- 2026年8月2日 角和 正義牧師
タイトル:『あなたはどこにいるのか』
聖 句 : 創世記3章9節
神が交わりをするためにアダムとエバの所に来ました。しかし罪を犯した彼らは恐れて隠れました。私たちの究極の幸せは神との交わりが続いているかどうかです。神は愛する者ともう一度話したい、関係を回復したいという思いで語られています。神の前に自分の内側にある思いをさらけ出していく時に、神はそこから解放して自由な思いを与え、聖霊で満たして、祝福と励ましと慰めとこれからの歩みを示してくださり、希望が戻って来ます。ラオディキアの教会は物質的にも豊かで繁栄していたのです。でもその戸の外にイエス様が立っているという教会なのです。あらゆる物が整っていたけれども霊的には貧しい教会でした。(黙示録3:
20)預言者エリヤはホレブ山に行きました。ホレブ山は別名シナイ山で、モーセが律法を受けた所です。原点に帰るという感じです。私たちも御言葉に立ち返るのです。そこに神様が姿を現わされました。(列王記Ⅰ19:11,12)心を静めて、じっと聞き耳を立てることによって細き主の御声が聞こえてきます。「あなたはどこにいますか」それに対する答えは「私はここにいます。どうぞ私を遣わしてください」です。(イザヤ6:8)
文責:川村 則之
- 2026年7月26日 角和 正義牧師
タイトル:『八つ当たりはよくない』
聖 句 : 箴言19章3節
今日の御言葉である箴言19章3節にタイトルをつけるならば、「八つ当たり」です。人間は自分の失敗によって人生を台無しにしておきながら、その心の中ではなぜ神様はこんなひどい目に合わせるのだと神様のせいにする事を意味しています。古代日本の八の数字の意味は数が多いという事を表しています。ですので、八つ当たりというのは、あらゆる人や物に向かって怒りや不満を当たり散らす事を言います。聖書で見る世界で初めての八つ当たりである責任転嫁は、創世記3章8節〜13節に書かれています。アダムとエバは自分たちが悪いのに神様のせいにしてしまうのです。そもそも責任転嫁とは罪を犯して神様から離れたことから始まりました。この状態を解決するには、箴言3章34節の『嘲る者を主は嘲り、へりくだった者には恵みを与えられる』の御言葉です。嘲る者は愚か者であり、へりくだった人には神様の恵みが与えられるのです。また、知識の多い人達の事をエリートと言われます。世間一般にはエリートは社会の中での勝ち組の事と思われがちです。しかし、本来は恵まれた環境や能力を自分の利益のためにではなく、他者や物事のためにつくせる人の事をいいます。また、困難な課題から逃げずに向き合い社会や他者のために、特に弱い人の立場のために寄り添う事のできる人をいいます。まさにイエス様がそのお方です(ピリピ3:4~8)。イエス様を私たちのお手本として「へりくだり」歩みましょう。恵みは低い所に流れてきます。神様の祝福が豊かにありますように。文責:吉田 愛子
- 2026年7月19日 角和正義牧師
タイトル:『パンを裂き、人々に配るように弟子たちにお与えになった』
聖 句 : マルコの福音書6章41節 テキスト:マルコ6:30~44
救いを与えられていても、その救いの喜びを持っていない人がいます。救われたことを大きく真摯に捉えて、感謝することで喜びを持つことができます。 その喜びは生きる糧となっていきます。クリスチャンが聖餐式で頂戴するパンはイエス様の御身体の象徴です。イエス様のお体が十字架の上で裂かれて私たちにいのちが与えられました。これを福音と言いますね。パンは福音です。ガリラヤ湖畔におよそ5000人を超える男達がイエス様のお話が聴きたくて集っていました。イエス様は祈りの後に5つのパンを裂き、弟子たちに配らせて彼らの空腹を満たしました。弟子たちはイエス様から渡されたパンを人々に配りました。私達も同じように周りの方々に福音を伝えていくべきなのです。 それがイエス様の御心に叶うことであり、ご命令でもあります。肉の想いを優先するのではなく、素直に、ただ救われた感謝と喜びを持って伝えるだけで良いのです。神様が導いてくださいます。神様は一人でも多くの人々を救いたいと願っておられます。そこに神様が御臨在していてくださいます。神様の弟子とされていることに私達は大いなる感謝と喜びを持って、身近な方々にパンを手渡していきましょう。神様が語ってくださいます。文責 仲平 滋
- 2026年7月12日 角和 正義牧師
タイトル:『神様が満たしてくださる』
聖 句 : ピリピ人への手紙4章19節
パウロがエルサレムで捕らえられ、ローマの牢獄の中で書かれた手紙は獄中書簡と呼ばれ、エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙の四つです。この手紙にはそれぞれテーマがあります。エペソ人への手紙には、教会はキリストの体で、すべての教会の人々はキリストにあって一つです。ピリピ人への手紙には、クリスチャン生活は喜びに満ちています。コロサイ人への手紙には、キリストは教会の頭です。そしてピレモン人への手紙には、クリスチャンの行動の原則は愛ですとあります。本日はこの中のピリピ人への手紙について見ていきます。この手紙は4つに分かれて書かれていて、1章は試練のなかにある喜び、2章は奉仕の中にある喜び、3章は信じることにある喜び、4章は与えることの中にある喜びです。パウロは牢獄の中にあっても喜びに満たされていました。それはイエス様にあって平安が与えられ、イエス様のことを知るたびに喜びがあふれてきたからです。パウロはこのことを学びました。
