2020メッセージブログ

 

  • 2020年12月27日 角和正毅 牧師
    テーマ:行く年を振り返り、来る年を期待しよう
    聖 句:詩篇 103篇1節~5節

    イスラエル人は、生きている神と語り、交わり、祝福された民です。聖書に書かれているイスラエル人の生きた本当の体験は、現代に生きる私達の証となり、今も様々な事を学ぶ事ができます。申命記には、モーセ率いるイスラエル人がエジプトから脱出し、40年の荒野の旅に導かれた事が書かれています。長い間、エジプトで奴隷として働かされていたイスラエル人は、いつしか偶像礼拝に陥り、生きた本当の神様を忘れてしまっていたのです。しかし、奴隷生活の苦しみの中で、ある時、生きた神様の存在に気づき、主の名を呼び求めました。イスラエル人が本当の神様を思い出し祈り出すと、神様がモーセを揺り動かし、エジプトを脱出し荒野へと導かれて行きました。荒野の旅も試練を伴うものでしたが、それは決して憎むものではなく、神様が幸せを与えるものだったのです。40年の荒野の訓練を通して、神様の言葉に信頼する事、従う事を学ばせるためでもありました。そして、本物のクリスチャンへと変えられて行きます。神様の御言葉に信頼し従う者を、神様はいつも祝福し、見捨てず、最善を与えて下さるのです。人生には困難もありますが、その試練を通して、私達を幸せへと導い下さるのです。主イエス様の名を呼び求めるものは、必ず救われ、私達を守り導い下さいます。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句:Ⅰコリント10:11 申命記8:1~20 マタイ4:4 エペソ6:17 ヘブル12:5~13 マタイ6:33 Ⅰサムエル15:22~23


  • 2020年12月 20日 角和正毅 牧師
    テーマ:クリスマスの本当の意味
    聖 句:ヨハネの福音書 1章14節

    クリスマスのお祝いは私達日本人にもすっかり定着してきました。けれども、本当のクリスマスの意味からは少しづつ離れていってしまっているのが現状です。クリスマスツリーの天頂にはまばゆく輝く星が取り付けられます。何故、星が付けられるのでしょうか?それを知る人はほとんどいません。救い主が現れる印として、星が天上に輝きました。東方の博士達はその星に導かれて御子と対面したのです。神様のご意思を表しているのがツリーの星なのです。博士達はイエス様を礼拝しました。クリスマスは神の前に礼拝することです。それなのに世の人々からイエス・キリストの名が遠ざかっています。言葉(キリスト)は肉(人間)をもってしばらく過ごされたと聖書にあります。万物はキリスト〜神によって作られました。宇宙を作り、地球を作り、自然を作り、最後に人間を作られました。イエス様の全てが神様のメッセージです。イエス様を見る者は神の愛を知る者となります。神の愛と赦しは信じるものであり、学んで理解するものではありません。神の約束、御言葉を信じるべきです。なぜなら神は真理だからです。イエス様は仰いました。「自分を信じる者は滅びない」私達はその福音を伝えていかなければなりません。それが私達クリスチャンのクリスマスです。
    文責 仲平  滋
    参考聖句:ルカ2:8~20 マタイ2:1~10 ヨハネ3:17 ローマ13:11~14 Ⅱコリント6:2


  • 2020年12月13日  角和正毅 牧師
    テーマ:すべての名にまさる名
    聖 句:ピリピ人への手紙2章6節 ~ 11節

    ピリピ2:6〜11には、イエス様が十字架にかかり死のみわざを成されて、復活され、天に上り、天の父が栄誉ある地位を与えられたことが記されています。この「すべての名にまさるイエスの名」は、ヨセフとマリヤそれぞれに天使が「イエス」という名をつけるように告げたところから始まっています。イエス様は地上を去るとき、弟子たちに「イエスという名の権威によって求めなさい」と言われました(ヨハネ16:24)。その名により慰め、喜びが与えられ、その名を呼ぶことは勝利の秘訣です。また、「イエスの名」を信じた人は神の恵みにより、神の子となる特権を得ます(ヨハネ1:12)。ヨハネ2:23には「イエスのしるしを見て、その名を信じた」とありますが、私たちが権威あるイエスの名を信じることにより、御名と御霊によって洗われて聖なる者、義なる者とされるのです(1コリント6:11)。子どもたちもまた、その名によって、罪が赦されることを知る必要があります(1ヨハネ2:12)。イエスの御名のほかに救われるべき名は、人には与えられていないのです(使徒4:12)。そして、私たちにはイエスの御名によって愛し合いなさいという命令が与えられています(1ヨハネ3:23)。その御名によっていのちを得るのです(ヨハネ20:31)。信仰生活の中で、「イエス様」と叫ぶときがあります。私たちは、大いにその「すべての名にまさる名」を叫び、賛美し、確信をもって人々にあかししていきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句:マタイ1:21 ルカ1:31 ヨハネ16:24 ヨハネ1:12 ヨハネ2:23 Ⅰヨハネ2:12 使徒4:12 Ⅰヨハネ3:23 ヨハネ20:31

 


  • 2020年12月6日  角和 正毅 牧師
    テーマ:真の礼拝者は誰
    聖 句:マタイの福音書2章1節 ~ 12節

    人々はクリスマスを迎えるために色々な準備をしますが、実は神様も大変な準備をしていました。天使ガブリエルをナザレのマリアに遣わし、神によって彼女が選ばれ、聖霊によりイエス様を産むと告げられました。また、神様は宇宙も動かしました。東の国に突然不思議な大きな星が現れました。それはユダヤの国に王が生まれた証しであると民数記に書いてあります。東の博士たちは二年以上かけてエルサレムにやって来ましたが、王子はいませんでした。律法学者から聞いて、ベツレヘムに向かうと、星がまた現れました。彼らは見つけた幼子の姿を見て、神の約束されたメシアであると信じ、跪いて黄金、乳香、没薬を捧げました。さらに神様はローマ皇帝アウグストゥスを動かし、世界で最初の人口調査をさせました。ヨセフは臨月を迎えたマリアを連れて、ナザレという北の小さな村から生まれ故郷のベツレヘムまで旅をしなければなりませんでした。宿屋はどこも満杯で、手に入ったのは家畜小屋でした。その中でマリアはイエス様を産み、飼い葉桶に寝かせました。真の礼拝者とは、メシアを探し求めて、見つけたらその前にひれ伏して礼拝する者です。真の礼拝者は霊と真をもって礼拝すると書いてあります。私たちも真の礼拝者となって、礼拝したいと思います。       
    文責:川村 則之
    参考聖句:民数記17:24 ヨハネ4:24

 

  • 2020年11月29日   角和正義伝道師
    テーマ:罪人を救うために来られたイエス様
    聖 句:ヨハネの福音書3章16節

    12人の弟子の内のヨハネによってかかれた福音書です。四福音書はそれぞれ、マタイはイエス様を王として、マルコはしもべとして、ルカは完全な人として、ヨハネは神性という側面から語っています。神のことばはあなたの方に流れていっています。イエス様が罪人のために来られたと書いてあります。イエス様は私たちの元に来られた時、奪おうとして来られたのではなく、救いを持って来て下さいました。この救いは単に受け取ったというものではなく、限りなく広がってゆくものです。私たち人の愛は条件が付きます。「もし」や「だから」とかという条件が付きます。「もしあなたが愛してくれるなら、愛します。」しかし、神様の愛は無条件です。自分のものを全て捧げる事によって相手は生きる、友のために命を捧げるほどに尊いものは有りません。「ヨハネ4:3~39」のサマリヤの女性の出来事の様に、救いが私たちに入ってくるとその救いを分け与えることが出来るのです。イエス様が来られたのは、物質の事ではなく心の中の解決を与えようとなさったのです。だめな自分をイエス様にさらけだした時に信仰は始まるのです。イエス様がこの世に来て下さったのは十字架にかかるためでした。十字架にかかるという代償を払うためでした。そして救いのみ業を完成するためでした。もはや、その救いは完成されたのです。
    文責:志賀 孝作
    参考聖句:ヨハネ20:31 ローマ5:8 エペソ5:2 ヨハネ4:4 ルカ10:25 ヨハネ4:39 使徒1:8


  • 2020年11月 22日  川口芳一長老
    テーマ:主の与える訓練
    聖 句:申命記 8章1節~4節

    神様は私達を訓練するお方です。逆境や試練を通して私達の心の中を見ておられるのです。創世記に書かれているヤコブの人生は、神様に訓練されたものでした。ヤコブはエサウのかかとをつかんで生れてきました。ヤコブとは人を出し抜く者という意味があります。そして、料理が得意だったヤコブは、その食物を使ってエサウから長子の権利を獲得するのでした。また、父イサクがエサウに祝福を与える事を知った時、母リベカと共にヤコブは、エサウの祝福を奪い取る事となるのです。しかし、その事を知ったエサウは激怒し、ヤコブを殺そうと考えるのです。難を逃れるために、ヤコブは母リベカの兄ラバンの所へと逃げて行きます。その旅の途中で、野宿をしているとヤコブに天の梯子が下りて来て、主がまた必ずこの地に連れ戻す事を言われました。ラバンのもとでは、理不尽な扱いを長い間受ける事となります。そして、ある日、生まれ故郷にヤコブは帰る事になります。帰りの道のりでヤコブは、エサウが四百人を引き連れてやって来る事を知らされます。非常に恐れたヤコブは、神様に助けを求めます。ある夜、ヤコブは神様と格闘します。神様は勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいを打たれ、杖を使って歩く者と変えられました。それは、肉体的弱さを与えられた事によって、神様により頼む者となり、ヤコブの自我の強さを砕かれたのです。私達は懲らしめを悲しく思う時もありますが、神様は訓練された人々に平安な義の実を結ばせて下さるのです。
    文責:吉田恵子 

 



