2017メッセージブログ


  • 2017年12月31日 角和正毅牧師
  • テーマ:行く年を振る帰り、来る年を期待しよう
  • 聖 句:詩篇103篇1節 ~ 5節

「主の良くして下さった事を、何一つ忘れるな。」主に在ってなされた事は、私達を引き上げて下さる事です。
 ヨナ書はイエス様を表していると言われますが、ヨナは自我が強く、イエス様は天の神様を喜ばせる事、御心を行うことでした。ここが、ヨナとイエス様との大きな違いです。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、神を愛するのです。
 イスラエルの民に付いては、良くても悪くても、聖書に記録されています。これは、教訓の為です。教えを正しく受け取るなら、恵まれます。そうでないなら、災いが訪れます。み言葉を正しく学び受け取るなら、国は栄えます。破れば滅びます。守り行う事は、復習する事です。神は先祖に約束した事を守るお方です。霊的立場としては、教会も含まれるのです。人々の心に在るものを知るために苦しみと辛さを与えました。霊的な祝福を感謝し、試練を通して練られて行くのです。イスラエルの民は荒野での40年間、履き物、着る物はすり減らなかったのです。
 神は愛する者に霊的訓練を与えるのです。神の命令に従って、畏れて歩むなら豊かに祝福して下さるのです。主の終局の目的はあなたを幸せにすることです。イエス様を信じて生まれ変わった者が天国に入れるのです。信仰を持って行く時に主が祝福して下さるのです。文責;志賀 孝作
参考聖句;Ⅰコリント10:11 申命記8:1~20 マタイ4:4 6:33 エペソ6:17 ヘブル12:5~13 Ⅰサムエル15:22~23



  • 2017年12月24日 角和正毅牧師
  • テーマ:イエス・キリストは罪人を救うためにこの世に来られた
  • 聖 句:テモテへの手紙 第一 1章15節、2章4節、5節

クリスマスは、神の子であるイエス様が、救い主として、この地上にお生まれになった日です。
このイエス様の誕生を天使たちが、その当時、身分が低く粗末に扱われていた羊飼い達に、一番、初めに伝えられたのです。その羊飼い達は、その事を素直に信じ、言われた通りに、ベツレヘムに行き、飼葉おけに寝ておられるイエス様にお会いしました。
 その時から、羊飼いである人間を通して、この福音が伝えられていきました。そして、今日の私たち日本にも、伝えられたのです。多くの人間は、生きている神様に背信行為である、偶像崇拝をしているため、神様と人との正しい繋がりが、できていません。その仲介者となって下さるイエス様を、信じる事によって、その人の罪が全て赦されて、罪の奴隷から解放されるのです。神様との縦の繋がりが、平和であるならば、人間同士の横の繋がりも平和に保つことができます。
 罪から来る報酬は死です。しかし、イエス様を信じて、受け入れるならば、私たちは滅びないで、永遠の命をも頂く事ができます。このクリスマスに神様は、私たち人間に、救い主イエス様という素晴らしいプレゼントを与えて下さいました。このことを、感謝して、一人でも多くの方に、この福音を伝えてまいりましょう。文責:吉田 愛子
参考聖句;ローマ5:6~10 1:20~32 3:23 13:14 エペソ2:1~3 4:24 コロサイ3:10 ヨハネ3:17 


  • 2017年12月17日 角和正毅牧師
  • テーマ:イエス・キリストの誕生を祝した真の礼拝者その2
  • 聖 句:ルカ 2章 22節~35節

このシメオンの歌は、メシアの使命がユダヤ人同様異邦世界にまでおよぶことを歌っています。この御救いは世界のすべての人のためのものですと言っています。
 イエス様の両親はイエスを主に献げるために神殿に行きました。 シメオンは聖霊に導かれて神殿に行き、ヨセフとマリヤが連れてきた幼子がメシアであると確認できました。彼は幼子を抱いてイスラエルが慰められること、異邦人が救われることまで含めて神様がこのような素晴らしい御子を下さったことを喜びました。
この啓示は驚くべき啓示です。しかし多くの人がこの啓示を見落としています。イエス様は万民の主として来られ、異邦の民を照らす啓示の光、暗闇に光を照らす救い主です。御民イスラエルの光栄です。私たちはこのような素晴らしいイエス様がお生まれになったことを感謝しなければなりません。私たちの感謝は神の前に出て、神を礼拝することです。
シメオンは羊飼いたちがしたようにこの喜びを人々に伝えました。それは信仰者が救われたことを他の人に伝えるのも同じです。私たちもイエス様を伝えていきましょう。文責:川村 則之
参考聖句;ユダ14~15節 詩篇100:1~5

  • 2017年12月10日 角和正毅牧師
  • テーマ:イエス・キリストの誕生を祝した真の礼拝者
  • 聖 句:マタイの福音書 2章1節 ~ 12節

今日は、イエスの誕生を祝う真のクリスマスの礼拝者とはどういうことか、聖書によって共に考えましょう。
 ルカ2:25〜38には、シメオン、アンナという二人の敬虔な神に仕える人が、イスラエルの慰められることを待ち望み、幼な子イエスを救い主として信じて礼拝したことが書かれています。このメシヤの誕生は、イスラエルの人々の願いでしたが、実際には、イエスの誕生における反応は、3通りに分けられます。
 1つめは、「敵対」です。これは、ヘロデ王のように自分の王座が奪われるのを恐れて、イエスを殺そうと否定するものです。 2つめは、「無関心」。ユダヤ人の宗教的指導者たちは、救い主がユダのベツレヘムに生まれることを知りながら、イエスを探しに行かず、会いに行こうともしませんでした。これは、イエス不在の無意味なクリスマスも同様です。 3つめは、「礼拝する」。東の博士たちが、メシヤに会うまで探し続けて礼拝した姿勢です。主は、求め続ける者の祈りに、必ず答えてくださいます。博士たちを導いたのは、彼らが信じている神のことばでした。また、その時捧げた黄金、没薬、乳香は、私たちが持っている最高のものを主に捧げることに通じます。
私たちもイエス様のお誕生を喜び、賛美し、感謝して、人々に福音を伝えて、真の礼拝者となりましょう。文責: 金子 和子
参考聖句:ヨハネ3:16、ミカ5:2、マタイ7:7〜8、ヨシュア6:1〜19、
ルカ8:43〜48、ヘブル13:15、黙示2:10、

  • 2017年12月 3日 角和 正毅牧師
  • テーマ:イエス・キリストをいつも思っていなさい
  • 聖 句:テモテへの手紙 第二 2章8節

何事にも始めがあります。1952年バーナモからフリーダ・ジェンバリー宣教師が鶴見に来ました。柔道場を借りて子供会を始めた矢先、病に倒れ、看病の為に、クリサンダー宣教師がやって来ました。
病が更に重くなり、ジェンバリー宣教師がスウェーデンに帰り、エリクソン宣教師、ソフィア・バーゲルド宣教師が来て1954年12月4日に鶴見純福音教会が建ちました。これが、教会の始まりです。
本日の主題に入りましょう。バプテスマのヨハネはイエス様の為に道を開きました。ステパノは殉教しましたがそこにパウロが居ました。何事にも始めがあり、全てに意味があるのです。神様の目的により全ては動いています。無駄はないのです。わたしたちはいつでも神様が必要な時に用いられる、役に立つ器であるように祈り準備していましょう。
 イエス様は人として生まれ、神として復活されました。人として生まれる前は神としてずっとおられました。例え行ったことがなくても、その国から来た人が語ることによりその国を知ることが出来ます。イエス様が語ることにより神の国を知ることが出来るのです。イエス様は罪人であるわたしたちを救うために王の王、主の主であるその地位も栄光も天に置いて人としてお生まれになりました。アドベント第1週。心を備えていきましょう。文責:小原 照代
参考聖句;創世記22:14 詩篇103:1~5 ヨハネ1:1~2、3:13、17:5
イザヤ45:18 9:6~7 申命記18:17~18 ルカ1:30~31 Ⅱコリント8:9 ミカ5:2 ガラテヤ4:4 テトス2:11~14



