2019メッセージブログ

 

  • 2019年 12月29日   角和正毅牧師
    テーマ:信仰の戦い
    聖 句:テモテへの手紙 第一 6章12節

    いつの間にか月日は過ぎたように感じますが、確実に一日一日を過ごしてきました。信仰においても今年も守り通したと言えるでしょうか。信仰を守るために戦うこともあります。時には負けるかもしれません。でも、最終的に勝つことが大切です。信仰に留まること、信仰を守ることはわたしたちに与えられた課題なのです。伝えられた最初の福音を守る。これはニセ指導者やニセクリスチャンによって惑わされるなということです。何を聞くべきか聞かざるべきか。それは聖霊様が教えてくれます。純粋な信仰、それは「イエス様が十字架にかかり葬られ、復活した」ということです。それを曲げるような教えならば戦わなければなりません。残っている問題は神様にゆだね、今年一年良くしてくださったことを感謝し過ごしましょう。

    文責;小原 照代
    参考聖句:Ⅰテモテ6:12 Ⅱテモテ4:12 ユダの手紙 3節
    ヨハネ15:16

 



  • 2019年12月22日   角和正毅牧師
    テーマ: 神の人生への干渉とそれに応じるマリヤ
    聖 句: ルカの福音書 1章45節 ~ 55節

    時として 神様は何の予告もなく、突然、私たち一人一人に関わって下さいます。それは、私たちの人生に神様が計画を持って、干渉されることです。ある日、マリアという乙女に最高位の天使であるガブリエルが、「あなたは身ごもり、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。」と、告知されます。処女であるマリアは、一旦、困惑してしまいますが、天使から、あなたに聖霊が臨んでいる事や親類の不妊であったエリサベツが妊娠している事を伝えられました。それが、生きた証となり、マリアは謙遜に受け入れ、神様に従いました。世界の父となったアブラハムもウルの地で神様に出会い、従う事となります。その後、アブラハムは神様の御言葉を伝える接点となるのです。また、モーセも荒野で40年、羊飼いをしている時に、燃える柴から神様とお会いします。そして、エジプトからイスラエル人を救う事となるのです。パウロも最初はクリスチャンを迫害している者でしたが、ダマスコでイエス様にお会いし、世界中に福音を伝えて行く者と変えられました。私たちが選ぶのではなく、イエス様が私たち一人一人を選び、任命し、祝福して下さるのです。いつの時代も、聖書の御言葉を信じ、従って行く者は幸いです。                  

    文責:吉田 愛子
    参考聖句;イザヤ40:26 ヨハネ15:16 ヘブル3:13~15


  • 2019年12月15日  角和 正毅牧師
    テーマ:イエスが来られたわけ
    聖 句:ヨハネの福音書 6章26節 ~ 27節

    どんな素晴らしいものであっても、その真ん中にイエス様がいなければ高い山や美しい光景も色褪せてしまいます。背後に神様がいること、これこそが喜びです。イエス様がお見せになった数々の奇跡に人々は大いに満足しました自分達の見える範囲で、自分達にも理解出来る業だったからです。イエス様は私達をお救いになるためにこられました。 霊的なお話をされても人々は混乱してしまいます。例えを用いて判り易くお話されても人々は肉の目で見て認識出来る物事しか受け入れようとはしません。 神様は人を守るため、愛するが故に来られました。 時には試練を与え、私達の暮らしと心の安定を願っておられます。 神様は私達を改良するのではなく、変えるために来られたのです。信じること・・・これが神様が私達に望むことです。人に肉の満足のみをお与えになるために来られたのではありません。 それではイエス様は何故、来られたのでしょうか?それは 私達が永遠の命を得るためです。 聖い御霊を受け取るためには私達はあまりに汚れてしまいました。 たくさんの罪を犯してしまいました。イエス様は私達の罪を身に背負い、生まれ変わらせるために十字架に架かって下さいました。神様が私達に目に見える形で示された御業を信じて受け入れること。イエス様はそのために来られたのです。
    文責:仲平 滋
    参考聖句;ヨハネ6:1~40、63 Ⅱコリント4:18 申命記18:15

 

  • 2019年12月8日   角和正毅牧師
    テーマ:ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。
    聖 句:マタイの福音書 2章1節 ~ 2節

    ベツレヘムに起きた小さな出来事を世界中の人々は知りませんでしたが、心を開いた人たちは、それを察知して動き始めました。
    まず、天の御使いは羊飼いたちに、福音と救い主が生まれたことを知らせに来ました。また、はるか東の国からは、星を研究する人たち(博士たち)が、民数記のみことばによって、神の約束のメシヤを送るという秘密を読み取り、長い旅をしてきました。彼らは、その救い主を喜び、「礼拝する」ために長い旅路を乗り越えて来たのでした。この姿は、私たちが教会に行き、イエスにお会いして「我が主よ」と言って礼拝する喜びの姿と同じです。シメオンは、聖霊に導かれて、神殿でイエス様に会い、小さなイエス様を礼拝しました。サマリヤの女は、どこで礼拝するのかという時代は終わり、御霊と真理によって神を礼拝することを、聖霊によって悟りました。イエスを信じる人が二人、三人集まるとき、その真ん中にイエス様はおられます。私たちは、イエス様をどこかに探しに行く必要はなく、イエス様の名によって集まり、心を一つにして祈り、礼拝するのです。天地万物を創造された主は、私たちと同じ姿になられ地上に来られました。そして、聖霊によって強くされ、神の力、知恵、導き、意思を私たちに伝えてくださいます。イエス様が罪人の私たちを十字架の御血で贖い救ってくださった深い意味を、よく知り、主をほめ、賛美し、今日も礼拝していきましょう。
    文責: 金子和子 
    参考聖句: 民数記24:17、ミカ5:2、ルカ2:25〜32、ヨハネ4:7〜24、マタイ18:19〜20、28:20

 

  • 2019年12月1日   角和正毅牧師
    テーマ:マリヤの証し
    聖 句:ルカの福音書 1章46節 ~ 48節

    天使がマリヤのいる所に現れて、聖霊によって神の子をみごもったことを告げました。それを聞いてマリヤは非常に動揺しましが、神様の言われる事は真実であるとの確信を持ち、最後に彼女は「あなたのおことばどおり、この身になりますように。」と言いました。天の神様は地上にイエス様を送る時、本当に謙虚で傲慢にならない、堕落のない、敬虔な神を信じる普通の人を選んだのです。それがマリヤでした。後の時代になると、マリヤは神の子を生んだということで、彼女の品格を非常に高めて罪の無い聖人として敬うようになってしまいました。しかし、彼女はいつも身を低くして静かに表立たないように生活し、普通の弟子たちと同じように行動していました。神様はマリヤの体を介してイエス様を人としてこの地上に誕生させたように、今もイエス様を信じた人々は罪人でも特権によって神の子とされるのです。私たちはイエス様を信じた時に霊的に新しい人に生まれ変わるのです。私たちはこの新しい人をイエス様が再び来られる時まで大切に維持していかなければなりません。
    文責:川村 則之
    参考聖句;ルカ1:38~55 11:27~28 ヨハネ14:23 3:3、5 1:12

 



  • 2019年11月24日   角和正毅牧師
    テーマ:パン種に注意して、気をつけなさい。
    聖 句:マタイの福音書 16章 6節

    聖書の中では、パン種を悪と腐敗の象徴とて表現されています。
    イエス様は、弟子たちにパリサイ人やサドカイ人達のパン種に注意するように言われました。彼らの教えは、偽善で影響力があったからです。その教えが少しでも入ってしまうなら、パン種のように心で膨らんでいく、恐ろしいものだからです。
     イエス様には、教会を建てる思いがありました。それは、弟子達にも今まで語られてこなかった、神の奥義として隠されているものだったからです。ユダヤ人達が、イエス様を救い主として受け入れなかったため、種まきなど7つの例え話を用いて、イエス様は御言葉の教えを語っておられました。イエス様の建てる教会は、パン種の全く無い、真実の教会なのです。私たちは、神の聖さの中に生かされています。
     クリスチャンは、パン種のない者です。しかし、この世に生きている私たち人間は心が汚れていきます。イエス様は、弟子達の足を洗われた時がありました。それは、イエス様を信じた時に体の全ては聖められましたが、日々罪を犯してしまう私たちは、いつもイエス様を見上げ御血によって、聖めて頂く事が大切なのです。そして、御言葉の上にいつも立ち、聖書に書かれている通りに、イエス様は私たちの罪のために死なれた事、葬られた事、三日目によみがえられた事、この福音を信じて歩んで行くならば、守られていきます。                               
    文責:吉田 愛子
    参考聖句;マタイ16:13~19 17:8 ルカ12:1 Ⅰコリント5:6~8 ガラテヤ5:9 コロサイ2:8

  • 2019年11月17日   角和正毅牧師
    テーマ:キリストの信者の戦い
    聖 句:エペソ人への手紙 6章10節 ~ 20節

    私達の人生は喜怒哀楽の糸を幾千、幾万と織り込んだ織物のようです。自分にとっては不出来で不満足な織物かも知れませんが、イエス様はそんな私達を「高価で尊い」と仰有って下さいます。パウロは私達に神様の前に立つまでの生き方について詳しく述べています。そして、それは困難の多いものですが、悪魔の策略に対し固く立つために(負けないように)様々な武具を身に付けなさいと説いています。サタンの標的は私達クリスチャンです。いつでも私達は神様から与えられた武具を身に付けている必要があります。それほどにサタンの攻撃は熾烈で容赦がありません。武具が重かったり、身動きが不便なら自分の重荷を降ろして主に委ねるべきです。神様は私達のその願いを絶対に聞き入れて下さいます。私達の戦いはこの世における血肉によるものではありません。イエス様はこの世での戦い自体を否定し、嫌っておられます。サタンの誘惑、罠に打ち勝つ為に全ての武具を身に付けなければなりません。一つの見落としも命取りになります。私達はイエス様によって見出だされ、救われ、新しい命を与えられました。そして、十字架の血によって罪までも赦されました。神様から与えられた武具を取り、勇ましくサタンに立ち向かっていくならば勝利は必ず私達のうちにあると神様は約束して下さっています。何を恐れることがありましょう。勝利は我らにあります!
    文責 仲平 滋         
    参考聖句;ヨハネ16:33 8:44 エペソ6:13 Ⅰヨハネ2:15~16
    Ⅱコリント12:3~4 11:13~15 