私たちが満たされるためには自分の器を空にすることが大切です。すべて心を空にして主に委ねることで満たされるのです。偉大な伝道師のビリーグラハムの証がありました。彼が説教を続けていた時に体が弱ってしまい何もできない時がありました。その時、「主よ私は何もできません、あなたがなさってください。」と祈ったとき、神の力が自分に臨み言葉が出てきたそうです。私たちも心を空にして祈りましょう。主がすべてを満たしてくださいます。文責:片岡 哲郎
- 2026年7月5日 角和 正義牧師
タイトル:『もう一歩 導きたまえ』
聖 句 : マタイの福音書14章28節~29節
クリサンダー宣教師が口ずさんでいた賛美にこのようなのがあります。「もう一歩 もう一歩 信仰を与えよ もう一歩 導きてよ 主よ もう一歩」聖書においてもその一歩が重要な意味を持っています。アブラハムは神から召しを受けた時、どこに行くのかわからないのに旅立ました。これは信仰の模範です。聖書の一歩は神への全幅の信頼をもって神の導きに従うということを意味します。新約聖書の中で驚くべき信仰の一歩を取った弟子というとペテロです。この話の前に五つのパンと2匹の魚の奇跡がありました。祝福を受けた後には必ず訓練があります。受けたその祝福をあなたがどう握ったかということを試されるのです。主は祝福されている場所にいる私たちを突如として訓練のために強いて送り出すのです(マタイ14:22)。ペテロがここで一番願ったのは「あなたの所に行かせてください」です。私たちも賛美をしたり、証しをしたり、主のために奉仕をします。でもそこから問題の方に目が行ってしまうと沈んで行ってしまうのです。マタイがここで強調したかったのは「イエスの方に行った」という箇所です(29節)。ペテロはイエス様を見て一歩ずつ歩いて行きました。文責:川村 則之
- 20226年6月28日 角和 正義牧師
タイトル:『祈りと平安』
聖 句 : ピリピ人への手紙 4章6 節 ~ 7節
今回は祈る事によって、神様が私たちの心に平安を与えて下さる恵みについて考えていきます。例えば、私たちがいつも使っている椅子に座る時、心配無くその椅子に座ります。そして、心がほっとします。その際、私たちは安心を実感しているのです。これは祈り委ねる事と同じなのです。ピリピ人への手紙4章6・7節の意味は不安や心配を手放して、神様に委ね明け渡す事で平安が与えられると書かれています。ですから、自分で不安をいつまでも持っていては駄目だということです。現実が変わらない中で、神様に私たちの不安や心配事を受け取って頂けた実感があるならば平安が与えられます。その神様から与えられた平安とは、ヨハネ福音書14章27節に書かれてある通り状況に左右されない揺るがない平安の事です。椅子に身を委ねた時に、ほっとして安心できる状態と同じです。詩篇46篇1節には、神様は苦しむ時そこにある強き助けとあります。「そこにある」とは神様は私たちが問題の只中にあっても共にいて下さるという事です。ですので、私たちは神様に思い煩いをいっさい委ねてまいりましょう。いかなる時も神様は私たちと共にいて下さり、平安を与えて下さいます。
文責:吉田 愛子
参考聖句:ヨハネ14:27 詩篇46:1 ダニエル3:25 Ⅰペテロ5:7
- 2026年6月21日 角和 正義牧師
タイトル:『怒りを治める。』
聖 句 : テモテへの手紙 第一 2章8節
私達は一人で生きているのではなくて、周りの多くの人々と和していく必要があります。イエス様は私達一人ひとりを友人としてくださいました。罪の性質は初めはとても小さいものですが、うまく処理していかないと後々大きくなってしまいます。そして、それはいつしか私達の心と身体を取り返しのつかないほどに蝕んでいきます。多くの実りを得るための農作業には適度な水やりや剪定が必要です。手入れも何もせずにおくと、届けるべき栄養が行き渡らなくなります。霊にも十分な栄養が必要です。それはやがて大いなる恵みとなって、私達にもたらされます。カインは怒りを治めて、神の前に帰るチャンスを与えられました。それでも彼は怒りを治めることもせずに、自分の想いのままに動いて大罪を犯してしまいます。怒りがあると主との交わりが持てなくなります。どこにいても神様は私達と共に居られます。慈愛に溢れた眼差しで私達を見詰め、神様の御許に立ち返ることを待っておられます。ですから、怒りを治められるように祈りましょう。私達は弱くて小さく、愚かな罪人ですが聖霊様がその祈りを導いてくださいます。ハレルヤ
文責 仲平 滋
参考聖句:創世記4:5~8 エペソ4:26 マタイ5:23~24 詩篇139:23~24 エペソ13:18~19
- 2026年6月14日 角和 正義牧師
タイトル:『求めなさい。そうすれば与えられます。』
聖 句 : ルカの福音書 11章5節 ~ 10節
本日はルカの福音書からイエス様の教えられた祈りについてお話しします。弟子の一人がイエス様が祈り終わったときに祈り方を教えてくださいと頼みました。イエス様が祈り方を教えたあとに続けて言いました。あなたのうちのだれかに友達がいて、真夜中に友の家へ行き「パンを貸してください。と言ったとします。するとその友は面倒をかけないでほしいと断りました。しかしあきらめずに何度も頼めばその友は必要なものをなんでもあげるでしょう。」と言われました。さらにイエス様は続けてこのように言われました。「求めなさい、探しなさい、たたきなさい、そうすればその祈りは聞かれ、与えられます。」この場面は神様の性質と人間の性質とを対比されていると言われています。あきらめずに頼み続ければ人間ですらそうなるのです。ましては神様です、必ず答えてくれます。神様は私たちの祈りを聞いておられます。求めれば確実に与えられます。詩篇50篇15節では「苦難の日にわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出しあなたはわたしをあがめる。」とあります。主に祈り求めていきましょう。主は見てくださいます、聞いてくださいます。主が必要なものを与ええくださいます。求めたことが与えられることに感謝し、主を賛美しましょう。 文責:片岡 哲郎
