によるものとなるためです。」とあります。皆さんがイエス様を信じた時、十分頭で理解して信仰を持ったのではないと思います。頭で理解するのではなく信仰の一歩をとったはずです。そして日々、聖霊様に委ねてお任せしていき少しずつ成長してゆくのです。私達は、日ごとの生活のなかでも聖霊様の語りかけに従順に従っていきたいものです。時には私達の望むとおりにならなくても、聖霊様に従って行くなら平安です。議論して論破してゆくのではなく、4節にあるように「御霊と御力の現れ」によってイエス様の素晴らしさを伝えてゆく者でありましょう。そしてまっすぐに信仰を一歩一歩踏み従ってゆくものでありましょう。   
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:Ⅰコリント1:18 3:2

  • 2023年4月16日 角和正義牧師
    テーマ:十字架上の第6の言葉:勝利の宣言「完了した」
    聖 句:ヨハネの福音書19章29節 ~ 30節

    十字架にかけられる前に人々は「苦みを混ぜたぶどう酒」をイエス様に飲ませようとしましたが、イエス様は痛みを抑えるための麻酔効果のあるぶどう酒を飲むことを拒まれ、最後までご自分の意識でしっかりと立ち向かわれました。私達が苦難や困難の最中にある時、何かに頼り、痛みを和らげ、解決の道を探そうとします。けれども、イエス様は痛みを取ろうとはせずに、渇ききった喉を潤すこともせずに私たちの罪のために神の怒りの杯を全部飲み干してくださいました。私たちもどんな苦しみの時にも、信仰の創始者であり、完成者であるイエス様から目を離さないで歩んでまいりましょう。旧約時代の罪の除去方法は、自分が負うべきものを身代わりの雄やぎの上に負わせて(転嫁)、遠くに追いやる方法がとられていました。私達の罪はイエス様の上に転嫁され、イエス様の義が私達の上に転嫁されました。 全ての苦しみをご自身の身で受け止めた上で「完了した」と勝利の宣言をされました。「完了した」とは、全ての債務を帳消しにすることです。イエス様を信じる者は全ての罪が赦され、イエス様の義を受け取ることができます。イエス様の内にある私達は、すでに新しい者になりました。一人ひとりに主は寄り添い、助けと慰めをご用意して下さっています。十字架を仰いだ時に、恵みと祝福が私達の上に降り注がれます。
    文責:仲平 滋
    参考聖句:マタイ27:34、26:39 ローマ5:8 ヘブル10:1,4 7:27
    レビ16:21 Ⅱコリント5:21、17


  • 2023年4月9日  角和正義牧師
    テーマ:十字架上の第2の言葉「救いの約束」
    聖 句:ルカの福音書23章39節 ~ 43節

    イースターはイエス様の死からの復活をお祝いする日です。教会での礼拝は、毎週日曜日にイエス様の復活を祝うことから始まったことが起源だそうです。全福音書にイエス様が、十字架にかけられた出来事が記されています。イエス様が十字架にかけられ、息を引き取られるまでに7つの言葉が残されています。イエス様は、左右の十字架にかけられた犯罪人、その場にいた民衆、ユダヤの指導者、ローマ兵たちからののしられ、あざ笑われていました。それらの人々に対し、イエス様は十字架上で天の父へ、とりなしの祈りをされました。このように十字架上での最初の言葉は、罪びとに対する赦しでした。その後、一人の罪人の目が開かれ、イエス様が救い主であることがわかり、もう一人の罪人の言葉をたしなめ、信仰の告白を行いました。それを聞いたイエス様はその罪人の罪を赦され、天の御国にいける約束をされました。2番目の言葉は救いの約束でした。十字架の御業の本質はこの救いの約束なのです。人々が神から離れた罪に対する、十字架の御業による救いなのです。アダムの罪により人は死にます。しかしイエス様によって永遠に生きるのです。
    文責:片岡 哲郎
    参考聖句:ルカ23:34、43、33 マタイ27:44 ヨハネ3:16


  • 2023年4月2日 角和正義牧師
    テーマ: ゲッセマネの園の祈り
    聖 句: マタイの福音書26章39節

    イエス様は弟子たちを連れて、祈るためにゲッセマネの園へ向かいました。史上最大の霊的戦いが繰り広げられようとしていました。ゲッセマネとはヘブル語でオリーブの油絞りという意味です。イエス様はオリーブの油絞りのようにその身も心も潰され、砕かれ、圧力が掛けられ、その犠牲により私たちに聖霊が与えられました。イエス様は「この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」と祈られました(マタイ26:39)。杯というのは罪に対する神の怒りです。(イザヤ51:17,エレミヤ25:15)。神の怒りの杯を飲む者はイエス様を信じていない未信者、霊的に死んでいる者です。神と和解せず、父から切り離された状態の人です。イエス様は父から切り離された状態、霊的に死んだ者となることを求められていたのです。それがとてつもないものであることにイエス様は非常に驚き、もだえ、そして死ぬような思いですと言われたのです。それはどれほどの苦悶だったでしょうか。そんな状態でイエス様は父の御心がなりますようにと祈られたのです(ルカ22:44)。イエス様は私たちの全ての罪を処理するため、父の御計画に従うためにそのような霊的状態になっても、迷うことなくそれを受け止めていくという勝利を得ていました(ヨハネ18:11)。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ヨハネ19:41 マタイ26:36~46 ルカ22:39 ルカ22:40 イザヤ51:17 ルカ22:44 ヘブル4:15 エレミヤ25:15

  • 2023年3月26日 角和正義牧師
    テーマ: エマオへの道で「霊的開眼」
    聖 句: ルカの福音書 24章 15節 ~ 16節

    ルカは医者で、ルカの福音書と使徒の働きを書いたと言われています。ルカの福音書はギリシャ人、異邦人に対して人としてのイエス様が描かれています。神の子イエス様にスポットを当てて、理想的な人間の姿がイエス様にあると表されています。ルカの福音書24章13節にはイエス様が復活した日、エルサレムから11キロ離れたエマオという村に弟子の二人が向かっていました。二人は、イエス様が十字架につけられて葬られて、後に復活したということについて話し合っていました。イエス様は二人に近づいて来ましたが、二人の目は遮られていてイエス様に気づきませんでした。私達もイエスを信じて歩んでいますが、時として絶望や悲しみの中で御言葉から離れ自分の考えで進もうとすることがあります。そんな私達にイエス様は近づいてきて下さり共に歩んで下さるという事です。そしてイエス様は優しく戒めて下さり、聖書全体に書いてあることを説き明かしてくださいます。イエス様は無理やり私たちの心に入ってきません。私達が心開いて共にいて下さいと願っていくと主は導いて下さいます。御言葉に目をとめて、心を主に向けて歩んで参りましょう。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:ルカ24:13~37 マルコ16:12~13


  • 2023年3月19日  角和正義牧師
    テーマ:12弟子の姿の中に私たち自身の姿もある
    聖 句:マルコの福音書8章17節、18節、21節

    あなたの目、唇、耳は誰かの為に誰かに寄り添う為に開かれていますか?想いが内にこもっていれば、その発露が言葉となって伝わっていきます。全ての源である神様からの愛を知る時に、私達は愛を語ることができます。では、どのような時に神様は愛して下さるのでしょうか。神様は私達がまだ罪人であった時から愛して下さっています。それは何も変わらずに続いています。真理は一つです。それを神様は教えていましたが、弟子達はなかなか悟ろうとしませんでした。「かわいそうに」上辺だけの言葉では相手に届きません。自分のことのように思って出る言葉であり、何か行動を伴っていなければ相手の心には響きません。イエス様は全ての事情をご存知です。いつもイエス様に目を向け、イエス様のもとに行き、イエス様に捧げる者は満たされます。弟子達の姿に人の愚かしさを見ることが出来ますが、神様はそんな私達をお見捨てにはなられません。私達の源は全て神様からくるものです。私達が愛することが出来るのは、神様が私達を愛して下さったからです。そのことを知り、神様に寄り頼む者は必ず大いなる恵みを受け取ることが出来ます。神様が私達を愛して下さっているからです。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:箴言17:17 Ⅰヨハネ4:19 ローマ5:8 マルコ6:34、8:5 ヨハネ6:35

  • 2023年3月12日 ルリ子 ボーマン師
    テーマ:神を知る生活
    聖 句:ペテロの手紙 第二 1章1節 ~ 3節

    本日のメッセージは「神を知る生活」です。ペテロは手紙の中で、すでにイエスを信じた信仰者に対して語っています。私たちクリスチャンは、神から恵みによって罪許され、義とされています。しかし信仰生活の中で、私たちは時には自分の義に生きてしまい、肉の行いをしてしまいます。イエス様は恵みと、誠に満ちておられる方です。その方から恵みを受けたクリスチャンの生活がますます恵みが増し加えられる生き方をペテロは伝えています。人は弱く間違えを犯します。神はそのことも知っておられます。自分の義に生きてしまうと、他人をさばいたり、許さなかったりしてします。神の愛は許しです。兄弟を愛さなければ、神を愛したことになりません。パウロが語ったように主に近づくほど自分の弱さを知って落ち込みます。ですから神に祈り、ゆだね、神への信仰が強くなります。神を頼ることにより必要が満たされ、心に平安が与えられます。サタン以上に肉のよくは神に敵対します。自分が弱いことは良いことです。そのことを認め、私たちに恵みと平安が、増し加えられる生活を送りましょう。          文責:片岡 哲郎
    参考聖句:ヨハネ1:16 ヘブル12:2 ローマ8:7


  • 2023年3月5日  角和正義牧師
    テーマ:マタイの福音書は旧約時代と新約時代をつなぐ架け橋のような存在
    聖 句:マタイの福音書1章1節

    マタイの福音書は旧約と新約をつないでいます。イスラエル人は四百年間異邦人によって支配され、束縛され、苦しめられたこの圧政から救い出してくれる約束の旧約聖書の中に記されている王なるメシアが来られ、メシア的な国を作り、自分たちを支配してくれることを期待していました。そのような背景の中でマタイの福音書が生まれるのです。マタイは十二弟子の一人ですが、元の仕事は収税人でした。それは犯罪人と同じような立場でした。彼らはローマの手先となって、不当な利益を独り占めにしていたからです。イエス様はそんなマタイに「わたしについて来なさい。」と言われました。マタイはイエス様に従おうという思いがこみ上げ、そしてついて行きました。マタイはイエス様こそが旧約で預言されていたメシアだと伝えましたが、ユダヤ人はイエス様を信じませんでした。彼らは旧約に書かれているこの王なるメシアを待ち望んでいたのは確かですが、大事な苦しみを受けるメシア像は見ていませんでした。私たちのイメージと違っていても、主のなさる事はすべて時にかなって美しいのです。私たちは「主の御名はほむべきかな。」と歩んでいく聖霊の導きを求めていきたいと思います。     
    文責:川村 則之
    参考聖句:マタイ9:9 19:21~22 詩篇23:1 ピリピ3:7~8 イザヤ53:5 ヨブ1:21


  • 2023年2月26日 角和正義牧師
    テーマ: 沈黙の中の導き
    聖 句: マラキ書3章1節

    旧約聖書の最後はマラキ書です。マラキ書はBC420年頃に書かれたものです。3章1節にはバプテスマのヨハネがイエス様のために、道を備えている事が記されています。イエス様がバプテスマを受け、働きを始められたのは、AD26年頃からでした。このBC420年〜AD26年の400年を中間時代と言います。中間時代は沈黙の時代とも言われています。この時代はダニエル書2章31節〜35節に書かれています。その内容はバビロン捕囚についてです。イスラエルが完全に滅び、異邦人の時代が始まる事というものでした。この異邦人の時代は4つの帝国が支配する事になるという巨大な像を用いて示された預言でした。この像の頭はバビロン帝国を表しています。胸と両腕はペルシャを表し、この時代にはクロス王によって神殿が再建されます。そして神様への礼拝のために国に帰還させて下さるのです。腹とももはギリシャの事です。この時代にギリシャ語が世界共通の言葉に確立しました。すねと足はローマを表し、この時代には色々な地方に道路ができました。このような事から、中間時代はイエス様の福音活動を始めるにあたっての土台を備えて下さった時代なのです。私達には神様が沈黙しているように思う時があります。しかし、神様は決して沈黙しているのではなく、常に導き、備えて下さっているのです。そのイエス様を信頼し、歩んでまいりましょう。
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:ルカ3:1~2、2:1 ダニエル2:31~35 使徒17:28 エペソ3:18~19