  • 2019年11月10日   角和 正毅牧師
    テーマ: 生活の基準を何処に置くのがいいか
    聖 句:  ヘブル人への手紙 11章8節 ~ 10節

    アブラハムは、神のことばの上に立って生きた「信仰の父」です。イエス様の生まれる2000年前の人ですが、彼からユダヤ人の歴代が始まります。彼の生き方を支えていたのは、アブラハムの子孫から救い主が生まれるという神との約束でした。イエス様が全人類の罪を背負って十字架で死なれ、死に打ち勝ち復活されることは神の奥義です。イザヤ53章、詩篇22篇にはその十字架の光景が克明に預言されていますが、人々には理解することが出来ませんでした。栄光の神に出会い、どんなことも神に従い、天の都を待ち望むアブラハムに対して、甥のロトの信仰は段々薄れて、やがて滅ぼされるソドムの地に定住します。ロトとこの地上では旅人であると考えて天幕生活を続けたアブラハムとの生き方の違いの差は、大きいものです。そして、天幕生活の中で、アブラハムは偉大な真の神(エル・エリオン、エル・シャダイ、エル・オーラム)を学んでいきます。また、ソドムからロトを救ったのは、アブラハムの祈りでした。祈りが町を救い、家族を救うのです。神の約束、神のことばはアブラハムを常に助けました。私たちも 生活の中に、神のことばを基準におくことが、生き方の基礎になります。神を信じて祈り、いのちと力のみことばに立って、生活していきましょう。
    文責:金子 和子
    参考聖句: ルカ23:34、創世記13:10~15、17:1〜8、18:26〜32、19:1〜26
    Ⅱペテロ2:6~8 ヘブル11:8~10 ヨハネ16:33 ルカ17:32


  • 2019年11月3日  角和正毅牧師
    テーマ:人は瞬間に変わりえるのか。
    聖 句:ローマ人への手紙 10章 9節~13節

    預言者エリシャの時代にアラムの王ベン・ハダドがイスラエルを攻めて来て首都のサマリヤを包囲しました。町は大飢饉で人々は食に窮していました。しかし神が大軍の音をアラムの頭上で響かせたので彼らは一目散に逃げて行きました。神様の御業は時間的にも瞬間に事をなしうるのです。次は新約聖書に出て来る話をします。一人目は十字架上で改心した犯罪者です。彼はイエス様が天で人々を裁かれる時に自分を思い出してくれるようにと言うと、イエス様は「あなたは今日わたしといっしょにパラダイスにいます。」と言われました。この瞬間に彼は救われました。エリコの取税人の頭ザアカイは不正に財を築いていて人々から嫌われていました。しかし彼はイエス様に会いたいと思い、いちじくぐわの木に登ってイエス様を見下ろそうとしました。イエス様が来て「ザアカイ、下りて来なさい。わたしは今晩あなたの家に泊まることにしているから。」と言いました。このお言葉によって彼の人生は一変し、イエス様を心の中に迎えて信じました。イエス様に会いたいと思った瞬間が彼の人生の転換点でした。使徒パウロは高慢な者で、自分の実力、家柄や名誉など自慢する物がいっぱいありました。その上イエス・キリストの迫害者でした。でも彼はダマスコの途上でイエス様に出会い、落馬し目が見えなくなり三日三晩祈って、自分の人生を反省しました。彼は神の前に全てを告白して、悔い改めてイエス様を信じました。彼は瞬間に変わったのでした。        文責:川村 則之
    参考聖句;Ⅱ列王記6:24、25 7:1~2 ルカ23:34~43 Ⅰテモテ1:15~16 使徒16:31

 

  • 2019年10月27日 小村誠志郎長老
    テーマ:イエス・キリストは待っておられる
    聖 句:エレミヤ書 29章 11節 ~ 13節

    当教会の教会員でもあり、2001年、長老に就任し仕えておられる小村長老の人生を通して、神様の愛を学ぶ事ができます。1955年、長老は島根県で誕生されました。出雲大社で有名な島根県には、多くの神社が存在しています。その中で長老は、幼心にもあの神社の中に、本当に神様がいるのだろうか?と疑問を持つようになりました。そのような時に、妹さんが「本当の神様を伝える人がいるよ」と韓国の宣教師の事を伝えて来ましたが、消極的だった幼い長老は、遠くからその伝道を見ているだけでした。 中学生になり、長老は転機となるバスケに出会います。バスケの楽しさを知った長老は、高校でもバスケを続け、島根県でベスト3に入り、滋賀県守山の繊維会社に入社後も全国地区で優勝、その後、転勤先の川崎でも大会でMVPを取る程のバスケの腕前となっていったのです。しかし、体力の限界から、バスケが思うようにできなくなり、今までの心の支えが喪失してしまった事、仕事や私生活のストレスが重なり、多くの量の飲酒をするようになってしまいました。 そんな時、友人から三浦綾子さんの「道ありき」の本を頂き、それを通して、はからずも当教会へと導かれる事のなるのです。長老は幼い頃に出会った宣教師、本をくれた友人、当教会の宣教師など多くの方の祈りがあり、救われたと振り返ります。イエス様は一人一人を導いて下さるのです。           文責:吉田 恵子

 

  • 2019年10月20日 角和正毅 牧師
    テーマ:神の祝福
    聖 句:申命記 28章 1節 ~ 2節

    神様の祝福はいつ、どのような形で私達に与えられるのでしょうか。私達が主の御声に聞き従い、主から与えられた全ての命令を守るなら、私達はどこにあっても祝福されると神様は約束して下さっています。 エジプトを脱出し、40年も荒野をさまよっていたイスラエルの民は信仰的には幼児のようでした。旧約の時代には律法を守ることが全てでした。しかし、新約の時代の今、私達は成人として作られました。 イエス様は十字架の上で私達の罪を全て引き受けて下さいました。刑場へと向かう坂道を、イエス様は自らが架けられる十字架を背負って登られました。 十字架の重みは私達の罪の重さです。 この世において私達は複雑な人間関係に悩まされることがあります。私達の敵は人ではありません。サタンが人に紛れ込んでいるのです。その他にも私達は様々な困難に遭います。私達は弱い時にこそ強い---神様の祝福が私達に表れます。失敗ですら神様は祝福に変えて下さいます。ですから、私達は何を着て何を食べるか、思い悩むことはありません。主が全てを整えて下さいます。 私達は主の生きた道具です。主は御自身の道具を大事にされます。神様は私達の求めに応じて下さいます。求め、探すなら必ず戸は開かれます。喜んで主に仕える奴隷になりましょう。       
    文責:仲平 滋
    参考聖句;申命記28:1~9 28:15 ローマ13:14 マタイ6:24~34ルカ24:44~53

 

  • 2019年10月13日  角和正毅牧師
    テーマ:主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな
    聖 句:詩篇103篇 1節 ~ 5節

    私たちは、詩篇103:3〜4にあるように、主のすべての恵みを何一つ忘れてはなりません。昭和28年1月18日にスェーデンからクリサンダー先生、同年10月13日にエリクソン先生とバーゲルド先生が鶴見に来られました。この時、エリクソン先生は、「いく人かの魂を獲得する為に行くのだと思いなさい」という言葉に励まされて、送り出されました。その言葉通り、角和牧師が17歳の時に「はからずも」先生方の配る1枚のトラクトに導かれたことが、鶴見純福音教会の今日に繋がります。ルツ記2:3に「はからずも」という言葉が出てきます。神に忠実に歩み続けてきたナオミに従いついてきたモアブ人ルツ(やがてイエス様の家系となる)が、ナオミの為に落ち穂を拾うために行った所は、「はからずも」エリメレク一族の畑だったというのです。このことは、神は私たちの歩みを一歩々々導き、神の計画があることを語っています。迫害者だったパウロが悔い改めて180度方向転換したことも、クリサンダー先生が日本に来ることを神に語られたことも、ジェンバリー先生の病気のお世話をされたこともみな「はからずも」神のご計画に導かれたことでした。そうして、神の働きは、次の者へと受け継がれていきます。ルツの魂を獲得したナオミからルツへ渡された信仰のバトンも同様です。このことから、私たちは多くを学ぶことができるのです。「はからずも」私たちは、主に出会いました。ここから、私たちの人生は方向転換してイエスを信じ、天国への道を選ぶ者となりました。主は、「あなたがたがわたしを選んだのではない」と言われます。私たち一人々々が、クリサンダー先生方に続く者としての自覚を持ち、そのバトンを受け取って伝道に励んでいきましょう。文責: 金子 和子
    参考聖句: 1コリント9:22、ルツ記1:9、16、17、21、2:2、3、ヨハネ15:16、1ペテロ2:21

 