  • 2020年11月 15日  角和正義伝道師
    テーマ:主は振り返ってペテロを見つめられた。
    聖 句:ルカの福音書 22章61節

    弟子達の中で最も自分の忠誠心と信仰の強さを自負していたのはペテロでした。そのペテロはイエス様が予言した通りに三度もイエス様を知らないと偽りました。とりわけ、三度目には呪いの目を向けてそれを言ったのです。そんなペテロをイエス様はどのような眼差しで見つめられたのでしょう。エレミヤは祖国がバビロンに滅ぼされることを預言し、それを見て目がつぶれるほどに泣いたとあります。(哀歌2:11)イエス様もエルサレム近くで都を見られて泣かれました。エレミヤが涙を流したのと全く同じに、滅んでいく未来をご存知だったからです。ペテロはイエス様を呪った上で「そんな人は知らない!」と叫びました。イエス様はそんなペテロにも裁きではなく、赦しの眼差しを向けたに違いありません。イエス様は十字架という土台をしっかりと据えられた上で、ペテロの未来を見ておられました。ペンテコステの日にペテロは数千人の前で大胆に福音を語ります。イエス様は全てをご存知で全てを慈しみの目で見ておられます。イエス様の愛と希望の眼差しをいただきましょう。「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」イエス様の愛と希望の眼差しによって、ペテロは真に生まれ変わりました。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:哀歌2:11 ルカ19:41 Ⅰコリント13:13

 


  • 2020年11月8日  志賀 孝作長老
    テーマ:神に受け入れられる人々
    聖 句:使徒の働き 10章35節

    今日は使徒10:35のみことばを中心に10章を学んでいきます。イタリア隊、百人隊長のコルネリウスは敬虔で神を恐れ、施しをし、神に祈る人でした。この時代はアブラハムから始まり、神に選ばれた民はユダヤ人であり、ユダヤ人が外国人(異邦人)と交わったり訪問することなどは、許されないことでした。コルネリウス(異邦人)が幻の中で、ペテロに会うように神の使者から語られたとき、一方でペテロは、あらゆる動物の入った入れ物が天から下りてくる夢を見ます。そして、それをほふって食べるように言われます。「汚れたものは食べない」と拒む彼に「神のきよめたものをきよくないと言ってはならない」と言うことばが三度くり返され、それらは天に引き上げられていきます。つまり、天からおりてくるもの、天に引き上げられものは、きよいものです。この後、コルネリウスの使いがペテロを迎えに来ます。そのとき彼は、「どんな人もきよくないとか、汚れていると言ってはならない」と、神が語られたことを悟ります。そしてペテロが「神がイエス様を送られ、聖霊と力を与えられたこと、十字架で死なれ、三日後に復活されたこと、このイエスを宣べ伝えること、信じる者は罪の赦しを受けること」を語り、これを聞いた人々に聖霊が下って、ペテロは異邦人の彼らに水のバプテスマを授けたのでした。それまでユダヤ人だけのものであった神は、異邦人をきよめ、ユダヤ人と同じ恵みを与えてくださいました。私たちも神にきよめられた民のひとりです。主を伝え、あかしし、その御足の跡を踏み従っていきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: 使徒10: 1〜48

 

  • 2020年11月1日  角和正義 伝道師
    テーマ:わたしは、あなたの歩むべき道にあなたを導く。
    聖 句:イザヤ書 48章17節
    本日のテーマはイザヤ書48章17節の最後にある「あなたの歩むべき道にあなたを導く。」という神様が語った御言葉です。イザヤ書の前半は1章から39章までで、そこには罪に対する裁きのメッセージが語られています。後半の40章から66章には神様の赦し、慰め、救い、希望、また回復までの預言が記されています。イスラエルの民の信仰は形式的なものでした。しかし神様の方は、「聖なる方が代償を払って、あなたを取り戻す。」と言っています。使徒の働き16章6節から10節で読みとれるように、私たちは自分の計画通りにならないことがよくあります。その時に大切な事は神様の声を聞き分けることです。神様の声に敏感に歩いていくことが非常に大事だと思います。その方向に向かって、従って、信仰をもっていく時に、神様はそこにすばらしい御業を起こされ、それが整えられた時に幻や夢を見せ、御言葉を通して、また祈りを通して必ず導いてくださいます。イエス様は「弟子としなさい。」と言われました。神様は私たちを通して誰かを主のもとに導く働きを用意されているのです。 
    文責:川村 則之
    参考聖句:ローマ5:8 使徒の働き16:6~10



  • 2020年10月25日   中坊久行牧師
    テーマ:心の泉が湧き出る
    聖 句:ヨハネの福音書7章37節~39   レビ記23章24節~36節

    ヨハネの福音書7章には、キリスト教の三大祭りでもある仮庵の祭りについて書かれています。イエス様は、弟子達を先にその祭りへと行かせ、ご自身は内密に最終日に行かれたのでした。そして、人々に向かって「誰でも渇いているなら、私のもとに来て飲みなさい。私を信じる者は聖書が言っている通りに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」とおっしゃいました。レビ記23章には、仮庵の祭りについて、詳しく書かれています。仮庵の祭りとは、主の祭りとも言われ、贖罪の日でもあるのです。旧約時代は犠牲となる動物を捧げ、罪の赦しを得ていました。その期間は、一年間だけでした。その重要なお祭りも、年月が経つに従って、中心である神様の存在は忘れられて行きました。形式的な行いのお祭りへと変えられて行き、人々の心は渇いていたのです。ですから、その事を知っておられたイエス様は、人々の前で叫んだのです。イエス様は、全世界の罪を背負って十字架で死んで下さいました。そのイエス様を信じるならば、私達の全ての罪は永遠に赦されます。自分の罪が赦された時こそ、人生の中での最も大きな喜びとなります。そして、イエス様と共に歩むならば心の渇きからも解放されて、満たされた人生へと導かれるのです。
    文責:吉田愛子

 

  • 2020年10月18日  角和正義伝道師
    テーマ:イエス様の招き
    聖 句:マタイの福音書 11章28節

    招くとは、ある目的の為に礼を尽くし敬意を表して来てもらうことです。 マタイはイエス様に声をかけられると全てを捨ててイエス様についていきました(マタイ9:9)。マタイは取税人でした。ローマ帝国の手先となって同胞から金品を取り立てることを生業としていました。人々から強奪者(罪人)として忌み嫌われる存在でした。誰にも好かれるどころか、嫌悪されていたマタイにイエス様は「ついてきなさい」と言われました。この言葉にマタイはすぐに従います。何も持たず、全てのしがらみや迷いから解放されて従いまいた。イエス様の御言葉がマタイの霊の部分に届いたからです。マタイは十二弟子となり、福音書の著者となりました。イエス様の招きに従うとき、すべてのこたえがそこにあります。イエス様を信じたあともこの世の価値観に目が向いていくとき、私たちはイエス様を心の戸の外へ追い出してしまうことがあります。そのようなときでも、イエス様は心の戸の外に立ってたたき続けて下さいます。戸を開くなら再び入って下さりともに食事をされると仰っています(黙示録3:20)。私たちはいつも心の戸を開いておきましょう。マタイは他の取税人や罪人と共にイエス様と一緒に食卓につきます。自分の受けた喜び、救いを一人でも多くの人々に伝えたいと思ったのです。私達もマタイのように、罪を赦された恵みと救われた喜びを隣人に伝えていきましょう。
    イエス様は今も戸の外でたたき続けて下さっています。イエス様は私達に、罪の償いに疲れ果ててしまう前に御自分のところに来なさいと仰っています。イエス様は私達を休ませて下さいます。そして、世の終わりまでいつも共にいて下さいます(マタイ28:20)。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:マタイ9:9~13 ルカ3:12 

 

  • 2020年10月11日 小村誠志郎長老
    テーマ:主の切なる願い
    聖 句:ルカの福音書22章15節

    ルカ22:15の「切に願っていました」という思いを主はいつ持たれたのでしょう。それは、天地万物を創造された時迄さかのぼって、以来ずっと、主はその思いを持ち続け、長い時間を過ごされたのではないでしょうか。創世記によると、人は神の似姿として造られ、聖なる霊であるいのちの息を吹き込まれて生きる者となりました。初め、アダムは神と共に生き、すべてのものに名前をつける程の知恵も与えられていましたが、罪を犯して死が入り、彼の目は神から外れてしまいます。こうして、人類を救う計画は神によって立てられ、イエス様が受肉されて生まれるに至る系図は、始まっていきます。旧約時代には、人の罪を聖めるための代価として、動物のいのち(血)が必要でした。そして、新約でのイエス様は、すべての人の罪の身代わりとなって十字架で死なれ、三日後に復活されました。このことは、神の計画であり、ひとり子を十字架につけてまで人類を救う神の切なる願いです。また、この御子を信じる者は永遠のいのちを持つ、という神の愛が示されたのです。過越しの夜、イエス様は弟子たちに互いに愛し合うことを戒めとし、新しい契約を結び、聖霊という助け手を送ることを約束されました。私たちは、ひとりひとりがイエス様の十字架の恵みによって聖霊を受けた「聖霊の宮」です。このことを心に留め、ひとりでは難しい信仰生活を、互いに励まし合い、支え合って歩んでいきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: 創世記1:24、31、2:7、19、20、ヨハネ3:7、創世記6:3、5、ルカ3:23〜38、22:19〜20、マタイ26:28、ヨハネ3:15〜16、1コリント13:4〜7

 

  • 2020年10月4日   角和正義伝道師
    テーマ:疲れた者をことばで励ます
    聖 句:イザヤ書50章4節

    どのように励ましていくべきか、どのような言葉を与えていくべきかを考えることは大変大事なのだと教えられます。「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせくださる方です。」(ピリピ2:13) 父なる神様は聖霊様によってイエス様を信じている人々の心の中に働き、その思いを置いてくださると聖書は教えています。その与えられた思いを主に献げつつ私たちは用いていくのです。私たちの内側に神様は喜びを与えてくださり、その喜びを主に献げ、その喜びがさらに広がっていくのです。弟子たちは少年が差し出した5つのパンと2匹の魚をイエス様の所に持って来て渡しました。イエス様はそれを祝福しさいて弟子たちに渡され、五千人以上の人々にくばられ皆満腹しました。 (マルコ6:34~44)。志を主にささげるとき祝福は広がります。イエス様の十字架の贖い、復活の勝利、そして聖霊様が私たちに注がれ私たち一人一人が救われました。その祝福は全世界に広がりました。ですから皆さんが持っている思いを神様の前に献げていく時に、私たちの人間的な常識では想像することもできない祝福が広がっていくということをぜひ覚えてください。
    文責:川村 則之