  • 2023年2月19日  角和正義牧師
    テーマ:苦難をどのように受け止めるべきか
    聖 句:ヨエル書 2章12節 ~ 13節

    世界は地震や争いなどといった苦難に満ち溢れています。私達は様々な苦難を目や耳にしたり、また、自身がそれに襲われることがあります。その苦難に対して、私達はどのように立ち向かい受け止めれば良いのでしょうか。この地上には様々な苦難や患難がありますが、聖書にはそれらに対して勇敢でありなさいと書かれています。聖書は私達のために、神様が書かれた救いの書です。聖書は私達の食物であり、天国への案内書です。苦難をどのように受け止めるかで、それは良い苦難か悪い苦難かに分かれます。苦難の質や内容は同じでも、それをどのように受け止めるかで神様の恵みを存分に受けられるかが変わってきます。私達は弱くて小さな者ですから、世に勝った神様が私達のために平安を与えてくださいます。今はもう世の終わり、主の日がすぐに近付いてきている時代です。主の日とは主の裁きのことです。苦難を受ける側の私達の備えは充分であるか?魂が救われるように神様の恵みの中に加えてもらっているか?苦難をどのように受け止めるかべきか…ヨエルは苦難をプラスに受けとめて神様の言葉を人々に伝えました。私たちも苦難をプラスに受け止めて、私たちの人生の歩みを神様の御心の道に軌道修正していきましょう。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:Ⅱテモテ3:15~16 ヨハネ20:31 16:33 ヨエル1:4、5、8、11、14 詩篇62:8 ヤコブ1:12


  • 2023年2月12日 ベアンテ ボーマン師
    テーマ: イエス様は私たちの弁護士
    聖 句: ヨブ記16章19節~21節 テモテへの手紙 第一 2章5
    ヨブ記は旧約聖書の中でモーセの五書よりも前に書かれた最も古い書物です。ヨブ記の大切な啓示は、神と人との間を取り持って下さる方が、定められていて、その方がイエス様であると言うことです。テモテへの手紙第一の中には、神と人との仲介者は、唯一イエス様である、と明確に記されています。旧約時代での仲介者は大祭司でした。神に対しいけにえを捧げ、人々の罪を許して貰いました。旧約聖書のメシア予言の中で大祭司となられるイエス様のことが記されていますマタイの福音書5章17節で、イエス様は律法を成就するために来られた、とあります。イエス様はご自身を神に捧げ、完全な大祭司となられました。そして今でも天において、神と人との仲介者としてとりなしを行っています。ヨハネがパトモス島で見たイエス様の姿は、足まで垂れた衣をまとい、胸に金の帯を締めている大祭司としての栄光の姿を見ました。旧約時代の大祭司の帯は金色以外に他の色も混ざっていましたが、イエス様の帯は金色だけの完全な大祭司としての姿でした。神は予言者を通して御心を表し、イエス様を人としてこの世に送られました。人々を救うために、神であるイエス様は人としてお生まれになりました。それゆえ、試みも受け、人の弱さもよく理解し、人に同情できる方でした。だから人々は弱いままでイエス様に近づくことができるのです。旧約時代の大祭司は人間なので死んでします。そして次の代に移りますが、イエス様は永遠の方ですから、常にとりなしを行うことができます。ヨブが示した方こそイエス様なのです。私たちが神の前で義人とされているのは、十字架の御業により罪許されたことによるのです。旧約時代の大祭司は年に1度だけ、大祭司しか入れない至聖所において神に近づくことができました。しかしへブル人への手紙10章20節の中で、イエス様はご自身の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために新しい生ける道を開いてくださいました、とあります。人は過去の罪の記憶を消すことができませんが、恵みによりイエス様がすべてを許し、記憶をも消し去ってくれます。聖書は神と人との仲介者はイエス様以外いないということを語っています。文責:片岡 哲郎
    参考聖句:マタイ5:17 27:51 ヘブル4:14~16 7:23~28 10:19~23



  • 2023年2月5日  角和正義 牧師
    テーマ: 安心して行きなさい。
    聖 句: ルカの福音書 7章36節 ~ 38節、5
    この罪深い女は律法によって縛られていた現状の中ではとても救いはないという状況の中で、イエス様が語ったマタイの福音書11章28節の御言葉を聞いたのです。この「わたしから学びなさい。」というイエス様の新しいメシアの律法を聞いて、その学校に彼女は入学しました。 その時に平安がやって来ました。その思いが溢れて、彼女はイエス様の所に飛んで行きました。一方パリサイ人シモンはイエス様は偽物だと既に評価してしまっています。彼は最初からイエス様を下に見ていたようです。彼は客を招いた主人が行う足を洗う、頬に口づけをする、頭に油を塗るといった歓迎の習慣をイエス様にしていません。私たちがイエス様から愛されて、どのようにそれを提供していくかにより、教えてくださった方の思いがどのようなものかが明確になっていきます。イエス様のもとに跪き、祈り、求めていく時に、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」という確信の保証を主御自身がしてくださるのです。私たちに大切なことは絶えず主の御前に近づいて行くこと(再献身)です。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ルカ7:44 マタイ23:25~26 11:2~3 ルカ7:18~19 マタイ11:28 ヨハネ13:34 ルカ7:39 マタイ11:29~30 ルカ7:35 7:48~50


  • 2023年1月29日 上迫和清長老
    テーマ:約束された方は真実な方(信仰の継承)
    聖 句:ヘブル人への手紙 11章8節 ~ 13節

    アブラハムはカルデヤのウルに住んでいました。その時代にはノアの息子セムも生きており、セムから神様の話を聞き純粋な信仰を受け継いでいました。だからどこに行くか知らなくてもアブラハムは約束して下さった方を真実な方と考えたので出発して行ったのです。また、約束を疑うことなくイサクを捧げようとしました。約束に対する信仰はアブラハムからイサク、ヤコブへと引き継がれて行きました。失敗も悩みもありましたが、約束をして下さった方は真実な方と強い信仰がありました。鶴見純福音教会も宣教師の信仰が引き継がれています。神様に従うことは自分を捨てることでもあります。全て委ねなくてはならないことは時に過酷です。どうやるのか解らなくても、信じて従うのです。約束して下さった方は真実な方ですから私たちは動揺しないでしっかりと希望を告白し続けようではありませんか。
    文責:小原 照代
    参考聖句:創世記11:10~11、26 ヘブル10:23


  • 2023年1月22日  角和正義牧師
    テーマ:優先順位の逆転
    聖 句:ハガイ書1章4節

    ハガイ書はバビロンの捕囚後の帰還をする時に書かれた預言書になります。エルサレムに帰還した民は、神殿の再建にとりかかります。しかし、周囲の妨害があり再建が止まってしまい、民は目的を見失ってしまいます。そして、神殿の再建という本来の目的ではなく自分たちの生活の為に生きるようになり優先順位が逆転してしまいました。マルコ福音書4章には、イエス様が弟子達と共に船に乗り岸を渡ろうとします。すると突然、突風が起こり弟子たちは困惑します。弟子達は恐怖におびえていました。しかしイエス様は主の守りを信じて休んでおられました。この事は、私達も問題の嵐の中でも平安を持ち、乗り越える事ができることを表しています。自分の経験や常識に目を向けると怖くなり、優先順位が逆転します。ペテロの手紙第一5章7節に「あなたの思い煩いを、いっさい神に委ねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」とあります。イエス様に全てを任せ委ねることが大切です。私達が神を第一優先するならば、必要なものが与えられ祝福され導かれていきます。神様を信頼していきましょう。 文責:吉田 恵子
    参考聖句:ハガイ1:6 申命記28:15 マルコ4:35~41 Ⅰペテロ5:7 ハガイ2:8~9、18,19 マタイ6:33



  • 2023年1月15日 角和正義牧師
    テーマ: 神様、感謝します。
    聖 句: 詩篇136篇1節~3節 26節

    「感」とは心が強く動くことです。「謝」とは言葉を発する、相手に何がしかの意志を伝えることです。つまり「感謝」とはその有り難いという気持ちを伝える言葉です。問題が起きた際には、その問題の先に居られる主に目を向けるべきです。神様は必ず解決の糸口をお授けになり、幸せとへ導いてくださいます。信仰生活に必要な条件に、
    1、聖書を読むこと〜霊的な食事  2、祈る〜霊的な呼吸
    3、証し〜霊的な運動       4、教会生活〜霊的な交流(家庭)
    2つめの「祈る」中に「感謝」があります。感謝は人生において、神の存在を見つける的確な方法の一つです。感謝するとは祈りによって、目標を目指して、想いを伝えることです。 神様を知って、見て、祈ることに通じていきます。人が作ったものでこの世は溢れていますが、それは全て人の為に益になるものです。神が作られた私達は神の為に生き、そして、神の元に帰っていきます。感謝する時、そこに主は居られます。イエス様を見ることができます。「神様、感謝します」「イエス様ありがとうございます」いつも心の内に繰り返していきましょう。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:詩篇121:1~2 ピリピ4:6


  • 2023年1月8日 角和正義牧師
    テーマ: 油断しないために
    聖 句: エペソ人への手紙 5章14節 ~ 20節

    本日のメッセージタイトルは「油断しないために」です。今年のテーマである福音を述べ伝えるには油断しないことが重要です。さて油断しないためには何が重要でしょうか。パウロが第3回伝道旅行でアジアの諸教会であるエペソを訪れ3年間にわたり活動を行っていました。その後ローマでの獄中においてエペソの教会を励ますために書いた手紙の中に、福音を述べ伝えるための原理、原則が書かれています。前半は教理的な部分で原理、原則が明記されています。後半は実践的な部分です。重要な事は原理、原則を理解していないと伝道活動に対し途中でつらくなりやめてしまうことになります。私たちはしっかりこの原理、原則を理解することが重要です。パウロはエペソ人への手紙の中で自分が経験した苦難と祝福について、「天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」と最大限の表現で伝えています。最大の祝福は我々のすべての罪を十字架の御業で買い取ってくれたことです。イエス様を信じるならば受け取れるこの良い知らせを伝えるため油断しない対策は四つあります。①常に目を覚ましていること ②行動を継続すること ③機会を生かすこと ④御霊に満たされることです。私たち教会員はこのことを理解し福音を述べ伝える者と成りましょう。
    文責:片岡 哲郎
    参考聖句:Ⅱテモテ2:3~6 エペソ1:3 黙示3:6、18 詩篇23:3 コロサイ4:5


  • 2023年1月1日  角和正義牧師
    テーマ: 良い知らせを伝える足
    聖 句: ローマ人への手紙10章13節 ~ 15節

    福音を宣べ伝えるというテーマが今年与えられました。ローマ人への手紙10章14節には「聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。」とあります。15節には「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」とあります。神様は真実の姿を見せるためにしばらく闇の中を通らせることがあります。角和正毅牧師は生前、お父さんがその奥さんがガス中毒になり、人生の闇を通りましたが、主に癒されたという奇跡を体験したことで、自分の罪を悔い改め、救われた話をよくしていました。使徒パウロはユダヤ教の中では超エリートな存在でしたが、彼はイエス様についてはあまりよく知らずに、イエス様を憎んでいました。しかし彼はイエス様に出会い、迫害者から宣教師になりました。イエス様を知れば知るほど、その素晴らしさに気付き、今まで持っていたものをキリストのゆえに損と思うようになったと言っています。(ピリピ人3:7,8)彼の生涯は変えられて、イエス様のことを伝えなければならないというように導かれていきました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)私たちの身近な方々に良い知らせを伝える者となってまいりましょう。                
    文責:川村 則之
    参考聖句:Ⅱコリント4:17 ヨハネ3:16 ローマ10:15 Ⅰ列王記18:46 使徒9:11 16:31 Ⅰコリント8:2 詩篇34:18 ピリピ3:7、8 


  • 2022年 12月25日  角和正義牧師
    テーマ: すべての人を照らすまことの光
    聖 句: ヨハネの福音書1章9節

    今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれなりました。この方こそ主キリストです。(ルカの福音書2章)とあるようにクリスマスは、救い主であるイエス・キリストの誕生日です。そして、イエス様はまことの光でもあります。被造物である太陽の光には、①丈夫な骨、歯を作る事➁免疫力をアップさせる③朝、太陽に当たると体内時計がリセットされ、生活リズムが整うなどの効能があります。しかし、これは、不変の物ではありません。まことの光は、混じり気の無い完全な不変の光です。いつまでもその状態が変わらない物です。そのお方がイエス様です。創世記3章には、神様との約束を破ってしまったアダムとエバの事が書かれています。約束を破り、罪を犯してしまった2人は神様の御顔を避けて身を隠しました。そのような2人に神様は呼びかけるのです。ここから分かるように、神様の方から罪深い人間を探し、救おうされているのです。イエス様も失われた人を探して救うために、このクリスマスにお生まれになって下さいました。 イザヤ49章6節の「わたしはあなたを国々の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」とあります。その光こそイエス様なのです。このクリスマスにまことの光として、この世に来て下さった救い主イエス様のご降誕を感謝してまいりましょう。   
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:ヨハネ1:5 創世記2:16~17、3:6~9 イザヤ49:6