  • 2017年11月26日 角和 正毅牧師
  • テーマ:イザヤが預言したイエスの姿
  • 聖 句:イザヤ書 53章1節 ~ 3節

イエス様は、アダムとエバが罪を犯したその時から、私たち人間を救うために神様より与えられた救い主でした。
そのイエス様は、私たちと同じ赤子として、馬小屋でお生まれになりました。そして、私たちの罪のために、苦しみの中、十字架にかかられる様子が、預言者イザヤによって詳細に書かれています。
父ヨセフと母マリヤは、イエス様の献児式の際に、山鳩を捧げたことは、貧しさを表しており、イエス様は、神の子としての一切の権威を捨て、卑しい姿で神様に仕えて下さいました。イエス様は、私たち人間と同じように、サタンの誘惑や試練にも遭われました。その度に、聖霊様に満たされて、祈り、神様と共に歩んで行かれたのです。この事は、私たちクリスチャンへの模範を示して下さいました。
神様は人間のうわべを見るのではなく、心を見られます。私たちは、魂も体も共に滅ぼすことのできるお方を、恐れるべきです。そして、高ぶる事なく、身を低くし、いつも謙遜であった、イエス様の足跡に従うよう、聖霊様に満たされながら、イエス様を見上げて歩んでまいりましょう。 文責:吉田 恵子
参考聖句;ルカ2:22~24、52 Ⅰサムエル16:7 ルカ22:24~30
Ⅰペテロ2:21~25 ヨハネ3:38~40 ヨハネ1:12



  • 2017年11月19日 角和 正毅牧師
  • テーマ:主イエス・キリストの十字架
  • 聖 句:ガラテヤ人への手紙 6章14節

パウロは人生の中で誇りとするものがあれば、それは私にとってイエス様の十字架であり、他にあってはいけないと言いました。
 パウロがコリントの町に行きイエス様の十字架の話をしても、誰も受け入れようとはしませんでした。そこでパウロは偉大な学者でしたが、十字架のイエス様の事だけを話そうと決心しました。救われる方法はイエス様の十字架を信じる以外にはないからです。
イエス様が十字架で私たちの罪を全部取ってくださり、私たちの罪の身代りとなって死なれたことをしっかり信じることによって、私たちは霊的に生まれ変わって天国に行く新しい道を歩く人間に変えられるのです。
あなたは十字架によって世に対して死んでおり、イエスにあって生きています。 また世もあなたに対して死んだ人間として扱います。私たちも十字架を通して世を嫌い,世は私たちをを受け入れません。
パウロがこれ以外に誇る物がないと言った深い意味を悟り、それを心に留めておくことで、あなたの人生は限りなく祝福されます。生きている神様が最後まで守ってくださると約束しています。文責:川村 則之
参考聖句;Ⅰコリント2:12~14 創世記4:19~22、26 詩篇40:1~3ガラテヤ6:14 Ⅰペテロ1:18~25 ガラテヤ5:16



  • 2017年11月12日 角和 正毅牧師
  • テーマ: 子供たちを祝福されたイエスさま
  • 聖 句:マルコの福音書 10章13節 ~ 16節

今日は、子供たちの祝福式です。マルコ10:13〜16のみことばを読み、子供たち一人ひとりとご両親に向けてお話します。
 イエス様が地上に来られたのは、私たちをさばく為ではなく、救う為です。イエス様はいつでも私たちの味方であり、時には天使を使って私たちを守ってくださいます。また、神様のことばに、子供のような心で素直に「はい」と応答する人を神様は喜ばれ、祝福してくださいます。
 イエス様を信じない人は、最後の審判に於いて、その人の人生のすべてが神様の前に映し出されて、判決を受けます。しかし、この怖ろしい審判に会わない為に、神様は、人類にイエス様を送ってくださいました。そして、イエス様が世界中全ての人の罪の身代わりになって十字架で死なれたことを信じる人には、その罪が十字架の血潮で消去されて、永遠のいのちと神の愛が与えられることが、 約束されているのです。
 今は、悪い人々が大洪水で滅ぼされたノアの時代にも似た悪い時代ですから、イエス様のことばを心の土台としてしっかりと持って、善悪を知り、大人になっていくことが大事です。悪いものは、様々な方法で子供たちの心に入り込みますが、イエス様が私たちを愛し、一人ひとりを確かに知っておられます。子供たちも私たちも、イエス様から決して離れずに主を愛して成長していきましょう。文責;金子 和子
参考聖句;申命記28:1~12 創世記26:3、5、12 イザヤ46:3~4 マタイ18:10 エペソ3:16 ピリピ2:13~14



  • 2017年11月 5日 角和 正毅牧師
  • テーマ:パン種には注意して、気をつけなさい
  • 聖 句:マタイの福音書 16章6節

この聖書箇所は「パリサイ人、サドカイ人のパン種に注意しなさい。」と語っています。物質的なパンその物ではなく、その教えについて、イエス様は語っています。
 パリサイ人やサドカイ人達はイエス様に天からのしるしを求めましたが、イエス様ご自身がそのしるしだったことに気が付きませんでした。イエス様のパンの奇跡は深い意味が有ります。その奇跡の背後には天の神様は何時も、あなたを満足させて下さるのです。
 パン種とは、僅かなパン種が粉全体を膨らますことが出来るのです。彼らの教えは悪い思いを行わせるのです。イエス様の奇跡は全て純粋です。イエス様の為さることは真理です。サドカイ人の教えはその人を破壊してしまうのです。教えの背後には罠があるかもしれません。聖書が教えていることから離れると真理から離れるのです。聖書にしっかり立っていれば、惑わされる事は有りません。
 パン種は悪の象徴です。パン種の無い祭りとはイエス様の純粋な生涯を送ったことを表します。私達は、聖餐式をもって、記念しています。サドカイ人のパン種は世俗的な教えです。イエス様の教えから離れてしまうのです。空しいだまし事の哲学です。私達は惑わす哲学を捨てて、イエス様に在る謙虚な生き方をしましょう。文責;志賀 孝作
参考聖句;マタイ15:32~38 16:1~12 マルコ8:15~18 ルカ12:1
Ⅰコリント5:6~8 ガラテヤ5:9 コロサイ2:8



  • 2017年10月 29日 中坊 久行先生
  • テーマ:この方こそまことの神
  • 聖 句:ヨハネの手紙 第一 5章19節 ~ 20節

わたしたちはイエス様を聖霊様の力により知ることができ救われました。神様が愛して下さったことをどうしても伝えたい。この方こそ真の神、永遠の命なのです。それを多くの人に伝えたいと強く思っています。
 今も昔も偶像が満ちています。パウロが伝道したエペソは偶像が溢れていました。しかしながらその街はとても豊かで皆が憧れるような街でした。芸術品にあふれ、遊びも富も知識もその街にはありました。その中で人々は真の神様を知ったのです。その芸術に囲まれた街で、あなた方は神様の作品です。ということを理解していきました。
 偶像は人が運ばなくてはなりません。偶像はお互いに重荷にしかなりません。しかし神様はわたしたちが胎内にいるときから知っておられ、年老いてからもずっと背負って救い出してくださるのです。主がわたしたちを運び、救い出し教会へ導いて下さったのです。
 生きてる神か?死んでる神か?運んでくれる神か?運ばなくてはいけない神か?仕える神により人の生き方は変わります。わたしたちは主に会うときを待っています。どのように神様に出会えるのか、日曜礼拝で練習しているようなものです。真の神様を見るときに神様の恵みの中で教会は成長していくのです。文責;小原 照代
参考聖句;Ⅰヨハネ4:7~19 使徒17:17 エレミヤ10:2~5 12~16 イザヤ46:1~4 エペソ2:1~8



  • 2017年10月 22日 角和 正毅牧師
  • テーマ:キリストの御威光の目撃者
  • 聖 句:マタイの福音書 17章1節 ~ 8節

 イエス様が、弟子達に今までに見せた事のないお姿に、変貌した事がありました。
 それは、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れてヘルモン山に行かれた際に、イエス様が天から降りて来たモーセとエリヤにお会いし、話し合いをしている時でした。その時のイエス様のお姿は、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなっていました。その事に気づいたペテロは、興奮して三人に話しかけますが、その間に光り輝く雲が現れ、その中から「これは、わたしの愛する子、彼の言うことを聞きなさい。」との声があり、モーセとエリヤは消えて、イエス様だけが、そこにいました。
 この出来事を通して、弟子達はイエス様に対しての疑いの心を払拭し、神の子であり、救い主である事を確信する事ができました。また、イエス様が、神の尊厳と栄光のお姿に変貌し、モーセとエリヤにお会いした事によって、弟子達は天の栄光を見る事もできました。そして、偽物に惑わされる事なく、イエス様に聞き従っていく事も教えられました。
 私達も、イエス様によって全ての罪が赦された事、天国行きの切符を与えて頂いた事を、いつも感謝して、イエス様に従ってまいりましょう。文責:吉田 愛子
参考聖句;マタイ17:5~9 11:28~30 16:24~26 7:7~8、13~14 6:33 22:37 28:18~20 Ⅱペテロ1:16~18 マルコ2:5 16:15 ヨハネ14:1~3 