- 2026年6月7日 角和 正義牧師
タイトル:『恐れるな』
聖 句 : 創世記15章1節
どんな時に人間は恐れを感じるかということについて次のように記されていました。①命を脅かす状況になった時。②孤立と喪失という状況に陥れられた時。③未来への不安。人間がどんな時に恐れを感じるのかということについて聖書も次のように述べています。①
神に出会った時。神の神々しさ、聖さよって私というものの罪深さを感じて恐れが生じて来ることがあります。(イザヤ6: 5)② 人間や環境を恐れる時。人間や環境を見過ぎていくと、神を見失って恐れが生じて来るのです。(箴言29:
25節)③ 神から離れた時。忙しかったり、神の御言葉から少し離れていたり、祈ることができていなかったり、世の中の事に追われている時に恐れが生じてきます。人間の心の本当の憩い場は神の懐以外には決してありえません。皆さんもいつでも神の懐に飛び込んでください。神は手を広げて待っています。神は一人一人をいつでも満たそうと待っておられるのです。詩編121編1節、2節、8節を読んでください。最後に一緒にこの賛美していきましょう。文責:川村 則之
- 2026年5月31日 上迫和清長老
タイトル:『日ごとの糧を、今日もお与えください。』
聖 句 :マタイの福音書 6 章 7節 ~ 11節
先週はペンテコステの日でした。初代教会は祈りから始まっているのです。クリスチャンの集まりは「祈りの家」と呼ばれていました。祈るということだけなら、世間一般の宗教と同じです。日本では、全ての物、自然現象までもが祈りの対象です。私たちは「アバ父(おとうちゃん)と祈るのです.」とイエス様が教えて下さいました。クリスチャンの祈りは、全てを造られた父なる神様への信頼から始まります。「主の祈り」にある「日ごとの糧」とは、遠い未来の保証を受けることではなく、今日・明日を生きるために必要な「1日分の恵み」を指します。人は未来を知りたいという願いがいつもあります。占いによって未来を知りたい願望です。地上で生きていく上での必要は神の御心に頼る事なのです。明日のための心配をやめなさいとも書いてあります。私たちが神に感謝を捧げることが必要です。全てが神からの賜物です。私たちが恵みに気が付くためです。日毎の聖霊の油注ぎが必要です。神様は必要なものを全て知っていますが、人が祈るのは、日々の衣食住や生活するための全ては神様の恵みであると気づき、感謝するためです。聖霊に満たされ、日々神様を信頼して御心を行い栄光を天に返すことこそが、クリスチャンの生き方です。ペンテコステの日に神は聖霊を与えて下さいました。それが教会の原動力です。聖霊の充たしが必要です。一日の必要なものは先ず神の国と義を求める事が重要です。
文責:小原 照代
参考聖句:Ⅰコリント10:31 ルカ11:3 箴言30:8~9 ルカ11:11~13
- 2026年5月24日 角和正義牧師
タイトル:『人類に働く神の原則』
聖 句 :創世記 12章 1節 ~ 3節
本日は教会が誕生した日であるペンテコステの日です。聖霊様が私たちの心に来て下さった日です。イエス様が復活してから50日目に聖霊様が下られました。50という数字は解放や安息という意味があります。聖霊様は力だけのお方ではありません。聖霊様はパラクレイトスとして私たちと共にいてくださり、慰め励まして下さるお方です。ペテロはイエス様を否定した人でしたが、聖霊様が心に入られて変えられました。聖霊様より力を頂き、福音宣教の第一号として用いられました。その日三千人もの方が救われたでのす。「人類に働く神の原則」があります。現在、英語がなぜ世界の共通言語になっているのでしょうか?それはイギリスが200年もの間、世界を支配した期間がありました。その時に使っていた英語が広まっていきました。19世紀の大富豪ユダヤ人であるロス・チャイルドという方がいました。彼には5人の子どもがいました。その一人一人を世界の大都市に派遣し、そこで銀行を開業させました。その事によって彼らに色々な情報が集まってくる事になり成功する事ができたのです。その時代はユダヤ人が蔑まれていましたが、そのような知恵を働かせて生きていたのです。そしてある時、イギリスがユダヤ人の首相を容認し任命しました。それは後のスエズ運河の経営権を獲得する事に至るのです。イギリスがユダヤ人に寛容を示した行為が祝福された出来事でした。「人類に働く神の原則」があります。ですから、私たちもイスラエルの祝福を祈り、聖霊様より力を頂いて歩んでまいりましょう。文責:吉田 愛子
参考聖句:Ⅱコリント3:6 ガラテヤ3:14
- 2026年5月17日 角和正義牧師
タイトル:『聖書の女性たちの信仰』
聖 句 :マルコの福音書16章1節~3節 テキスト:マルコ16:1~8
聖書では、女性は神様との約束を成就するための重要なキーパーソンとして描かれています。イエス様が十字架にかかり墓に葬られたことを知ったマグダラのマリヤをはじめ三人の女性らは、そのご遺体に香料を塗りたいとの想いから墓所を訪れます。人は、何かをしたいと思ったらその理由付けを欲します。彼女らはただ一目イエス様にお逢いしたいという願いから行動を起こしました。ただ彼女たちには2つの課題がありました。それはローマの番兵と重い墓石の存在でした。それでも彼女たちは進みました。ただイエス様の御側に行きたい(居たい)という願い故の行ないでした。イエス様の愛と教えを受けている者は全き愛を持っています。愛には怖れがありませんとヨハネも語っています。行く手を阻む、大きな石は人間の辛苦や困難を表しています。人間の力だけでは解決できない、乗り越えられない試練を表しています。しかし、人間にはどうすることもできない困難であっても神様は取り除いてくださいます。全き愛を持つ者を神様は決して蔑ろにはされません。聖書には神様の行われた様々な奇跡や救いの御業が記されています。ひとえに神様を見上げ、御言葉に耳を傾けて生きる者に祝福を与えてくださいます。それこそが神様の御愛なのです。文責 仲平 滋