  • 2022年12月18日  志賀孝作長老
    テーマ: パリサイ人の祈りと取税人の祈り
    聖 句: ルカの福音書18章9節 ~ 14節

    主の前に祈る時、どのような姿勢で祈っていますか?取税人は、自分と神様との間の祈りに徹しています。対して、パリサイ人のそれは、まるで自分の信仰をあたかも自慢するような態度です。自分が罪赦された存在であることを自覚することもなく、神様の前に肉の想いによってのみ祈ります。神様は御前にて身を低くする者を引き上げて下さいます。私達が祈る際には、何処を、何を見て祈っているのか、顧みることが大切です。クリスチャンとはキリストに倣う者です。自分が罪人であることを自覚し、一切の混ぜ物をせずに素直に感謝の祈りを捧げることで神様と一致することが出来ます。
    忙しさやゆとりの無さなどから、いつの間にか主を置き去りにしてはいないでしょうか。知らずの内に他を裁いてはいないでしょうか。それが出来るのは天のお父様ただお一人です。祈りの時と心を和していく。主であり、師であるイエス様に見倣っていくことが信仰生活の基本であり、初めの一歩です。純粋な感謝が前面にあり、主の御跡を追うものである信仰生活を送りたいものです。                   
    文責 仲平 滋
    参考聖句:ヨハネ13:5~10


  • 2022年12月11日 川口 芳一長老
    テーマ: 初めの愛
    聖 句: 黙示録2章1節 ~ 5節

    今日は初めの愛という事で御言葉をみて行きたいと思います。この黙示録は使徒ヨハネがパトモス島に流されて、神の霊感によって書いたものです。エペソの人々は2章2~3節では褒められています。しかし、4節ではイエス様の愛からさめてしまったようです。エペソはパウロが第三回目の伝道旅行で、伝道した教会でした。当時のエペソはアジアの中心でも有り、偶像礼拝の中心、そこにはアルテミスの神殿が有り、ギリシャのパルテノン神殿の3倍もの大きさでした。パウロは3年間伝道をしたと、使徒の働きには書いてあります。そこでは、素晴らしい主の働きがなされました。病人が癒され、悪霊も出て行きました。エペソで大きなリバイバルが起こりましたが、サタンも黙ってはいません。神殿で商売をしていた人たちから騒動が起こりました。華やかさと裏腹に霊的には暗いところでした。使徒の働き20章16節~38節でパウロはエペソの教会の長老たちへ最後の説教をなさいました。パウロはエペソの人々を愛し、誠心誠意イエス様の言葉を余すことなく伝えました。パウロは走るべき行程を走りぬき、イエス様から戴いためぐみを余すことなく宣べ伝えました。イエス様が求めているのは、イエスを愛する事です。初めの愛に立ち返ることが必要です。愛は御霊の実の現われの一つですが、私達は意識してその実を結ぶのです。日々御霊に従い、充たされることが必要です。イエス様に自分を明け渡し、祈ることによって可能になります。マザーテレサもどれだけイエス様を愛したかが重要だと言っています。
    文責:志賀 孝作
    参考聖句:使徒19:8~12、18、19 20:16~38 ガラテヤ2:20 
    Ⅰコリント11:22 13:13 ヨハネ14:12 


  • 2022年12月4日  角和正義牧師
    テーマ: 神は、夏と冬を造られた。
    聖 句: 詩篇74篇17節

    今日は冬の間に備えるべき重要な事があるということを見ていきたいと思います。冬の時期に何をしたかで収穫の時に良い収穫ができるかどうかがはっきりするということを私は教わりました。苦難に会うと心底神様を求めて祈ります。問題と困難の中にあってどうすることもできない場合、私たちは神様のもとにひざまずくようになります。イエス様のゲッセマネの祈りはこの究極的な祈りです。人々を生かし、人々の病を癒し、力を与えて希望を与えてこられたイエス様が「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。」と叫んでいるのです。それは天の父なる神様と子の関係が断たれるからです。イエス様にはそれが一番の悲しみ、苦しみでした。祈っている人の姿を見たとき、神様はそのままにしてはおきません。「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。」(新改訳聖書第3版 詩篇50:15)という約束があります。主の前にひざまずいて祈る姿は何物にも代えがたい尊い人の姿です。冬の寒さの中で求められているのは、主のもとに祈ることだということを皆さんに覚えていただきたいのです。 
    文責:川村 則之
    参考聖句:詩篇50:15 マタイ26:38 ルカ22:41~45 Ⅰペテロ2:2 Ⅱテモテ3:16~17



  • 2022年11月27日  小村誠志郎長老
    テーマ: 主の御恵みは、とこしえに
    聖 句: 詩篇89篇1節 ~ 4節

    詩篇89篇はエズラフ人のエタンが書いたものです。エタンは、ダビデやソロモン時代に活躍した人でした。主に奉仕する事や聖歌隊として用いられていました。「わたしは、わたしの選んだ者と契約を結び、わたしのしもべダビデに誓う。わたしは、あなたの末をとこしえまでも堅く立て、あなたの王座を代々限りなく打ち立てる。」とエタンは書いています。ここで書かれているように、イエス様はダビデの子孫として生まれてくる事が約束されています。また、他にも「それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」のイザヤ書7章14節や「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」ミカ書5章2節にもイエス様のご降誕の事が書かれています。マタイの福音書1章1節〜ヨセフの家系とルカ福音書3章23節〜マリアの家系の系図を見てもダビデの名前があります。このようにイエス様がダビデの子孫として救い主となって、このクリスマスに人としてお生まれになることが旧約聖書には約束されていました。この救いのご計画が新約聖書に繋がっています。このアドベントの時に、もう一度、聖書を読み、イエス様に感謝してまいりましょう。  文責:吉田 愛子
    参考聖句:Ⅰ歴代誌6:44、15:19、4:29~31 Ⅰテモテ3:16~18 
    創世記3:15 イザヤ7:14 ミカ5:2 マタイ1:1~17 ルカ3:23~38

  • 2022年11月20日   角和 正義牧師
    テーマ: 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
    聖 句:伝道者の書 3章11節

    神様は私達に永遠を思う思いを与えられました。永遠とはいつまでも果てしなく続くことですが、不完全で有限な私達にはその想いを成し遂げることが出来ません。時と永遠を司っておられる神様に、ただただおすがりするしかありません。神様が私達に何かをなさろうと働かれる時には、サタンも働きます。サタンの働きは一見穏やかで平穏なものに見えます。弱くて愚かな私達はそのサタンの誘惑に抗う術もなく、盲目的に従いがちです。しかし、神様の行う御業は全て「時」にかなっています。主は世の終わりまで私達と共に居てくださり、いつも私達を見守っていてくださいます。神様だけが始めから終わりまでを見ていて、私達に最善のタイミングで物事を示唆されます。信じて祈り求める者には何でも叶えてくださいます。祈る際には奇跡を信じて、期待して祈りましょう。限りのある私達は、ここで終わりだ、駄目だと諦めてしまいがちですが、全能の神様は私達をお見捨てにはなりません。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:詩篇50:15 マタイ21:22 7:7~8


  • 2022年11月13日 上迫和清長老
    テーマ: 神は細部に宿る。
    聖 句: 使徒の働き 17章28節

    本日のメッセージタイトルは、ある有名なドイツ人建築家の言葉です。これは仕事における心構えとして、細部をいい加減にせず、誠心誠意をもって事にあたらなければ、いい仕事はできないという意味で使われます。天地万物を創造された唯一無二の絶対的な神は、これらを瞬時に創造されたのではなく、七日間かかって細部に至るまで丁寧に創造された建築家です。同様にもし私たちがイエス様を通して神と共に歩むなら、神は私たちの人生を細部に至るまで導き、築き上げる建築家と成って下さいます。
     パウロがギリシャのアテネに伝道した当時、町中が偶像だらけでした。しかし世の偶像は実際にはいません。唯一の神以外に神は存在しません。また唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、私たちも含めてすべてのものがこの主イエス様によって存在しているのです。私たち一人一人の全存在が神の前に、さらけ出されています。生まれた時に既に、自分の人生のすべてが神の書物に書かれています。私たちはこの神に対して弁明しなければいけません。一度死ぬことと死後、裁かれるからです。しかし、主イエス様を救い主として受け入れるならば、神の書物は、裁きの書から命の書と成り、天国の住民となれます。そして地上では自分の体が聖霊の住む神社と成るので、自分の体で神の栄光を現すために、つぶやくことなく、日々の出来事の中で自分の人生を神に委ね、感謝し、賛美して行きましょう。                    文責:志賀 孝作
    参考聖句:使徒17:28~30 詩篇121:1~4 139:1~6、16 
    箴言3:5~6 Ⅰヨハネ1:9 伝道5:20


  • 2022年11月6日  角和正義 牧師
    テーマ: 謙遜と従順
    聖 句: 列王記 第二 5章14節
    メッセンジャー: 角和 正義 牧師
    アラムの王の軍の長であったナアマンは地位もあり名誉もあり尊敬されていた勇士したが、ツァラアトに冒されていました。一人の娘がイスラエルから捕らえられて来てナアマンの妻に仕えていました。彼女はナアマンがサマリアにいる預言者の所に行けば、彼のツァラアトを治してくれるでしょうと主人に言いました。彼女が「サマリアの預言者の所に行ったら」と言ったのですが、ナアマンは自分の常識に従って行動し、イスラエルの王の怒りを買うことになります。ナアマンは預言者エリシャの家に来ましたが、エリシャは出て来ないで使者を遣わして、「ヨルダン川へ行って、七回身を洗いなさい。」と言いました。ナアマンは激怒して去りました。高慢が私たちの心に芽を出すときに神の言葉は見えなくなります。しかし彼のしもべたちの助言に従って、ヨルダン川に七回身を浸すと、彼の体は清められました。遜って神の言葉を受け取っていく時、霊的に内側が祝福され他の必要も満たされていきます。ナアマンは異邦人を代表しています。イスラエルからの少女が福音を伝えることにより、この異邦人が癒され、救われていくという絵がここに描かれています。神の前にへりくだり全てを委ねてまいりましょう。
    文責:川村 則之
    参考聖句:列王記5:1~3、6,7 4:7~8、10 ルカ4:27 
    Ⅰペテロ5:6~7


  • 2022年10月30日  角和 正義 牧師
    テーマ: わたしは・・・あなたを自由に愛する。
    聖 句: ホセア書14章4節

    喜びを持って彼らを愛する。の「喜び」とはヘブル語で自発的な、邪魔されずに、自由な意志で、という意味が含まれています。神様はわたしたちを先に愛して、恵みを注いで下さっているのです。その愛に条件を付けるのはわたしたちの方です。恵みを受けるために条件は無いのです。一方的な神様からの愛があるのです。ホセア書は不変不滅の愛が書かれています。イスラエルは神様を裏切り背きましたがそれでも神様は愛されました。わたしたちも罪深い者ですが、神様が代価を払って買い取られたのです。神様はわたしたちを導くために誰かを送って下さいます。救われたわたしたちは次は誰かのために神様に導かれ従う者になりましょう。                    文責:小原 照代
    参考聖句:ローマ5:8 ホセア1:2、3:1~3 Ⅰコリント6:20 エペソ3:18~19
  • 2022年10月23日  角和正義 牧師
    テーマ: あなたは、どんな種類の種を蒔いていますか?
    聖 句: ガラテヤ人への手紙6章7節 ~ 9節

    聖書には、「人は種を蒔けば刈り取りもすることになります。」と書いてあります。人は心の中で、肉と御霊の霊的な戦いが起こっています。肉の実は悪、破壊、自己中心的、永遠の滅びなどがあり、それに対して御霊の実は、善、聖なるもの、献身的、永遠の命などです。神に近づくほど、世の中との葛藤が起こるのです。罪の報酬は死です。深刻な神の裁きが近づいてきている今の時代には、神の前に悔い改める事が大切です。ヨエル書2章には、衣ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。とあります。悔い改める事とは、神の前に心を向け立ち返る事です。聖書には、遊女ラハブの悔い改めが書かれています。ラハブは、エリコを偵察に来た2人のイスラエル人をかくまい、助けてあげました。それは、この事が神の御計画だと信じて悔い改めたからです。神様の前に悔い改めて信仰を表すならば、神様はその人を救って下さいます。そして、神様はラハブの願いも聞き、ラハブの家族をも救って下さったのです。ラハブは家族を愛していました。最高の愛とは神様の裁きから救いへと導く事です。失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取る事となるのです。
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:ローマ6:23 ヨエル2:12~13 ヘブル11:31 
    ヨシュア2:10~13、18、21 6:25 ガラテヤ6:9