  • 2017年10月 15日 角和 正毅牧師
  • テーマ:陶器は作り替えられた
  • 聖 句:エレミヤ書 18章1節 ~ 4節

神はエレミヤを陶器師の所へ行かせ、陶器師を通して一つのことを教えます。陶器師は最初に意図して作っていた器がうまくいかなかったので、それを壊して次の目的のために作り替えました。器は陶器師の思うままに作られるのです。
神はそれぞれの国について計画があり、御計画に従って形作られてゆきます。神は御自分の意志で何でも動かしているので、民は神の手の中でしっかりと受け取っていけばよいのです。陶器師が陶器を作り直すように神は私たち人間を再創造できるのです。
憐み豊かな神は私たちを愛されたその大きな愛のゆえに、罪深い死の中にいた私たちが誰一人として滅びることなく、なんとか滅びから救いたいと思い、実際そうなさいました。十字架でイエス様が死なれて三日目に蘇り、イエス様を信じるだけで私たちが救われるようにしてくださいました。私たちは何もできない無なのだということを悟り、信じて受け取るだけです。そうすれば救われます。
 私たちは天国へ行くまで主の御心を求めつつ御心に絶えず喜びをもって従うのです。主の御心とはまず神を第一にすることです。  文責:川村 則之
参考聖句;エレミヤ18:5~12 イザヤ45:9~13 エペソ2:1~10


  • 2017年10月 8日 角和 正毅牧師
  • テーマ:奇跡の歩み
  • 聖 句:テサロニケ人への手紙 第一 2章13節

ペテロの「あなたは、生ける神の子キリストです。」という告白の後、イエス様はご自身を表す岩の上に、教会を建てると言われました。この教会は、唯一の世界的不可視教会です。これに対するキリストを頭とする、キリストのからだである教会が地方教会(可視教会)です。ここに属する私たちは、信仰を維持するために集まる小さな群れです。
教会の奥義が、黙示録1章〜3章の7つの教会を通して記されています。エペソの教会では、初めの愛から離れてしまったことが非難される中に、神は地方教会の在り方を教えています。
今も教会が、生きて存続していることは、奇跡です。教会を動かし導くことが出来るのは、神だけであり、神はその中で、信者である私たち一人々々を用いたいと望んでおられます。そこで、私たちが主のためにしっかりと働き、主を証しする信仰を持ち続けるために必要なのが、信仰の霊的成長です。
テサロニケの教会の人々は、福音を神のことばとして受け取る信仰を持ち、主の再臨を信じて待ち望む霊的理解力をいただきました。また、テモテは、みことばの重要性をパウロから受け取って、霊的に成長していったのです。
イエス・キリストを信じる信仰を持つ教会の一人々々が祈る時、イエスを死人の中から復活させた驚くべき力と同じ力が私たちにも与えられます。この神の愛をいただいて、聖霊によって成長するクリスチャンになりましょう。文責: 金子 和子
参考聖句: マタイ16:15〜18、黙示録1章〜3章、Ⅰテサロニケ2:13、1:9〜10、Ⅱコリント5:17、Ⅰコリント3:1〜3、Ⅱテモテ3:16

  • 2017年10月 1日  角和 正毅牧師
  • テーマ:未来への希望
  • 聖 句:ヘブル人への手紙 12章2節

ヘブル人への手紙が誰によって、何時書かれたかははっきりした事は分かりませんが、ヘロデの神殿の崩壊についてふれていないので、AD70年以前に書かれたと思われます。ヘロデが40年かけて建てた神殿はAD70年にローマ軍によって完全に壊されました。
 ユダヤ人に信仰は有りましたが、イエス様を信じるものでは有りませんでした。ユダヤ人に旧約聖書は在りましたが、新約聖書は無いのです。旧約聖書はイエス様の設計図です。新約聖書はイエス様の実態の姿を現しています。著者がユダヤ人のクリスチャンに宛てた手紙です。イエス様を信じて生活を始めましたが、いつしか、もとの生活に帰ってしまっていたのです。最初の確信を最後まで持ち続けるならば、天国に入ることが出来るのです。
 イエス様は信仰のお手本です。信仰生活とはこの世の荒波の上を歩むようなものです。ペテロが湖の上を歩いた時、イエス様だけを見ていた時は、歩めました。しかし、イエス様から目を離したとき、沈みかけました。ペテロはすぐに「主よ助けてください。」と失敗を主に告白しました。
 ヘブル11:13~16 神様は天の都を用意して下さっています。軽い艱難は重い栄光に比べることが出来ないのです。さらに優れた都にあこがれていたのです。地上の事だけに目をとめるのではなく、素晴らしい天国を目指して、天国に宝を積みましょう。イエス様は最後まで、私達と一緒にいて下さるのです。文責;志賀 孝作
参考聖句;ヘブル11:13~16 24~27 6:19~20 10:23~25 ピリピ3:12~14 



  • 2017年9月24日 角和 正毅牧師
  • テーマ:神はあなたの敵か味方か
  • 聖 句:ローマ人への手紙 8章31節

神様が私達の味方であるならば、神様はいつも私達と敵との間に立って、守って下さいます。
 出エジプト記では、モーセ率いるイスラエル人が紅海の前で、敵のエジプト陣営に追いつかれてしまいました。その時、神様は敵との間に真暗な雲として入って下さり、敵がイスラエル人に近づく事を阻止されました。さらに、紅海を渡る際には、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、神様の力により、水は右と左とに分かれ、凍って固まり壁となり、イスラエル人は、その真ん中のかわいた地を進んで行く事ができ、守られたのです。他にも、サマリヤの飢饉では神様は、敵の陣営に戦車の響き等の大きな音を聞かせ、排除し、四人のらい病人を用いて、飢饉から救われました。(列王記Ⅱ7章)また、ヨシャパテが敵に襲われそうになった際には、神様が敵と戦って勝利して下さいました。(歴代誌Ⅱ20章)
 私達は、神の全能の力の働きによって、信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、イエス様を信じる事によって知る事ができるのです。
私達が祈る時、神様はイエス様を死者の中から復活させた力を、聖霊様を通じて、私達にも与えて下さいます。信じるならば、私達は神の栄光を見る事ができるのです。文責:吉田 恵子
参考聖句;出エジプト14:19~31 10;21~23 エペソ1:19~21 Ⅱ列王記7:6~7 Ⅱ歴代誌20:22,29 詩篇34:7 ローマ1:21 Ⅱコリント4:3~4 ヘブル11:29




  • 2017年9月17日 角和 正毅牧師
  • テーマ:恐怖の嵐
  • 聖 句:マルコの福音書 4章35節 ~ 41節

激しい突風が起こり、船は波を被って、水でいっぱいになりました。ところがイエス様は艫の方で枕をして眠っていました。弟子たちは「こんな非常事態に寝ているなんて、私たちが死んでも構わないのですか。」とイエス様に叫びを上げました。
 今、北朝鮮のロケットで日本の上空は大変です。そして日本全国が、ある種の脅迫に襲われています。でもクリスチャンは恐怖に襲われても、死を恐れる必要はないのです。
 イエス様がこの世界に来られたのは、第一に罪人を救うためです。人間の心の中の罪を取り除いて、きれいな心にするために来られたのです。イエス様は十字架に架かり、人類の罪を全部背負って、身代りにその裁きを受けました。
 第二に死の恐怖に束縛されている人を解放するためでした。イエス様が私たちにしてくれた事は、この恐怖に縛られている人間を何とかして解放して、救おうとされたのです。
 あなたはいつも信仰を持っていなければいけません。いつ何に直面するかわかりません。その時私たちの信仰が私たちを守るのです。 文責:川村 則之
参考聖句;ルカ8:25 ローマ5:12 ヘブル2:14~15 Ⅰヨハネ3:5,8 ローマ6:23