参考聖句:詩篇22:3 ヨハネ19:39~40 Ⅰヨハネ4:18 ヨハネ13:34
- 2026年5月10日 ベアンテ ボーマン先生
タイトル:『賛美の力』
聖 句 :詩篇100篇(中心は4節)
聖書の中のある詩篇は美しく、素晴らしい特別な箇所です。本日はその中の100篇を見ていきます。4節に「感謝しつつ主の門に、賛美しつつその大庭に入れ」とあります。イスラエルの民が荒野で生活をしたとき幕屋を建てました。年に1回大祭司がその門から大庭に入り至聖所においていけにえを捧げ、神への執り成しを行っていました。しかしイエス様が大祭司として来られ、十字架の御業により神に対し、人々の罪の贖いをしてくださいました。このことでイエス様を信じる人は罪許され心が洗われ、至聖所に入り神の前に立てることが許されました。4節は神のご臨在の中への入り方が示されています。神のなされたことに感謝しつつ主の門へ入り、賛美しつつ大庭に入れとあります。感謝の反対は不平、不満を言うことです。イスラエルの民が荒野での生活をしながら神が示した地に行くために40年もかかりました。それは民が荒野の生活において、不平、不満を言い出し、エジプトの生活に戻りたいと言い出したことで、不信仰になりました。神は試練を通し、信仰心を増し加えることを願っていました。しかし民は神への信頼がなくなり、その世代の民は40年の間に死んでしまいました。神様の時と私たちの時は違いがあります。神様のご計画を知らないために時には不平、不満を言います。教会での賛美は歌を歌うだけではなく、主が私たちの中心になっていただくことを願うことが賛美です。大切なことは試練が来てもサタンを見るのではなく、背後に神のご計画があることに感謝し、常に主を見ることです。神様は完全なお方です 感謝をもって信仰生活を送りましょう。文責:片岡 哲郎
- 2026年5月3日 角和 正義 牧師
タイトル:『暗闇を通らされる意味』
聖 句 :使徒の働き9章1節~9節
使徒の働き9章はパウロの救いの証しであり、後の彼の宣教の原動力です。パウロはイエス様の事は何も知らなかったのに、イエス様を、特にクリスチャンを迫害していました。後に彼はこう述べています。「自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。」(Ⅰコリント8:2)神はパウロに真実を見せるために彼の目をしばらく見えなくされました。真っ暗闇の中で彼の心は砕かれていき、彼は通ることで悔い改めに導かれて行きました。もし兄弟姉妹の中にこの暗闇の中を通っている方がいるならば、また友人の中にそのような方がいるならば、その闇には必ず意味があります。信仰によって歩んでいる中で与えられる闇には深い意味があるのです。主は必ず語られます。その声を聞きて悔い改める姿は美しいのです。スウェーデンのゴスペルシンガーでカール・エストという方がいました。彼は音楽家の家に生まれ、ヴァイオリンやギターを弾いて用いられた方ですが、彼は酒びたりの人生でした。彼は飲んで道路で寝転がったりするような生活をしていました。ある時お母さんが彼を教会に連れて行きました。そこで彼はイエス様に出会い、パウロと同じように光に打たれてしまったのです。彼の人生は180度変わり、亡くなるまでスウェーデン中で主を賛美しました。最後に詩篇34篇18節を読みましょう。 文責:川村 則之
- 2026年4月26日 角和正義 牧師
タイトル:『穏やかな心と信頼』
聖 句 :イザヤ書30章15節
今回の御言葉であるイザヤ書30章15節の「静かにして信頼すれば〜」の部分の口語訳は「穏やかにして信頼しているならば〜」となります。穏やかにしてとは心を静めて主の前におるならば力を得るという意味です。この30章では南ユダ王国にアッシリアという国が攻めてきます。神の国である南ユダ王国ですが、神様ではなく近隣のエジプトに保護を求めてしまいます。神中心のユダの民は神の霊に頼らず、エジプトに助けを求めてしまうのです。その時、預言者イザヤはその事は反逆行為となり、エジプトに助けを求めても最終的には屈辱を味わう事になると言いました。しかし、神様は反逆行為を行うユダの民にも拘らず憐れんで下さいました。それは民が真の悔い改めをするならば、神様はアッシリアから民を守り導くと仰って下さいました。守り導くとは30章21節にある「うしろからこれが道だ。これに歩めと言うことばを、あなたの耳は聞く」に付随します。この御言葉の通りに生前、角和正毅牧師は白根町に行く道のりの中で、急に横からの農耕車の出現によって起こっていただろう大事故から免れました。神様のお言葉通りに車のハンドルを切った事によって助けられたのです。私たちも神様の前に穏やかに信頼し、委ねてまいりましょう。
文責:吉田 愛子
参考聖句:イザヤ30:21 詩篇62:1~2 Ⅰペテロ5:6~7
- 2026年4月19日 角和正義 牧師
タイトル:『砕かれた、悔いた心』
聖 句 :詩篇51篇17節