  • 2020年9月27日  上迫和清長老
    テーマ:神のみこころに寄り添う悲しみ
    聖 句:ローマ人への手紙9章2節

    パウロには、同胞のユダヤ人が救われていかない事への大きな悲しみがありました。エルサレムの教会では、異邦人に福音が広がって行くものの、ユダヤ人には拒否されていたのです。それに加えて、パウロを疫病扱いする程、迫害もされていました。ユダヤ人とはアブラハムの子孫で、神の栄光のご臨在でもある、人類全体の祝福のために選ばれた民なのです。そして、パウロは生粋のユダヤ人で、パリサイ人として教会を迫害していた時期、イエス様によって救われたのです。その経験もあり、自分を迫害する同胞のユダヤ人の気持ちが分かっていました。異邦人が救われる事を喜びながらも、また、パウロ自身が異邦人の使徒として召されている事を自覚しながらも、同国人が救われていかない事で辛い思いをしていました。ユダヤ人のためなら、自分はキリストから引き裂かれても、呪われてもいいという、自己犠牲を伴っていました。イエス様も同じでした。全人類の罪の濡れ衣を自分から着て、十字架までの道のりを黙々と自己犠牲の悲しみを背負われたのです。天の父も自己犠牲を伴いながら、ひとり子を失うほどに、世を愛して下さったのです。それが、神の御心であり、神の愛でした。神の御心を伴った生みの苦しみの後には、喜びがあります。私達が福音に触れ、救われた事です。イエスさまの十字架に感謝し、周りの方々に福音を伝えてまいりましょう。          文責:吉田 恵子
    参考聖句;出エジプト32:31,32 イザヤ53:3,4,10 ゼカリヤ12:10 ガラテヤ6:9,10

 

  • 2020年9月20日  川口 芳一長老
    テーマ:イエス様の受けた試み
    聖 句:マタイの福音書 4章1節 ~ 11節

    イエス様は公生涯に入られる前に悪魔の試みに遭い、それに勝利するために荒野に行かれました。悪魔の試みには様々なものがありますが、大きな恵みや幸いを頂いた後にこそその試みが形を現します。例えば、空腹に代表される肉の弱み〜これを突いてきます。私達は祈りによって闘わなくてはならない場面がありますが、その際も御霊によって肉の欲に勝利することが出来ます。次に、悪魔の誘いに乗って主である神を試してはなりません。聖書の御言葉によって毎日私達は生かされていることを知るべきです。決して悪魔の試みによって御言葉から離れてはいけません。そして、私達は地上の財や地位、栄華といった宝を積み上げることに気を取られて、それが天の御国においても約束されていると錯覚してはいないでしょうか?巧みな悪魔の策略に溺れて仕えるべき主を見失ってはいないでしょうか?天に積まれるべき宝はいつも主を見上げている者に約束されています。誰に仕えているのか、私達は片時も忘れてはいけません。悪魔はいつか知らずに私達と神様を分断しようと機会を窺っています。全く何も罪の無いイエス様は自ら悪魔の試みに遭われました。それは、弱くて愚かで罪深き私達に教えられるためでした。神様から与えられた様々な試練から私達は必ず解放されます。天を仰ぎ、御言葉に耳を傾けること〜イエス様が教えて下さった道の通りに歩んで行きましょう。    文責 仲平 滋

 

  • 2020年9月13日  志賀 孝作長老
    テーマ:求めなさい。そうすれば与えられます。
    聖 句:マタイの福音書 7章 7節

    マタイ7:7に「求めなさい。そうすれば、与えられます」とありますが、さて、私たちは何を求めてもよいのでしょうか。マタイ6:33には「神の国とその義をまず第一に求めなさい」と記されており、「そうすれば、それに加えてすべてのものが与えられます」と約束されています。また、ルカ11:9のみことば、「求めなさい」「捜しなさい」「たたきなさい」についても少し考えてみます。求めるとき、手に入らなくても、まあ、いいか、と思っているのと、是非にも手に入れたいと強く思い、求め続けるのとでは、その答えに差が生じるのは当然かもしれません。私たちには、求め続ける、捜し続ける、たたき続けることが必要です。そのとき、私たちはその問題を深く考え、それに向かい合います。この姿勢は、礼拝のメッセージを聞くときにも言えることで、さあ、今日は主が私に何を語ってくださるだろうか、という思いをもって聞くか否かの違いは、決して小さくはありません。次に、「御国を求めなさい」「イエスの名によって求めなさい」「御霊の賜物を熱心に求めなさい」というみことばにも目を留めてください。これらは、私たちが何を求めるか、何が与えられるかを考える大事なみことばです。このように、神の国とその義とをまず第一に求めることは、私たちの信仰生活における大切な姿勢、生き方です。自分が今、何を見て、何に向かって進んでいるのかを、しっかりと心に覚えて、祈りつつ歩いていきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: マタイ6:33、ルカ11:9、12:31、ヨハネ16:24、1コリント14:12

 

  • 2020年9月6日  角和正毅牧師
    テーマ:朽ちない資産
    聖 句:ペテロの手紙 第一 1章3節 ~ 9節

    イエス様が十字架に掛かって死なれ、三日目によみがえられたことが本当に大きな祝福を全人類にもたらし、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みをくださいました。更に朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない天国に蓄えられている資産を受け継ぐようにしてくださいました。神が味方ならば、敵するものはありません。イエス様が十字架で死なれ、罪の責めを全部負われたからこそ、私たちは神様の守りの側にいるのです。ここで私たちに鍵となる言葉は信仰です。信仰は私たちの初めであり、最後です。イエス様は私たちの人生を初めから終わりまで一番良い方法で描いておられます。イエス様は一番良い時に助けをくださり、苦しい中にあっても、そこに喜びがあふれるのです。私たちの信仰は今いろいろな形で試されていますが、私たちに必要なのは忍耐です。私たちは終わりの時に完璧に救われるのです。この地上から、またあらゆる拘束から解放されて神様の前に立つことができるその時に完全な救いをいただいたことになります。私たちがクリスチャン生活を続けていくなら、そこに完璧な救いが備えられているのです。
    文責:川村 則之
    参考聖句:Ⅱテモテ4:18 ユダ24 ローマ8:31~39 ヘブル10:35~39 ヘブル11:29


  • 2020年8月30日  角和正毅牧師
    テーマ:では、キリストと言われているイエスを私はどうしようか。
    聖 句:マタイの福音書27章11節 ~ 26節

    ローマの総督ピラトはイエス様に罪がないのを知っていました。しかし、自分の身を守るために群衆の声に負けてしまいました。正義を貫けなかったのです。ピラトは救われるチャンスがありました。「真理とは何ですか?」とイエス様に問うています。けれども答えを受け取りませんでした。その後ピラトは左遷され、うつ病になり手を洗い続けて自殺しました。イエス様を自分の救い主と信じていなかったためです。議員であったアリマタヤのヨセフとニコデモはイエス様を信じていましたが告白はしていませでした。しかし、勇気をもってイエス様を葬るための許可を申請しました。二人は自分たちもイエス様の仲間として処刑されるかもしれない状況でしたが、命を懸けて告白したのです。私たちは罪のために死ななければなりません。その罪の身代わりとなりイエス様は十字架にかかりました。私たちはイエス様を信じると告白すると新しく生まれ変わるのです。今は恵みの時、救いの日です。必要であれば何度でもイエス様を信じていると告白するのです。命を懸けて告白するならばイエス様は必ず良くしてくださいます。「では、キリストと言われているイエスを私はどうしようか?」あなたの答えは何ですか?
    文責:小原 照代
    参考聖句:ルカ23:14~22 ヨハネ18:37 19:38~42 ローマ10:9~10 使徒17:31


  • 2020年8月23日   角和正毅牧師
    テーマ:永遠のすまいについて
    聖 句: ヨハネ14章1節 ~ 6節

    人間はこの地上の営みを終えて、死を迎えると天国か地獄に行く事になります。その事は生きている時に決める必要があるのです。なぜなら、イエス様が天国をお造りになられたからです。 天国はイエス様が備えて下さった、とても素晴らしい場所です。毎月、美しい果実がなり、建物の土台は宝石でできています。神様の栄光の輝きの中に天国はあるのです。イエス様が地球も人間もお造りなられたのに、世はイエス様を受け入れませんでした。しかし、イエス様を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになったのです。 イエス様は全ての人間を救うために、人間の罪を背負って十字架にかかって死んで三日目に復活されました。そして、聖霊と御言葉によって新しく生まれ変わった人達が天国へと行く事ができるのです。 学者でもあった賀川豊彦は、死の間際に「釈迦は慈悲、孔子は仁、キリストは愛を教えられた。三人共、愛の人格であり、私は三人共大好きです。しかし、罪の赦しと贖いは釈迦にも孔子にもないが、キリストだけにある。私のような罪の深い者は、キリストの十字架の赦しの福音なしには、天国には行けません。私は救い主として、イエス・キリストを信じます」と言い残しました。イエス様が天国を用意して下さっている事が、私達の日々の生活の土台です。イエス様を信じた最初の確信を最後まで信じる者となりましょう。
    文責:吉田 愛子
    参考聖句;黙示禄7:9~17 21:11~22:5 ヨハネ1:3、10、11