  • 2019年10月6日  角和正毅 牧師
    テーマ:なぜクリスチャンは幸せか
    聖 句:詩篇146篇5節

    クリスチャンはなぜ幸せなのか、四点挙げてみたいと思います。
    1.私たちクリスチャンは主によって贖われています。人は誰でも先祖伝来の伝統や習慣に縛られた虚しい生き方をしていましたが、イエス様の十字架での罪の贖いと復活を信じた時に、それらから解放され、平安、喜び、希望という賜物を頂きました(Ⅰペテロ18,19)。
    2.私たちは主にあって安息があります。自分の力では解決できない問題でもイエス様ならできると信じるなら、あなたの魂に休みが来ると言うのです(Ⅰペテロ5:7)。神の 愛を受けて、私たちは周囲の状況に拘らず、心の中に素晴らしい安息があるのです。
    3.主に私たちは避け所を持っています。イエス様は私たちの避け所です(詩篇91:2,詩篇62:1,2)。主は常に私たちを守られる信頼できるお方です。どんな危機が迫って来ても、 主の御名を呼ぶなら、主は私たちの隠れ家になってくれます。
    4.主が迎えに来られます。 将来イエス様が私たちを迎えに来られ、天に挙げられます(ヨハネ14:1~6)。地上でどんなに荒れ狂う中を歩こうが、天国の希望は私たちをしっかり支え、生きる力を与えてくれて、素晴らしい恵みに与れるのです。
    文責:川村 則之
    参考聖句;Ⅰペテロ1:18~19 5:7 箴言15:13、17 17:1 
    詩篇37:7 91:2 62:5〜8 ヨハネ14:1~6 ヘブル6:19~20



  • 2019年9月29日  角和正毅 牧師
    テーマ:神について知りうることは、彼らに明らかである
    聖 句:ローマ人への手紙 1章18節 ~ 25節

    人間は神様から大きな恵みを与えられたのに感謝もせずに崇めません。人間を中心とする生き物全て、すなわち神様の作られた被造物全ての中に神様の永遠の力と神性がはっきりと認められます。自然界のものは全て神様の命令通りに動いています。人間だけが自分勝手に生きているのです。それは罪です。神様は罪を犯した者全てを裁くのです。御心の中心を見ていれば的を外すことはなくなります。御心は聖書で知ることが出来ます。真理の道を知ることが出来るのです。イエス様を信じると御心の中心にいることが出来ます。 第一にすべきは生きる神、神様を礼拝することです。どこにいても一人でも礼拝することは出来ます。日曜礼拝を守ることは天の神様も喜びます。その祝福は生活の隅々まで行き渡るのです。日常のしがらみを捨て、救いの喜びを持って礼拝しましょう。
    文責:小原照代
    参考聖句;ローマ1:18~25

 

  • 2019年9月22日 角和正毅 牧師
    テーマ:『永遠の命を持つため』の意味
    聖 句:ヨハネの福音書 3章16節

    私たち人間が「永遠の命」を持つために、神様は私たちに何をして下さったのでしょうか?まず、人間は神様に似せて造られ、その体に命の息を吹き込まれました。それは神様の霊であり、その事で人間は神様と交流できるようになり、永遠の命をも授けられたのです。しかし、サタンの誘惑に負けて、罪が入り込み、人間は死ぬ者となりました。また、サタンによって、罪の奴隷にもなってしまったのです。元々、サタンとは優秀な天使の一人でしたが、高慢になり、神様よりも偉くなろうと反逆したため、天の御国から追い出され、地上で活動しているのです。神様から離れた人間は、肉体と魂だけで生きている事になります。神様が与えて下さった霊は、心の中で遺跡のようになってしまいました。その時、人間を造られた愛の神様は、罪人が滅んでいく事を忍びなかったため、再び、私たちに永遠の命を与えるために、救いの計画をお立てになりました。その計画は、世の基が据えられる以前からのものでした。 神様は、ひとり子であるイエス様に、その計画を託しました。イエス様は地上に人の子となって来て下さり、私たち一人々々の罪の裁きを身代わりに、十字架の上で受けて下さいました。その事は、無実なイエス様が罪の塊となられた事や、神様との断絶を体験する苦しいものでした。神様は御心に従順であったイエス様を、復活させて下さり、「あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ」(詩篇2:7)と言い、神の子として高く引き上げて下さったのです。私たちがイエス様を信じるならば、罪が赦されて、再び、天国で永遠の命を持つ事ができるのです。
    文責:吉田恵子
    参考聖句;創世記1:26~27、2:7 ヨハネ7:37~39 黙示5:11 イザヤ14:12~17 Ⅱペテロ2:4 ユダ1:6 詩篇2:7 ヘブル1:5~6 Ⅰコリント2:6~10 ルカ23:46

 

  • 2019年9月15日 角和正毅 牧師
    テーマ: 神の家族
    聖 句:エペソ人への手紙 2章19節

    私達は神の家族です。世界中の教会にいるひとり一人は皆、私達の兄弟姉妹です。社会的に地位の高い人でも、教会では奉仕する側に回ることはごく自然なことです。なぜなら、それは主への働きだからです。神様を信じ受け入れた時から私達は神様の僕となりました。僕には僕の勤めがあります。私達はイエス様の十字架の代償として罪から解放されました。私達は贖われた者としてキリストの奴隷となりました私達は自分の意志の力では私達の内にある罪の力(サタン)に勝つことは出来ません。罪の代価はどんな人でも自ら贖うことは出来ません。喜んでイエス様の奴隷となった私達に神様は神の子としての証印をして(保証をして)御霊を与えて下さいました。信仰によって神の子となり、神様のご性質に与る者となった私達はイエス様と同等の愛の相続人となりました。私達はキリストという土台の上に建てられた教会の一員です。主は葡萄の木です。私達はその枝です。たわわに実る葡萄の房のように、世界中のクリスチャンは皆、主の葡萄の木に愛と恵みを養分として育った果実です。その一粒一粒に身分や諸々の違いなどはありません。私達は神の子、神の家族です。
    文責:仲平 滋
    参考聖句;ガラテヤ6:10 黙示5:9 Ⅱコリント1:22 エペソ1:13、4:30~32 ヨハネ1:12 ローマ8:17、ヤコブ1:18 ローマ9:4~5申命記14:1~3

 

  • 2019年9月8日  角和正毅 牧師
    テーマ:ソロモンの知恵を聞くために地の果てから来た南の女王
    聖 句:マタイの福音書 12章42節

    イエスの言葉尻を捉えて、非難しようと企むパリサイ人、律法学者に向かって、イエス様は二つの話をされました。一つは、三日三晩、魚の腹の中にいて、魚から出た後、ニネベの人々に福音を伝えた話。これは、イエス様が死んで葬られて三日後に復活されたことを象徴しています。 もう一つは、知恵と財宝に恵まれたソロモン王の噂を確かめる為に、遠い南の果てシェバからソロモンに会いに来た女王の話です。女王は、彼の知恵と生活のすべてが、聞いていた以上のものであることを実感しますが、イエス様は、女王がソロモンのところにあらゆる問題を持ってきたことを評価されました。この旧約の話は、私たちがやがて神の前に生前の申し開きをする時、どんな言い訳も通用しないことを教えています。「ソロモンにまさる」イエス様に会いに行かなかった、聞きに行かなかった、福音を聞くチャンスがなかった、時間がなかった、と一体誰が言えるでしょうか。 私たちにはいろいろな問題がありますが、人間がどうしても知らなければならない「永遠のいのち」に関わる問題をイエス様のところに持って行けるのは、一番の幸いです。また、この女王の真実を求める姿勢は、私たちの信仰の手本でもあり、ソロモンの生活の中で彼に仕える人々は、見習うべき私たちの教会と教会員の姿だと言えます。 私たちは今日もみことばの力に与って、少しでもイエス様を現わせるように、信仰の足で歩いていきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句;Ⅱ歴代9;1~9 エゼキエル27:23~23 ローマ4:6~8 マタイ2:1~12 ルカ19:1~10 ローマ10:18 コロサイ1:10~20

 

  • 2019年9月1日  角和正毅 牧師
    テーマ:主は永遠の神、地の果てまで創造された方
    聖 句:イザヤ書 40章27節~28節

    イスラエルの民は余りにも不信仰で、生きている神が偉大な力をもって天地を造り、地上のすべての物や私たちを造ったことを信じないで、神が何度叱責しても、偶像を作って拝むことを繰り返していました。偉大な神が私たちを造り、私たちを守り、私たちを導くのです。この真の生ける神をあなたはしっかり仰いで、信じて、崇めていくようにとここで教えようとしています。主を待ち望む者は主を愛して、自分が生かされていることの恵みを感謝し、自分が選ばれたこと、自分が救われたこと、自分に目を留めてくれた神に対していつも感謝して、神を疑いません。主を待ち望む人には神は常に新しい力を備えています。どんな困難にぶつかろうが、信仰が彼らを引き上げて、神は彼らに翼を与えて問題を乗り越えていく力を下さいます。日々の生活の中でも喜んで、忍耐して信仰の道を走りぬいて行くのです。絶えず感謝をもって主を崇め、主を愛して、待ち望んでいくのが私たちのできる最善だと思います。
    文責:川村則之
    参考聖句;イザヤ40:12~31 ヨハネ20:28




  • 2019年8月25日 角和正毅 牧師
    テーマ:私たちの神は天に居られ、その望むところをことごとく行われる
    聖 句: 詩篇115篇1節 ~ 18節

    神様の御業は偉大です。その神様の力は、昔も今も変わる事はありません。旧約時代、モーセがイスラエル人をエジプトから脱出させ、紅海を渡る時、モーセが手を海に向けて伸ばすと、水は堰のようにまっすぐに立ち、右と左で壁になりました。(凍りました)そして、イスラエル人は海の真ん中の乾いた地を進んで行く事ができたのです。しかし、このような神様の奇跡を体験したにもかかわらず、イスラエル人はその後、偶像崇拝をし、不信仰のためにカナンの地に入る事が出来なくなってしまいました。でも、この体験は次の子供たちへと導かれていくのです。親の体験は、子供たち一人一人にも体験する必要があります。後継者のヨシュアはヨルダン川を渡る際、まず、祭司が先導し、その足が水面に着くと水が止まり、堰ができ、真ん中の乾いた地を渡る事ができました。そして、渡り終わった時、また川の水が引き返してきたのです。このような神様の奇跡は、死の世界から救い出されて、復活の恵みに預かり、新しい神様の道を歩む事を表しています。新約時代の神様の奇跡は、イエス様が私たちの罪のために十字架にかかって死んで下さり、三日目に復活された事です。その事を信じ、神を恐れる全ての者を、神様は昔と変わらずに祝福して下さいます。毎日、一歩ずつ信仰を築き上げてまいりましょう。
    文責:吉田 愛子
    参考聖句;詩篇114:1~5 66:5~6 出エジプト14:21~22 ヨシュア3:11~17 4:18 Ⅰコリント2:6~10