  • 2022年10月16日  志賀孝作長老
    テーマ: 成長させるのは神です。
    聖 句: コリント人への手紙 第一 3章6節

    パウロはコリント人への手紙の中で、「パウロが植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」と書いています。コリントは多くの人種、民族の住む商業の盛んな国際都市でした。コリントの人達もいつしか偶像崇拝の街へと変貌していきました。教会員達も、色々な状況下にあって、避けては通れないこともありますが、そこに目と心を奪われていると、真の道が見えなくなり、迷い込んでしまうことがあります。信仰のスタートは、自分自身と神様との間に何人も入り込まない、入り込めない関係でありました。何時しか私達はイエス様から眼が離れ、よそ見をしてしまいます。そして、それに気付かないままにイエス様から段々離れてしまい、この世の流れに流されてしまいます。ふと我に返り、悔い改めて神に立ち返るのです。信仰を成長されて下さるのは神様なのです。イエス様の為に祈り、感謝をし、主の為に奉仕をする時に私達の心に喜びが溢れ出します。信仰の創始者であり、完成者であるイエス様から目を離さずに、いつも見上げていきましょう。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:Ⅰコリント1章、2章 Ⅰコリント11:28



  • 2022年10月9日  川口芳一長老
    テーマ: 天からのマナ
    聖 句: 出エジプト記16章13節 ~ 18節

    天からのマナ、神様が与えて下さった食物についてみて行きたいと思います。イスラエルの人々はエジプトに430年、過酷な奴隷生活を送ってきました。モーセに導かれて、エジプトから解放されますが、最初の試練は紅海が前に立ちはだかり、後ろにはエジプト兵が迫っていました。しかし、モーセに命じて神様は、紅海を分けてイスラエルの民を乾いた地を渡らせました。出エジプト記15章2節、11節では、大いに神様を褒めたたえていますが、3日経つと渇きのために、モーセにつぶやきました。また、エジプトを出て、一ヶ月経つと食物が無くなり、モーセとアロンに不平を言い出しました。紅海を渡るという素晴らしい奇跡を体験した民でしたが、一ヶ月も経つと2度目のつぶやきをしました。人間の弱さが表れています。どんなに恵まれた生活をしていても、試練や困難に会うとき、心が揺さぶられ、めぐみを忘れ信仰が試されます。信仰生活に試みは必ず来るわけですがどう受け入れ向き合っていくかが肝心です。イスラエルの民は飢え死にしそうだとつぶやきましたが、申命記8章2節で民がつぶやく前にマナを持って養うとの御計画がありました。マナは朝早く集めなければ成りませんでした。それは毎日主に頼り従う事を学ぶためでした。主に信頼して歩むことでした。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつの言葉によって生きる。」事を学ぶ必要があったのです。マナはイエス様ご自身であり、受け入れる時心は満たされ、心の渇きは癒されます。マナを毎日集める事とは、毎日聖書を読み、祈ることです。
    文責:志賀 孝作
    参考聖句:出エジプト5:2、11 16:2~4 申命記8:2 ヨハネ6:32~35


  • 2022年10月2日  角和 正義牧師
    テーマ: とりなす者
    聖 句: イザヤ書59章16節

    今私たちが生きている新約の時代は、誰かのためにとりなそうとすると、助け主なる聖霊様も皆さんの祈りを助けて導いてくれるという約束がある恵みの時代です。「とりなす者がいないことに唖然とされた。」このことは私たちに何を教えているのでしょうか。助け主なる聖霊様が共にいて、私たちの祈りを助け導き、とりなす祝福を与えてくださる神様がいらっしゃるのに、もし私たちがとりなしをしてないなら、神様は唖然とされたというよりも、悲しまれたと言うほうが適切なのかもしれません(イザヤ59:16)。万物の終わりが近づいた今(Ⅰペテロ4:7)、主はとりなす者を起こそうとしておられます。滅びようとしている魂の為に祈るとりなし者を起こそうとしています。皆さんはいつも祈っているでしょうが、神様はさらに強く強く迫ってくるはずです。皆さんの中に何かぽっと火が点いたときに、是非それを消さずに祈ってください。必ず主がそのことを通して回復へと導くと約束されておられるのでそれを用いてください。必ず主の祝福が現わされていきます。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ローマ8:26 マタイ13:54~58 21:19、21,22 
    エレミヤ29:1、4,7,10 12~14 Ⅰペテロ4:7



  • 2022年9月25日 小村 誠志郎 長老
    テーマ: イエス様の証人
    聖 句: 使徒の働き 1章8節

    私達の一人一人がイエス様の証人となり、福音を伝えていく事はとても大切です。福音とは、イエス様が私達の罪のために死なれた事、葬られたこと、そして三日目に蘇られたことです。イエス様は、全て事を聖霊様と共に成し遂げられました。色々な誘惑のある中で聖霊様に満たされていくならば、私達も自分の心を聖霊様が制御して下さいます。聖霊様は御言葉に合った生き方をさせれて下さり、私達を聖霊の宮として整えて下さいます。小村長老もイエス様を信じて、生き方が変えられていきました。お酒・タバコの誘惑にも、聖霊様の力によって止める事ができました。この終わりの時代に、度々、聖霊様の事が否定されています。しかし、エペソ4章にもあるように神の聖霊を悲しませてはいけません。神様は、一人一人を愛し、祝福して下さっています。御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。聖霊様に満たされて祈っていくならば、恵みが与えられます。私達はイエス様を目で見る事はできません。でも、聖霊様の深い理解力が与えられて、信じることができました。聖霊様が信仰も引き上げて下さるのです。私達は聖霊様にいつも満たして頂いて祈ってまいりましょう。そして、周りの方々に福音を伝えてまいりましょう。                 文責:吉田 恵子
    参考聖句:Ⅰコリント15:3~4 ヨハネ14:16~17、26 
    マタイ10:20 エペソ4:30 ガラテヤ5:22


  • 2022年9月18日 角和 正義 牧師
    テーマ: 他の人のことも顧みなさい。
    聖 句: ピリピ人への手紙 2章4節 ~ 5節

    ペテロが三度、イエス様を知らないと答えた時にイエス様は慈愛に満ちた優しい眼差しで彼を見つめられました。イエス様はペテロのことを顧みられました。顧みるとは心に掛け、気に掛けること〜つまり、心に留めて考えることです。困難にあっても、信仰を持って耐えていかなくてはならないことがあります。私達には神様の恵みによって、その力が与えられています。福音が与えられ、それを信じているからです。
    福音とは、1、イエス様が私達の罪の為に死なれたこと。2、葬られたこと(本当に、確実に死なれたこと)3、死なれて三日目に蘇られたこと。
    私達には救いの確信の御言葉があります。心で信じて義と認められ、口で告白することで救われます。日常生活の中で『証』をしていくことはとても大切です。あの人、この人の為に…と祈る時、神様の大いなる恵みが私達に訪れます。他の人のことも顧みて、神様のご愛を受け取りましょう。神様の栄光の癒しにあずかれます。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:Ⅰコリント15:3~4 ローマ10:9~10 ピリピ2:4~5 マタイ20:28 マルコ2:1~12 ローマ5:12 Ⅰコリント9:22~23


  • 2022年9月11日 上迫和清長老
    テーマ: 揺れ動く地に立ちて
    聖 句: 詩篇46篇 1節 ~ 3節

    今日のテーマに関する曲は、聖歌397番「遠き国や」です。この曲を作詞・作曲された方は、J・V・マーチンという宣教師で、関東大震災の日、明治学院のグラウンドに悲しみながら集まった被災者に配られたろうそくの光が、蚊帳を通して希望の光を与える十字架のように見えたところからこの曲が生まれました。21年前の今日、アメリカで同時多発テロ事件が起こりました。災難がいつ起きるか、明日のことは誰にもわかりません。揺れ動く地に立ちて、どうしたら、確固とした人生の目的をもって、希望を抱いて生きていけるかが問われます。2年前のコロナパンデミックが起きてから、明らかに世界は節目が変わり、飢餓、地震、戦争、偽キリストの出現等、イエス様の預言された御再臨前の終末時代の様相を日に日に強めています。この揺れ動く時代の中にあって、私たちが指針となる聖書の御言葉を2つ紹介します。1つめは心を騒がせずに神を信じ、またイエス様を信じること。2つめは、今がどのような時であるか知っているから眠りからさめて、主の御再臨という救いの完成が近づいているので、光の武具を身に着けるべきことです。私たちの光はたとえ小さくても、周りが暗くなれば、それだけ明るく輝くことができます。そしてその光は、何事にも動じない土台であるイエス様からいただくことができるのです。
    文責:志賀 孝作
    参考聖句:マタイ24:3~8  ルカ21:11  詩篇50:15  ヨハネ14:1  ローマ13:11~12


  • 2022年9月4日  角和正義牧師
    テーマ: あかしをする(伝道)
    聖 句: マルコの福音書16章15節

    私たちの霊性が成長するには1.聖書を読む。2.祈る。3.あかしをする。4.教会生活を持っていく。という4つ栄養が必要であると以前お伝えしました。今日は、3番目の「あかしをする」ということについてお話ししたいと思います。「あかしをする」とは「証言する」ということです。それは神様によって私になされた救いのみわざを人に伝えることです。あかしをすることは霊的運動です。あかしをすることによって私たちの霊が活性化されるのです。私たちが生きている理由はあかしのためです。あなたがいる所であかしの思いを持って、祈りの思いを持って立っているならば、主は喜び、祝福してくださるということをぜひ覚えてください。また、あかしの大きな目的は滅びゆく人々が救いに導かれることを願うことです。ラハブが家の中に身内の者たちを導いたように、またそこに赤いひもがあったように(ヨシュア記2:1~18)、私たちもイエス様のもとに人々を招いていかなければなりません。この赤いひもは新約においてはイエス様の十字架の血潮です。一人一人が主イエス様の血によって清められる必要があります。
    文責:川村 則之
    参考聖句:ローマ6:23 ヨシュア記2:1、11,13,18 ヘブル11:31 マタイ1:5 


  • 2022年8月28日  志賀孝作長老
    テーマ: 岩の上に家をたてる。
    聖 句: マタイの福音書7章24節

    今年は日本では、各地で大雨が降り、東北地方ではりんごの実が水をかぶったり、九州地方では川が氾濫しました。多くのニュースの中でも家が流されたり、崖崩れの映像には心が痛みました。今日の聖書箇所の岩の上に家を建てる事は、このような災害からも守られる事です。外見からも岩地にしっかり立っている家と、砂地に建っている家では区別ができます。マタイの福音書16章18節に教会の基礎となった石が出てきます。私達のプロテスタントでは、この岩はイエス様であると信じています。私達の信仰の土台は、この岩つまりイエス様です。この土台がしっかりしていて、流されなければ、災害からも逃れる事ができるのです。今多くの事で私達は教えの風の中に置かれているかもしれません。しかし、イエス様という土台をしっかりと持っているならば、この風に流される事はありません。視点がしっかり定まっているなら、右にも左にもそれないのです。4福音書の中で、特にこのマタイの福音書はイエス様がメシヤである観点から書かれていると言われています。5章~7章は山上の説教と言われ、7章の最初から兄弟を裁くなということや、祈りの事、狭い門から入りなさい、偽善者に注意しなさい、と続いて24節での岩に続いています。岩の上に建てた家、つまり山上の説教で教えられた事を実行しなければキリスト者と自称する事は無益であると言っています。
    Ⅰペテロ2章6節にもあるように、私達は、イエス様という巨岩の上にしっかりと家を建てる者でありましょう。教えの風にもて遊ばれる事なく、この世の流れにも流されない信仰者でありましょう。 
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:マタイ16:18 Ⅰペテロ2:6 