  • 2017年9月10日  角和 正毅牧師
  • テーマ:主は彼を祝福してくださったのである
  • 聖 句:創世記 26章12節

カナンの地にききんがあった時、神はイサクに「エジプトへは下るな」と言われました。しかし、イサクは神のその声を無視して、信仰の敵であるペリシテ人の領地、ゲラルに住むことを選びます。
ゲラルは、肉欲の強い道徳低下の地の為に、イサクは妻リベカを自分の妹だと偽る 罪を犯しました。その直後、神はイサクを罰することもなく、百倍の収穫を祝福したのです。それは、神がイサクを「愛しておられた」からです。そして、イサクがゲラルから出てカナンに戻った時、イサクは初めて神の臨在を感じて、神と交わり、祭壇を築きました。信仰生活の復帰でした。
 このイサクの生活を私たち自身の生活に当てはめてみると、私たちは、神の祝福が自分が正しいからではなく、神の一方的な愛によって戴いていることに気付きます。私たちには、生活の中で神の臨在を感じること、それを見分けて自分の立つべき場所を判別していくことが大事です。その場所こそが「教会」だと言えるでしょう。神の臨在する所には、本物の光、喜び、そして平安があります。
 この世と調子を合わせるのではなく、天に属する者として、私たちは今日も神の臨在の場所に住み続けましょう。 文責: 金子 和子
参考聖句: 創世記26:1〜33, 詩篇103:10, ローマ12:2




  • 2017年9月3日 角和 正毅牧師
  • テーマ:人生を振り分ける選択
  • 聖 句:コリント人への手紙 第二 13章8節

真理を持って働けば何でも出来るのです。真理つまりイエス様に付いて行けば天国へ行くことが出来るのです。
 先週お話しした、モーセは何故失敗したのでしょうか。神がモーセをお使いになるというのに、いろいろと理由を付けて、神との約束をしなかったのです。自分の中に否定的なものが有ると神に従うことが出来ません。
イスラエルの民が最初にエジプトに来た時は、僅か70人でした。イスラエルの民の数が多くなった時に、エジプトの王はその数を恐れ、奴隷として苦役を負わせました。その苦難の中から、民は真の神に助けを求めたのでした。モーセが神様に従った時に、100万以上の民がエジプトを脱出する事が出来たのです。また、ルツ記のナオミとルツの事が聖書に出ています。ルツは姑・ナオミの中に真の神を求める信仰を見たのでした。だから、自分の心の中に真の神を求める信仰を持って、ナオミについて行きました。
地上の故郷か、天の故郷かを選ばなければなりません。人は神と交わる事が出来るように霊的なものと成ったのです。霊の悔い改めと霊の刷新とが必要です。ルツも異邦人でしたが、王の家系に入れられたのです。私達も異邦人ですが、イエス様に従うなら、天の故郷に入れるのです。文責;志賀孝作
参考聖句;ヘブル11:24 Ⅰテサロニケ1:9~10 Ⅱ列王記3:26~17 マタイ7:13~14 ピリピ3:7~8 ルツ1:16

  • 2017年8月27日  角和 正毅牧師
  • テーマ:神を信じ通した信仰
  • 聖 句:ローマ人への手紙 4章18節 ~ 21節

モーセは、神様の召しの声を聞いても、初めから素直に従いませんでした。それは、なぜでしょうか?
 モーセは、エジプト王の命令により、生まれて3ヵ月して捨てられてしまいます。しかし、神の導きにより、王の娘に拾われて、実の母が乳母となり、育てられる事となります。その間に、母親よりの神様を信じる信仰を教育されて、王の息子となりました。しかし、エジプトを離れなくてはならない事件が起こり、ミデヤンの地に住む事になったのです。そして、異教徒の妻チッポラと結婚し、子供が生まれましたが、モーセは妻に妥協し、神の約束を守りませんでした。それを見た神は、モーセを殺そうとしますが、その時、チッポラは悔い改めて、真の神を信じる事となるのです。
 このチッポラは私たちの教会の型です。異邦人が神の民に加わるためには、イエス様の十字架の御血を信じて、贖われて、生まれ変わらなければなりません。そして、誰でもイエス様を信じるならば新しい人生が始まるのです。そのイエス様に感謝して、信仰を歩んでまいりましょう。文責:吉田 愛子
参考聖句;出エジプト記 3:6~22 4:1~31 Ⅱコリント5:15~17 マタイ26:26~29 28:18~20 コロサイ2:11~12



  • 2017年8月20日 角和 正毅牧師
  • テーマ:福音を宣べ伝えよ
  • 聖 句: ペテロの手紙 第一 2章9節

「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」ペテロは旧約聖書の中で神様がイスラエルの民に言われた言葉(出エジプト19:5,6)を大胆にも新約のクリスチャンたちに言いました。以前は罪人の民であり、異邦人であり、何の望みもない者、闇に住む者であった私たちが今あわれみをいただき、望みをいただき、この特権に入れられたのです。
 神様は本当にその救いを体験した人が語ってくれることを願っています。主の素晴らしさを伝えることができるのは、主の素晴らしさを味わって、その心に体験した人だけです。
 福音を伝えるための必要条件は、第一に自分自身の救いの確信を持ち、次に人々の置かれている状態を見ることです。それはこのままでは人々が滅び(地獄)に向って急降下しているということです。
イエス・キリストのもとへ行くなら、死んでいた私たちの霊が生かされます。しかし多くの人々はサタンの策略により福音の光を見えなくされています。それを打ち破るのは私たちの聖霊の力に満たされた祈りです。私たちは心を込めて福音を伝えていきましょう。    文責:川村 則之
参考聖句;ローマ1:14~16 5:6~10 Ⅱコリント4:4~6、13~14 エペソ2:1~3 ルカ19:10 ヨハネ8:34 詩篇51:5 ミカ7:18~19



  • 2017年8月13日 角和 正毅牧師
  • テーマ:主の招き
  • 聖 句: マタイの福音書 11章28節 ~ 30節

今日は、私たちがよく知っているこの聖句を、さらに考えて学びたいと思います。
イエス様は私たちに「すべて疲れた人、重荷を負っている人」と呼びかけておられます。これは、「誰でも」という一切の差別のない私たち一人々々のことです。当時の人々の疲れ、罪の数々、重圧、守りきれない律法の苦しみ、それらの解決の糸口が、イエス様の所へ行くことにありました。そして、この呼びかけは、今を生きる私たち「すべて」の人に向けられています。
 まず一番大事なことは、私たちがイエス様の所へ行って、イエス様を救い主として信じて救われること、次に、イエス様のくびきと繋がりひとつとなって、重荷の数々を軽くしていただくことです。そうして私たちは、自分の生き方や、神と人を愛する道を、イエス様を手本として 学んでいくことができるのです。これらを実践していくとき、イエス様を信じる私たちには聖霊とみことばの助けがありますから、少しも難しいことはありません。また、その答えは、聖書に明確に記されています。
 私たちの命に至るまっすぐな道は、イエス様によって導かれ、その生き方の中には平安と希望が満ちています。神の国と神の義を第一に置いて、イエス様の「呼びかけ」を受け取り、私たちは今日も主と共に歩いていきましょう。文責: 金子 和子
参考聖句: ヨハネ3:3,3:5, マタイ26:52, イザヤ53:6, ルカ15:20〜22,
箴言21:2,16:25, Ⅱコリント5:17, マタイ28:20, イザヤ43:4,
マタイ22:37,39, マタイ6:33



  • 2017年8月6日
  • テーマ: 目を覚まして祈れ
  • 聖 句: マタイの福音書 26章51節 ~ 56節


 イエス様の最後の一夜の事です。ユダの裏切りでイエス様が大祭司たちに、捕らえられてしまいました。
その前日にイエス様はゲッセマネの園で、血の汗を流し、天の父に祈りました。天のお父様の御心が成ります様にという祈りによってこれから起ころうとする事に勝利しました。イエス様が全人類の罪を背負い、十字架に掛かって死ぬことにより、神様の側から救いの道は備えられました。後は信じる信仰だけです。
 祈りは「主よ。」と言ったならば、天の父に繋がるのです。祈りは私達を守って下さいます。しかし、弟子たちは祈らなかったので、肉の思いで行動しました。剣を持って大祭司のしもべの耳を切り落としましたが、イエス様は即座に元の状態に癒して下さいました。剣で戦うものは剣で滅びるのです。ペテロも肉の思いで行動した時は、敗北しました。イエス様が大祭司の中庭での裁きの座についた時、三度も知らないと言いました。
 神様は愛と平和を宣べ伝えることを望んでいるのです。宣教師たちは、聖書だけをもって日本にやって来ました。愛と平和とを宣べ伝えるために、イエス様の愛だけは沢山持って、遠い北欧の地からやってきたのです。私達も肉の思いではなく、十分祈って備え、信仰の行動をするならば、神様は祝福して下さいます。教会は魂の救いの為に祈りましょう。栄光は主に帰し、熱心に祈るなら主は何倍にも祝福して下さいます。文責;志賀 孝作