聖霊様のお手助けの中で私たちはこの世を生きています。神様から離れてしまった人間は、神様との関係を修復しなければなりません。それには生贄をお捧げする必要があります。神様に喜んでいただくためです。神様の前で心を砕いて、悔い改めた姿をお見せすることが生贄となります。聖書には3人の男達の姿が記されています。取税人は砕かれた時にそれまでの全てに無知であった自分の姿を見ました。自らの胸を打ち、悔い改め赦されて家に帰りました。放蕩息子は父を本当の意味で知りませんでした。そして、それを思い知った彼は失ったもの全てを回復されて祝ってもらいました。パウロはイエス様を知らずに、肉の想いだけで自分の信じる道を歩み続けました。しかし、イエス様に出逢い自分の罪深さを知り、赦しを求めてただ一人の神のイエス様にすがりました。そして、真の神のために生きる人生へと変えられました。悔い改める前の姿は私達の姿です。心を砕き、悔い改めた後には自分の心に愛が流れます。それは神様を自分の中にお迎えした時に、瞬時に溢れます。神様にお捧げした私達の生贄を神様は喜んで受け取ってくださいます。神様は天の御国で、慈愛の眼差しを持ってその時を待ち望んでおられます。アーメン 文責:仲平 滋
参考聖句:Ⅰサムエル12:11 ルカ18:13 ルカ15:21 使徒9:11
- 2026年4月12日 角和正義 牧師
タイトル:『バタフライエフェクト』
聖 句 :コリント人への手紙 第一 15章20節~22節
聖書によると、もしイエス様の死からの復活がなければ、私たちが伝えていることが無駄であり、神への信頼や価値もなく絶望的なものになるとあります。しかし、イエス様は死者の中からよみがえりました。死が一人の人(アダム)から来たのですから死者の復活も一人の人(イエス様)によって来るのです。バタフライエフェクトとは、アマゾンで蝶が羽ばたくと、その余波が巡り巡って1万キロ離れたテキサスで竜巻になります。その様に最初の蝶の羽ばたきは小さなことでも、そのことが連鎖によって、大きな影響を及ばすことの意味です。このことを聖書で考えると、アダムが罪を犯したことでその後竜巻のようにすべての人に罪が入りました。しかしイエス様の十字架での罪の贖いである1度の羽ばたきにより全人類へ、救いの恵みが竜巻のように広がりました。今は恵みの時代ですが世界情勢を見ると、福音の時代が終わりに近づいている様に思えます。イランの戦争はエゼキエル戦争に向かっているように思われます。艱難時代の終わりに起こる最終戦争であるハルマゲドンは反キリストにより全世界がイスラエルに対して総攻撃をします。しかしイエス様は再臨し、これを完全に打ち砕き、この世を支配してくださいます。イエス様の羽ばたきは、御子を信じるものが一人として滅びることがなく、永遠のいのちを持つためでした。私たちはこの福音を伝える羽ばたきを行う時、聖霊の風が人々に届き、大きな祝福となるのです。文責:片岡 哲郎
- 2026年4月5日 角和正義 牧師
タイトル:『利己的な心と与える心』
聖 句 :ヨハネの福音書3章16節
星野富弘さんは24歳の時に体育教師として跳び箱の指導中に頭から落下して、頚椎損傷で四肢麻痺となりました。彼は最も深い絶望の淵にあった入院生活の中で、友人から贈られた聖書に触れて、キリストの言葉(マタイ17:28)を通して、重い障害を自らの人生の一部として受け入れ、苦難の中にも生きることのすばらしさを発見します。彼は死への恐怖や苦しみから解放され、その感謝を口に筆をくわえて描く詩画の活動に昇華させました。アメリカであった悲しい事実ですが、ニューヨークに大きい橋がありました。一人のお父さんがギアーのチェンジをする働きをしていました。彼は自分の仕事を見せようと小さな男の子を連れて来ていました。しばらくして彼が時計を見ると電車が来る時間でした。橋を下ろすためにギアーに手を掛けた時に、遠くから「助けて」という声が聞こえました。子供がギアーボックスに挟まっていました。従業員はお父さん一人だけでした。でも彼はギアーを下げたのです。最後に叫び声が聞こえながら橋は下りました。その直後電車が通って行きました。この乗客を助けるために彼は我が子を犠牲にしたのです。
最後にヨハネの福音書3章16節をいっしょに読んでください。
文責:川村 則之
- 2026年3月29日 ベアンテ ボーマン先生
タイトル:『凱旋入場』
聖 句 :ルカの福音書 19章28節~44節
イエス様はエルサレムに王として入場されました。人々はシュロの葉を敷き王を喜んで迎え入れました。イスラエルを再興する人だ。平和をもたらす人だ。奇跡を起こした人だ。と人々は喜びました。しかしイエス様は政治的な統治のために来たのではなく、神と人との間に平和をもたらすために来たのです。メシアは平和をもたらします。キリストご自身が平和の君なのです。人は自分中心に生きているので戦いはなくなりません。剣で戦う者は剣で滅びるのです。今は困難な時代です。人に惑わされないようにしなさいと聖書に書いてあります。真実は御言葉の中にあるのです。
文責:小原 照代
- 参考聖句:ゼカリヤ9:9 詩篇118:22~27 ダニエル9:24 エペソ2:16
ピリピ4:6~7
2026年3月22日 川口芳一長老
タイトル:『信仰の戦い』
聖 句 :出エジプト記 17章8節 ~ 13節