  • 2019年8月18日 角和正毅 牧師
    テーマ:神の人類への贈り物は
    聖 句:ローマ人への手紙 6章23節

    報酬とは働きに対する代価です。私達が罪を犯すとき、それはサタンに仕えていることになります。罪の報酬は死です。これに対して主に仕える者に与えられるものはキリスト・イエスにある永遠の命です。サタンは、私達に何を望むか?何が欲しいのか?そして、何を食べるかと問うてきます。いつも食べ物について迷わせ、誘惑してきます。イエス様は40日の断食の後のサタンの甘言にも「イエスは答えられた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」そう仰いました。人はいつ、どんな所で、どんな困難に遭遇するか判りません。苦難の時、日頃の信仰と渇きが顕れます。神様は私達に永遠の命をお与えになるために、実にその一人子さえもお与えになられました。新生により生かされた命はすでに永遠の命です。新生を許されたその確信を投げ捨ててはいけません。この世には様々な困難もありますが、忍耐が必要です。神様が招く人は、イエス様を信じて受け入れた者です。私達が神様を選んだのではありません。神様が私達をお選びになったのです。神様は救われた私達を尊いと仰います。忍耐と確信を持って歩んでいきましょう。
    文責:仲平滋
    参考聖句;ローマ6:23 創世記3:4~6 マタイ4:2~4 ルカ23:43ヨハネ14:1~6 ヘブル10:35空39 ルカ12:16~21

 

  • 2019年8月11日 角和正毅 牧師
    テーマ:神の選び
    聖 句:エペソ人への手紙 1章3節 ~ 4節

    神の選びとは、どのように成されるのでしょうか。さて、救いは、神によって「世界の基の置かれる前から」ご計画されました。「救い」は、神の愛(カルバリの十字架上で成就された)、信仰、三位一体の神、を意味します。つまり、父なる神のご計画によって、私たちは選ばれました。 私たち自身の決意や努力が神を選んだのではないのです。神が選ばれる故に、救いは決して一時のものではなく、実を結び、実が残り、実のある働きをすることが出来ます。 そして、神の御子イエスは、私たちの罪咎を背負い、十字架上でいのちを捨て三日後に復活されて、私たちは救われました。聖霊の働きは、私たちがイエスを信じて新生した時に、これらのことを理解させ、神の子とされたことを教えてくれるのです。 私たちが天国へ入る条件は、主を信じて告白することです。神の側で、みことばにあるように、御子を信じる者を選ばれるのです。これは、主を信じる者はすべて、神に選ばれるということです。 私たちは、恵みによって神から選ばれた者であることを確信して、この尊さに感謝し、味わいましょう。そして、どんな状況にあってもキリストの愛の中に生き、すべての人が神に選ばれるように、福音を伝えて歩いていきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: ヨハネ15:16、エペソ1:7、13、ローマ1:9、Ⅱテサロニケ2:13、ローマ5:8、Ⅱペテロ1:3〜11、ローマ8:35

 


  • 2019年8月4日   角和正毅 牧師
    テーマ:イエスの涙
    聖 句:ルカの福音書 19章41節 ~ 44節

    イエス様は「神の訪れの時を知らなかったからだ。」と言っています。イスラエルの民はイエス様の招きに応ずることなく、イエス様に敵対し十字架に掛けて殺して完全に拒否しました。イエス様はそのような民に対して最後に涙を流して泣いたのです。神様は全人類を愛され、一人も滅びることを求めていません。と言っても真理を悟って悔い改めない限り救われません。今は恵みの時、今は救いの日です(Ⅱコリント6:1~2)。今求めなかったら、訪れの日がいつ終わるかわかりません。私たちはイエス様が命がけで果たしてくれたこの救いを宝物として、しっかりと持っていかなければなりません。今のチャンスを失ってはいけません。私たちは一人でも多くの人に福音を伝えなければいけないと願うのです。ですから祈りながら、聖霊を着せられて、力をいただいて出て行くのです。神様は本当の価値のある人生を私たち一人一人にくださっているのですから、その最後を見失わないようにして行きましょう。私たちがイエス様を見ていくなら、どうあるべきかがわかります。
    文責:川村則之
    参考聖句;イザヤ55:1、6、7 マタイ11:28~30 ヨハネ7:37~39 ルカ24:45~48 Ⅱコリント6:1~2 5:19~21 Ⅰペテロ2:9~10

 



  • 2019年7月28日  角和正毅 牧師  
    テーマ:なぜ、神は世を愛されたのか
    聖 句:ヨハネの福音書 3章16節

    神様は、全人類を愛しておられます。それは、なぜか?神様が人間を造られたからです。それも、神様に似せて人間を造られたのです。 神様は土で人間を形造り、その中に神様の形の霊を入れました。ですから、人間は本来、神様と同じ霊を持っているので、神様と意思の疎通ができるのです。しかし、人間は罪を犯してしまったために、その霊は死に、神様から離れてしまいました。 優秀な律法学者のニコデモは、イエス様に、人は新しく生まれなければ、神の国を見ることができないと言われ、困惑してしまいます。イエス様は、私たち人間の罪のために、十字架にかかって死んで下さいました。そして、三日目に復活されました。旧約時代、モーセが荒野で蛇を掲げたように、今の私たちもイエス様の十字架を仰ぎ見るならば、救われるのです。そして、水である御言葉と御霊である聖霊様の力によって、死んでいた霊が復活し、新生されるのです。三年半もイエス様と共にいて、裏切ってしまった弟子達も、復活したイエス様に聖霊様の力を吹きかけて頂き、新生されました。そして、伝道の力である聖霊のバプテスマを受けて、喜んで福音を伝えいく事となったのです。神様は、私たち人間を愛しておられます。そして、一人でも多くの人が救われる事を望んでおられます。私たちも聖霊様にいつも満たして頂き、福音を伝えてまいりましょう。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句;ヨハネ3:1~36 ヨハネ20:19~23 マタイ16:21 ルカ24:25~27 ルカ24:44~49 エペソ5:18


  • 2019年7月21日 角和正毅 牧師
    テーマ:クリスチャンのレース
    聖 句:コリント人への手紙 第一 9章24節

    私達はもろい世界の中にいることを自覚しているでしょうか。地震や台風・水害といった自然の猛威もありますが、普段の生活においても時として悪意に満ちた誘惑を受けたり、複雑な人間関係に悩まされることがあります。クリスチャンの参加する人生のレースはアスリートの生き様に似ています。選手が金メダルという賞を得るために一途に目標に向かって我慢や訓練をするように、私達クリスチャンも多くの犠牲を重ねて努力、節制をします。では、私達の目標とは何でしようか?<常に神が第一> これは縛りではなく目標です。その為の信者の訓練となるのが「第一に神の国とその義を求めなさい」マタイ6:33 この御言葉を持って人生のレースに参加するならばゴールを見失うことはありません。では、そのレース運びはどのようにすれば良いのでしょうか?<主にあっていつも喜んでいなさい>常に主に守られている喜びは安心になります。悲観的になることはありません。見事な色使いのカーテンや総皮張りのソファーを見る時、小さなシミや汚れに目を止めるよりも全体の素晴らしさを讃えましょう。全ては神様か整えてくださいます。福音を伝えよ~これがレースを走る私達の賞です。
    文責:仲平 滋
    参考聖句;マタイ6:33 ルカ9:62 コロサイ3:13 Ⅱコリント5:20Ⅱテモテ4:7、8 ガラテヤ5:7 ヨハネ14:2、3 ヘブル3:14


  • 2019年7月14日 角和正毅牧師
    テーマ:試練が人をみがく
    聖 句:ローマ人への手紙 5章3節 ~ 5節

    何故、試練があるのでしょうか。私達のもっている信仰が本物であるかどうか、試練によって試されるのです。 箴言17:3 純粋でなければ、炉の中で焼き尽くされるのです。忍耐は読書や説教、祈りだけでは足りません。困難の中で如何に耐えられるかによって証明されます。試練を通る時は何故と思いますが、つらい試練を乗り越えることが尊いのです。試練に在っても救われていますので、喜ぶことが出来るのです。試練と忍耐の内に成長するのです。  アブラハムは全生涯を神に信頼しました。神はアブラハムをほめました。だから信仰の父なのです。ヨセフはヤコブの12人の子供の内、下から2番目でしたが、兄弟たちの妬みから、エジプトに売られてしまい、数々の試練に会いましたが、神に忠実だったが故に、エジプトの宰相にまで高く上げられました。ダニエル書に出てくる4人の若者は火の中に入れられるという試練に会いましたが、神様は全てを守り導いて下さいました。サタンは耳の外で誘惑します。しかし、本当に必要なものは聞き分けることが出来るのです。聖霊様が、潤滑油として注がれているなら、神の御業は出来上がって行くのです。静かに待つ備えが出来るのです。素晴らしい聖霊様が助け導くのです。               
    文責:志賀 孝作
    参考聖句;箴言27:17 ヘブル11:24~27 ローマ15:4~6 詩篇62:1~2 Ⅱコリント4:17 ヤコブ1:12

 