参考聖句;マタイ26:51~56 ルカ22:51 ヨハネ18:10 マタイ26:41
ルカ21:41 エペソ6:10~18 Ⅰヨハネ5:4~5



  • 2017年7月30日
  • テーマ: 目を覚まして祈れ
  • 聖 句: ペテロの手紙 第一 4章7節

日々わたしたちはどんな時に祈っているでしょうか。朝夕の時?食事の時?祈ると平安が与えられます。主が重荷を取ってくれるからです。
 「目を覚まして祈れ」とはどういうことでしょうか。サタンの誘惑に対抗するため、誘惑に陥らないようにするため状況を良く見て祈っていなさいということです。サタンはライオンのようにわたしたちの周りをまわっています。隙を狙っているのです。祈ることによりイエス様と繋がり、守られていると確信を得ることができます。寝てしまう。つまり世の中の人に混ざり生活をすると、誘惑に勝てなくなります。サタンは光の天使に化けて罪の世に誘うのです。だから油断してはいけません。イエス様は盾であり砦です。主に立っているならサタンは逃げて行きます。
 悪者のはかりごとに歩まず。つまり一緒に歩かず。罪人の道に立たず。あざける者の座につかなかった人。つまり悪者の一員にならなかった人は幸いです。その人は昼も夜も主の教えを口ずさみます。御言葉が心を潤すのです。それは蜜のように甘いのです。御言葉を口ずさむと助けになります。それは力になり社会の中でも用いられます。時が来ると実がなりその人は何をしても栄えるのです。
 主から大きな愛を受けているわたしたちは感謝しないわけがありません。イエス様を信じることができたこのチャンスに、天国を掴んだことに感謝しましょう。文責:小原 照代
参考聖句;マタイ24:42 26:41 28:20 ルカ21:36 詩篇1:1~3 ピリピ3:17~21



  • 2017年7月23日
  • テーマ:城壁は崩れた
  • 聖 句:ヘブル人への手紙 11章30節~31節

遊女ラハブは、エリコを偵察しに来た神のしもべを穏やかに受け入れて、助けました。その神の働きを助けるために行ったラハブの行為を神は高く評価しました。
 エリコの町は、イスラエル人の前に城門を堅く閉ざしていました。これは、生きている神を拒絶した心の表れでした。神の命令がヨシュアに下り、イスラエル人は、一切の言葉を出してはならず、沈黙の中、エリコの町を周るように言われました。これは、エリコの人々に、神を恐れる心と共に、神の前に悔い改めるチャンスを与える、神のあわれみでした。
 遊女ラハブは、イスラエルの民が、エジプトを脱出した一連の出来事を知り、生きている真の神を信じていました。神のしもべを助けたその行為は、彼女の信仰告白でもあったのです。また、その事によって、ラハブの親族も救われる結果となりました。そして、遊女ラハブは、キリストの系図に加えられたのです。(マタイ1章5節)
神様は、この世界に罪が入ってしまった時から、全人類が罪人で裁かれる事をご存知です。しかし、神様は、神の独り子であるイエス様をお与えになったほどに、私たちを愛して下さっています。そのイエス様を信じ、悔い改めるならば、罪は赦されて、永遠の命を与えて下さるのです。この素晴らしい福音を一人でも多くの方々に伝えてまいりましょう。文責:吉田 恵子
参考聖句;ヨシュア記6:1~27 エレミヤ18:1~8 創世記15:16 ヨシュア記2:8~14 マタイ1:4~6 使徒16:31




  • 2017年7月16日
  • テーマ:主の良くしてくださったことを何一つわすれるな
  • 聖 句:詩篇 103篇1節~5節


 「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:2)という御言葉は、特別な経験だけを思い出すのではなく、一つ一つの恵みを数えて、それを忘れてはならないということです。
 イスラエルの民が苦しみと迫害と弾圧の中にいたのは、実は彼らが主の掟と主の命令と主の定めを守らなかったからです。新約時代に入ってもユダヤ人たちは同じことをしました。(ルカ17章)今もイエス様の福音を聞いて救われたにもかかわらず、離れて行ってしまう人がいます。
 神様は或る日世界中の人を裁きます。しかし神様は私たちをなんとかして一人でも多く救いたいのです。イエス様はユダヤ人を脇へ置いて、少しの猶予の期間を作って、「全世界に出て行って、福音を伝えなさい。」と言って、私たち異邦人を救ってくれたのです。そして教会という新しい器の中に招いてくださいました。
イエス様はあなたを迎えて下さり、このように愛、新しく生まれ変わること、永遠のいのち、天の国籍、天の住民として私たちを新しく造り変えてくださいました(エペソ2:19~22)。文責:川村 則之
参考聖句;申命記8:11~20 エレミヤ8:7 イザヤ1:3 ルカ17:11エペソ2:1~3



  • 2017年7月 9日
  • テーマ:信者が苦難に会う訳
  • 聖 句:使徒の働き 14章22節

私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない、とパウロは言いました。これは、アンテオケのクリスチャンに、信仰にしっかりと留まるように勧めた後に語ったものです。
 私たちがクリスチャン生活に入ると、内なる人が生まれ変わり、それまでの人生の目標、リーダー、人生観が変わって新しい生き方になります。しかし、外なる人は、信仰を持つ前の悪い習慣や肉体にしみ込んだ罪の行いが変わらずに、そのままなのです。
 人が様々な患難を通る時、忍耐を積んで品性が養われ、希望を生む、と聖書にあるように、患難は私たちを苦しめるためのものではなく、鍛え良くするために通るものです。
 罪のないイエス様は、地上での生活をされて、迫害を受け、ついには十字架で 死なれました。こうしてイエス様が天国への道をひらいてくださったように、私たちもまた、試みに会い、きよくならなくては天国には入れないのです。患難の先にあるのは、きよい勝利の道です。
 私たちは、主から受けた冠を誰にも奪われないように、今日も祈りをやめることなく、罪を告白し、きよめられ守っていかなければなりません。苦しみを通る日に、疑わずつぶやかず、真理のみことばに立っていきましょう。 文責: 金子 和子
参考聖句: ローマ5:1〜5, ヨハネ16:33. ヘブル2:17〜18, 4:15,      Ⅰヨハネ1:9, 2:1, 黙示3:11, エペソ5:27, ピリピ2:14, Ⅰペテロ2:2,  ヨハネ13:10, ガラテヤ5:19〜24, ヨハネ17:16〜20


  • 2017年7月 2日
  • テーマ: 神が喜ばれるいけにえ
  • 聖 句: 詩篇51篇17節

旧約時代の捧げものは、牛、やぎ、羊、家鳩、山鳩の5つの生け贄でした。この捧げものは罪を覆うだけで、取り除く事は出来ませんでした。だから一時的な物でした。やがて、イエス様がおいでに成って罪を取り除いて下さったのです。旧約時代の捧げものはイエス様の姿を象徴していました。
 今日は、聖書に出てくる、3人の生き方から学んでみましょう。胸を打つ取税人、放蕩息子、三日三晩祈るサウロです。取税人は不正な税金の取り立てで、自分の欲望を満たしました。放蕩息子は自分の父を知らなかったのです。自分の考えだけで行動しました。義人サウロは致命的な無知をイエス様に持っていました。イエスを信じる者を異端者として迫害したのでした。
 この3人が神の前に立つチャンスが与えられ、本当の自分の姿を見る事が出来たのです。取税人は神殿で、放蕩息子は全ての財産を使い果たした、激しい飢饉の中で、サウロはダマスコにクリスチャンを捕まえに行こうとした馬の上で、天からの光によって落馬しました。苦しみにあったことが神様を求めるチャンスになることも有るのです。
 神様の前に罪を告白し、イエス様の十字架の贖いを感謝し、復活を信じる時に神様は義として下さるのです。取税人は義とされ、放蕩息子は父が受け入れて下さったのです。サウロは主の証人として、多くの働きをしました。罪を悔いた心、神様を第一にする心が重要なのです。文責;志賀 孝作
参考聖句;ルカ18:9~14 15:11~24 使徒9:1~30




  • 2017年6月25日
  • テーマ:見よ。わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。
  • 聖 句: マタイの福音書 28章20節