私たち人間にはアダムとエバ以来、神様に従う事のできない肉の思いの性質が備わってしまいました。それを罪と言いますが、信仰生活の中ではその罪との戦いがあります。私たちは努力などではなく、神様の一方的な愛によって救われました。この恵みの中で生かされつつも、強い意志を持って信仰生活を歩む事は大切です。パウロも自分の身体を打ちたたいて服従させます。(第Iコリント9章)と仰っています。出エジプト記17章では、イスラエルがレフィディムに宿営した時のアマレクとの戦いが書かれています。その時、モーセはヨシュアに幾人かの男の人たちを選びアマレクと戦いなさい。私はアロンとフルと共に丘の頂に登ると言いました。頂でモーセの祈りの手が上がっている時は、イスラエルが優勢になり、祈りの手が下るとアマレクが優勢になりました。これはアマレクの先祖がエサウである事に関係があります。昔、ヤコブがエサウに長子の権利を私に売って下さいと言いました。お腹がすいていたエサウは簡単に長子の権利をヤコブに売ってしまい、神様の祝福を侮りました。その事から、アマレクは肉の思いの象徴として存在しました。私たちもアマレクのように信仰の中で肉の思いに襲われる事があります。また、信仰生活にはサタンとの戦いもあります。サタンは多様な情報やさまざまな方法で私たちの心に色々な思いを入れていきます。その中でパウロはイエス・キリストのことを心に留めていなさい(第Ⅱテモテ2章)と仰っています。ですから、このような戦いの中で私たちはいつもイエス様の十字架を見上げ歩んでいく事が大切になります。文責:吉田 愛子
- 2026年3月15日 角和正義牧師
タイトル:『生けるいのちのことば』
聖 句 :ペテロの手紙 第一 1章23節
「食べる」ということは『生きる』という意味を含んでいます。私達は大きな困難に遭うと心が病んでしまいます。肉体的には食物によって生かされてはいても精神的には死に向かっていきます。心にも命の糧が必要なのです。人は生まれながらに罪を背負っています。罪が赦され、新しく生きることを『新生』といいます。ニコデモに対して、イエス様はこう仰いました。「人は水と御霊によって新しく生まれなければ神の国を見ることはできません」(ヨハネの福音書3-3) 御霊はイエス様を心の内にお迎えした時に宿ってくださる聖霊様です。水とは聖書の御言葉です。御言葉を信じて受け取るならば浄められて新しく生まれ替わります。御言葉の種がまかれると、それは心の内に新しい命の実を結びます。エデンの園には、善悪の知識の木と命の木とがありました。御言葉を読むのだけではなく、食すと生きる者となります。多くの人々はそのことに気付かずに通り過ぎてしまいます。イエス様は私達と共に歩んでくださいます。時には疲れ果てた私達を抱きかかえてまで天の御国に連れて行ってくださいます。 生けるいのちのことばである聖書の御言葉を味わい、受け止めましょう。イエス様が手を引き、聖霊様が後押しをしてくださいます。ハレルヤ アーメン
文責 仲平 滋
参考聖句:ヨハネ3:35 エペソ5:26 Ⅰペテロ1:22 創世記3:22
- 2026年3月8日 角和正義牧師
タイトル:『再臨の徴(しるし)』
聖 句 :マタイの福音書24章35節~39節 テキストマタイ24:35~51
聖書を見ていくとイエス様の再臨は二回あるとされています。一回目は空中再臨で教会を迎えに来られます。すでに亡くなった方が先に天にあげられ、続いて私たちも空中に引き上げられ、いつまでも主とともにいると、第一テサロニケ4章に書かれています。しかしその時はいつかはわかりません。2回目は地上再臨でゼカリア書14章に書かれています。その時期は聖書の預言を見ればわかります。イエス様が空中再臨された後に7年間の大患難時代があり、その最後に世界の最終戦争が起こります。そのことによりイスラエルが滅びそうになった時に、イエス様が来られます。最初の再臨の時期はわかりませんが、教会を迎えに来られる時は世界で起こっている戦争や災害、天候異変などでその時期が近づいていると感じます。地上再臨されるときの世界の動きがエゼキエル書38章1節から6節に預言されています。内容を説明するとロシアとその同盟国イラン、エチオピア、北アフカのアラブ諸国、ドイツ、ポーランド、チョコスロバキア、南ロシアが一軍になってイスラエルを攻めてくると見ることができます。神はすべてそのご計画によって罪が満ちる時期を定めています。大患難時代の最後にイエス様が地上再臨され悪を打ち破り、地上を治めます。今のイランとイスラエルで起こっていることを見ると、このような預言に向かっているように思えます。終末時代にいる私たちは多くの方へ福音を伝えることができるように祈りましょう。
文責:片岡 哲郎
参考聖句:1テサロニケ4:16~15 5:1~2 ゼカリヤ14:4 エゼキエル38:1~6 ヨハネ16:13
- 2026年3月1日 角和正義牧師
タイトル:『聖霊に導かれる人生』
聖 句 :ヨハネの福音書16章13節~14節 テキスト15:26~16:15
イエス様は「私は去って行く」と言われました。その理由も語りました。イエス様が去って行くことで聖霊が来られるので、それは素晴らしいことですが、弟子たちは悲しみで一杯で、何が起ころうとしているのかを冷静にしっかりと受け留める状況ではなかったのです。(ヨハネ16:5,6)。問題や苦しみの中に神様の御計画が隠されていることがあります。それをどうやって見つけていくかが私たちのクリスチャンライフです。聖霊が働いてくださると、人々に罪を示し、また義を啓示し、またさばきも教えてくれます(ヨハネ16:8)。1.「罪」とはギリシア語でハマルティアと言いますが、これは「的はずれ」という意味です。神の許に戻らなければ、私たちは本来の歩みをすることができません。2.「義」とは正しいと認められたことです。あなたは既に赦され、神と和解をしたという意味です。神様と和解しない限り、私たちの本当の平和は来ません。3.最後は「さばき」です。私たちは一度死ぬことはよくわかっています。これと同じように死後にさばきを受けることも聖書によれば、明白な事実です(ヘブル9:27)。聖霊はあなたを真理への導いてくださいます(ヨハネ16:13)。日々聖霊の導きを求め、自らを委ねていきましょう。 文責:川村 則之
- 2026年2月22日 角和正義牧師
タイトル: 『私は弱いときにこそ、私は強い』
聖 句 : コリント人への手紙 第二 12章9節 ~ 10節