  • 2022年8月21日 角和正義牧師
    テーマ: 渇き
    聖 句: 詩篇42篇1節 ~ 2節

    コロナ禍において、私達は真の神様との出逢いを渇望しています。共に集まり、心を一つにして神様を賛美し礼拝出来ることは大いなる、素晴らしい恵みです。渇望とは、喉が渇いた時に水を求めるように心から満たされることを望むことです。肉体的な渇きばかりではなく、霊的な渇きは私達クリスチャンにとっては信仰の死をも意味します。人体にとって、水はとても大切です。意識してそれを摂らねばなりません。クリスチャンには心的にも神様のご臨在を望んで飢え渇く恵みが与えられています。世の中には神様の御声から私達の耳を塞ぐ力がはびこっています。御言葉から私達を遠ざけてしまおうとする邪悪な力があります。そればかりではなく、私達の心でも「なぜ私をお忘れになったのですか」と叫んでしまうことがあります。けれども、そのとき思い出してください。私達が神様を求める前に、神様が先に私たちを愛してくださったことを(Ⅰヨハネ4:19)。この愛にとどまり神様を待ち望んでいきましょう(詩篇42:11)。    
    文責 仲平 滋
    参考聖句:マルコ4:19 Ⅰヨハネ4:19 詩篇42:9~10 42:11



  • 2022年8月14日 川口芳一長老
    テーマ: アブラハムとイサク
    聖 句: 創世記 22章1節 ~ 3節

    この創世記22章の冒頭に神はアブラハムを試練に合わせられました。神が名前を挙げて試練に合わせたのはアブラハムだけです。創世記11章からアブラハムが登場しますが、ハランでアブラハムに神が示された地に行くように示されました。約束の地に着きましたが、多くの事が有った後、アブラハム100歳の時に待ち望んでいた、イサクが生まれます。この箇所は30~31年後の出来事です。サタンの試みは私たちを打ちのめさせるだけのものですが、神様の試みは最終的には私達の信仰を引き上げ、神様により近づくものとして下さいます。創世記22章2節で神様は「イサクを捧げなさい。」とおっしゃいました。アブラハムの愛が神様よりイサクに移っていたのかもしれません。3節では、アブラハムの心中は穏やかではなかったとは思いますが、信仰のいただきに到達しました。それは復活の信仰でした。イサクがもし死んだとしても神様は復活させて下さるという信仰の頂に達したのです。信仰の要と成るものです。イサクは全焼の捧げもののための薪を背負いましたが、イエス様は自分が架かる十字架を背負いました。イエス様はゲッセマネの園で祈りを捧げましたが、天の神様はもっと苦しまれました。創世記22章12節で、アブラハムは神様の試験に合格しました。自分に与えられたものは全て神様からのものであるという信仰が礼拝です。礼拝に出る時神様への感謝、喜びがあふれるのです。
    文責:志賀 孝作
    参考聖句:ローマ4:24 Ⅰコリント15:13~14 イザヤ53:7~8 ヨハネ13章~17章 4:23~24


  • 2022年8月7日 角和 正義 牧師
    テーマ 主の教えを口ずさむ
    聖句: 詩篇 1篇 1節~3節

    イエス様を信じた時に与えられた新しい霊のいのちが神様からの栄養をいただいて成長するにはいくつかの方法があります。そのうちの四つを示すと、①聖書を読むこと②祈ること。③証しをすること④交わること、つまり教会生活を持っていくことです。聖書の言葉を口ずさんで、その心の深みにまで持っていく時に私たちの生活の中にいつの間にか必要な栄養が注がれ、私たちの霊のいのちが強められて力強く歩むことができるようになります。神様の前に飢え渇いて、聖書の言葉を深く深く私たちが思い巡らせていく時に、その中に湧き上がってくるいのちの水を私たちは汲み出すことができます。私たちはこの飽食の時代に飢饉ということは想像つかないかもしれません。けれども私たちは聖書の中で一つの飢饉を見なければなりません(アモス8:11)。今、世界中で神の言葉が語り続けられていますが、やがて私たちは聞きたくても聞けない時代が来ます。最後にイエス様の言葉を読みたいと思います。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」(マタイ4:4)
    文責:川村 則之


  • 2022年7月31日  角和正義 牧師
    テーマ:励まし手
    聖 句:使徒の働き 4章36節

    ヨセフはバルナバと言うあだ名で呼ばれていました。励ましの子、慰めの子という意味です。あだ名はその人の性質、行動などの特徴を表します。バルナバは初代教会時代、異邦人宣教にとっても重要な役割をしました。パウロ(サウロ)はユダヤ教パリサイ派に属し律法を重んじていました。正しいと信じ、クリスチャンを迫害していましたがダマスコで神様に会い、今までと反対に「イエス様こそ神の子です。」と宣教し始めました。神様は時折特別な方法で人生に直接アプローチするのです。パウロはバルナバの執り成しで使徒たちと交流出来るようになり、新約聖書に13の手紙を残しました。バルナバの励ましは大きな働きを動かしたのです。バルナバの従弟のマルコ(ヨハネ)はパウロの第一回目の伝道旅行に同行しましたが、二回目はパウロに反対され二手に別れることとなりました。バルナバはマルコが孤独を感じる時に寄り添ってくれました。その後、第二テモテ4章11節ではパウロは「マルコを連れてきてと」頼りにしています。イエス様は罪人と共に居てくれました。どのような苦しみの時も私たちを慰めて下さいます。そのため私たちもあらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることが出来るのです。   文責:小原 照代                  
    参考聖句:使徒9:1~20、21、26、28 13:2~13 15:36~40
    マルコ14:50~52 Ⅱテモテ4:11 Ⅱコリント1:4


  • 2022年7月24日  小村誠志郎 長老
    テーマ: 私たちの神、主の心配り
    聖 句: 申命記 4章7節

    神様はイエス様を信じている一人一人に心を配り、大切に思っておられます。申命記には、エジプトから出たイスラエルの民がカナンの地に入る時に12人の偵察隊を出した事が書かれています。その中のカレブとヨシュアはその地は良い地である事を伝えました。ほかの10人は3~4mの巨人がいる危険な所などを伝えました。神様が共にいて下さるという約束にも関わらず、イスラエルの民は怖じ気づいてしまいます。そして、カナンの地に入る事なく、40年荒野をさまよう事となるのです。申命記には、多くの命令が書かれています。礼拝のあり方、捧げ物についてなどです。16章にはレビ人、寡婦、奴隷や孤児、寄留者に捧げ物を分け与える事が書かれています。自分の周りの人たちも幸せにする事は大切です。 また、14章には食べても良い動物が書かれています。その動物達は、神の命令を守ってきた動物達でした。22章には、新しい家を建てる時は屋上に手すりをつけるように書かれています。それは、誰かが誤って落ちてしまわないようにという神様の心配りなのです。私達が愛用している聖書は紙の角が丸くしてありますが、紙で手を切らないようにと神の御言葉を伝えようとする方々の配慮です。18章には、モーセのような一人の預言者を起こして、彼に言葉を授けると書いてあります。その預言者はイエス様です。私達は弱さがあっても失敗をしても神の前に行く事が大切です。神様は私達の近くにいつも共におられ、執り成して下さっておられます。そのイエス様に感謝し、祈ってまいりましょう。
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:申命記14:3 16:1,10~12 12:18 18:18~19 22:8
    創世記1:29~30 ヘブル4:11~16


  • 2022年7月17日 角和正義 牧師
    テーマ: へりくだる
    聖 句: ヨハネの福音書 13章 3節 ~ 5節

    へりくだる…たった五文字の言葉ですが、その難しさはイエス様と行動を共にした、愛弟子とも云われるペテロの数々の言動からも窺い知れます。湖の上を歩いていたペテロはイエス様から目を離した瞬間に水の中に沈みました。最後の晩餐の際には、弟子達は主賓であるイエス様を差し置いて、誰が一番偉いかなどと論議していました。イエス様は席を立ち、腰に手ぬぐいをまとわれ弟子達の足を洗いはじめます。救われた者であっても足は汚れます。悪魔は巧妙な手段によって私達に近付いてきます。聖書を読む時にも、知らずに私達の感覚に合うものを探してしまいます。主の解説なしに読むことによって、時に歪められてしまうことがあります。汚れてしまい、今日の罪を犯すことがあります。愛する御子を私達のために差し出された神様が、その私達のために何もなさらないわけがありません。足を洗うという行いは当時、奴隷の役割でした。イエス様はへりくだり、身をもって私達に教えてくださいました。足を洗う想いを人々に伝えていく。淋しい人、苦しい人、悩んでいる人、悲しい人… 寄り添う心を持ち続ければ神の祝福があり、必ず変化をもたらします。他の人にも神の恵みを分け与えることが出来ます。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:ルカ22:24 12:34 ヘブル12:2 箴言16:25 ローマ5:8
    ヨハネ13:14~15 Ⅰペテロ5:6


  • 2022年7月10日   上迫和清 長老
    テーマ: キリストの香り(ユーオーディア)
    聖 句: コリント人への手紙 第二 2章 14節 ~ 15節

    まず初めに、キリストの香り(ユーオーディア)の源泉は何でしょうか。それは、イエス様の十字架と復活という贖いの御業から生み出されます。イエス様はその芳ばしい香りを生み出すためには、十字架までの激しい苦しみを通らなければなりませんでした。キリストという言葉の意味は「油注がれた者」という意味です。その油から、その香油から、芳ばしい香りが立ち上がります。旧約聖書には、最上の香料として、没薬が登場してきます。没薬は、イエス様の受難と贖いの死を意味します。没薬の採取方法は、木の幹にわざと切り傷を付けると、樹脂を分泌するようになります。苦い没薬から芳ばしい香りが生み出されるには、自らを傷つける必要が有ります。イエス様はその打たれた傷のよって、私たちを癒されました。私たちがイエス様を信じた瞬間、聖霊が内在されるので、キリストの香りの源泉は、信仰者の内側にあります。次にどうしたら、その内側にあるキリストの香りを放つことが出来るでしょうか。第一に、神の言葉に耳を傾けることです。つまり、御言葉を食べることによって、キリストの香りを放つことができます。第二に祈りを通して、キリストの香りを放つことが出来ます。第三に、喜びと賛美を通して、キリストの香りを放つことが出来ます。私たち一人一人、その環境の中で、野の百合の花の香りを放ってゆきましょう。
    文責:志賀 孝作
    参考聖句:エペソ5:2 出エジプト30:23~25 ヨハネ12:1~7 
    詩篇141:2 雅歌7:13 ヘブル13:15 黙示禄2:8~11


  • 2022年7月3日 角和正義 牧師
    テーマ: 礼拝
    聖 句: ネヘミヤ記8章5節 ~ 6節

    ネヘミヤはエルサレムの城壁が崩されたままであることを聞き、彼の取った最初の行動が祈りです。彼は神の前に四箇月間祈り続け、委ねていった時に神はペルシャの王の心を動かして、王の方からネヘミヤに聞いてきます。ネヘミヤは3回目の帰還で城壁の修復のために戻って行き、修復作業は52日間で完成することができました。神の導きの中で事が行われるときそこに神の栄光があらわれます(ネヘミヤ6:16)。祭司エズラは城壁が修復されてから人々の内側をリバイバルしていく働き手として用いられていきました。リバイバルが起こると、私たちの内に御言葉に対する飢え渇きが起こってきます。御言葉を読んでいくうちに私たちの心に罪が示されて、救いを求め始めるのです。神が礼拝で一番関心を持っているのは私たちの心です。「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(1サムエル16:7) 神は私たちの心の霊的な状態を見ています。教会に来て礼拝することだけが私たちの礼拝ではありません。私たちは毎日礼拝をささげることができます。起きた時忙しい一日が始まる前に、忙しい中でも、そして働きを終える時でも。そのために長い時間をとる必要はありません。今から日々の生活の中で礼拝していきましょう。
    文責:川村 則之


  • 2022年6月26日  志賀孝作長老 
    テーマ: わたしにとどまりなさい。
    聖 句: ヨハネの福音書 15章7節

    志賀長老は、先日、白根研修所に青梅の収穫をして来ました。その時の体験をヨハネの福音書15章の御言葉と共に語って頂きました。2節に実を結ばないものは父が刈り込みをなされる事が書かれてあります。それは、実を結ぶものはみなもっと多くの実を結ぶためであるからです。青梅には、小さい物や虫に食われている物、大きく成長した物など様々ありました。この青梅は無農薬であり、ある木はツタが絡まっていた物もありました。ここから学んだことは、同じ梅の木でも千差万別であるということです。私達の信仰生活も皆同じではありません。日常生活や仕事に忙しい方もおられます。それ中でも、私にとどまりなさいと聖書に書かれています。このとどまるという言葉は10節までに12か所出てきます。12という数字は聖書では権威と完璧を表します。私達がイエス様のうちにとどまっていれば実を結ぶ事ができるのです。16節にはイエス様が私達を選んで下さったとあります。それは実を結び、その実が残るためです。時々実を結ばない若枝が伸びてきたら、剪定して頂きましょう。私達は目に見える神ではなく、目に見えない神イエス様を信じているのです。目に見えないものは永遠に続くのです。いつも自分を吟味してみましょう。他人を吟味するのではなく、自分で自分自身を吟味するのです。私達は枝なのですから、木であるイエス様に繋がっていきましょう。そうすれば、いつまでも残る実を結ぶ事ができるのです。                    
    文責:吉田 愛子