  • 2019年7月7日 角和正毅牧師
    テーマ:主イエスを選ぶ時
    聖 句:ヨハネの福音書 19章38節 ~ 42節

    元来イエス様の死体は身近な者たちが取りに現れるべきところでしたが、弟子たちは身の危険を感じてか、誰も現れませんでした。この時間帯が一番危険な時だったからです。アリマタヤのヨセフは今までは自分の名誉や身の危険を感じて、名乗り出ることを恐れていました。しかしこの機会を失ったら、彼は一生後悔するとわかり、立ち上がりました。ニコデモも同じように迷い、同じ苦しみを通り、自分の心を責めながら過ごしていましたが、最後の最後にイエス様のために何もかも失っても、このお方に今自分の信仰を告白したいと思ったのでしょう。この決断はこの二人にとっては大変な決心だったと思います。パウロは、イエス様を知ることのできるこんなすごい価値はないとピリピ人への手紙で言っています(ピリピ3:5~11)。テモテへの手紙第2の2章21節にあるように、いつの時代でも主に役に立つ者として、主の御前に備えて、主を見上げつつ、用いられることを待機しましょう。私たちのするべき決断とは、今日のメッセージのタイトルにあるように「主イエスを選ぶ時」です。
    文責:川村 則之
    参考聖句;マタイ27:57~60 マルコ15:42~47 ルカ23:50~55ヨハネ19:31~42 ピリピ3:5~8 Ⅱテモテ2:21 エステル5:14


  • 2019年6月30日 角和正毅牧師
    テーマ:志の堅固な者
    聖 句:イザヤ書 26章3節 ~ 4節

    「志」とは主の思いを行う事です。主は間違ったことをさせません。主を信頼する者は永遠の岩を土台とするのです。 世界の問題を解決するためには「人は誰でも新しく生まれ変わらなければならない」のです。神の言葉に従う人は、たとえ世界が混沌となっても平安があります。絶対的な神の言葉に従い、信頼しているのなら常に守られるのです。わたしたちクリスチャンには霊的な戦いがあります。血肉の戦いではなく悪霊との戦いです。悪霊は疑いの矢を放ちます。信仰が試されるのです。その時、神の言葉を用いて戦いましょう。負けて悟るのでは遅いのです。霊的な武具を身に着けましょう。救いの兜は頭脳を、思いを、感情を守ります。救いの確信を持ち続けましょう。最初の確信を最後まで持ち続け、御言葉の食事を摂り、聖徒のために忍耐の限りを尽くして祈るなら、信仰による生きたつながりを持つことが出来ます。これが教会なのです。
    文責;小原 照代
    参考聖句;エペソ6:10~20 Ⅰコリント3:10~11 詩篇23:3ヘブル4:12 使徒2:42 ピリピ4:6~7

 

  • 2019年6月23日  角和正毅牧師
    テーマ:この曲がった時代から救われなさい
    聖 句:使徒の働き2章40節

    今の世は、混沌とした時代と言われています。聖書では、この曲がった時代から救われなさいと書かれています。 イエス様は、罪のない完璧な人間として、この地上に来て下さいました。そして、荒野で四十日四十夜、断食をし、空腹を覚えられました。その時、サタンがイエス様を誘惑しに来るのです。サタンは、聖書の御言葉の一部分を省略し、イエス様を試みるのですが、イエス様は聖霊様に満たされ、完璧な聖書の御言葉によって勝利していきました。イエス様のように聖書の御言葉を信じ、聖霊様に満たされて、祈る事は重要です。 いつでも神様を第一とし、信仰を守っていく事は、とても大切です。私たち一人一人が罪を悔い改めて、この曲がった時代の生き方から、神様が支配しておられる明るい世界へと救われるのです。すでに救われている者は、明かりをともして、それを穴蔵の中や升の下に置くのではなく、この福音を人々に伝えていく必要があります。いのちのことばをしっかり握り、イエス様である光について行きながら、世の中にその光を放ってまいりましょう。
    文責:吉田愛子
    参考聖句;マタイ4:1~11 詩篇91:11~12 使徒2:38~43ルカ9:41 11:29~33  ピリピ2:15

 

  • 2019年6月 16日  角和正毅牧師
    テーマ:私たちの信仰の土台
    聖 句:エペソ人への手紙 2章19節~22節

    物事には有形無形を問わず、必ず歴史があります。その歴史に触れることは先人方の想いを汲み取ることになり、今の世を生きる道標となります。私達の鶴見純福音教会も、戦後たくさんの宣教師が送られてきた流れの中に生まれました。中国での宣教の後、クリサンダー先生に示された神様のご意志は日本に行くことでした。日本での働きのサポートも神様はすでに準備されていました。このように教会とは、単なる建物や集合体といった側面ばかりではなく、神様のご計画のもとに存在しているものだと言えます。教会の土台は使徒や預言者です。そして、イエス・キリストという要の石の上にあります。「私達は差別のない神の国の民である」ノルウェー・スウェーデンから沸き起こったリバイバルの風は遠く離れた日本の地にも吹いてきました。その風に乗って信仰の種はこの鶴見の地にも落ちました。私達は奇跡や偶然によって集った者ではありません。神様のご愛が私達をここに導いたのです。 私達はただで福音を与えられました。真理が心にあるなら真理は口から出ます。自信を持って福音を伝えていきましょう。先人方が紡いできた信仰の糸を、私達はもっと強靭なものにして繋いでいきたいものです。
    文責:仲平 滋
    参考聖句;使徒2:1~4 ローマ6:17~19 詩篇103:105

 


  • 2019年6月9日 川口芳一長老
    テーマ:二つの道
    聖 句:創世記2章 8節 ~ 17節

    私たち人間は、神の目的のために造られたので、本来、神の命令なしには、生きる目的も存在の意味もない者です。また、人は神の命令を守ることによって自由に生き、守られています。 アダムとエバは、善悪の知識の木から取って食べてはいけない、というたった一つの神の命令を守れずに、私たちの中に罪と死が入りました。このことから、二つの道の一方を選ぶとはどういうことか、考えてみましょう。 マタイでは、 狭い門(いのちに至る道)と広い門(広い道)がある時、狭い道を選ぶ者は少ないこと、また、山上の説教においては、二人の主人(神と富)に仕えることは出来ない、天に宝を蓄えよ、と教えています。旧約のロトは、美しいソドムとゴモラの地をえらび、広大な土地に住むアブラハムと、その明暗を分けました。それから、ナオミの信じる神を自分の神とすることを選んだルツ、何ものにも変えられない天の宝に目を向けて歩み続けたモーセなどの行動から、私たちは自分の意志で、神の示す道を選択できることを学びます。 一方、自分の意志や希望に関係なく、思いもよらない状況に身を置くこともあります。星野富弘さん、アニー・サリバンさん、平岡修治さんのように苛酷な環境の中で、神に賜物を与えられて歩む人たちです。そして、最も苛酷であり、十字架以外の道はなかったのがイエス様です。私たちは信仰生活の中で、イエス様の十字架の深い意味を味わうことがありますが、イエス様の苦しみの極みを思う時、感謝の思いは言葉に尽くせません。私たちの歩みの出発点はイエス様であり、原動力は聖霊の力です。この力を受けて、私たちは神の喜ばれる道を、今日も歩み続けていきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: 創世記3:1〜6、マタイ7:13〜14、6:19〜24、ヘブル11:24〜27


  • 2019年6月2日 角和 正毅牧師
    テーマ:聖霊の力
    聖 句:使徒の働き2章1節 ~ 8節

    イエス様はこの世を去る直前に天のお父様に「父よ。彼らを守ってください。」と弟子たちのために祈られ、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」と言って静かに天に昇って行かれました。 弟子たちはダニエルの七十週の預言を知っており、また信じていたので、神が約束されたエルサレムの復興が目前に迫っていると思い、胸が躍っていました。しかしイエス様は「それはあなたがたの知ることではない。あなたがたは上からの父の約束を待って、力を着せられて、地の果てまでわたしの証人になるのです。」マタイの福音書28章18節から20節の御言葉はイエス様の宣教の至上命令です。イエス様は「あなたがたは都にとどまって力を受けなさい。」と言われました。それは正に失敗したその場所からあなたがたは新しくされ、立ち直ったことを証して、そこから始めることです。イエス様はこの賜物を世界中のクリスチャンに与えたのです。「主よ。私にもその力を着せてください。」と求めてください。
    文責:川村 則之
    参考聖句;ルカ24:49 使徒1:8 出エジプト34:22~24 マタイ6:33 ヨハネ3:3、5 Ⅰヨハネ5:1 エペソ5:18

 



  • 2019年5月26日 角和 正毅牧師
    テーマ:パン種に注意して、気をつけなさい。
    聖 句:マタイの福音書 16章6節

    イエス様は、パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には、注意するように言われました。そのパン種とは、悪と腐敗の象徴だからです。 パリサイ人たちのパン種とは、宗教的伝統を重んじる故に、神の義なる命令を脇に置いて、神の御言葉と御心を無効にしてしまうものでした。サドカイ人たちのパン種とは、世俗的で非宗教な倫理に基づいたものでした。現代の教会でも注意していないと、このパン種から影響を受けてしまいます。私たちクリスチャンは、聖霊様に満たされて、聖書の御言葉に従い、妥協をしないで行動しなければなりません。妥協し、肉的であるならば、高ぶりと滅びに向かってしまいます。 しかし、私たちは弱さの故に、罪を犯しやすい者です。罪を犯したならば、イエス様の前で素直に告白し、悔い改めていく事が大切です。そうすれば、必ずイエス様が弁護して下さり、その罪を赦し、私たちを聖めて下さいます。 教会は、聖霊様に満たされて、聖書の御言葉への確信と喜びを持って、福音を伝えてまいりましょう。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句;マタイ16:6~12 17:8 ルカ12:1 Ⅰコリント5:6~8 ガラテヤ5:9 コロサイ2:8 Ⅰテモテ1:15

 