  • 2020年8月16日 角和 正毅牧師
    テーマ:主の来臨の奥義
    聖 句:マタイの福音書17章1節 ~ 8節

    ピリポ カイザリヤにて弟子たちは、イエス様が目の前で、栄光の姿に変わり、天から遣わされて来たモーセとエリヤの姿を見て天国の存在をはっきりと理解します。何百年、何千年という時を隔てても天国においては信者の誰もが生き続けている姿を目の当たりにしたからです。 イエス様の来臨について、世には様々な預言が溢れていました。キリスト教会は長い間、奥義として隠されてきましたがイエス様はご自身の岩の上に教会を立てると仰いました。しかし、人々は神様からの招きに応じようとはしません。見ようともせず、聞こうともしません。 ペンテコステで聖霊が教会の上に降り注がれた時、信者は霊的深みに導かれました。そして、この体験の恵みを一人でも多くの人に伝えなければ…。それこそが神様の御心であると信じ、世界中に散っていきました。 来臨の日はもうすぐそこまで近付いてきています。神様は全ての人が真理を悟り、救われることを望んでおられます。私達は天国の素晴らしさ、信仰の豊かさと恵みを伝えていかなければなりません。神様の御心に叶う生き方をして参りましょう。
    文責 仲平 滋
    参考聖句;Ⅱペテロ1:16~21 ヨハネ14:13 Ⅰテサロニケ1:10 4:11~18 ピリピ3:18~21 Ⅰコリント15:51~52

 

  • 2020年8月9日  角和正毅牧師
    テーマ:聖霊の流れ その3 腰
    聖 句:エゼキエル書47章4節

    水の深さが腰まで達しているのは、クリスチャンの霊的成長(イエス様の身丈まで)を表していて、「聖潔」と「奉仕」の意味があります。私たちはイエス様を信じて新生し、聖なる者とされていますから、神への奉仕の土台は「聖さ」です。この聖さは、決して自分の努力によるのではなく、みことばにより主から来るものです。使徒10:10〜16では、ペテロが幻の中で「神のきよめたものをきよくないと言ってはならない」と示され、そのことが異邦人(幻の中の汚れた動物)コルネリオたちの救いと聖霊が下ること、つまり、異邦人への聖霊の流れの突破口となったのです。また、士師記16:19〜21のサムソンの記事は、召しに神から与えられた賜物を自分の利益、欲に利用した軽率さから来た悲劇です。そしてもう一人、サウルが自分の考えで聖絶するべきところを惜しんで、戦利品を神に捧げてなお、その愚かさの自覚さえなかったことは、「主のことばに聞き従うこと」、「主の声に耳を傾けること」が何よりも大事であることを教えています。新約では、奉仕は土台をイエス・キリストにおくことが大事であり、自己流の土台は天において火によって試され焼けてしまうことが書かれています。神のしもべは、神のみこころに従って行動します。それが、信仰者の生き方です。絶えず聖霊に満たされ、イエス様の身丈までの霊的成長を目指して、日々歩んでいきましょう。   
    文責:金子 和子
    参考聖句: マタイ5:10、ヘブル12:14、ヨハネ15:3、使徒10:10〜16、17、28、44〜46、1サムエル15:1〜3、17〜19、1コリント3:10〜11、12〜13、ガラテヤ5:16〜18


  • 2020年8月2日  角和正毅牧師
    テーマ:聖霊の流れ その2 祈り
    聖 句:エゼキエル書47章4節

    弟子たちが信仰生活の中で多くの困難や迫害、偽の教えの蔓延に直面した時、祈りによってすべて勝利していきました。トーマス・ワトソンは「祈りは天の鍵、信仰はそれを回す手」と言いました。多くの者たちが神に祈っている時、主の霊が会衆の中でひたすら神を見上げ、神の聖霊を求め、その導きを信じていたヤハジエルという人を選んでこの国民を救うためのメッセージを送りました。(Ⅱ歴代誌20:14)。私たちも祈りの中で主に信頼して絶えず主と共に歩むことがどんなに大切なことかということを教えられます。 私たちはいつでも祈るべきです。祈りは私たちと神との絶えざる連絡です。主に頼って生活することがどんなにすばらしいか、それは皆さんの生活の中に現れてきます。祈れば神に必ず通じるということを信じたら、もう失望することはないのです(ルカ18:1)。もう一つ、パウロとシラスが初めてヨーロッパに福音を伝えた時の苦労話があります(使徒16:6~34)。神の働きはいつも私たちの考える通りには動きません。しかし神の御心と確信していくなら、そこに必ずすばらしい答えが現れます。聖霊の流れは旧約聖書から新約聖書へ、そして今日も流れています。    
    文責:川村 則之


  • 2020年7月26日  角和正毅牧師
    テーマ:聖霊の流れ
    聖 句:エゼキエル書47章3節 ~ 5節

    イエス様は、弟子達に私と同じもう一人の別の助け主を送ると言い残し、天に上がって行かれました。その助け主である聖霊様が、ペンテコステで一人一人に注がれ、力を得ました。その聖霊様の流れの中にいるならば、私達は水路のそばに植わった木になる事ができます。そして、実がなり、葉も枯れず、神様の栄光を帯びて、何をしても栄える者となるのです。また、イエス様は渇いている者は、私の水を飲みなさいとおっしゃっておられます。イエス様にしか、人間の心を満たせる方はおられません。イエス様の水を飲むならば、聖霊様が限りない祝福で満たして下さいます。聖霊様が、私たちの中にしっかり根付いて下さるのです。エゼキエル書には、エルサレムの神殿から川が流れ、一千キュビトを測ってみると、水かさが足首まである事が書かれています。これは、クリスチャンの歩みの第一歩を表しています。その聖霊様の流れにいつも身を置いていることは、とても大切です。そして、信仰を持った最初の確信を忘れてはなりません。私達は、明日の事もわからない、霧のような存在です。しかし、神様は一人一人の人生を計画しておられます。絶えず、聖霊様に満たされ、その流れに従っていくならば、祝福された者となるのです。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句;詩篇1:1~3 ヨハネ7:37~39 ヤコブ4:13~15


  • 2020年7月19日  角和正毅牧師
    テーマ:信者の唯一の希望
    聖 句:ヘブル人への手紙 10章37節 ~ 39節

    ヘブル人は迷っていました。特に信仰を得て間もない人々にそれは顕著でした。イエス様に出逢い、罪を認めて救われた体験さえも薄らいでいく者がありました。私達は信仰を得た最初の確信を忘れたり失ってはいけません。最初の確信をしっかり保ちさえすればキリストに与る者となります。聖書は生きている神の御言葉です。その中にしっかりと約束されています。私達には大祭司であるイエス様がいつも執成しをして下さっています。希望がなければ人は生きることが出来ません。クリスチャンには永久に(とこしえに)変わらぬ希望が与えられています。希望への確信を持ち続ける。この希望は私達の魂のための錨の役目を果たしています。私達の希望は根拠のないものではなく、実に神様の足元にまで通じているものです。この荒れた困難な時代にしっかりと希望を持つこと、天の御国に於いていつの日かイエス様と共に過ごせる喜び、この幸いを堂々と告白しましょう。互いに励まし合って集いましょう。クリスチャンは天の御国に財産を積んでいます。この世の栄華や物欲に惑わされないように、はじめに得た信仰の確信を忘れずに歩んでいきましょう。
    文責 仲平 滋

 

  • 2020年7月12日  角和正毅牧師
    テーマ:神の預言のことばを軽視するな。
    聖 句:使徒の働き3章22節 ~ 23節

    「同胞の中から私のような一人の預言者を出す」という驚くべきことばは、神の啓示により弟子が語りました。これは旧約のモーセのことばですから、律法学者や祭司たちは、知っていて当然でした。しかし、この大事なことばを見落とした彼らユダヤ人は、イエス様がメシヤであることを見出せずに、イエス様を十字架につけ、彼らの人生、国家は大きく変わってしまったのです。そしてペンテコステ以降、上からの力を着せられた弟子たちは、以前には無かった勇気をもって祭司長たちに、大胆に罪を指摘し、悔い改めてイエスに従うように導きました。 神の命令は忘れないこと、曲げたり間違った解釈をしないこと、そのまま信じて受け入れて決して軽視してはならないものです。また、イエス様の復活の事実によって私たちの罪は赦され贖われ、霊的な健康、永遠のいのちの希望が与えられ、日々導かれます。その一方、復活は、イエス様が義をもって世界の人々をさばくお方である証明であり、義とされた者は二度とさばかれないのです。伝道の初めイエス様は、「さばくためではなく、救うために来た」と言われましたが、今はもう、イエス様を信じて救われることを先延ばしにはできない時です。イエス様を心底から信じて悔い改め、永遠のいのちを持つこと、このチャンスを失わず、神のことばを決して軽視せずに、信仰の道を進んでいきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句;使徒2:22~23 申命記18:15 使徒17:31 ヨハネ3:17

 


  • 2020年 7月5日  角和正毅牧師
    テーマ:新しい教会の基本的教理
    聖 句:使徒の働き 2章37節 ~ 42節

    この教会はペンテコステの日に生まれた教会で、今も生きている教会です。この個所は大変大切なキリスト教の教理の基本です。ペテロの説教を聞いて、多くの人が心を刺され自分たちの罪深さを実感しました。悔い改めとは、涙をともなって本当に自分の罪を自覚して神の前に帰って来ることです。 水のバプテスマの意味は、私の罪は十字架上で既に赦されており、イエス様が私のために身代わりに死んでくださり、罪深い私も共に死にました。今の私はイエス様の新しい命に生きていますと確信をもって告白するものです聖霊の賜物は、悔い改めてバプテスマを受けた人に与えられ、この約束は今でも神が召される人々に与えられるのです。彼らも今の私たちと同様に悔い改めて、水のバプテスマを受け、聖霊の賜物をいただき、互いに集まり、感謝をして祈りを捧げ、使徒たちの教えを学び、交わりを保ち、パンを裂いていました。人間の間には軋轢(あつれき)が生じるものです。しかし聖霊に満たされていくなら、人間の肉性が排除されていきます。私たちの信仰生活の中でこのことをしっかり受け止め、その基準を守ることが必要です。初代教会のクリスチャンの姿を聖書の中でよく味わってください。                  
    文責:川村 則之