パウロは神様から特別な体験を頂きました。それは素晴らしい出来事だったにも拘らず、パウロは名を伏せて聖書に書き記しました。ユダヤ人は天を3つに区分していました。①鳥などが飛んでいて、私たちが見ている空は第一の天です。②月や星がある宇宙の事は第二の天です。③神様がいるパラダイスが第三の天です。そのパウロは第三の天まで引き上げられ、特別な体験をしたのです。それは、これからパウロにつらい事が待ち受けている事への神様からの励ましのようでもあります。そして、その体験があってもパウロは決して誇る事をしませんでした。また、高慢にならないためにパウロ自身の肉体に一つの棘が与えられました。それが肉体に刺さっているというそれほど大きな苦痛をパウロは伴っていました。パウロはこの苦痛を取り除いて下さいと主に三度、祈りました。しかし、癒される事はありませんでした。それは、パウロが高慢にならないように神様の栄光を現すためのものだからです。なぜなら自分の弱さにキリストの力が覆う事によって、神様の栄光の輝きが現れるからです。パウロのように自分の弱さを勇気を持って神様に明け渡す事によって、神様の力の偉大さを示す事ができるようになるのです。
文責:吉田 愛子
- 2026年2月15日 角和正義牧師
タイトル:『思い煩いを、いっさいゆだねなさい。』
聖 句 : 創世記13章9節 ~ 11節 テキスト:創世記13:5~17
私達の人生には時として想定以上の出来事が起きることがありますが、全ては主の御手に委ねられています。人間は、何が善で悪かということよりも損得を前面に置いて選択してしまうことがあります。自分の前に選択権が与えられた時に、主の御前に委ねていく祈りの心を持ち続けていたいものです。神様の導きを求めるならば、必ず神様は祝福を与えてくださいます。自分の選択を怖れたり、不安に思うことがあります。その際は御言葉に従いましょう。主の御前に立って、御言葉を読む。肉の眼だけで読むのではなく、祈りの心を持って御言葉に触れることが大切です。全ては主の御手の中にあるので、思い煩いは神様にゆだねましょう。神様はいつでも私達のことを心配し、愛に満ちた眼差しで私達を見守っていてくださっています。そして、赦しと癒しの御手を差し伸べてくださいます。肉の想いに縛られて誤った選択をしてしまったロトに対しても神様は慈愛の御手を差し伸べられました。神様は私達の弱さも愚かさも全てご存知です。聖書の御言葉を読み、素直に従うことで神様は私達に最善の道を示してくださいます。思い煩うことは何もありません。いっさいを神様にゆだねましょう。神様が祝福の道を備えてくださいます。
文責 仲平 滋
参考聖句:マタイ6:31,33 Ⅰペテロ5:6~7
- 2026年2月8日 角和正義牧師
タイトル:『光、あれ。』
聖 句 : 創世記1章3節、ヨハネの福音書1章1節~5節、9節
神は永遠の昔からおられ、ことばによって天地と光を創造されました。そのことばには力があります。すべてのものは神によって作られました。ヨハネ1章には「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」とあります。私たちは山をも動かすことができる神を信じています。その神に祈るとき、聖書のちからあることば通りに成してくださいます。聖書のことばは神のことばです。ヨハネはヨハネ1章9節で「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。」と言っています。このお方がイエス様です。ヨハネ10章10節でイエス様は「羊たちがいのちを豊かに得るため」とあります。イエス様が語ることばは、神のことばとして力と権威があります。そのことばによってイエス様が御業を成す箇所の一つにルカ7章11節があります。イエス様一行がナインという町に行かれた際に、悲しみに満ちた一行に出会いました。やもめの一人息子がなくなり、担ぎ出されている行列でした。イエス様はそれをみて深くあわれみ、その母親に「泣かなくてもよい」と言われました。そして棺にふれ「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われ、彼は生き返りました。「光、あれ。」と同じく力あるイエス様のことばは、必ず成すことができます。聖書にあるたくさんのことばを自分自身に対することばとして受け止めることが重要です。その与えられたことばを信じ、祈ることにより聖霊様の助けを受け、導かれていきましょう。
文責:片岡 哲郎
- 2026年2月1日 角和正義牧師
タイトル:『感謝する心』
聖 句 : コロサイ人への手紙 3 章 15 節 ~ 17節
感謝の心を表す言葉として一番ポピュラーなのは「ありがとう」です。このたった5文字の言葉が人生を大きく変えることがあります。アイザック・ウォルトンという作家がこのように言いました。「神には二つの住まいがあります。一つは天国に。もう一つは感謝に満ちた心の中に。」 主も感謝に満ちた心を求めておられます。感謝の言葉と同時に、大切なのは感謝の言葉を発する心です。(Ⅰサムエル16:7、マタイ6:21)すべての源は神です。人生のあらゆる出来事は神の御手の中にあります。すべての恵みは神から与えられています。感謝とは神からいただいた恵みに対するお礼です。聖歌642番は「数えよ主の恵み、数えよ主の恵み、数えよ一つずつ、数えてみよ主の恵み」と歌っています。いただいた恵みに対して感謝することが礼拝です。
文責:川村 則之
- 2026年1月25日 ベアンテ ボーマン先生
タイトル:『驚くべき恵み』
聖 句 : エペソ人への手紙 2 章 1 節 ~ 10節