  • 2019年5月16日  角和 正毅
    テーマ:光の中を歩むとは
    聖 句:ヨハネの手紙 第一 1章7節

    天地を創造された神様は次に「光よ、あれ」と仰いました。(創世記1:3)神様はいつも光の中に居られます。イエス様が流された御血は今も私達の罪を清めて下さっています。私達が日々気付かずに犯している罪さえも清めて下さっています。この清めは現在進行形なのです。親が赤子を常に清潔に保ち続けるように、神様は私達を包んで下さいます。私達もまた、光の中を歩むなら神様との交わりを得る特権が与えられます。愛を受け取った者は愛を伝えるべきです。神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された(ヨハネ3:16)私達も互いに愛し合うべきです。十字架の目的はイスラエルの民を救うばかりでなく、世界中の民を救うことでした。私達は主の愛に従順でありたいものです。「従順には、have to(しなければならないから)need to(必要があるので) want to(そうしたいから)の三通りがあります。 愛があれば福音を伝えられます。イエス様はお命じになりました。「互いに愛し合いなさい。世界中に福音を述べ伝えなさい。」と。イエス様の御言葉は天地が滅びても変わりません。幸い、今は恵みの時です。
    文責;仲平 滋
    参考聖句;Ⅰヨハネ1:5~8、3:2~3、4:10~11、2:5、ヨハネ13:34、14:15、ルカ24:46~53

 



  • 2019年5月12日  角和正毅牧師
    テーマ:信仰がもたらす祝福
    聖 句:ローマ人への手紙 5章1節 ~ 5節

    今日の聖句ではまず、神が私たちを正しいと認められて、神の前に神の子としての資格を得る「義認」と、それがあればこそ、私たちは神と争うことのない「平和」が得られることを言っています(ローマ5:1)。また、私たちの存在全ては神の恵みであって、これは、神の前に最高の者であるという特権です(5:2)。私たちが神の恵みの中に留まれば、神の栄光により安全に守られ、祝福されているのです。 そして、私たちはどんな状態でも(患難の中でも)喜ぶ者となります(5:3〜4)。ローマ5:5に「私たちに与えられた神の聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているから」と書かれている通りです。プロゴルファーの中嶋常幸氏は、「失敗をすぐに忘れ乗り越えるものは、イエスを信じる信仰の力が最高である」と証ししています。また、アメリカ16代大統領にまでなったアブラハム・リンカーンの人生の成長の基礎は、クリスチャンの母による「失敗の忍耐の秘訣はみことばの中にあり、聖書を教科書として生きる」という教えでした。 そして、南米アウカ族と、その宿敵の部族全員をイエス様の救いに導いたのは、始めに送られた5人の宣教師の、失敗かと思われる殉教によるものでした。彼らの宣教の思いは、驚くことにその遺族によって引き継がれて、尊い犠牲のいのちは多くの実を結んだのです。私たちは、一つの目標を達してもまた、次の目標へと、さらに天国へと目指して生きることが出来ます。神との平和、恵みの充満、神の栄光の喜びへの望みの中を生きることが出来るのです。
    文責: 金子 和子
    参考聖句;ヨハネ12;24 箴言24:16 詩篇119:105

 



  • 2019年4月 28日   角和正毅牧師
    テーマ:創造主である神に喜びの声をあげよ
    聖 句:詩篇100篇1節 ~ 2節

    この詩篇100篇は聖書全体を開く鍵だと思うばかりに感じています。喜ぶということは、私たちが神様に信頼して平安をもっているという証しです。十字架の上でイエス様は全時代の全人類の罪を赦したのです。「信じる者が滅びることなく、永遠のいのちを持つ」と約束されたのです(ヨハネ3:16)。どんな罪人も信じるなら罪赦されます。「臆するな。私はすでに世に勝った。」(ヨハネ16:33)世からその害する力を奪い取ったのです。だから心配しないで安心していきなさい。これは未来に道が開かれている保障を言っています。罪赦されるということは、同時に義とされることです。それは失われた神様からの愛顧、愛の恵みが回復されることです。イエス様が赦す時には、元の状態に戻してくださるのです。罪が赦されたという喜びが来ると、次は主のためにご奉仕したいという思いが掻き立てられます。それは福音を伝える奉仕です。救われると神の子とされ、完全な神の保護のもとに置かれます。それには天国の永住権という付加価値が付いているのです。
    文責::川村 則之
    参考聖句;ピリピ4:4 マタイ6:31,33 9:2 14:27 ヨハネ1:12 14:1~3 16:33 イザヤ12:3 44:22 使徒2:36~38 13:52 ルカ10:20


 



  • 2019年4月28日 角和正毅牧師
    テーマ:復活のイエス・キリストは再び来られる
    聖 句:ヘブル人への手紙 9章28節

    イエス様は復活された後、40日にわたって愛する弟子達に、ご自分が生きている事を証されました。ある二人の弟子が、エマオという村に行く途中に、イエス様の十字架の出来事について話し合っていました。その時に、イエス様が現れて、二人の弟子に話しかけます。しかし、弟子たちの目は遮られていて、イエス様である事に気づきませんでした。イエス様はその弟子たちに、聖書から十字架と復活について、説き明かして下さいました。そして、イエス様は共に食卓に着き、パンを取って神をほめたたえ、裂いて弟子たちに渡されました。その瞬間、彼らの目が開かれイエス様だと分かったのです。イエス様は私たちの罪のために、十字架で死んで下さいました。そして、再び、この地上に来られます。その事は、新約聖書の中で、25節ごとに1回、318ヶ所に記されている事実なのです。ですから、私たちクリスチャンは、堅く立って、動かされる事なく、いつもイエス様のわざに励んでまいりましょう。そして、祈りながら、この福音を一人でも多くの方に伝えてまいりましょう。
    文責:吉田 愛子
    参考聖句;使徒1:3 ヘブル9:26~28 Ⅰコリント15:12~19 50~58 ローマ8:31~34

 

  • 2019年4月21日 角和正毅牧師
    テーマ:私たちの国籍は天にあります
    聖 句:ピリピ人への手紙 3章20節 ~ 21節

    今朝は天国の国籍の取得法について考えてみたいと思います。最初の人間アダムとエバは神の命令を破って、悪魔の誘いに乗って、禁断の木の実を食べてしまい、神との交流が壊れてしまいました。 人間はその時から霊が傷つき、汚れ、力を失い、パラダイスから、また同時に天国から追放されました。それ以来人間は皆罪の性質を持って生まれ、霊は死んだままなのです。 しかし人間を創造された神は人間を愛しており、なんとかして傷ついた人間を助けたい、元の状態に戻したいと願い、全人類を神のもとに救うために御子イエス様をこの世に送ってくださいました。  神は私たちのすべての罪をイエス様の上で裁かれました。私たちがイエス様に私の身代わりとなって死んで、三日目に蘇られたことを信じて感謝する時、私たちは救われるのです。イエス様の十字架の贖いを信じれば天国の国籍をいただけるのです。イエス様を信じると、あなたの霊が生き返ります。それをborn again「再生」と言います。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。        
    文責;川村 則之
    参考聖句;ヨハネ1:12 3:3 3:16 ローマ10:9~10

 

  • 2019年4月7日  角和正毅牧師
    テーマ:イエス勝利のエルサレム入城
    聖 句:マタイの福音書 21章1節 ~ 11節

    イエス様の受難週が始まりました。今日は、この一週間に何をなされ、何が語られたのかを、エルサレム入城の日を通して学びましょう。 世の人々は、イエス様がローマを倒して、世界王国を建てることを期待していましたが、この日、イエス様はゼカリヤ書の預言通りに、平和を表すロバの子に乗って入城されました。イエス様が人々の罪を贖う為に一度目に来られることと、地上で目に見える王国を建てることとの間には、実際には2000年の隔たりがあります。しかし、人々は、このことが同時に起こるのだと、間違って理解していたのでした。 イエス様は、神が人を罪のない者として造られた通りに、罪のない者として生きられました。それは、神の位を捨てられて、本来の人間の姿、仕える者の姿をとって、神のみこころに従うという教えの手本でもありました。また、みことばには、現実のことと霊的なこととを表す二面があり、神の奥義であり、真理が隠されています。私たちは、モーセが自分の経験から岩を2度打って失敗したように、神の計画を勝手な思いで変えることは、大きな誤りであることを学びます。 イエス様の平和は、サタンからの解放、霊的、神との和解の平和です。私たちは、主の姿に倣い、自分の為にではなく、イエス様の為にこの生涯を生きたいと願う者たちです。受難週の間、主の十字架までの足取りを共にたどり、その苦しみが私自身の為であることを、深く覚えて過ごしましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: ゼカリヤ9:9〜10、ピリピ2:6〜8、民数記20:11~12 Ⅰコリント13:12、Ⅱコリント8:9、6:1~2 ルカ19:41~44

 



  • 2019年4月7日 角和正毅牧師
    テーマ:イエスはだれ
    聖 句:マタイの福音書 16章13節 ~ 20節

    人々はイエス様を救い主(メシア)とは思わず、ヨハネだエリヤだエレミアだと言っていました。預言者の一人だと言う者もいました。しかし、シモン・ぺテロはイエス様の問いに「あなたは生ける神の子キリストです。」と答えました。イエス様はぺテロの中に信仰の芽を見ました。そして、「天の父が示された。信じる者にご自分の真の姿をお見せになったのだ。」と賞賛を与えられました。 その後、イエス様はご自分のさだめについて弟子達に語られました。驚いたぺテロはイエス様のお言葉を遮るように「そんなことがあってはいけません。」と諌めました。先ほどまでぺテロの中に天のお父様がいらっしゃると評された同じ人物が、今度は肉の想いでイエス様に諫言したのです。サタンの誘惑でした。サタンの罠は巧妙で狡猾です。私達がほんの少しでも神様から離れ、肉の想いに囚われかけた時に耳元で囁いてくるのです。イエス様は「下がれ、サタン。」と叱られました。私達人間の力ではサタンに抗う術はありません。それほどに私達は愚かで弱い者だからです。神様におすがりするほかないのです。イエス様は仰います。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」神様を見上げ、いつも十字架を覚えて祈る時、私達は神様の前に罪を赦された者となり、永遠の命を与えられるのです。
    文責;仲平 滋
    参考聖句;マタイ16;21~27

 