 

  • 2020年 6 月21日   角和 正毅牧師
    テーマ:私の持っているものをあげよう。
    聖 句:使徒の働き 3 章 6 節

    使徒の働きは、ルカによって書かれました。医者でもあるルカは知性があり、素晴らしい人間性の持ち主でした。ルカは聖霊様によってイエス様の生涯を事細かくよく調べ、正しく書きました。ヨセフやニコデモがピラトの所に行き、イエス様の体を十字架から取り降ろした事。また、復活した後、まず誰に会ったかなどイエス様の身の回りに起こった出来事を詳細に書きました。 そのルカが書いた使徒の働きは、第 5 の福音書とも呼ばれる物です。その中でペンテコステの日の午後三時、ペテロとヨハネは美しの門で、生まれつき足の不自由な人に出会いました。その人がペテロたちに施しを求めました。その時、ペテロは「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と言い、彼の右手を取って立たせました。そして、イエス様の力にって、歩く事が出来る様になりました。 イエス様は、私たちクリスチャンに全世界に出て行って、福音を伝えなさいと言いました。福音とは、イエス様が私たちの罪のために、十字架にかかって死んで 3 日目によみがえられた事です。一人一人が持っているイエス様への確信を与え、伝えるのです。いつでも、イエス様への信仰を伝える事ができるように、聖霊様に満たされ歩んでまいりましょう。
    文責:吉田 愛子

 

  • 2020年6月21日  角和正毅牧師
    テーマ:主がペテロに与えた鍵
    聖 句:マタイの福音書 16章19節

    イエス様の受難以後の弟子たちの活動は驚くほどの変貌ぶりでした。イエス様は復活の夕、弟子たちに試練を課したのではなく平安を与えられました。彼らを憐れんで、一日でも早く霊的体験により力が増し加えられるようにとされました。聖霊様にただちに反応する力は、自分の全てを明け渡すことの出来る者に限られます。弱い人間には自らの力でそれを成し遂げることは出来ませんでした。閉ざされた入口(戸)を誰が開くのか?その戸を開く手助けとなるためにイエス様は自ら十字架にかかられました。忠誠を誓っていた弟子たちの混乱と浅はかな信仰が際立ちました。人間の想いだけでは天の御国に入れないことがここに見てとれます。聖霊様が内におられなければ私達は何も成すことが出来ないのです。イエス様はペテロに鍵を授けました。ユダヤ人が、異邦人がこの鍵によって救われました。イエス様の受難の際にはあれほど右往左往していた弟子たちが立ち上がったのです。聖霊様に満たされていたからです。神が聖めたものを聖くないと言ってはいけない!ペテロが固く閉ざされていた扉をイエス様から頂いた鍵で開け放ちました。閉じ込められていた重苦しい空気が開放され、その代りに福音が人々の心に流れ込んできたのです。神様の御声に自分を明け渡し、素直に耳を傾ける者に聖霊を与えて下さいます。この御約束を信じ、力強く歩んで行きましょう。
    文責 仲平 滋
    参考聖句:使徒2:22~36 3:21~26


  • 2020年6月14日  角和正毅牧師
    テーマ:聖霊に導かれた使徒達の急速な霊的成長の秘訣
    聖 句:ヨハネの福音書 16章26節

    ペンテコステから続いてそれ以降の聖霊の働きが、どのように多くの人の祝福となったか聖書から学びます。聖霊は、「別の助け主」で種類も性質もイエス様と全く同じ力を持つお方です。イエス様は十字架にかかる前に弟子たちにこの聖霊のことを細かく教えられ、聖霊を送ることを約束されました。そして、十字架からの復活後、弟子たちに現れたイエス様は、「聖霊を受けなさい」と言われて彼らに息を吹きかけました。霊は神からのいのちであり、彼らの人生は新しく造り変えられたのです。また、これは後の私たちの新生を示唆しています。それからイエス様は、弟子たちにイエス様の証人となり、上からの力を着せられるまでとどまり祈るように言われました。彼らは、10日間祈りに専念し、その中で神の前に砕かれ、すべてを告白し明け渡したとき、聖霊が下ったのです。こうして彼らは、聖霊に満たされて、イエス様の十字架と復活の福音を人々に伝える力をいただき、3000人の人が悔い改めるに至りました。彼らを短期間に、このように変えて導いた秘訣が、イエス様が復活後天に帰られた後のこの10日間の祈りであったことを私たちは心に留めましょう。今は、恵みの時代ですが、神の教会の終わりに近づいています。私たちは、熱心に聖霊のバプテスマを求め祈り、聖霊に満たされて上からの力をいただいて歩いていきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句: エペソ1:13〜14、17〜21、ヨハネ13〜16章、ヨハネ20:21〜22、ルカ24:48〜49、使徒1:3〜8、3:20〜21

 

  • 2020年 6月 7日  上迫和清 長老
    テーマ:あなたがたは地の塩です
    聖 句: マタイの福音書 5章13節

    今日は「あなたがたは地の塩です。」というタイトルで話をしますが、副題として「塩の契約」について話をします。旧約時代には二人が契約を結ぶ時には 1.握手の契約 2.塩の契約 3.履物の契約4.血の契約という四つの方法がありました。塩の契約は、二人が何かに同意して契約を結ぶ時に両者が塩の入った袋を持ち、お互いに相手の袋から少量の塩を取り出してパンと一緒に食べることで契約が成立します。ダビデ王が神様と契約を結んだ時、またアロンとその子孫に祭司としての契約を神様がされた時も塩の契約でした。私たちはイエス様を通して王なる祭司、選ばれた種族という身分をいただいています。これは天地万物の創造者である神様との契約であり、絶対に裏切られることはありません。私たちはサタンに対抗するために、常に塩気を保っていなければなりません。それには私たちが日々聖書を読み、祈ることが必要です。 艱難や迫害によって私たちは塩気を付けられるのです。塩は火によって塩気を付けられるのです。私たち自身には能力はありません。しかしイエス様が再び来られる日まで神様から塩気をいただくことができるように祈っていくことが必要です。
    文責:川村則之
    参考聖句;ルツ4:7 Ⅱ歴代誌13:5 民数記18:19
    マタイ5:11~12 マルコ9:49~50 レビ2:13 Ⅱ列王記2:19


  • 2020年5月31日   角和正毅牧師
    テーマ:もうひとりの助け主使徒たちのもとに来る。
    聖 句:使徒の働き 2章1節 ~ 4節

    イエス様は地上で父の御心を1つ1つ行いました。最後まで信頼し十字架にかかり3日後に復活しました。イエス様は地上での霊的戦いに全て勝ったのです。そして40日後に天へ帰られました。イエス様は人間の弱さを知っていたのでもう1人の助け主、聖霊様を送られたのです。
     ペンテコステの日を境に教会の時代が始まります。イエス様は教会の頭。教会員は神様の計画の手となり足となり働く人たちです。その働きは自分の力でするのではなく、上からの力を着せられるのです。そのユニフォームは聖霊様が臨む時に着せられるのです。そして神の武具を持つのです。
     弟子たちは10日間祈り続けていました。その時間で霊的な準備が出来たのです。神様への完全な明け渡し、完全な信頼の準備が出来たときに聖霊が下り異言を語るのです。
    そして異邦人にも聖霊が下り、全世界へと福音が伝えられるようになりました。神様の計画は今に至っています。
    文責;小原 照代
    参考聖句;ルカ1:1~4 24:49 ヨハネ16:33 使徒1:1~8 2:6~12 
    10:38~47 エペソ6:11~12 コロサイ1:18

 

  • 2020年5月24日  角和正毅牧師
    テーマ:イエスの父の約束したもの
    聖 句:ルカの福音書 24章49節

    天の父である神様は、人類を愛しておられます。私たち人間に必要な物、全てを備えて地球を造られました。神様は、その時代、時代で色々な役割を与えてきました。今の時代は、恵みの時代です。人間に悔い改めて、神様に立ち返るチャンスを与えて下さっている時代です。イエス様には、12人の弟子がおられました。しかし、イエス様が裁判にかけられると、弟子たちはイエス様に背を向け裏切りました。その弟子たちをイエス様は恨む事なく、十字架の上で「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」と言われました。イエス様は、弟子たちの本心を知っておられ、心を造り変える力がありました。イエス様が3日目に復活され、弟子たちの前に現れた時、責める事なく「平安があなたがたにあるように」と言われました。そして、この出来事を伝えるようにと弟子たちに聖霊を授け、新生体験をお与えになりました。弟子たちはキリストの衣を着て、新しい人に変えられたのです。イエス様が昇天後10日目に教会の誕生日にあたるペンテコステが来週です。これは、天の父である神様が約束して下さったものは、イエス様が復活し、昇天したそのイエス様の豊かさと栄光の中にありました。その賜物である聖霊様を弟子たちにお与えになるのです。聖霊様より上からの力、知恵を与えられ、恐れることなく、地の果てまで福音を伝えていく事となります。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句;ヨハネ20:19~23 ルカ24:44~53 使徒1:4~8 

 

  • 2020年5月17日   角和正毅牧師 
    テーマ:あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。
    聖 句:ミカ書 7章18節 ~ 20節