  • 2022年6月19日  角和正義牧師
    テーマ:御父の思い
    聖 句:ルカの福音書15章20節

    ルカの福音書には三つの例え話が書かれていますが、そこにただ一つの真理を見つけることができます。失われた一匹の羊、失われた一枚の銀貨。そして、失われた一人の息子の話。失われたものに対して神様はどのように見つけ、愛されるのか。羊飼いとしての御子の働き、家を掃き続ける聖霊様の働き。失われた息子を待つ父親の働きの中に神様の御愛を知ることができます。失われた魂のために三位一体の神様が探し続けてくださいます。放蕩息子は、父の存在はもう要らない、必要な財を貰って出ていきたい…。しかし、私達は神様によって様々なものを与えられました。それは神様のために存在しているものです。あらゆる守りから生かされていることを私達は時に忘れてしまうことはないでしょうか。自由を得たと思って、守りの外に出ていってしまうようなことはありませんか?私達は賛美した直後にでも神様から離れることがあります。それほどに私達は弱くて小さくて愚か者です。けれども、神様は決して私達をお見捨てにはなりません。悔い改めに導かれることは大きな恵みです。放蕩息子がどのような姿かたちに変わろうが父親はいつも待ち、すぐに見つけることができました。これこそが御父の思いです。                    
    文責 仲平 滋
    参考聖句:ローマ8:14 ガラテヤ3:26 ローマ6:23


  • 2022年6月12日  川口芳一 長老
    テーマ:信仰がなくては神に喜ばれることはできません。
    聖 句:ヘブル人への手紙 11章1節 ~ 6節

    福音書の中には、イエス様が人々の信仰の姿勢について関心を持たれていることを見ることが出来ます。ある時は喜ばれたり、また叱責されたりという場面が幾度も出てきます。マタイ14章には湖の上を歩いたペテロの話が有ります。ペテロは湖の上を何歩か歩きましたが、風を見て怖くなり沈みかけ、イエス様に助けられました。イエス様は「なぜ疑うのか」と叱責なさいました。また一方で、マタイ8章の百人隊長の信仰の姿勢に驚かれ、賞賛しています。3つの観点から見て行きましょう。第一は、私達の思いが信仰です。マタイ9:20~22 この女はイエス様の衣に触れることが出来れば、きっと治ると考え、実行したのです。イエス様の奇跡を聞いた時から思い続けていたのでした。イエス様のお言葉は「あなたの思いが信仰と成って治したのです。」とおっしゃいました。しかし、サタンもユダの思いの中に入ってきました。聖書には信仰の大盾で防ぎなさいと有ります。二つ目は私たちの口の告白です。私達が普段話している言葉も告白です。箴言12:4 18:21 私達が話している言葉によっても歩みが左右されるという事です。Ⅰテサロニケ5:16~18 いつも喜んでいる者でありましょう。三つ目は信仰は一歩を踏み出すことです。マタイ13:31~32 17:20 からし種程の信仰でも一歩を取るなら成長すると言っています。イエス様が問うのは、あなたが神の召しに如何に忠実であったかです。どのような働きをしたかでは有りません。おかれている環境で主に忠実なものと成りましょう。                  
    文責:志賀 孝作



  • 2022年6月5日  角和正義牧師
    テーマ:聖霊のバプテスマ
    聖 句:使徒の働き 1章8節

    ヨハネの福音書20章19節以降はイエス様が復活され、弟子たちが鍵を閉めて恐れながら隠れていた部屋に入って来られ「聖霊を受けなさい。」と言って弟子たちに息を吹きかけ聖霊の注ぎをしてくださった場面が書かれています。この聖霊は、ペンテコステの日に起こった聖霊のバプテスマとは別です。イエス様を信じる時、知らないうちに聖霊様が私たちの内側に入り、私たちをイエス様のもとへと導いてくださいます。この時、弟子たちは旧い契約から離れて新しい契約を受け取ったのです。それは新生とも言われます。ペテロはイエス様がゲッセマネの園で捕まった後では全く弱い者でした(ルカ22:54~)。しかしペンテコステの日に聖霊の力を受けた彼は伝道する力を与えられ、語るべき言葉も与えられ、大勢の人々の前でイエス様を大胆に証ししました(使徒2:4~)。聖霊が注がれ、満たされていく時、神様の御心があふれ流れていきます。その条件は「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」(使徒1:4)ということです。私たちが今いる場所に留まって待ち望んでいくのです。   
    文責:川村 則之


  • 2022年5月29日 角和正義牧師
    テーマ: キリストにあり、御霊によって神の御住まいとなるのです。
    聖 句:エペソ人への手紙 2章21節 ~ 22節

    私たちは礼拝が出来る特権、神の栄光の中で生きる特権を与えられています。イスラエルの民はエジプトで奴隷でしたがモーセと脱出しました。その旅の中で神様は幕屋を建てるように言いました。イスラエルの民にとって神様の存在は遠いものでした。その幕屋は神様の指示通り完璧な物でなくてはなりませんでした。自分の考え、人の思いではなく神様の言う通りにしなくてはなりませんでした。主の働きをする上で知恵と叡知と知識を与えられるのです。あらゆる仕事を成し遂げるためです。今幕屋の役目は教会であり、私たちです。神様が私たちに何を語っているのか聞く耳、受け取る心を備えましょう。主にゆだねその通りにした時、栄光が現れ祝福があります。しかし私たちは不完全なものであり、完全なる神様を迎える為にはどうしたら良いのでしょうか。幕屋を作るための材料には全て意味がありその全てはイエスキリストを表しています。イエス様を内側に招くことにより私たちの心に神様が住むのです。イエス様を信じることにより神様が住んで下さるのです。
    文責:小原 照代
    参考聖句:出エジプト記25:9、40 35:30~35、40:33~34、Ⅱ歴代誌5:11~12、Ⅱコリント5:17


  • 2022年5月22日 小村誠志郎 長老
    テーマ:益とされる神
    聖 句:ローマ人への手紙8章28節

    私達は、信仰を持っていても失敗し、試練にもあいます。今回は、神様が小村長老に三回の失敗を通して示されました。小村長老が良かれと思ってしたとっさの行動が、失敗(過ち)となり試練となりました。ヤコブの手紙3章2節には、「私達はみな、多くの点で過ちを犯すからです。」とあります。聖書の多くの人物たちも失敗しました。創世記3章6節には、神様から善悪の知識の木からは食べてはいけないと命じられたにも関わらず、蛇に騙されエバとアダムはその実を食べてしまいました。他にも、モーセも自分の同胞であるへブル人の一人が、エジプト人に打たれているのを見て、モーセはそのエジプト人を殺してしまうのです。旧約聖書のノアやダビデ、ソロモンたちも、新約聖書のペテロやパウロも、失敗した事が書かれています。しかし、ただ一人イエス様だけは失敗されませんでした。それは聖霊様と共に祈りつつ御業をなされたからです。イエス様を信じた私達は聖霊様の宮です。ですから互いに敬い、仕え、愛し、祈りあいましょう。イエス様もヨハネの福音書で「わたしが愛したように互いに愛しあいなさい」と命じられました。そして、赦し合う事も命じられています。またローマ人への手紙8章で「聖霊様も弱い私達を助けて下さいます」と有ります。イエス様に祈っていくならば、私達の失敗をイエス様は益に変えて下さり、御業を表して下さるのです。いつも、イエス様を見上げてまいりましょう。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:Ⅰコリント3:16 ヨハネ14:21 ローマ8:26~27
    マタイ18:19~22、34


  • 2022年5月15日  角和正義牧師
    テーマ:みこころがなりますように
    聖 句:マタイの福音書 26章39節

    主は人の心に志を立てさせ、事を行わせてくださいます。神を信じる者には祝福があります。色々な状況にあっても、神様の御心の歩みならば、そこに神様の栄光が表されます。そのためには、クリスチャン以外の人の心までをも動かしてくださいます。神様がしようとされている御心に触れるとき、主が守ってくださいます。御心を求める手本となるのはイエス様です。イエス様はゲッセマネの祈りにおいて、肉体的な苦しみからの解放を願ったのではありません。イエス様は、父のご計画を進めることが一番と信じておられました。ですから、主の御心がなりますようにと祈られました。神様の前では感謝の後に、自分の想いを素直に出して祈りましょう。神の愛と想いが天でも地でも行われますように…。主のご計画が前進していきます。神様は100匹の羊のうち、1匹でも迷ったならば探しにきてくださいます。私達が道に迷った1匹の羊です。それを気付かせてくれるために神様は時には未信者まで用いられます。それは、神様が必要だからと備えられたのです。アーメン。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:ピリピ2:13 エズラ記1:1 ヘブル5:7


  • 2022年5月8日  上迫和清長老
    テーマ: 主の再臨まで非難されない生き方
    聖 句: テモテへの手紙 第一 6章14節 ~ 15節

    イエス様の再臨は、神の決めておられる最もタイミングの良い時に、実現します。このとき人からではなく、神から非難されるか否かが問われています。イエス様は一度目は、二千年前に処女マリヤから生まれ、罪人の救いのために十字架で死に、復活されました。二度目は将来、待ち望んでいる人々のすくいのために来られるのです。私たちは既に、心は救われていますが、この二度目の空中再臨(携挙)の時に、永遠に朽ちない栄光の身体に変えられるのです。この贖いを切に待ち望むことは、非難されない生き方です。その時が近いと思われる今、聖書にはその前兆が記されています。①ユダヤ人が世界各地からパレスチナに帰り国を再建する。②エルサレムがイスラエルの支配下に戻る。③イスラエルが国際的に孤立して世界中から敵視される。このうち①、②は実現しており、③は預言です。ユダヤ人はイエス様をメシヤとして拒み、十字架につけてしまいました。いちじくの木のたとえでは、いちじくの木がユダヤ人です。今はこのユダヤ人が各地から戻ってきており、葉が繁りその実を結ぶときが、救いの完成です。黙示録にあるように将来、患難時代に反キリストの666の刻印を押されることを選ぶか、信仰を貫き通して永遠のいのちに至るイエス様を選ぶかは、信仰の踏み絵です。非難されない生き方とは、完全無欠を求めているのではなく、初めの愛から離れないことです。天の父から愛されているように隣人を純粋に愛することです。信仰にプラスαをしてはなりません。聖霊の火がそれを助けます。イエス様の来られる時まで、非難されない生き方をしていきましょう
    文責: 金子 和子
    参考聖句: ヘブル9:28、1テサロニケ4:16〜17、マタイ24:36〜39、32〜33、ゼカリヤ12:9〜10、黙示録13:16〜18、2:3〜5、Ⅱコリント10:12


  • 2022年 5月1日 角和正義 牧師
    テーマ: 主イエス様に委ねる
    聖 句: ペテロの手紙 第一 5章7節

    死別などにより深い悲しみにある人に寄り添う支援をグリーフケアと言います。第一ペテロ5章7節の御言葉は「これらのすべてのあなたの心配事(その一番の中心は罪です)を私は背負う。そして十字架においてすべてを為すから、あなたは心配せずにその荷をわたしに預けなさい。」と言っているように思えます。ピリピ人への手紙4章7節にある神の平安という言葉はヘブル語ではシャロームといい、これは神と正しい関係にある時に与えられる平安です。罪を犯し、恐れを持ち、神の臨在を避けたアダムとエバの所に神が近づいて来られ、「あなたはどこにいるのか」と言われました。これは私たち個々人に呼びかけている問いです(創世記3:8~10)。ヨハネの福音書20章19節でイエス様が弟子たちに言われた御言葉の意味は「わたしはあなたの罪のために十字架に架かりました。そしてあなたがたの罪を取り除きました。あなたは父のもとに行くことができるようになりました。だから平安があるように。」という意味です。主が私たちの内におられるならば、私たちの心に平安が与えられ、私たちは人々に愛を注いでいくことができるようになります。
    文責:川村 則之


  • 2022年4月24日 志賀孝作長老
    テーマ: 聖霊が臨む時、あなたがたは力を受けます。
    聖 句:使徒の働き1章8節
    メッセンジャー: 志賀 孝作長老