  • 2019年3月31日  角和正毅牧師
    テーマ:宮を建てよ
    聖 句:ハガイ書 1章8節

    ダニエルはエレミヤ書を読んでいた時、70年経つと自分の国イエスラエルに帰る事が出来ることを発見しました。ダニエルは自分の先祖達が犯した罪を自分の罪の為と祈っています。 捕囚が終わり、祖国へ帰ったのですが、先住民がいたので、様々な妨害にあいました。神殿の基礎の土台を作り18年も放置されたままに成りました。神様は二人の預言者ハガイ・ゼカリヤを立てました。ユダヤの民は神殿建設を放置して、自分の家を建て上げました。それは板張りの家でした。当時の豪華な家でした。 ハガイのメッセージを聞き民は奮い立ったのでした。18年放置されていた、神殿が4年で完成したのでした。しかし、ソロモンの神殿を見たことがある人達は落胆しました。預言者を通して神様は宮で心からの礼拝を捧げることが重要であること、そうするならば、天からの祝福を与えようと仰せられました。神の祝福を求める人生が大切です。神殿は外見では無いのです。「信仰は聞くことから始まるのです。」現在、福音は私たちの口の言葉をもって伝えられるのです。私たちは、聖霊様の力で出て行くのです。福音を伝えることが私たちの務めです。神の祝福があるところは教会です。魂が救われることが大事です。「今が福音を受けるチャンスです。」
    文責;志賀 孝作
    参考聖句;ハガイ2:1~9 コロサイ3:1~4、12~17

 

  • 2019年3月24日  角和 正毅牧師
    テーマ:神のご計画によって召された人々のためには
    聖 句:ローマ人への手紙 8章28節

    神様は、私たち一人々々に、素晴らしい人生のご計画をお持ちです。聖書の中のルツ記には、神様と共に歩み、全ての事がともに働いて益となったルツの証が書かれています。 ベツレヘム出身のエリメレクは妻のナオミと二人の息子と共に、その地に飢饉が起こったため、モアブの国に移り住みました。しかし、そのモアブでナオミは、夫と二人の息子を亡くしてしまいます。ナオミは、二人の息子の嫁となっていたモアブ人のオルパとルツに、私はベツレヘムに帰るので、二人も家族の元に帰るように促します。オルパは受け入れましたが、ルツは「あなたの民は私に民、あなたの神は私の神です」と言って、ナオミについて行くのです。そして、ベツレヘムの地で、はからずも亡き夫の親族であるボアズの畑での落ち穂拾いに導かれて、祝福された人生を歩む事となるのです。 神様を信じる者は、たとえ、神様に背を向けてしまった行動や失敗をしたとしても、帰る所を知っています。それは、イエス様の十字架です。 十字架に戻るならば、全てが回復し、祝福されていくのです。その原点であるイエス様の十字架に、いつも感謝して歩んでまいりましょう。              文責:吉田 恵子
    参考聖句;ルツ記1:1~22 4:17 創世記12:1~20 13:4ルカ22:31~32、54~62

 

  • 2019年3月17日 角和 正毅牧師
    テーマ:目を覚まして…たゆみなく祈りなさい。
    聖 句:コロサイ人への手紙4章2節

    この「たゆみなく」という言葉は「着実に続ける、やり通す」という意味で、それは着実に祈り続けなさい。やり通しなさいという意味です。「目を覚まして」とは「霊的に目覚めている、警戒している」という意味で、霊的に目覚めて警戒していなさいという意味です。私たちを祈りから引き離そうとする物の中にはサタンの多くの策略や、世の中の色々な楽しみ、あるいは色々な心配事があります。イエス様ですら悪魔から攻撃を受けました。パウロはここで信仰を守り通すことが容易でないことを教えています。「感謝をもって」ということを忘れてはいけません。イエス様は私たちを救い、罪を赦し、また地獄から救い出してくれた命の恩人です。私たちは多くの恩恵をいただいています。その感謝が私たちの切なる祈りの力になっていくのです。 霊的に成熟したクリスチャンが勝利し続けるためには祈りの生活で成長するように訓練しなければなりません。信仰による祈りこそが天の神様と地上にいる私たちの間を埋める唯一の手段です。私たちの内に起こる何事も神様に告げることができます。神様は間違いなく祈りを聞き、答えてくださいます。
    文責:川村 則之
    参考聖句;イザヤ55:8~9、使徒2:42~47、12:1~17、詩篇50:15、55:22、40:1~5

 


  • 2019年3月10日  角和正毅牧師
    テーマ:一つの祭壇
    聖 句:ヘブル人への手紙 13章10節 ~ 11節

    動物の血は、罪のきよめの捧げ物として大祭司によって、聖所に持って行かれますが、その身体は、祭壇で焼かれて全て灰になり、灰捨て場に戻されます(全焼のいけにえ)。この一つの祭壇は一つの十字架のことであり、イエス様の十字架の贖いを表しています。 イエス様の血は、自ら携えて天の聖所に行かれました。つまり、全焼の灰は、イエス様が十字架で完全に死なれたことを表します。また、祭壇は、あかしやの木(イエス様の人間性)で造られており、それを青銅(罪のさばき)が覆っています。その四隅(世界中)にはツノ(神の力、栄光)があり、そのツノは私たちが主に身を寄せて仰ぎみる避け所です。 「聖所」が出来る以前、ノアは洪水後、始めに祭壇を作り、神との接点を築きました。アブラハムは行く所々常に祭壇を建てて、神中心に生きました。エリヤの時代には、民の不信仰故に祭壇は壊れ、神との接点がなくなりましたが、エリヤはそれを修復しました。この壊れた祭壇は、信仰、十字架から離れてしまった人のことであり、エリヤがそれを建て直したように、信仰もまた主の恵みと聖霊の助けによって修復出来ることを語っているのです。 私たちはいつも、祭壇(十字架)の前にひれ伏し、礼拝し、賛美する者です。祭壇は一つ、十字架は一つです。主が一度だけ十字架にかかり死んで復活して、永遠の救いをもたらせてくださいました。祭壇のツノに身を避けましょう。十字架に戻り、恵みにあずかりましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: 創世記8:20~22 12:6~7、13:14~18、22:9、Ⅰ列王18:30、出エジプト27:1~8 ヘブル7:24~25 9:26 10:10、24

 


  • 2019年3月3日  角和正毅牧師
    テーマ:私たちの心の隠れ家
    聖 句:詩篇46篇1節 ~ 3節

    賀川豊彦が臨終の時の言葉の一節に、「罪の赦しと、贖いはキリストにしかない。」と告白したそうです。罪の奴隷である私たちを罪から解放する為にイエス様が命をもって贖って下さったのです。 神は完全な人間、アダムとエバを創造されましたが、サタンの誘惑により罪を犯してエデンの園から追放されました。そして、人類に罪が入ってきたのです。しかし哀れみ豊かな神は、何としても人間を救う道を備えるべく救い主を送る預言をなさいました。 ベトナム戦争での事です。1972年6月にアメリカ軍の落としたナパーム弾で、全身やけどをおおったキム フックさん9歳の写真が世界中に報道されました。このフックさんは14ヶ月の入院、17回の手術を通し、茫然としている中で聖書と出会い、体の傷は残っているが、心の傷はすべて癒されたと言っています。彼女には二つの選択肢がありました。心を変えるか、憎しみをもって生きるかでした。ある日、図書館で聖書に出会い、この中に真理があると悟りました。聖書を受け入れました。19歳でイエス様を受け入れました。10年経って心の平安をいただいたのでした。水のバプテスマも受けました。神が人生に何かの目的があることを悟ったのでした。 私たちは罪赦されたのだから他の人の罪を赦すのです。フックさんはイエス様の所に避け所をみつけたのです。単純な愛を素直に受け入れた人は人生の勝利者です。       文責:志賀 孝作
    参考聖句;マタイ5:44~48 ルカ6:27~28 23:34 マルコ9:2~4




  • 2019年2月24日  角和正毅牧師
    テーマ:主への奉仕の仕方
    聖 句:ルカの福音書 10章 38節~42節

    マルタは、イエス様と弟子達一行をもてなすために、忙しく働いていました。しかし、妹のマリアは、イエス様の足元で御言葉を聞いていました。手伝いをしてくれないマリアに、マルタは苛立ち、イエス様にその思いをぶつけてしまうのです。 御言葉を聞いている人は、怠けている者と思われがちですが、決してそんな事はなく、この御言葉より私たちは、色々な事を悟り、導かれていくのです。このマリアは、後に、イエス様が十字架にかかる前に、非常に高価なナルド油を埋葬に備えて、イエス様の足に塗り、彼女の髪の毛で拭った。この出来事は、聖書を通じて、世界中の人々に語り継がれていく者へと成長していきました。 イエス様は、天の御父に心も体も全て、従っていった完璧なお方です。イエス様は、私たちが受けるべきだった罪の裁きを、身代わりに受けて死んで下さいました。そして、復活し、私たちを新しい者へと変えて下さるのです。イエス様の御言葉を聞いていて、損する事はありません。御言葉通りに生きていくならば、いつも守られていきます。神様への礼拝、神様の御言葉を心に留めて、生きていく事は、大切です。                    文責:吉田 愛子
    参考聖句;Ⅰサムエル15:18~23 イザヤ50:4~6 詩篇40:6ヘブル10:5~7 マタイ16:16~24 ヨハネ12:3、7





  • 2019年2月17日  ベアンテ・ボーマン師
    テーマ:神の真実さ
    聖 句:コリント人への手紙 第一 1章4節 ~ 9節

    パウロはコリントの教会に手紙を書き送りました。手紙の初めの部分ではコリントの教会に対して神様に感謝していますが、その後は教会が抱えている問題について語っています。パウロはコリント人への手紙第一の1章で神様のことに注目しています。クリスチャンがするべき事は完全なる神を見て生きるということです。 まず4節で神の恵みということに焦点を合わせています。5節では豊かさについて語っています。本当の豊かさというのはキリストにあっての豊かさであり、永遠の命が与えらえているという霊的な豊かさです。7節では「あなたがたはどんな賜物にも欠けることはない」と言っています。また「熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待ち望むようになっています」とあります。私たちはイエス様が再臨されるという希望を持って生きるのです。8節、9節には「主はあなたがたを最後まで堅く保って、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者としてくださいます。神は真実です。」とあります。主は約束された事を必ず守ってくださる真実な方ですから私たちは保障の中で安心して生かされているのです。
    文責:川村 則之