    神様は広大な宇宙の星々、その全てに名前をつけられました。 また、神様は私達のような小さく愚かな者ひとり一人にも名前を与え、覚え、慈しんで下さいます。昨今のコロナ禍で世界中が混乱し、沈滞しています。 今は信仰の訓練の時です。 信仰を共にする者が集って祈りを捧げられる日の来るまで今は忍耐の日々です。 長い歴史の中で、神の約束は果たして実現するのだろうか。 多くの人々は疑い、迷い、そして神様から離れていきました。しかし、 クリスチャンはメシアが二度来ることを信じています。 イエス様がこの世に現れ、罪を贖って下さることを人々は待ち望み、信じていました。 そして、イエス様はもう一度この地に現れると約束されました。私達は罪を犯したために神の裁きを受けなければなりません。 その滅びの判決は既に出ています。 けれども、それでもなお、神様は一人でもご自分のお作りになられた人間を救おうと、その刑を猶予されています。 私達はイエス様の再臨を待ち望んでいます。今は偉大なイエス様の到来を待つチャンスです。 それまで私達はイエス様が命じられたように、たくさんの人々に福音を伝えなければなりません。 それこそが私達の務めであり、神様に名前を付けて頂いた、子としての証しです。
    文責;仲平 滋
    参考聖句;ミカ4:1~3 イザヤ2:2~4 詩篇103:1~14 ルカ24:44~49 マタイ28:18~20 マルコ16:15~16


  • 2020年5月10日   角和正毅牧師
    テーマ:上にあるものをもとめなさい。
    聖 句:コロサイ人への手紙 3章1節~4節

    今日のみことばは、イエス様が今、神の右の座に大祭司として着いて、私たちを見守り、とりなしてくださっていること、人生は地上の生涯だけでなく、この先の先、未来があることを教えています。どんな困難な暗闇の時代が来ようと、私たちに「上にあるものを求めなさい」と聖書は語っているのです。今はすでに「終わりの時代」です。東アフリカを襲うバッタの大群は、農産物のすべてを食い尽くし、現在世界中に蔓延するコロナウィルスは、人々を恐怖と困難に陥れています。これら次々と襲ってくる災いの中で、最高の避難場所、隠れ家が私たちのために十字架で死なれ、復活されたイエス様です。そして、主の来られる日まで、私たちの信仰生活が、偽の教えに惑わされずに堅く立たせるものは、神の愛です。愛にはあらゆる敵を打ち破る力があり、私たちを勝利に導きます。また、日々の生活の中で、主と交わる秘訣は、聖餐にあります。主は、十字架のみわざを忘れないようにと言われ、永久に変わらない新しい契約(十字架の御血の契約)を私たちにくださいました。主を信じる者は誰でも救われます。信じる者を捉えて守られます。全能の主が私たちに目をとめ、人生を計画して、未完成な私たちを訓練して作り上げてくださるのです。今日も私たちは主にすべてをゆだね、みことばに従い、聖霊の導きを仰いでいきましょう。
    文責:金子 和子
    参考聖句: ヘブル12:2、エペソ5:7、ユダ20〜21、1コリント11:23〜26、
    マタイ7:13、ピリピ1:6、Ⅱコリント12:9、ユダ24〜25


  • 2020年5月3日  角和正毅牧師
    テーマ:新生人のための服装
    聖 句:コロサイ人への手紙 3章10節

    今の私たちに必要なことは主イエス・キリストを着ることです。それはイエス・キリストが地上の生涯の中で残してくださった模範を見習いなさいという意味だと思います。その模範についてはペテロの手紙第1の2章20節から24節に書かれています。イエス様が私たちに残された衣とは何でしょうか。それはコロサイ人への手紙3章5節から10節の中に書いてあります。人間はイエス様の形を持った者として造られたのですが、私たちは罪を犯したためにその形を失ってしまいました。しかしイエス様を信じることによって私たちの中に新しい神の形を回復してくださるのです。新しい人を着るということについてはコロサイ人への手紙3章12節、13節に書いてあります。イエス様が下さった素晴らしい衣を身に着けることで、表も裏もイエス・キリストの御性質に似せて造られた新し人となるということがどれほどあなたの人生を豊かにするでしょうか。いままでの罪に染まった人生よりも遥かに聖められた自由と平和と希望に満ちた人生が私たちの前に開かれているのです。
    文責:川村 則之
    参考聖句;マタイ3:16~17 Ⅰペテロ2:21~25 コロサイ3:5~10 3:12~14 創世記1:26~27 Ⅰサムエル16:7

 

  • 2020年4月26日  角和正毅牧師
    テーマ:あなたは今がどのような時であるか知っています
    聖 句:ローマ人への手紙 13章11節

    今年の一月の読売新聞には、アメリカの多くの科学者たちによって、核戦争などによる地球滅亡までの終末時計が過去最短の100秒前に来ていると報じました。しかし、この核の脅威は人間の理性によって思いとどまる事ができます。今の新型コロナウイルスの脅威は、人間の理性も国境も関係なく、人間の手に負えないものとなっています。そこには、人種も貧富の差も知識の有無もなく、世界を巡っています。ですから、クリスチャンは今このような時だからこそ、神様の御言葉に耳を傾けるのです。ローマ13章11〜14節にあるように、今こそ世の中の色々な欲望から目を覚まし、イエス様に心を向けるのです。イエス様を信じるならば、心も体も聖められて、霊が新しく生まれ変わります。そして、愛、喜び、平安が与えられるのです。聖書には、特別警告しているものがあります。神様の警告は、大げさなものではありません。ノアは神様を信じ従う者でした。神様は大洪水をもたらし地を滅ぼし去る際に、ノアに箱舟を造るように命じました。そして、長く箱舟の戸は開かれていましたが、ノアと家族以外の人は神様の警告に従わず、滅んでしまいました。イエス様が再び来られる時には、同じような事がおこります。神様の最後の審判が下される前に、イエス様を信じましょう。世の思いに捕らわれたロトの妻のようになってはなりません。

    文責:吉田 愛子
    参考聖句;ローマ13:11~14 ルカ17:28~30、32 Ⅰペテロ4:7~11 エペソ5:14~18



  • 2020年4月19日  角和正毅牧師
    テーマ:あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。
    聖 句:ルカの福音書 24章 5節 ~ 7節

    多くの人は十字架のイエスキリストに関心を持っています。しかし、そこから発展させることが出来ません。それは、イエス様が3日目に甦られた事実が人々にはあまりにも大きくてにわかに受け入れることが出来ないからです。 人間的レベルから離れて、それを越えたものとしてただ信じることが肝要です。信じる者は復活を十字架の御業の集大成であることを確信しています。 復活の意義は旧約にて書かれていることが全て成就したと新約で証しされています。復活がなければ全ては空しくなります。イエス様の死人からの復活は、ねむったものの初穂であり、後に続く信者の復活の一歩です。そして、最後の審判が近付いていることの証しでもあります。今は愛をもって人々を赦す時です。今は恵みの時です。イエス様は天上において地上の信徒のためにとりなしの祈りをされています。復活を信じる時、その力は私達信徒の中に宿ります。十字架は私達の罪の故にご自身をお捧げになられた愛の表れの象徴です。高名な米国の説教者のスティーブン・オルフォード博士は言っています。クリスチャン生活とは、昨日イエス様が私達のために死なれたことを感謝し、今日私達と共にいて、明日待ち望むことにより天国に迎えて下さることだと。復活されたお方を死人の中に捜すのではなく、天上にて私達をお迎えくださる神様の御心の内に求める者となりましょう。

    文責:仲平 滋
    参考聖句;イザヤ 55:8~9   マタイ16:21 詩篇16:10~11  使徒17:31 Ⅰテサロニケ4:13~18 ヘブル7:24~25 エペソ1:19~21


  • 2020年4月12日 角和正毅牧師
    テーマ:しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
    聖 句:コリント人への手紙 第一 15章20節

    Ⅰコリント15:20での「眠った者」とは「死んだ方々」のこと。「初穂」とはその後に続いてたくさんの穂が出て実を結ぶことであり、「イエス・キリストが死んだ人々の中から最初によみがえり、その後に続いていく」ということです。死からの復活は、人々を悲しみのどん底から喜びの高嶺へ、涙から泉の湧く所へ、死から永遠の命へと導きます。イエス・キリストは、神の愛によって贖罪の犠牲を神が受納され、聖霊により死人の中から復活されました人類の始めに人の中に罪が入った時から、人には罪の意識を持つ弱さがあります。この弱さは普段、その人の環境や道徳心、教養などによってブレーキが掛かっていますが、それがある時豹変して、自制できないあらゆる悪(罪)に変わることがあるのです。そして。私たちはこの罪を自分で取り除くことができません。それは、死の原因(罪)を取り除くために、人の形をとって神によって地上に送られて来た御子イエス・キリストだけが、唯一成すことのできるみわざなのです。イエス・キリストは、人類の罪の罰の身代わりとなって十字架に死んで、三日後に復活されました。そして、罪人である私たちは、このことを信じて、イエス・キリストを救い主として受け入れ、告白したことにより、死からいのちへと永遠に生きる者へと変えられました。今は恵みの時、救いの日です(Ⅱコリント6:2〜3)。今が救われて、永遠のいのちを持つチャンスです。復活祭の今日、この恵みのメッセージが皆様のいのちとなり、力となりますように。

    文責: 金子 和子
    参考聖句: 1テモテ3:16、ローマ3:10、6:23、Ⅱコリント6:2〜3  



  • 2020年4月5日  角和正毅牧師
    テーマ:罪人のために命を奉げたひと
    聖 句:ヨハネ3章14節 ~ 15節

    現在全世界で新型コロナウイルスが猛威を振るっており、世界保健機関(WHO)の責任者がテレビで近況報告をする場面が時々ありますが、そのロゴマークは国連のシンボルマークの真中に蛇がからまっている一本の棒が立っています。そのロゴマークは聖書の一場面からのものではないかと思っています。今から三千五百年前、エジプトのパロ王の奴隷となっていたイスラエル民族をモーセが解放しました。四十年間砂漠を旅しながら新しい約束の国での生き方を教育訓練されていました。しかし終わりに近づいたのに、民は忍耐が尽きたのか食べ物や教訓の事などに難癖を付けて大勢の者がモーセや神に対して不平不満をぶちまけ、モーセは手に負えなくなり、神様が直接介入しました。その青銅の蛇こそ私たち人類の罪を背負って罪となり、十字架に掛けられ罰を受けて死なれたイエス・キリストを示しています(民数記21:4~9)。 自分の罪を認めてイエス・キリストを見上げた時、罪赦されて生きることができるのです。今週はイエス・キリストが十字架に掛けられた週で、受難週と呼びます。イエス様は死後三日目に復活されました。来週の日曜日はイースターとか復活祭と呼び、世界中でこの出来事に唯一の期待と希望を持って感謝し神を褒め称えるのです。あなたはこのイエス・キリスト様を救い主としてもう信じて見上げましたか。どうぞこの御言葉を受け取ってください。    
    文責:川村 則之
    参考聖句;民数記21:4~9 ヘブル9:27~28