私たちの教会の入り口には、エベン・エゼル(ここまで主が私たちを助けて下さった)と刻まれています。ここまで助けて下さった神様は、これからも私たちを必ず助けて下さいます。
 Ⅱ列王記6章には、アラムの王が馬と戦車の軍隊を遣わし、預言者エリシャの町を包囲させたことが書かれています。その時、エリシャの召使いは、その状況に困惑してしまいますが、エリシャの祈りによって、召使いの霊の目が開かれて、助けられます。また、使徒9章には、イエス様の敵として歩んでいたサウロが、ある時、イエス様に捉えられて、霊の目が開かれて、弟子として仕えていく事が書かれています。世の多くの人々は、神様から離れて、迷子の状態です。しかし、人生の中で苦しみや生き詰まりを感じる時、教会へ導かれ、イエス様に出会い、霊の目が開かれて、救われます。
 イエス様は、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいますと約束して下さいました。それは、いつも一緒にいて下さる事であり、どんな時にも、イエス様に向かって心を注ぎ出し、祈れるという事です。祈る時、イエス様が共にいて下さることや答えを下さることがわかります。イエス様に感謝して、どんな時でも、祈り歩んでまいりましょう。 文責:吉田 愛子           
参考聖句;Ⅱ列王記6:15~17 Ⅰサムエル1:1~18 ローマ8:3 Ⅰヨハネ4:4



  • 2017年6月18日
  • テーマ: あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから
  • 聖 句: ローマ人への手紙 13章 11 節~14節

「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、」とあります。知っているのですから、どうしなければならないのかということを心に覚えたいと思いました。
 皆さんは、今が決して安心できる時ではないことがわかるでしょう。私たちはこの地上にどこへ行っても、平安を得る場所はないのです。私たちの日常生活の中にもっと神様の側に近づく生き方をしていくべきです。
神の御心に従って生きるということはなんでしょうか。御言葉に耳を傾け、学び、そして付いて行く。御言葉に同調して、イエス様と共に道を歩む。これは心が通じ合っている姿です。神の御心と歩くなら私たちは平安を保ち、祝福が絶えずその人にあります。
パウロはコリント人への手紙第一の10章の中で、偶像礼拝、姦淫、つぶやきを戒めています。地上のクリスチャン生活はこれらのものから解放されて、主を見上げていかねばなりません。
ピリピ人への手紙3章17節から21節でパウロが述べていることは私たちの希望であり、目標であり、ゴールです。文責:川村 則之
参考聖句;Ⅰコリント10:1~13 出エジプト記15:26 民数記16:19~33 21:5~9  Ⅰ歴代誌6:1~3 ピリピ3:17~21



  • 2017年6月11日 ベアンテ ボーマン師
  • テーマ:神と共に歩む
  • 聖 句:コリント人への手紙 第二3章5節〜9節

 神の人と言われる人々の生き方とは、神と共に歩み、神にゆだね、神を頼りにするという姿勢です。モーセは、はじめ、神からエジプトで苦しむイスラエルの民を救う召しを受けた時、私には出来ない、と断りました。実際、エジプトの宮殿にいた頃とは真逆の状況にいるモーセには、自信も地位も権威もありませんでした。しかし、民を救うのは、モーセ自身の力ではなく、神の力でした。神の選ぶ器は、神と共に生きたいと願う者です。
 人は、神と共に歩くかどうかの自由意思を与えられて、神に造られました。ですから、エデンの園で善悪の木の実を食べて得たものは、自分の人生を自分で決めていくこと(ヒューマニズム)の満足や喜びではなく、痛み、苦しみ、虐げ、苛酷な労働、殺人、だったのです。
 私たちは、過去の記憶や五感から目先の判断は出来ても、将来を知らずに「今」を生きています。そして、この「今」は、神の恵みによって、神の造られた自然の法則の中で生かされて、力ある神のみことばで保たれています。人は、自分の人生を自分で決めようとしますが、聖書は、人の生きる道は「主によって」まっすぐに導かれること、自分自身で決められることではないと語っています。
 イエス様は、十字架で私たちを罪から贖い、また、自分勝手な道からも贖ってくださいました。感謝して、今日もキリストと共に歩んでいきましょう。文責: 金子 和子
参考聖句;出エジプト33:7〜16, 創世記2:17,3章, 箴言20:24, ヘブル12:2, イザヤ53:6

  • 2017年6月4日 礼拝 角和 正毅牧師
  • テーマ:聖霊降臨日
  • 聖 句:使徒の働き 2章 1節 ~ 4節


 イスラエルには7つの例祭が有ります。その中の「過ぎ越しの祭り」はエジプトの奴隷生活からの解放であり、神様から「正月としなさい。」と言われました。この国の出発日です。ほかの例祭もすべてイエス様の御姿を現しています。
 このペンテコステの日は教会の誕生日とも言われています。もうすでにクリスチャン・教会は有りましたが、聖霊が注がれたことによって、機能が備わり、活動を開始したのです。この聖霊様は第三神格を持っておられます。つまり、イエス様と全く同じ、同等のもう一人の助け主なのです。
 聖霊様は、祈る力がない時も、御霊様ご自身が執り成しをして下さるのです。そして、御霊の実を結んで行くのです。御霊の実は九つ在りますが、個々人に実を与えて下さるのです。
 パウロはⅠコリント3:6で、「成長されるのは、神です。」と言っています。多くの人が、携わりますが、神様の御意思が働くとき成長するのです。ペンテコステの日以来、教会の使命は、福音を伝える事です。神様の働きは一つ一つ成就されますが、神様が働いて益にして下さるとき、教会は成長するのです。多くの聖霊の実を結んで行きましょう。文責;志賀 孝作
参考聖句;マタイ10:19~20 使徒9:31 10:44 10:38~43 ローマ8:26 出エジプト25:8~9 31:2~11 Ⅰコリント2:4~16 3:10~15

 

  • 2017年5月28日 礼拝 角和 正毅 牧師
  • テーマ:ペテロは祈りをするために屋上に上がられた。(副題)神の御霊と人間」の霊との同時性の動き
  • 聖 句: 使徒の働き 10章9節


 聖霊様に満たされて、祈り、導かれるならば、神様と私たちの思いが一致して、物事が動く事があります。その事を、神の御霊と人間の霊との同時性の働きと言います。
 復活したイエス様は、イエス様を信じている者だけに姿を現して下さいました。その後、イエス様は天に帰られてから、十日間、弟子達は祈っておられると、激しい風のような音と共に、炎のような舌が分かれて弟子の一人、一人の上に下り、聖霊様に満たされて、弟子達は他国の言葉を話し出しました。そして、まず、ペテロは多くのユダヤ人に救いを伝え、三千人の人が悔い改めて、バプテスマを受け、信者になりました。
 次に、ペテロはヨッパにいた際、お昼の祈りの時に夢を見ました。それは、天が開けて、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りてきました。その中に地上のあらゆる動物や鳥が存在し神様がほふって食べなさいと言いました。ペテロは拒みましたが、神はきよめた物を、きよくないと言ってはならない。と言い、三回程の神との交わりがあり、その入れ物は天へと引き上げられました。
この神様からの特別な幻がペテロに与えられた事は、イタリアの百人隊長コルネリオの救いへと導かれたのです。神様に全てをゆだねて祈っていくならば、神様は祈りを聞いて、素晴らしいタイミングのもと私達の人生を導いて下さいます。神様に信頼して歩んでまいりましょう。文責:吉田 恵子
参考聖句;使徒1:14 10:3~17 11:1~18 ローマ12:12 ルカ18:1 Ⅰテサロニケ5:17 Ⅰテモテ2:8 エペソ6:18

 

  • 2017年5月21日 礼拝 角和 正毅牧師
  • テーマ:主の祭壇の立て直し
  • 聖 句: 列王記 第一 18章21節


イスラエルの王アハブの時代はイスラエルの歴史の中でも最大の飢饉が起き、三年六箇月も雨が降らず、非常に窮していた時代です。また、民は本当の神に背を向けて、偶像礼拝をしていました。
エリヤはバール神の祭司たちと対決しました。主なる神とバールのどちらが本当の神かということです。彼がまず壊れていた祭壇を立て直しました。これは新約の私たちから言えば祈りの生活を立て直したということです。祈りはクリスチャンが生きていく上で大切な神様との交わりの接点です。
私たちはイエス様の救いを受け取った時、何をもって神様に「私はあなたの僕です。」ということを表すのでしょうか。信仰の父アブラハムは祭司メルキゼデクを通してエル・エリオンの神に全財産の十分の一の献げ物をしました。それは彼を富ませたのは天の生きている神であると宣言して献げたのです。(創世記14章)。
神はあなたの必要を満たすために誰でも動かすことができます。「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ人4:19)文責:川村則之
参考聖句:列王記Ⅰ18:30~33、ハガイ1:5~6、創世記14:17~24
Ⅱコリント5:21、Ⅰ列王記18:38~39