エペソ人への手紙2章はクリスチャンとクリスチャンではない人の心の働きについて書かれています。そこではエペソの信者たちにパウロはイエスを信じる前はどのような状態だったかを語っておられます。まず、イエス様を信じる前は身体は生きているのに、霊的には死んでいる状態だったと言っています。その問題点は3つあります。①この世の流れに従って歩んでいる事です。それは流行の考えによって生きているという事です。または、その国の文化によって生きる事です。文化や哲学は時代によって変わっていきます。しかし、真理は変わりません。ですから、クリスチャンは御言葉に立ち返って生きていく事が大切です。②目に見えない霊的な力についてです。この目に見えない力が目に見える世界を支配しています。イエス様も偽預言者には気をつけるようにと聖書で仰っています。③イエス様を信じる前は肉の欲のままに生きていた事です。自分の欲望を優先した生き方でした。イエス様はこの全ての心の暗闇から解放して、自由にして下さいます。そして、イエス様から大きな愛が注がれ、恵みを与えてくださいます。イエス様が一人一人を変えて下さいます。このイエス様に感謝して歩んでまいりましょう。
文責:吉田 愛子
参考聖句:コロサイ2:8 エペソ6:12 Ⅱテモテ3:1~2
ヤコブ4:1 ローマ8:33~34 Ⅰヨハネ4:9~10
- 2026年1月18日 角和正義 牧師
タイトル:『私たちの心は内で燃えていた』
聖 句 : ルカの福音書 24章32 テキスト:ルカ24:13~35
エルサレムでの出来事について論じ合っていた二人の弟子の心は冷え切っていました。イエス様は彼らと共に歩きながら、二人に聖書を解き明かされます。霊的不信仰に陥っていた二人の目にはイエス様が見えませんでした。食卓につき、イエス様がパンを裂かれ渡された時にはじめて彼らの目は開きました。そして、イエス様の話を聞き、共に歩いていた時に自分らの心は内で燃えていたことに気付きます。食事して摂った栄養素が分解される時に身体が温まります。二人の弟子たちはイエス様が十字架にかけられたことのみによって聖書に従順ではなくなっていました。従順とは素直に正しく従うことです。そうはさせまいとサタンが妨害してきます。エデンの園でアダムとエヴァに蛇が囁きかけたように。御言葉に従順に従うなら神様の祝福が与えられます。イエス様を信じることで救いが与えられます。聖書に従順ならば神様のご計画のもとに大いなる恵みがいただけます。霊的に聖書を食すと心が温かくなります。自分の感情だけではなく、神様の御言葉に従順に従って神様を見上げる時に神様は癒しの眼差しで私達を見詰めてくださいます。そして、私達は心地よい温かさに包まれます。
文責 仲平 滋
- 2026年1月11日 角和 正義 牧師
タイトル:『神のご計画の歯車として』
聖 句 : ローマ人への手紙 8章28節
本日は神のご計画の歯車についてお話します。最初に歯車の重要性を腕時計の歯車の分解図で解説します。腕時計の中を見ると様々な歯車があり、それぞれ違った動きをします。互いに連動しながら時を刻んでいます。腕時計が動くためにはネジを巻いてゼンマイを巻き上げ、そのゼンマイの反動を各歯車が連動し、規則正しく時計を正確に動かしています。歯車が一つでも動かないと時計の役目が果たせません。歯車の役割は時を正確にあらわすことで、とても重要なことがわかります。私たちは神のご計画の歯車の一部なのです。その歯車が神の御心の通りに動くことができるならば、神の栄光があらわされていきます。私たちは神の御心の歯車でありたいと願います。しかしローマ人への手紙8章5節から13節では二つの歯車があると書かれています。神の御霊の歯車と肉の歯車です。私たちが肉の歯車よって、正しい思いができない時があります。しかしその時に、さらにもう一つの歯車が働きます。それは摂理の歯車です。それは神を愛する者への神からの継続的な守りと導きで、私たちが気付かないところで働いています。摂理の歯車が私たちを神のご計画に従って動かしてくれます。ローマ8章28節のすべてのことがともに働いて、とは神の摂理の歯車が働くことです。益になるとは神のご計画に対しての益です。この霊的な働きには、神の憐れみと祝福があることを示しています。御霊の力を頂き、神のご計画の歯車として働いていきましょう。
文責:片岡 哲郎
- 2026年1月4日 角和正義 牧師
タイトル:『通りよき管』-わたしの霊によって
聖 句: ゼカリヤ書4章6節『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は言われる。
ゼルバベルはダビデの家系の指導者で、「バビロン捕囚」からの第1回目の帰還の時のリーダーです。彼の役目は神殿の再建でした。紀元前606年にバビロンによってエルサレムは完全に滅ぼされ、その時ソロモン王の時に建てられた第一神殿は壊されてしまいました。しかし神は約束通り70年経った時に奇跡的に他の国の王を使って神殿再建のために帰っていいという勅令を出しました。ゼルバベルは神殿再建を始めましたが、まわりの妨害にあって再建をすることができず、16年間もその働きに従事できませんでした。その時に預言者ゼカリヤが立てられて、神によってゼルバベルに励ましの言葉として今日の聖句が語られました。それは、政治的な権力によらず、軍隊の能力によらず、わたし(神)の霊によるのだというのです。この神からの励ましを受けて4年後に第二神殿が完成します。私たちクリスチャンはどうあるべきかというと、聖霊の通りよき管になれるかということです。そのために私たちは絶えず聖霊の油を受けなければなりません。「天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます(ルカ11:13)」。神に聖霊を求めて行きましょう。
文責:川村 則之