 

  • 2020年 3月29日 角和正毅牧師
    テーマ:愛のバッチ
    聖 句:ヨハネ13章34節 ~ 35節

    バッジは立場や身分を証明することがあります。イエス様はわたしたちに一番守ってほしいこと「互いに愛し合いなさい。」を愛のバッジとして残されました。イエス様は十字架の上で愛を持ってわたしたちの身代わりになってくださいました。本当の愛は風化しません。今も変わらず信じる人に受け入れられているのです。愛のバッジを心に受けるとプリズムのように反射します。その光は行動の中に映し出されるのです。その愛の行動は第一コリント13章4節~8節に15色として書かれています。また愛の行いは箴言10章12節にも書かれています。愛のバッジを付けていますか。イエス様がこの世に来たのは、世を裁くためではなく、救うためです。そして、美しい天国へと導くためなのです。イエス様から戴いた素晴らしい「愛のバッジ」をつけて信仰生活を歩みましょう。
    文責;小原 照代
    参考聖句;Ⅰコリント13:4~8 箴言10:12 ヨハネ3:17


  • 2020年3月22日  角和正毅牧師
    テーマ:真の礼拝とは
    聖 句:ヨハネの福音書 4章24節

    全能の神様は、いつも私達を守り、導びいて下さいます。不安や恐怖、あらゆる疫病からも私達を守って下さるのです。しかし国の示す新型コロナウィルス感染症防止対策に従い、2週間礼拝を中止する事となりました。それは、人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。(ローマ13章1~5)という御言葉に従って実施されます。ではお休みの期間、各自の礼拝はどのように持つべきなのでしょうか?クリスチャンは、神の子であり、週に一度集まって信仰生活を守る性質があります。でも、このような時は、一人一人がイエス様との時間を設定して作るのです。神は霊ですから、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。神を賛美し、聖書を朗読し、祈る、そして献金も忘れてはなりません。いつも週の初めの日に、収入に応じて、いくらかでも手もとに蓄えておきなさい(Ⅰコリント16章)と御言葉にもあります。礼拝は神様に感謝を捧げる事です。ですから、その中での献金は、神様の働きを助け、多くの人の働きを支えるものです。そして、私達自身も祝福されていくのです。ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神様に感謝していく事ができるのです。いかなる時も、クリスチャンは礼拝をやめる事なく、イエス様に感謝を捧げてまいりましょう。
    文責:吉田 恵子
    参考聖句;Ⅰコリント16:1~2 Ⅱコリント9:1~15 詩篇121:1~8

 


  • 2020年3月15日  角和正毅牧師
    テーマ: 囲いに属さないほかの羊
    聖 句:ヨハネの福音書 10章 16節

    イエス様はご自身を羊の門であり、良い牧者であると仰っています。 そして、その囲いに属さない、つまりユダヤ人ではない異邦人のほかの羊をも導かれると仰っています。 ここにイエス様の御愛があります。神様は小さい者や 少しの者、孤児ややもめといった見捨てられた者にも等しく愛を注がれます。小さく哀れで愚かな羊は牧者を離れては生きていけません。イエス様は100匹の羊の群れの内、たとえ1匹でも囲いから離れてしまったらあとの99匹の羊を置いてでも探しに来られます。この御愛を私達は述べ伝えていかなければなりません。 それこそが神様の御心であり、私達の務めです。イエス様は世界の果てまで愛の教えを伝えなさいと命じられました。今から60年ほど前に5人の宣教師が伝道のために南米のエクアドルに渡りました。けれども、未開の原住民らによって彼らは殺害されてしまいました。 頓挫するかに思われた伝道の歩みは遺された家族を中心に進み、そして芽を出しました。 これこそが神様のご計画に忠実に従った羊達の勝利です。この世には偶像崇拝に縛られている、囲いの外にいる異邦人がたくさんいます。この国でもエクアドルでもタイでも…。私達は何処にあっても神様の御心に従う忠実な羊でありたいものです。

    文責:仲平滋
    参考聖句;出エジプト22:21~22 ヨハネ6:12~13 4:3~13 ルカ15:3~32 ヨナ1~3章 使徒10~11章、16章 マタイ28:18~20 Ⅱコリント6:2

 

  • 2020年3月8日   角和正毅牧師
    テーマ: 聖霊の保証
    聖 句:エペソ人への手紙 1章13節 ~14節

    地球の始めから、聖霊は地球を守っていました。そして、神は人を造り、神の息(神の霊)を吹き込みました。しかし、ここに罪が入り、神は人を守り助けるために、イエス様を送られました。イエス様は人の罪の身代わりとなり、十字架で死なれ三日後に復活されたのです。このことを信じて救われた者は、聖霊により御国に入る証印をいただきますが、一時的ではなく聖霊に満たされ続けることが大事です。船や飛行機のレーダーのように、人にも信頼できるガイドが必要です。民数記9:15〜23には、イスラエルの民が荒野を旅したとき、昼は雲の柱、夜は火の柱がずっと共にいて、民を導いたことが書かれています。彼らは主の命令通りに雲の動きに従って、とどまったり離れたりして旅が守られたのです。これは、主に絶えず従順に従うという模範的姿です。また、この時、神は幕屋(イエス様の地上における姿を表す)の中に住まわれましたが、これに対して新約では神は、聖霊によって私たちの中に住んでくださいます(身体は神殿)。神は驚くほどのみわざで、すべての備えをもって私たちを導かれます。荒野の民への、住む場所、必要、病気などのすべての備えは、新約においてはマタイ6:33であり、旧約すべてを要約するのがヨハネ3:16です。私たちはイエス様のすべてを信じて義とされ、天国への証印を押されました。さらに祈り、神としっかりと繋がって、この証印を消すことがないよう、また、人々に福音を伝えていきましょう。

    文責: 金子和子
    参考聖句: 創世記1:2、ヨハネ1:14、箴言16:9、イザヤ55:8、マタイ16:18、エペソ4:30



  • 2020年3月1日   角和正毅牧師
    テーマ:全能者の陰に宿れ
    聖 句:詩篇91篇1節 ~ 6節

    詩篇91篇を読んでいるうちに神様への大きな信頼と喜びを覚え、不安が消えていきました。御言葉の中にいのちを感じ、何度も読みながら感謝しました。私たちの絶対的な神への信頼は変わりません。私の主が私を最後まで見守って導いて下さるからです。恐怖というものがこの御言葉によって消えました。あなたが神をしっかり選んで、そのお方のもとに生きようとしたので神があなたを守られるのです。このすばらしい神の約束を味わって読むことによって、あなたの不安も恐れも、またやってくるあらゆる疑問も全部消えていくでしょう。この偉大な神は私たちの人生を豊かに導かれます。コリント人への手紙第1の11章26節に「ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。」と書いてあります。主の死とはイエス様が十字架の上で死んだ時に、御自身の死をもって死を制したということです。イエス様は私たちの霊を救うために来られ、その霊をあなたから引き上げて、天国の体を与えて、天国で永遠に生きるようにしてくださいました。 

    文責:川村 則之            
    参考聖句;詩篇121:8 78:13~16 ヨシュア3:14~17 4:15~18 Ⅰコリント11:26 ヘブル2:14~18

 

  • 2020年2月23日  ベアンテ・ボーマン師
    テーマ:試練の中の助け
    聖 句:詩篇23篇4節

    人生とは楽しい事ばかりが起こるものではなく、人間の力では解決できない問題も起こってくるものです。では、問題が起こった際に、私たちクリスチャンは、どのように対処していくべきなのでしょうか。ダビデの生涯は、幾つもの困難がありました。ダビデはゴリヤテに勝利し、高い地位と国民から人気を得ました。サウルは、そのダビデに嫉妬し、何度も殺そうと試みます。そのため、ダビデはそこから逃亡し、まず、ガテのアキシュ王の所に行きました。しかし、そこで自分の命の危険を感じた時、ダビデは王の前で狂った姿を演じ、難を逃れました。そして、アドラムの洞穴に隠れたのです。ダビデは高い地位も家族も親友も霊的指導者も、全てを失いました。その時の心の叫びを書いたものが詩篇142篇です。そこでダビデは、神様の御前で正直に祈ったのです。神様に心の全てを隠す事なく祈る事は、とても大切です。すると、祈りが聞かれ状況が変わりました。家族や最後までダビデに忠実に従う者が大勢与えられる事となったのです。ダビデはいかなる時も、神様を忘れる事は決してありませんでした。たとえ死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから(詩篇23篇4節)とあるように、困難の中でも神様に祈り求めていくならば、神様はいつも共にいて導いて下さいます。
                     
    文責:吉田愛子

 

  • 2020年2月16日   角和 正毅牧師
    テーマ:内なる人を強くしよう
    聖 句:エペソ人への手紙 3章14節 ~ 21節

    私達は外なる人ばかりが気になります。内なる人の強めには心を砕きません。人は弱く罪深い者なので自らを強める術を持ちません。だから外なる人を飾り、知識を積み、便利さを追求して、あたかも内なる人を強めたかのように錯覚してしまいます。 けれどもそれは砂の上に建てた楼閣のようなものです。いくら堅固に見えても地震による液状化現象などで空しく倒壊してしまいます。 私達はそれを目の当たりにしてきました。それでも人はより強固なものへとまた、砂上に楼閣を築こうとするのです。 不完全なものであることを知るが故にその欲望はとどまるところをしりません。どんなに素晴らしいものであっても地上のものに心を置くのなら必ずそれは滅びます。どんなに科学が発達しても、AIが万能でもそれで人は強められませんし、救われもしません。地上の神(偶像)に従う者は全て滅びてしまいます。 それでは、内なる人を強めるために私達は何をしたら良いのでしょう。愛に根ざし、愛に基礎を置くべきです。十字架の愛の広さ、長さ、高さ、深さを知るなら何も恐れるものはありません。 信仰によってイエス様が私達の心の内に住んでいて下さいますように…。この祈りこそが内なる人を強めます。イエス様は岩の上に教会を建てられました。イエス様の御言葉に聞き従う者は堅固な岩の上に家を建てた者となります。 内なる人を強めましょう。