  • 2019年2月11日  角和正毅牧師
    テーマ:見上げなさい 神が見下ろしておられるから
    聖 句: ヘブル人への手紙 11章 8節 ~ 10節

    クリサンダー先生は「見上げなさい。神が見下ろしておられるから。」と、よく言われました。私たちは、問題があって重荷で心がふさぐ時、つい下を向いてしまいますが、その時こそ主を見上げよ、という意味です。 主を見上げた時、主の目は、優しく穏やかで、私たちを決して裁かず、あわれみ慰めてくださいます。主は私たちを愛しておられるからです。そのようないろいろな状況のもとで主を見上げる時、その時々によって、主のお姿は私たちに違って見えます。 栄光の神に出会い、主の召しに従ってウルの地を後にしたアブラハムは、捕虜となった甥のロトたちを救う為に駆けつけた地で、『いと高き神』に出会いました。天地を創られたいと高き神に、彼は十分の一を捧げます。 また、99歳の時には、アブラハムがすべての国民の父となるよう祝福され、養ってくださる『全能の神』と出会います。そして、彼が、息子を捧げよ、というかつてない大きな試練の時、死を超越した『永遠の神』に出会うのです。 神は、私たちが問題を抱えて見上げる時に、アブラハムが出会ったように、その時必要な姿をもって私たちを見下ろされます。すでに、私たちの代わりにイエス様が十字架で死んで復活されたのですから、私たちは決して裁かれないのです。主を見上げましょう。主がいつでも私たちを見下ろしておられます。
    文責: 金子 和子
    参考聖句:コロサイ3:1~4 ヘブル11:8~10、13~16 11;17~19ピリピ2:6~8 2:9~11 詩篇2:7

 

  • 2019年2月3日  角和正毅牧師
    テーマ:神の和解を告げる使者
    聖 句:コリント人への手紙 第二 5章18節 ~ 21節

    パウロはキリストの贖いは神との正しい関係が回復する事であると言っています。イエス様の救い・贖いを通して神との元の状態に成った事を和解というのです。 人は、罪を犯すことにより、神に敵対する者と成ってしまいました。エペソ2:3~4にあるように、不従順の子らの中にあって、罪人だったのです。しかし、イエス様を信じることにより、人生を否定的に考えるよりは赦されたことの喜びを感謝する者と成ったのです。 偶像礼拝は神との生き方から離させるのです。神は創世記5章でもう人間を造った事を後悔しました。滅ぼそうとしましたが、ノアは義人でした。ノアの家族8人が神の示された箱舟に入りました。箱舟の入り口の戸は7日間開いていましたが、神が外から戸を閉め、40日40夜雨が降り、地上のすべての生き物は滅びました。箱舟の中の8人だけが救われたのでした。しかし、その子供たちは、神に逆らう性質があったのです。 神様は、ローマ5:8で、キリストの愛を示されました。キリストの十字架で流された御血によって義と認めて下さるのです。イエス様の犠牲によって義として下さったのです。義とするとは完全に赦される事です。神は人間をもう一度回復させ、交流を再開させようとなさったのです。私達は先に救われた者です。この福音をイエス様が来るまで伝えるのです。全人類に救いをもたらしましたが、それを受け入れなければ成りません。受け入れるならば義とされるのです。この義はイエス様と同等の相続人と成れるのです。私達はこの福音を伝える使者なのです。
    文責;志賀 孝作
    参考聖句;ローマ1:18~25 5:9~11 エペソ2:3 コロサイ1:19~21

 

  • 2019年 1月27日  角和正毅牧師
    テーマ:神から遣わされた人とは
    聖 句: ローマ人への手紙 10章13節 ~ 15節

    鶴見に神様より4人の宣教師が、スウェーデンから遣わされて来ました。昭和28年1月18日に、クリサンダー先生が来日されました。その数年前に、ジェンバリー先生がすでに来日されていて、鶴見で伝道されていましたが、病に伏してしまったため、クリサンダー先生が看病をしに鶴見に来て下さったのです。その後、ジェンバリー先生が国に帰られた後、クリサンダー先生は地方での宣教を希望していましたが、神様よりこの鶴見で働きなさいとの召しを受け、自らを神様の祭壇に明け渡し、導きに従いました。そして、エリクソン先生とソフィア・バーゲルド先生も鶴見の働きに加わるよう導かれ、3人で伝道していく事となったのです。 ある日、柔道場で集会をしていた時に、神様の御名を辱しめられる不快な出来事が起こったため、今後は教会堂が与えられるようにと、3人で10日間、断食と祈りの時を持ちました。すると、一つ一つ必要なお金が与えれて遂に、鶴見に教会堂が献堂されたのです。 この神様の働きは、3人の宣教師の先生が去った後も、その時代、その時代で必要な人が与えられ、今でも続いています。この神様の働きは、イエス様が再び地上に来られる日まで続いていくのです。恵みのこの時に、一人でも多くの方に、この福音を伝えてまいりましょう。     文責:吉田 恵子
    参考聖句;Ⅰコリント3:10~11 ピリピ1:6 2:12~17 4:19

 

  • 2019年 1月20日  角和正毅牧師
    テーマ:絶えずイエスの答えを待て
    聖 句:マタイの福音書 26章51節~56節

    イエス様は弟子たちと一緒にいた時に、突然群衆が深夜やって来て、イエス様を取り巻き、今にもイエス様に飛び掛かろうとしました。ペテロは、正義感から持っていた剣を引き抜いて、そばにいた大祭司のしもべの耳を切り落としました。イエス様は「剣を鞘に収めなさい。」と言われました。イエス様には彼らと戦う意思がないということを示しました。また、しもべの耳を癒してあげました。今後の事態に対してイエス様は祈って霊的に解決していこうとしましたが、弟子たちは自分の考え、肉の思いで行動しました。 クリスチャンのする準備は誰でもできるものです。それは「目を覚まして祈っていなさい。」つまり周囲の状況を見つめていなさいということです。そして「絶えず祈りなさい。」それはいつもイエス様と繋がっていなさいということです。 クリスチャンの戦いは霊的なもので、霊の武器が必要です。それは神の御言葉です。最後に大切な事を言います。それはヨハネの手紙第一の5章4、5節の御言葉です。教会よ、もっと祈れ。平和のため、魂の救いのため、主イエス・キリストに祈れ。
    文責:川村 則之
    参考聖句;マタイ26:40~41 ルカ17:21 22:51 21:36 ヨハネ18:10 Ⅰ歴代誌16:11 Ⅱコリント10:3~4 エペソ6:10~18

  • 2019年 1月13日 角和正毅牧師
    テーマ:主との出会い
    聖 句: 詩篇37篇3節~6節

    今日は祝福式です。若い方たちに神様からのみことばを送ります。天地を造られた主は、神と交わる為に人を造られましたが、神に背を向けて生きる人は多く、それは神を悲しませています。しかし、主は忍耐をもって、一人々々に「主と交わろう」と呼びかけてくださっています。 ある陸軍病院の院長は、イエス様が十字架で血を流されて私たちの罪を贖われたことを聞いた時、命の血の大切さを日頃から痛感していた為に、イエス様を信じました。 ザアカイは、好奇心からイエス様を一目見たいと木に登っていましたが、イエス様から優しく名前を呼ばれて、心は喜びに満たされ、きよめられて180度変えられました。 モーセは、炎の中、なぜ柴が燃えていないのか興味をもって近付いた時に、神に出会いました。また、クレネのシモンは、始めはイエス様の代わりに十字架を背負うことに不満だったかもしれませんが、イエス様の痛ましい後ろ姿を見て、考えが変わります。主の足跡を辿ることは、なんと幸いでしょう。これらの聖書に書かれている人々の主との出会いは、私たちにいつも主が語られていることを示しています。 イエス様は、信じる者に永遠のいのちを与える為に、私たちの所にまで来てくださいました。その十字架の御血に私たちは贖われた者であることを感謝して、主の足跡についていきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: 1ヨハネ1:7、出エジプト3:2〜5、ヘブル11:24〜27、マルコ15:21

 

  • 2019年 1月6日 角和正毅牧師
    テーマ:聖霊による新創造
    聖 句:ヨハネの福音書 20章19節~23節

    イエス様が十字架にかかり、死なれ復活して初めて弟子達の真ん中に立って語られた言葉が「平安があなたがたにあるように。」という事です。怒りや憎しみが有ったら平安は有りませんが、イエス様の中にはいつも平安しかなかったのです。「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。聖霊を受けなさい。」と言って弟子たちに、息を吹きかけました。創世記に於いて、神様は人に息を吹きかけて生きる物として下さいました。最初のアダムは完璧な人間でしたが、サタンの背信によってパラダイスを追われました。憐れみ豊かな神様は、この世界を救うために、イエス様を送られました。完全な人としてお生まれになりました。神様の御心を100%受け入れました。死に至るまで忠実でした。これが神様が私達に望んだ事です。 私達の内側から救い、人間を訓練し、肉なる人が真実から生きるように造り変えて下さるのです。私たちの外なる肉体も変わって行くのです。聖霊を受けることによって、生まれ変わりを経験する必要が有ります。宣教師たちはあらゆる方法を使って、この福音を伝えました。人々に何と思われようと。ローマ書13:11~14に「主イエスを着なさい。肉に心を用いてはいけません。」と有ります。聖霊様によって心の一新を図り私達が、この福音を伝える者と成りましょう。
    文責;志賀 孝作
    参考聖句:エゼキエル37:1~14 ルカ1:35 エペソ4:22~24ヨハネ20:19~23 ローマ13;11~14