    先週はイースターでした。私達は、初穂となられたイエス様の復活に感謝しました。それと同時に、私達はイエス様の復活に希望も与えられたのです。ヨハネの福音書20章9節には、弟子達がイエス様の復活を理解していない様子が書かれています。弟子達は3年半もイエス様と共に過ごしていました。その中で御国の話や沢山のイエス様の奇跡も体験していました。しかし、イエス様が処刑された現実に恐れをなしてしまったのです。部屋に鍵をかけて閉じこもるようになり、信仰が落ち込んでいる状態になってしまったのです。そのような時に復活されたイエス様が現れて、聖霊を受けるように言われます。使徒の働き1章8節にあるように「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」とおっしゃったのです。後に、聖霊様の力を受けた弟子達は、以前の弱々しい姿ではなくなっていました。聖霊様の力を戴いて、力強く福音を地の果てまで伝えていく者と変えられたのです。今でも聖霊様の力は変わることなく、私達にも注がれています。忍耐を持って、イエス様を待ち望む事は大切です。御言葉を信頼し、聖霊様から力を戴いていくならば、弟子達のように力を授けて下さるのです。イエス様から目を離さず、歩んでまいりましょう。
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:ヨハネ20:9 使徒2:4 マルコ16:1 ルカ24:1



  • 2022年4月17日  角和正義 牧師
    テーマ: 捜して救うために
    聖 句: ルカの福音書 19章10節

    イースターとはイエス様の復活を祝うと共に感謝する日でもあります。イエス様は「平安がありますように」と、弟子達の前に姿を見せて下さいました。心の内に、主が私達と共に居られる時に湧き上がってくる素晴らしい祝福が平安です。イースターとはイエス様の、受難〜十字架〜復活〜昇天までを感謝することです。イエス様は失われた人を救うために来られました。今、全人類(失われた人)が滅びの危機にあります。エデンの園にはいのちの木と、その実を食すと死に至る善悪の知識の木がありました。 何故、そのような木が植えられていたのでしょうか?そこには、神の言葉に従うなら神と共に永遠に生きるという祝福の原理がご用意されていました。神は人に選択の余地を与えられたのです。しかし、人は神の言葉に逆らい背いてしまったのです。その末裔が現代の私達です。神様はそんな私達を立ち返らせて救うことを望んでおられます。 悔い改めて神様の愛の中に生きること、真実の愛に触れると怖れや不安が消し去られていきます。イエス様の十字架は、私達を救おうとしっかり抱き締めて下さっている愛の姿です。十字架のもとには、あなたのスペースがあります。イエス様はそのままのあなたを待っておられます。
    文責 仲平 滋



  • 2022年4月10日 川口 芳一長老
    テーマ: 天の故郷
    聖 句: ヘブル人への手紙 11章8節 ~ 10節

    4月は、多くの人が新しい環境に入る季節ですが、信仰生活もイエス様を信じたときから新しく始まります。アブラハムは神様から召しを受けて、神の示す地へ行く新しい信仰の道に入りました。彼の目はいつも、神ご自身が設計して建てた天にある故郷を目指していました。しかし「信仰の父」「神の友」と呼ばれた彼の信仰生活は、決して順風満帆ではなく、飢饉のときには、この世の象徴であるエジプトに下り、自分の妻を妹だと偽る罪を犯しました。約束の地を離れて、主との交わりが途絶えると信仰は後退します。神に全面的に頼るのではなく、自分の力や他のものに頼って、人を恐れる心が生じるのです。私たちも、苦しみ、悩みの中で「なぜ?」と思うのですが、ちょうど真珠が異物の入ることによって、苦しみ悶えた後に美しい宝となるように、多くの試練は、その苦しみの後に、やがて朽ちる金よりも高価であることを、私たちに教えます。パウロも多くの苦しみを経て、地上の苦しみは、天に受ける栄光に比べれば取るに足らないものだとさえ言っています。理不尽と思えることも、神の御手の中で許される範囲のものであり、神が背後にあって平安と喜びを与えてくださるのです。『天国は本当にある』(トッド・バーポ著)という本は、イエス様はあなたを、そして子どもたちを愛していることを繰り返し伝えています。イエス様のみわざによって、私たちの国籍は天にあります。受難週の今、十字架の道をたどり、イエス様がどんなに大きな犠牲を払って苦しみを受けたのか、みことばを通して学びましょう。そしてアブラハムに倣い、天の故郷を目指して、信仰の歩みを続けましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: 創世記12:1〜4、12:10、詩篇73:13〜14、1ペテロ1:6〜7、使徒14:22、Ⅱコリント11:23、ローマ8:18、Ⅱテモテ4:7〜8



  • 2022年4月3日 角和正義牧師
    テーマ: 一粒の麦となって
    聖 句: ヨハネの福音書12章24節

    麦が地に落ちて死ぬという出来事は植物の世界では当然のように起こっています。このことを通してイエス様は豊かな実を実らせるためには一粒の麦の死が必要だと私たちに教えています。またこの言葉はイエス様ご自身の十字架の死に当てて語られたと見ることができます。イエス様は良い実を実らせる良い種になられたのです。エデンの園の中央には2本の木が置かれました。1本はいのちの木で、これは肉体の死を防ぐものであり、食べてよいのです。もう一本は善悪の知識の木です。これについて神は「食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:17)と言われ、それが一つの約束でした。神の御言葉に従うなら、神と共に永遠に祝福されて生きますが、神に背くならば、罪により裁かれ死に至ります。これは歴史の最初に神が与えられた原理です。アダムは罪の性質を持った種になってしまいましたが、イエス様は永遠のいのちを与えてくださる救いの種になられたのです。皆さんは既に福音の種を受け取りました。どうぞその種を心で温めて根を張りまた茎が伸びて葉が出て神様の光を受けさらに聖霊の風と祝福の流れの中で成長していってください。         
    文責:川村 則之
    参考聖句:創世記1:1 2:17 ローマ5:19 3:29


  • 2022年3月27日 小村誠志郎長老
    テーマ: 御霊の実
    聖 句: ガラテヤ人への手紙5章13節 ~ 17節

    ガラテヤ地方は、パウロが最初の宣教旅行に行った場所です。今のトルコの中央の山岳地帯です。パウロはイエス様の死と復活について、人々に語っていました。それは、人々が旧約時代の影響を受け、割礼などの律法の行いを重視していたからです。
    イエス様は十字架の死と復活により、私達を律法の束縛から解放して下さいました。その事を信じるならば、私達は義とされるのです。私達は聖霊様を物質的感覚や物理的測定方法を用いても、感じる事ができません。 聖書の御言葉を読み、聞いて、信じるならば、悟る事ができるのです。聖霊様が満たして下さり、神の霊を感じるのです。聖霊様は、愛と力と慎みの霊です。神様はその聖霊様の愛を持って、互いに愛し合う事を大切にされています。神様の愛は、一方的な変わらない愛です。今は終わりの時代でもあり、全ての霊が良いわけではありません。ですから、偽物の預言者や悪い霊もいる中で、聖霊様によって見分けることも必要です。聖霊様は、弱い私達を言葉にならないうめきをもって、とりなして下さいます。イエス様も神様の右の御座におられ、大祭司として私達を助けて下さっておられます。ですから、私達は肉の業ではなく聖霊様に従って行くならば、御霊の実を結ぶ事ができるのです。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:ヨハネ4:24 創世記1:31 2:20 Ⅰヨハネ4:7~11 Ⅰコリント13:4~8 ガラテヤ5:22~23 ローマ8:26~27 ヘブル4:15~16


  • 2022年3月20日 角和 正義牧師
    テーマ:キリストにあって一つのからだ…ひとりひとり互いに器官なのです。
    聖 句:ローマ人への手紙 12章5節

    器官〜「器」とは形を持つもの、つまり存在を表すもの。「官」とは一つのものを支えていく大切な働きのことです。これが共働して一定の、身体を作っている大切なひとつ一つの機能を果たしています。つまり、私達はキリストのからだを作っている大切なひとりひとりであると言えます。では、器官はどのように作られたのでしょうか。そのキーワードは教会です。教会については聖書にこのようなことが書かれています。ペテロとの会話でイエス様は次のように仰いました。キリストという大きな岩の上に教会を立てると…。教会とは建物、会堂のことではなく神様によって明確な目的のために選び、召し出された者達の集まりです。私たちはキリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。器官ということは互いに繋がっているということです。エペソ4章16節にあるように、主のための目的と愛の結び目がしっかり繋がっていると祝福が教会全体に流れ成長して愛のうちに建てられて行きます。主は私達の羊飼いです。そこに行けば主は私達を緑の牧場へと連れて行って下さいます。そこでは神様の愛と恵みと祝福が流れてきます。主が私達をお呼び下さり、お招き下さったのです。私達は選ばれた者です。
    文責:仲平 滋
    参考聖句:マタイ16:13~18 エペソ4:16 


  • 2022年3月13日 上迫和清
    テーマ: 抜き身の剣
    聖 句: ヨシュア記5章13節 ~ 15節

    モーセ亡き後、神から「モーセと同じようにあなたと共にいる。強くあれ」と言われたヨシュアでしたが、神の助けと信仰によって、ここまで来たものの、巨大なエリコの城壁のそばで、どんなに不安だったでしょうか。そのとき、ふと目を上げると抜き身の剣を持った人(受肉前のイエス様)がいたのです。見上げることは、信仰の分かれ目で、ヨハネ4:35〜36では「目を上げて畑を見なさい」と、刈り入れ時を教えています。私たちが、私たちの身代わりに十字架で死なれたイエス様を見上げることは勝利の秘訣です。私たちが神に忠実であれば、神は私たちの味方です。また、抜き身の剣の人は主の万軍の将として「今」現れました。それは、聖霊も同じです。旧約のモーセやダビデは、自己主張を捨て、砕かれて個人的に神にお会いしましたが、今の私たちは誰でも見上げれば、主に会えるのです。私たちの身体は、聖霊の宮です。ヨシュアは、「履き物を脱げ」と言われました。これは礼拝する姿勢であり、神の臨在する所はどこでも聖なる所になります。へりくだり、純粋に霊とまことをもって、私たちは主を礼拝するのです。そのためには、神の武具を身につけて、心の中の不義を取り除き、へりくだり悔いた心で、神に近づくこと、そして、自我の鞘を捨てて、聖霊の働きに明け渡すことです。主は近いのです。私たちは真剣勝負の祈り、賛美、礼拝を御霊の剣を持って、信仰を堅く守っていきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: ヨハネ35〜36、ローマ8:31、出エジプト4:24〜26、Ⅰ歴代21:16〜17へブル4:12、エペソ6:11〜17、Ⅰコリント6:19


  • 2022年3月6日 角和正義牧師
    テーマ: 聖書的希望
    聖 句: イザヤ書40章31節

    一般的な希望は「将来に良い事を期待する気持ち。こうあってほしいと望み願うこと。状況が変わって、何かが起こるかもしれないという希望的観測をする気持ち。」と辞書には書かれていました。しかし聖書の希望は揺れ動かない神の言葉を土台として、神から
    与えられる約束を疑わずに受け取ることです。それは信仰というものがとても重要に関わってきています(ローマ15:13)。信仰は目に見えない霊的なものを掴むことのできる手です。御言葉の土台の上に立っていくならば、見てはいなくても掴むことができ、確信できるのが信仰です(ヘブル11:1)。鷲は翼を広げて上昇気流に乗って自分でははばたかずに高く上がっていくのです(イザヤ40:31)。私たちも聖霊の 風の中に身を委ねていくと、神の臨在の中に高められていきます。御言葉を握った時に主の平安が一人一人に与えられます。私が弱くなると、キリストが力をもってそこに働いてくださるのです(Ⅱコリント12:9)。ですから自分の弱さのまま身を委ねていく時、そこには恵みがあふれて来て、それは感謝に変わっていきます。感謝は私たちの心を希望に変えていきます。   
    文責:川村 則之