  • 2017年5月14日 礼拝  角和 正毅牧師
  • テーマ:偶像神か真の神か
  • 聖 句:列王記 第一 18章21節


今日は、真の偉大な神に対して私たちが、どのような姿勢で歩むべきかを学びます。さて、歴史の中では、多くの国が滅んでいきますが、その理由を私たちは、旧約のイスラエルの姿を通して見ることができます。
 神は、アブラハムという一人の人を選んで、イスラエルを起こしました。彼は、死んだ神々の偶像崇拝の中に生きる者でしたが、神に栄光の素晴らしい天の都を見せて頂き、そこにあなたを迎えるという約束を頂きます。この生きる神を信じて歩み出すことが、アブラハムの信仰の始まりでした。彼の子孫にもその信仰を守る者、脱線して偶像崇拝する者が出て、それは歴史の中で繰り返されていきました。
また、ソロモンも賢い人でしたが、結局、偶像崇拝に染まり、イスラエルの分裂、北王朝の滅亡、南王朝のバビロン捕囚へと流れていきます。しかし、この他国で生きた時、イスラエルは全てを益とされる神によって、偶像から解放されて二度と迷わなくなったのです。偶像崇拝する国は、滅びますが、真の神を求める者には、救いの道があるのです。
今は、神は私たちを愛してくださっていますが、ある日「わたしは あなたを知らない」と言われる時が来ます。私たちは、初めの確信をしっかりと保ち、イエス様を信じて生きていきましょう。文責: 金子 和子
参考聖句;詩篇55:22, ヘブル11:10, ヨハネ20:29, Ⅱコリント12:9, ローマ8:28, マタイ10:33,25:12,



  • 2017年5月7日 礼拝 クリスティーナ&トーレ ヴェーン師
  • テーマ:神と共に歩く
  • 聖 句: ヨハネの福音書 21章 6節


クリスティーナ師 先週の日曜日にシモンさんについて、話しましたが、その続きを話します。シモンさんと弟のフランクさんに「インドネシア・ジャカルタに来て下さい。」との要請が世界の祈りの組織から有りました。12万人が入るスタジアムでの集会は満員でした。素晴らしく用いて下さいました。また、その後で、牧師達の集まりも有りました。シモンさんは預言の霊をも持っていました。南部の方で、水銀を使った金採掘が行われ、多くの牧師達も関係していました。それは、環境にも悪影響があることを神様は指摘し、それから離れるように、言われました。
 神様は一人一人に興味が有ります。忙しい中で聖書を読み、祈るのです。日曜日は一日ですが、平日は何をするかが大事です。お互い愛し合い、赦し合いましょう。神の家族として、歩みましょう。


トーレ師 詩篇118:24 あなたは今日は主が作られた日であることを喜ぼうと有ります。明日はまた、主が作って下さるのです。毎日神様が作って下さるのですから、いつも喜ぶべきだという事です。
私は11年間、刑務所で心理学者の方と一緒に働きました。囚人たちが、十数人いるところに入っていくと、囚人たち皆が歓迎してくれました。看守達はその事に驚いて、「何故か」と聞きました。私はイエス様が共にいて下さるから、喜んでいられるのです。その喜びを囚人たちは分かるのです。
40才のころ建築会社に勤めていました。マルメの教会から牧師になって下さいとの要請があり、建築会社を辞めました。幾ら教会からもらえるかは知りませんでしたが。スウェーデンの牧師・日本の宣教師それ以外に何を求めますか。生きている神様を持っているのですから、いつも勝利の中にいるのです。鶴見の教会の為に祈ります。私達の家族のためにも祈って下さい。文責;志賀 孝作




  • 2017年4月30日 礼拝 トーレ&クリスティーナ ヴェーン師
  • テーマ:  イエス・キリストの復活
  • 聖 句: エレミヤ書18章


クリスティーナ・ヴェーン師

シモンは「スウェーデンのために祈ります」というタイトルの歌を書いていました。ある日、神様が「スウェーデンの部分をコリアに書き換えなさい」と言われました。どうしてそのようにするか理解できませんでした。実はその日にコリアのために祈る日と決めて祈っていたグループがありました。そしてそのグループからその歌を使いたいと連絡が来たのです。それから、コリアのための祈りが世界へ広がりこの歌が使われるようになりました。
 神様は陶器師です。陶器は火の中で燃やされます。その中で壊れる物もありますが、作っては壊しそれを繰り返すことでより良い陶器ができるのです。エゼキエル34章16節これが神様なのです。 
 

トーレ・ヴェーン師

神様は退職させません。いつまで神様に仕えるのでしょうか。主がおいでになる日までです。スウェーデンで教師をしているときに教会が経営しているホテルのレストランで昼食を食べました。そこに働いていた人はアルコール中毒から救われた人でしたが、グルテンアレルギーであることを話すと彼は「厨房で祈ってあげます」と話しました。どの仕事をしていても神様に仕えることは出来るのです。
ある牧師が夢を見ました。イエス様が天から降りてきてクリスチャンを連れて行っていました。すると隣近所の人たちが驚いています。どうして来るって話してくれなかったの?それから彼は熱心に再臨のことを伝えました。わたしたちも隣人にイエス様が来ますと伝えましょう。 文責;小原 照代
参考聖句;エゼキエル34:16 エレミヤ18:4 Ⅰテサロニケ1:9~10


  • 2017年4月23日礼拝 角和正毅牧師
  • テーマ:イエス・キリストの復活
  • 聖 句: ローマ人への手紙 1章3節~4節


 イエス様は、ダビデの子孫として、肉体を持って生まれ、十字架で死んで3日目に復活し、大能によって公に神の御子として示された方です。
 イエス様の復活は、キリスト教の中心であり、神の命の鼓動です。そして、クリスチャンの活動の主動力でもあります。そのイエス様の復活を信じるならば、聖霊様により、私たち人間の死んでいた霊が生きた霊へと生まれ変わらせて下さいます。イエス様の復活こそが信仰の土台です。
 イエス様は神の子供としての位を天に置いて、私たちの罪のために肉体を持って、この地上に来て下さいました。そのイエス様に罪は一つもありませんでした。イエス様は天のお父様の御心を完璧に行われました。その上で、天のお父様は喜んで、イエス様を神の右の座に置き、そして、私たちのためにイエス様は今も、とりなしていて下さっておられます。
ですから、私たちはイエス様の十字架により、与えて下さった罪の赦しを確信して、イエス様に感謝して、周りの方に証してまいりましょう。        
文責:吉田 愛子 
参考聖句;ローマ8:33~34 エペソ1:5~6 コロサイ2:12~15 
3:1~4 Ⅰコリント15:3~4 詩篇16:8~11 2:7 使徒2:24~32 13:32~37 Ⅱテモテ3:16~17

 

  • 2017年4月 16日 礼拝 角和正毅牧師
  • テーマ:イエスはどんな人?
  • 聖 句: マタイの福音書 16章13節 ~ 17節


 辛い状況にある私たちを救うために、神は愛をもって地上の罪深い人たちをもう一度心を入れ替えさせて、生まれ変わらせて、もしその人が希望するならば、天国へ入れてあげようとイエス様を天から遣わされたのです。
 極悪人でも心を入れ替えることができるのです。心が入れ替わると、人間は変わるのです。そして天国が私たちの行き着く所だということがわかるのです。
 大切なのはイエス様を信じることです。あなたがイエス様を受け入れるなら、幸いです。神は或る日世界を裁きます。その前にこの地上には多くの困難が来ると言っています。でもその前に天国へ行く方法があるのです。今は恵みの時です。今は救いの日です。今は神はあなたを助けます。あなたの叫びを聞きます。明日ではなく、今が神があなたにお会いするチャンスです。
心を開いて、「イエス様。私はあなたを信じます。」と言ってください。そうすればあなたの心に奇跡が起こります。神にできない事はありません。神はあなたの祈りを聞いてくださいます。 文責:川村 則之
参考聖句;マタイ8:27 16:16 27:54 Ⅰテモテ2:5~6 使徒4:12
ルカ23:39~43 7:36~50 コロサイ3:12~14

 