    文責:仲平 滋
    参考聖句:マタイ7:24~27 24:35 ローマ1:19~23 Ⅰヨハネ3:8

 

  • 2020年2月9日   角和正毅牧師
    テーマ: 信者のお手本に従がおう。
    聖 句:ヘブル人への手紙 12章2節 ~ 3節

    イエス様は十字架上で、私たちが救われる姿を見ていたので、それを喜びとしてし、苦しみに耐えてくださいました。そればかりか、「彼らは何をしているのかわからないのですから、赦してください」と、十字架にかけた人々のために祈られました。これを私たちは学び、手本として従うとき、私たちは信仰の完成者であるイエス様によって、希望を持ち、一歩一歩完成に向かうことができるのです。「わたしについてきなさい」と言われた主は、私たちに模範を残し、いつまでもともにおられます。また、嵐の湖の上を歩くイエス様は、ペテロを「信仰の薄い者」、と言われましたが、ペテロの行動から私たちは、信仰をどう使うか、どう生かされて成長するかを学ぶことができます。そして、ロトの妻がソドムに残してきたものを惜しみ、振り返って塩の柱になったことは、終わりの時代にいる私たちへの警告です。私たちは、主を信じて主から戴いた冠(永遠のいのち)を、誰にも奪われないように歩まなければなりません。ですから、既に救われた私たちが、この警告を福音をもって、世の人々に伝えて行くことを実行していきましょう。神は、すべての人が救われて真理を悟ることを願っておられます。イエス様を手本として、従順に、謙遜に、信仰の完成の道を目指して歩いていきましょう。
    文責: 金子 和子
    参考聖句:ルカ23:34、使徒2:37〜38、1ペテロ2:21、マタイ28:20、14:28〜31、1コリント9:24、黙示3:11、ローマ10:16、17、ルカ17:32、エペソ5:25、1テモテ2:4、ローマ12:2、ピリピ3:16〜21


  • 2020年2月2日   角和正毅牧師
    テーマ:新しく造られた人
    聖 句:コリント人への手紙 第二 5章17節

    今日はこの新しく造られるという意味を説明したいと思います。最初の人間アダムとエバは神様から食べるとすぐ死ぬと言われた禁断の木の実を食べ、生ける真の神様との交流が途切れてしまい、彼らは霊のいのちが絶たれたことを知りました。神様は人間を愛していたので何とかして失敗した人間を立ち直らせて回復させ、神様の目的に叶った者にしようという相談が永遠の過去に天で三位一体の神によってなされました。人間の罪を取り除くには、だれかが身代わりになって罰を受けなければなりません。そこでイエス様が自分を犠牲にしてくれたのです。私たちはイエス様を信じて従うことで天に宝を積むのです。神様はあなたに王国を与えてくれます。やがてイエス様が私たちを天国に迎えに来られます。そしてあなたを天において豊かに満たしてくれます。イエス様が新しく造られたのは私たちの霊のいのちです。私たちは神の子とされ、神様に繋がる者となり、神様と交流が持てるようになり、祝福をいただくことができるのです。神様の御言葉をあなたのものとして受け取り、それを信じてしっかりと人生を歩むことができるのです。

    文責:川村 則之           
    参考聖句;創世記1:27 2:7 2:21~24 ヨハネ14:2 3:27 5:11 ピリピ4:6~7 使徒1:8 詩篇100:2 マタイ6:19~21 25:3

 

  • 2020年1月26日   角和正毅牧師
    テーマ:終わりの時
    聖 句:ヘブル人への手紙 1章2節 ~ 3節

    神様は旧約時代、それぞれの時代に分けて必要なメッセージを送ってきました。新約時代のこの終わりの時には、神の本質の完全な現れであるイエス様を通して語って下さいました。そして、世界の基を据えられたイエス様が、この終わりの時に私たち異邦人のためにも来て下さったのです。イエス様は7つの例え話を用いて、語られた事がありました。それは、ユダヤ人がイエス様を神の子として受け入れなかったためです。山上の説教につまずき、多くの奇跡を見てもイエス様を悪霊だと言いました。ですから、イエス様はユダヤ人には真理の深い所を話さず、例え話でお語りになりました。毒麦の例え話にある収穫の世の終わりの時には、イエス様を信じない者たちは御国に入る事はできません。偽キリストの出現や人間の愛は冷え、地球滅亡まで100秒前となっている今は、まさに終わりの時です。しかし、神様は初めから救う数を決めておられ、異邦人の数が満ちるまで待っておられます。滅亡が起こるその前に、私たちクリスチャンはイエス様によって、天に上げられていなければならないのです。神様は、一人でも多くの方に真理を知ってほしいと願っておられます。この福音を伝えてまいりましょう。                
    文責:吉田 恵子
    参考聖句;ヘブル1:10~12 9:26~28 Ⅰペテロ1:20~25 マタイ13:24~43 24:3~14、21~22 使徒2:1~47 ローマ11:25~27

 

  • 2020年1月19日  角和正毅牧師
    テーマ: ノアの日と同じよう
    聖 句:マタイの福音書 24章37節~39節

    地震や台風、水害といった災害に対して私達は身の避け所を考えます。 同じように心の避け所も必要です。 神様の暦によれば今はもう終わりの時に差し掛かっています。 教会が天に上げられるまでの、今は恵みの時です。福音を一人でも多くの人々に伝えること~これこそが私達の心の避け所になります。ノアは人から何を言われようが、ただ神様の御声に従い箱船作りに打ち込みました。アダムからノアまでは十代の時を経ていました。 人間は爆発的に増加していました。 けれども大洪水から逃れ得て救われた者はたったの八人でした。 神様は私達一人ひとりを覚え、数えて下さっています。 人々はノアの箱船に乗ろうとはしませんでした。 全ての生き物が神様の命に従い、つがいで乗り込みました。入り口は神様が閉められました。神様が仰ることは完全に実現します。御言葉によって、生きる希望が与えられています。箱船には天窓以外に窓はありませんでした。 天を見上げると、そこに神様がいらっしゃいます。 ノアの家族にはそれで充分なのでした。 私達も主だけを見上げ、世の終わりまで福音を述べ伝えることが御心と信じ歩んでいきたいものです。                
    文責:仲平 滋
    参考聖句;創世記6~7章 ローマ1:23~25 創世記5:21~24 ヨハネ14:1~3 ヘブル1037~39 Ⅱコリント4:17


  • 2020年1月12日  角和正毅牧師
    テーマ:あなたの幼子たちのために祈れ
    聖 句: 哀歌 2章19節

    今の日本は、豊かで恵まれて、何でも手に入れることのできる環境ですが、そこには多くの危険があります。その中で、子どもたちは、どう育ち、どう生きて行くでしょうか。子どもの生き方は、イエス様の教え(罪の赦し、罪がどうなるか、善悪のわきまえ、天国、救い主イエスが十字架で何をなされたか、その死と復活)を持っているか否かで大きく差が生じます。そして、それをしっかりと教えるのは、聖書に基いた家庭です。まず、真の神を恐れることを教えましょう。生きているまことの神は、私たちがどこにいても見ておられ、決して主から逃れることはできません。また、みことばは、私たちの罪、霊、脳、心をきよめて、正しい清い見方を心に植え付け、その歩みを導いてくれます。主の十字架の御血が、自分でさえ知らない罪をも洗い、きよくしてくださるのです。ですから、私たちは、毎日みことばを心の糧として接していくべきです。イザヤ55:10〜11にあるように、みことばは、むなしく主の元に帰ることはないのです。イエス様を真ん中にして、みことばに接し、祈る家庭は必ず一つになります。福音は、霊の奇跡の連鎖を引き起こして、みことば通りに全世界へと伝わっていきます。私たち一人ひとりは、子どもたちの働きのために、手をあげて祈っていきましょう。   

    文責: 金子 和子
    参考聖句: 黙示12:12、イザヤ38:8、箴言1:7、1ヨハネ1:7、箴言22:6、イザヤ55:10〜11、伝道者12:1、マルコ16:15

 

  • 2020年1月5日  角和正毅牧師
    テーマ: 主にとどまる
    聖 句:使徒の働き 11章19節 ~ 24節

    「主にとどまる」という事ですぐに思い出されるのは「わたしはまことのぶどうの木、あなたがたは枝です。枝が木に繋がっていなければ実を結ぶことはできません。しかし繋がっていれば、たくさんの良い実を結びます。」というヨハネの福音書15章1節から16節の御言葉です。「主にとどまる」とはイエス様の言葉の中にとどまるということです。目的地に着くまでは私たちが予期できない誘惑が出て来て、私たちをそこに引きずり込んでいくことがありうるのです。それを私たちは予想して、何が来ようが負けないで自分の目標に向かって行くという戦い方が必要だという意味を「主にとどまる」という言葉は含んでいると思います。私たちはイエス様を信じた時に既に聖い者とされていますが、イエス様にとどまっていることで、イエス様が私たちを日々聖めてくださり、聖さを保っていられるのです。今の苦しみに負けないで耐えてください。そして励まし合っていきましょう。そうすれば或る日私たちは神様の御前で大きな栄光の祝福をいただけるのです。それを期待していきましょう。

    文責:川村 則之
    参考聖句;コロサイ1:13~29 Ⅱコリント4:13~18 ヨハネ15:1~16 ヘブル9:27 ローマ6:23