  • 2022年2月27日 志賀孝作長老
    テーマ: 仰ぎ見よ
    聖 句: 民数記21章9節

    民数記には、苦しい奴隷生活を強いられていたイスラエルの民を神様がモーセを率いてエジプトから脱出させた後の事が書かれています。その旅の途中で民たちは、色々と不満を呟いてしまうのです。神様は、イスラエルの民に多くの恵みを与えていました。紅海を神様の御業によって、無事に渡らせました。また、民が困らないようにマナという食べ物も神様は与え続けたのです。しかし、民はそのマナにも飽き飽きしたと、呟くようになってしまいました。主はその民の中に燃える蛇を送られました。蛇は民にかみついたので多くの民が死にました。民は悔い改め、モーセに蛇を取り去って下さるように神様に祈って下さいと言うのです。すると、主はモーセに「燃える蛇を作り、それを旗竿の上に付けるよ。かまれた者は皆、それを仰ぎ見れば生きる。」と言われたのです。モーセは青銅の蛇を作り、旗竿の上に付けました。そして、青銅の蛇を仰ぎ見た全ての民は、再び生きる事ができたのです。私達は、日々イエス様から頂いている多くの恵みを忘れ、呟いてしまう者です。でも、青銅の蛇を仰ぎ見るように、いつもイエス様から目を離さず、恵みに感謝していく事は大切です。恵みを一つ一つ数え、感謝をしていくのです。初心を忘れずに、最初の確信を最後まで持ち続けてまいりましょう。    
    文責:吉田 愛子
    参考聖句:民数記1:2 26:1~2 ヨハネ3:14~16


  • 2022年2月20日 角和正義牧師
    テーマ: 慰め
    聖 句: コリント人への手紙 第二 1章3節~4節

    感謝によって祈る時に神の平安がキリスト·イエスによって私達の心と思いを守ってくださいます。神は私達がどのような苦しみの中にあっても慰めてくださいます。聖書の慰めとは、「苦しんでいる人のそばに立ち、励まし助け強め支えること」と記されています。神様からその慰めを受けると、同じように苦しんでいる人を慰めることが出来るようになります。神様からの恵みは他の方に流れていきます。それは決して自分の力で出来ることではなく、聖霊様が共にいてくださるから可能なのです。「私があなたを愛したように、人を愛しなさい」これがイエス様の大きな愛です。私達はただで神様からの愛と恵みを受けました。ですから私達も隣り人に愛を伝え、慰めて合って行きましょう。何故、困難に遭うのか〜困難に遭う価値を知ればその困難に向き合う事が出来ます。私達は小さくて弱い者ですから、『この困難の訳を教えて下さい』そのように、素直に身をかがめて祈る時に神様は必ず応えてくださいます。 そして、慰めてくださいます。                
    文責 仲平 滋
    参考聖句:ピリピ4:6~7 ヨハネ14:16~18 



  • 2022年2月13日 ベアンテ ボーマン師
    テーマ: 勝利をもたらす信仰の秘訣
    聖 句: ヨシュア記1章1節 ~ 9節

    ヨシュアは、直接神と語ることのできる偉大なモーセの従者でした。彼らがエジプトから解放され40年間荒野を旅する中で、モーセが亡くなり、ヨシュアは突然、仕える者から導く立場に変わりました。自信もなく、大きな責任を背負う彼に、神は「強くあれ。雄々しくあれ」と励まされ、泣き続けずに、前進するように言われました。多くの人の、過去にしがみつく生き方は、将来の妨げになります。また、振り向くことは、神の国に相応しくありません。しかし聖書は、忘れるばかりではなく、罪が赦されていること、救い、病が癒されること、恵みあわれみに満ち、力が与えられること、などは忘れてはならないと教えています。それから、神は繰り返し約束の地があることを言われ、彼に神の約束を信じて前進するように言われました。神は約束を守る方です。また、永遠の真理のみことばに立って生きることが大事であり、みことばを熟考し、ひざまずくとき、主の臨在が強く臨みます。それはまた、受け取るだけでなく、人に伝えることが必要です。ヨシュア記に続く士師記は、神を離れて自分の考えで生きようとした時代で、それを通して私たちは、神のことばに従って生きるとき、神の臨在があると知ることができます。モーセと共にいた神が、ヨシュアにも共におられたように、この教会の新しいリーダーにも共におられます。前進していきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: 申命記34:8、イザヤ43:18〜19、ルカ9:62、詩篇103:1〜5、ローマ12:2、コロサイ2:8、ヨハネ3:19


  • 2022年2月6日 角和正義 牧師
    テーマ: 天国への希望
    聖 句: 黙示録4章1節 ~ 4節

    角和正毅牧師はリハビリの病院の先生に福音を伝えたことで心が燃やされ、退院した次の日曜日にはもうメッセージを始めていました。正毅牧師は福音を伝えることの尊さを身をもって教えてくれたのだと思います。正毅牧師が置いて行った聖書を開いていた時にこんなメモが出てきました。「今朝夢を見た。電車に乗っていた。立っていた。すると若い娘さんが立って席を譲ってくださった。自分は戸惑ったが、良く考えると私は老人でした。席に座ると楽。天国へ行く席は十分空いています。」いつ書かれたのかはわかりませんが、正毅牧師の中には絶えず天国に向って行くというイメージが与えられていたようです。これは信仰です。そこに必ず天国への希望というものを内に秘めて、皆さんにメッセージをして来られたのです。聖霊様が内側で私たちを燃やしてくれるのです。私たちが天に向かって行く原動力、また燃料は聖霊様の燃える力です。それが私たちを神のもとへと導くのです。本当の平安の中に憩う場所が主のもとです。天国に行った時に、顔と顔とを合わせて私たちは共に生きていくのです。この希望を持って私たちはこれからも歩んで行きたいと思います。           
    文責:川村 則之
    参考聖句:黙示録21:4 詩篇23:6 ヨハネ3:16 Ⅱコリント5:17


  • 2022年1月30日 角和正義 牧師
    テーマ: どうか、私にならう者になってください。
    聖 句: コリント人への手紙 第一 4章16節

    正毅牧師が亡くなった哀しみはあります。先週(23日)には元気にメッセージのご奉仕をなさいました。残された家族にはまだ気持ちの整理がつかず、まだ入院しているんだと思ったりしています。父は天国に凱旋したのです。一番待ち望んでいたところに行ったのです。母が遠くを見ているとき、慰める言葉が見当たらず、一緒に祈ります。そうすると、聖霊様が内側に働き、母は力強く感謝を捧げるのです。弱々しい心が強められるのです。素晴らしい聖霊様の働きです。1月23日の正毅牧師のメッセージは今思えば、まさに、遺言のメッセージだと思います。モーセがイスラエルの民が約束の地に入るときに送った申命記の言葉と通じるものを、正毅牧師は私達に向かって「神を愛し」「神に従って」「歩んでいきなさい」とおっしゃいました。正毅牧師の信仰の集大成のようでした。救われた信仰の尊さから始まり、イエス様の十字架、復活の勝利、聖霊の油注ぎを受け、教会が立ち聖霊の力によって福音を伝えていくのです。神の導きにより宣教師がこの鶴見に来て下さったのです。伝道者の書には「すべてに時が有る。」とあります。神様のみこころの時、それは私達には分かりませんが、神様はすべてを見ておられるのです。「あなたの名が天に記されていることを喜びなさい。」と聖書に有ります。イエス様があなた方を迎えに来ます。それまで忠実に福音を伝えて行きましょう。  文責:志賀 孝作
    参考聖句:箴言27:9 ルカ10:20 詩篇50:15 Ⅰコリント4:16

  • 2022年1月23日 角和正毅 牧師
    テーマ: 現代に生きる信者の豊かさ
    聖 句: ペテロの手紙 第一 1章3節 ~ 5節

    クリスチャンとして生きていても、苦しみや困難に遭遇します。しかし、今の時代のクリスチャンは、聖書の時代のクリスチャンよりも恵まれているのです。聖書の弟子達は、虐待や奴隷などの迫害を多く受けていました。その試練の中でも、信仰により神の御力によって守られている事を決して忘れる事はありませんでした。イエス様が再び来られた際に称賛と栄光と誉れを与えて下さる望みがあったからです。イスラエルの民は、イエス様が来られたならば、すぐに世界統一が起こる事を期待していました。でも、イエス様は彼らの罪を取り除くために来られました。罪人を招いて、罪を赦し、新しく生まれ変わって神の国を受け入れる事を願われたのです。そして、教会が建てられた際には、全世界に福音を伝えていく事を望まれたのです。私達が、イエス様の御名によって行った全て事は、神様に覚えられており天に蓄えられているのです。聖書の御言葉は、今の時代のクリスチャンにも生きて働いています。イエス様は、私達を迎えに再び来られます。この携挙に望みを置き、信仰を維持していく事は大切です。イエス様は、一人一人を愛して下さり、今も守って下さっておられます。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:Ⅰペテロ1:3~16 黙示録3:11


  • 2022年1月16日 角和正義 牧師
    テーマ: とりなしの祈り
    聖 句: ルカの福音書 22章 31節 ~ 32節

    私達が身体を動かす際には骨格筋の働きが必要となります。これは私達の意思によって動かすことの出来る筋肉のおかげです。これとは別に、無意識の内に動いている筋肉があります。不随意筋と呼ばれる、内臓全般を動かしているもので、これによって私達の生命が保たれています。私達は自分の意志で手を組み、祈りの言葉を口にします。けれども、その背後で神様がとりなしの祈りをされていてくださいます。ヨブ記にあるように、神様は私たちがサタンから試みられることをある範囲許されることがあるようです。しかし、どのような場合であっても神様はいつも私達に寄り添っていてくださいます。ペテロの信仰がなくならないように、イエス様はとりなしの祈りをしてくださいました。私達の知らないところで不随意筋のように私達を守ってくださっています。罪を犯した人間のために、その罪も問題も一身に背負って祈ってくださいます。とりなしの力をお与えください。祈りを聞き届けてください。イエス様の、ゲッセマネの究極の祈りと十字架によって救われた私達です。だからこそ、隣人に伝えていきましょう。   文責 仲平 滋
    参考聖句:ルカ21:37 22:39~40 ヘブル7:25 イザヤ53:12



  • 2022年1月9日 角和正毅 牧師
    テーマ: 神と共に歩んだ人
    聖 句: マタイの福音書 6章 31節 ~ 34節

    今日は成人祝福式です。日々、試練や困難があっても、私たちには天国へ行けるという希望があります。この希望の錨を心におろし、イエス様を信じて歩いていきましょう。マタイ6:31〜34には、まず第一に、神の国と義を求めよと記されています。世の中は、名誉、富、健康などの一時の幸せを求めますが、人間として一番大事なことは、人生の永遠をも意味する神の道を求めることです。また、自分を第一にすれば、人は必ず壁にぶつかるのです。神は私たちを導くお方です。聖書には「人はパンによって生きるのではない」こと、神の語りたいことのすべて、私たちへの答えが書かれています。これはダニエル書の、ダニエル(神は審判者)、ハナニヤ(主はあわれみ深い)、ミシャエル(主と同じ者は誰だ)、アザルヤ(主は助ける)の四人の青年たちを通しても知ることができます。彼らはバビロンに捕囚された中で、名前を変えられ、バビロンの考え方を強要されましたが、真の神を第一として信じ、偶像で汚れたものを一切食べず、身を汚しませんでした。神に切に祈り求め、信仰を貫いたのです。すべての考えの背後には、神の導きがあり、人にその思いを与え、変えてくれます。ダニエルはこの後もイエス様の十字架の預言など大きな働きをしました。私たちを造られた神を第一に生きるとき、神はすべてのことを助け、私たちに未来を備えてくださいます。明日のことを心配する必要はないのです。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: マタイ4:4、ダニエル1:6、9:25、1ペテロ5:7



  • 2022年1月2日 角和正毅 牧師
    テーマ: 新しい契約と古い契約
    聖 句: ルカの福音書 22章 14節 ~ 20節

    ここにはイエス様が地上を去る時に最後の晩餐をする様子が描かれています。イエス様は「血による新しい契約」と言われました。ノアの時代、神は人間を造ったことを後悔し、すべての人を滅ぼすと言いました。しかしノアは正しい人であったので、神は全地を洪水で滅ぼす前に彼だけは助けたいと思い、契約を結びました。アブラハムは栄光の神に出会い、神の言葉をそのまま信じました。神はそれを彼の義と認めました。全能の神の力でアブラハムの不妊の妻サラは男の子を生みます。神はアブラハムと永遠の契約を立てました。その契約は彼の時代が終わっても、終わっていません。その後神はモーセと律法の契約を立てました。日常生活の生き方から、いかに犠牲を捧げるかという宗教的な儀式の行動などたくさんの律法がこの時に神から与えられました。イエス様は私たちのために血を流して、旧約時代の契約の必要条件を本質的に全部満たして、新しい契約に移ったのです。それによって、私たちは罪赦され、神の子とされ、神の特権に、また永遠のいのちにあずかっています。イエス様が私たちのためにいのちを捧げて新しい契約を立ててくださったことを日々覚えていきましょう。      
    文責:川村 則之
    参考聖句:出エジプト12:1~14 24:1~8 創世記6:1~16 17:1~24 ローマ1:5 マルコ14:24 ヘブル9:11~24 10:1~18 Ⅰヨハネ1:7~2:2