  • 2017年4月 9日 礼拝 角和 正毅牧師
  • テーマ:ロバの子に乗るイエス
  • 聖 句:ヨハネの福音書 12章12節 ~ 19節


 イエス様が十字架にかかられる前の受難週にあたり、今日は主が十字架に行く道をたどりながら、そこに残されたメッセージを学びます。ロバの子に乗ってイエス様がエルサレムに入られる時、人々は「ホサナ、ホサナ」と大声で叫びました。ロバは平和の象徴、「ホサナ」とは「救ってください」というアラム語です。
人々が求めたものは、当時のローマの支配下から自分たちを救ってもらうことでした。そのため、彼らを平和に導くために来られたイエス様は、彼らにとっては期待はずれであり、「ホサナ」と叫んだ同じ口で主を「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んだのです。そして、ついにはイエス様を十字架につけてしまったのでした。
 イエス様は、私自身が負うべき私の罪の身代りになられて、十字架にかかってくださいました。そして、一人々々がそのことを信じる時、聖書に書かれているようにそれが何千人であっても一瞬にして同時に救われて、最高の賜物として永遠のいのちを与えられるのです。
 私たちは、このいただいた冠を誰にも奪われてはなりません。復活祭を前に、私たちはもう一度聖書を読んで、主の足跡をたどり、十字架の恵みを心にしっかりと刻んでいきましょう。  文責:金子  和子
参考聖句:創世記3:11,37:3,40章, 詩篇22篇,118:25〜26, 申命記8:4
マタイ14:17〜21, 20:1〜15, 23:37, ローマ8:17,10:9黙示19:14,Ⅰコリント15:6,


  • 2017年4月 2日 礼拝 角和 正毅牧師
  • テーマ:イエス様の嘆き
  • 聖 句: マタイの福音書 23章37節 ~ 39節


 今月の16日はイースターですが、その前に9日から受難週が始まります。神様はイエス様の十字架の死を預言していました。神が預言したとおりに成りました。救いをもって助けて下さるのです。大いなる救いの前に、受難が有ります。十字架の受難を通して、素晴らしい復活があるのです。
 イエス様はイスラエル人の間に来たのに、強情なイスラエル人は神様の恵みを受け入れませんでした。聖霊を悲しませることは許されません。イスラエル人が拒んだので、異邦人に福音が伝えられたのです。
 ルカ19:41~44にはイエス様はエルサレムの都をみて泣かれたと有ります。ギリシャ語で「泣いた」とは、魂の中からの悶絶の涙だったのです。ユダヤ人は大患難を通らなければならないことを知っていたからです。イエス様を第一にして生きる時に主が祝福して下さいます。神のみ言葉は何時みのるかは分かりませんが、蒔かれたみ言葉は必ずみのるのです。
福音を拒絶する者は神のめぐみから逃れることです。つまり苦しみの中に入っていくのです。主を信じて従った時に主は導いて下さいました。助けを送って下さいました。主を拒絶する者は道が閉ざされるのです。イエス様は復活された時に40日かけて弟子達にだけ現れたのです。国籍は天にあるのです。この確信をもって信仰生活を全うしましょう。  文責;志賀 孝作
参考聖句;ルカ19;41~44 ルカ23:27~31 ピリピ3:18~21


  • 2017年3月26日礼拝  角和正毅牧師
  • テーマ:信者の七つの着衣
  • 聖 句: 詩篇 96篇 9 節

 
 私達は福音を信じた時、聖なる七つの着衣をイエス様より頂きました。
① 罪を告白し、悔い改め、イエス様を信じた時、霊的に新しくされ、イエス様より新しい衣を着せて頂きました。②そして、真理に基づく信仰によっての義と十字架の御血による聖をもって、神の性質に似せて新しくされました。③戦闘服として、神の武具を身に着ける事も大切です。④腰には、神の御言葉である真理に従い、胸には正義を着け、足はいつも喜んで福音を伝える事ができるように備える事が大切です。また、その事を聖霊様に満たされて、絶えず祈りながら行う事が重要です。⑤全ての事に愛を持ち、人に不満を抱くことがあっても、イエス様が赦して下さったように、互いに赦し合い、祝福する事⑥主イエス様を着る事⑦永遠に生きる事のできる朽ちない物を着る事も大切です。
 この着衣を普段着として着用し、「イエス様ならどうされるか?」と、いつも考え、行動しながら、神様に栄光を帰してまいりましょう。 文責:吉田 恵子
参考聖句;創世記3:7、21 コロサイ3:10、12~14 エペソ4:23~24 6:11 ローマ13:12、14 ルカ24:49 ガラテヤ3:27 Ⅰコリント15:53~54

  • 2017年3月19日 礼拝 角和正毅牧師
  • テーマ:主イエスは復活してわれわれの救主と成られた。
  • 聖 句:コリント人への手紙 第一 15章 17、20節


 イエス様は十字架の上で私たちの身代りの死を完全に成し遂げましたが、これを証明するにはイエス様が復活しなければなりませんでした。 神はイエス様を偉大な力によって三日目に復活させ、そのなされた御業が事実であるということが証明されました。
この罪の世界で死の恐怖に襲われている人々を救うために神様はイエスを人としてこの世界に送られました。(ヘブル2:14,15)
イエス様と共に今苦しんでいる人はやがてイエス様と共同の相続人になります。そのためにイエス様がまず十字架で人間の罪を完璧に神の前で始末してくださいました。そして死んで葬られ、三日目に復活して、イエス様がなされた御業は生きているのです。どんなに周りの環境が悪くても、目の前に置かれている状況が悪くても、心にイエス様の約束を信じている人には平安があります。
神様がイエスを死人の中からよみがえらせた力は、あなたがイエス様を信じる時に同じように働くのです。私たちは同じ信仰を持っていくなら、よみがえりのいのちは私たちの生活を変えます。復活はあなたの信仰の支えになるのです。文責:川村 則之
参考聖句;ヘブル1:3 2:14~15 詩篇2:7~9 ローマ4:25 エペソ2:4~6


  • 2017年3月12日 礼拝 角和正毅牧師
  • テーマ:主イエスは我々の守護者
  • 聖 句: テサロニケ人への手紙 第一 5章23節

 私たちの霊、たましい、からだは、それぞれの働きをして、かつ矛盾なく一つのものであるという三位一体です。
霊は、私たちの思想、神からいただいた人格であり、たましいは人の五感によって外からの情報に影響を受けるものです。そして、霊の働きと助けによってたましいが、からだに影響を与えていきます。
今日のみことばは、私たちがきよく守られるようにという祈りの言葉です。それにはまず、霊が偶像や異端の教え、占いなどのサタンの誘惑から守られることが大事です。
イエス様を信じて十字架に贖われた者は、新生して聖霊によってこの霊が助けられて働き、機能しています。そのために、たましいは、人の弱点でありやがて罪を生む欲から守られるのです。
また、霊、たましい、からだを悪やサタンから守り、きよく保つために信仰が必要です。そして、信仰の大盾となるのが教会生活での祈りと個人の生活の中での祈りです。祈りは、私たちの霊と神様との交流です。
私たちは、旧約の人々が十字架の救いを待ち望んだように、イエス様の再臨を待ち望みながら、恵みに感謝して、この冠を誰にも奪われないように信仰生活を歩んでいきましょう。 文責:金子 和子

参考聖句;申命記18:9〜15, 20:17〜18, ヤコブ1:14, エペソ6:16
詩篇91:1〜11,141:1〜5, 黙示3:11

 

  • 2017年3月5日 礼拝 角和正毅牧師
  • テーマ:バプテスマについて
  • 聖 句: ローマ人への手紙 6章 3節 ~ 4 節


 ここでは、二つのバプテスマについて、言っています。一つは水のバプテスマ、もう一つは生まれ変わった(新生した)時に、自動的に普遍的な教会に繋がるのです。頭はキリスト、体は教会です。私達はその一部に属しています。この体は未完成です。
 Ⅰコリント12:12~13には、パウロは全世界の全ての人々が一つの身体に成るように、一つの御霊によってバプテスマを受けた、と言っています。イエス キリストを信じた時にクリスチャンに成るのです。天に名前が記されていることを喜びましょう。
 死んで蘇ったことを表すのが、水のバプテスマです。また、聖霊にバプテスマされることによって、聖霊の力によって、福音を携えて出て行くのです。聖霊のバプテスマによって聖霊の息吹が宿るのです。
 エルサレムは弟子たちにとっては、失敗したところでしたが、10日間祈りに専念したのです。完全に内なるものが清められた時、聖霊が望まれるのです。神様の栄光は渇ける者に現れるのです。聖霊様が働く器に成りましょう。
聖霊のバプテスマによって、主の証人として、み言葉を伝えましょう。
文責:志賀 孝作
参考聖句;ヨハネ3:3、5 Ⅰコリント12:13 エペソ1:13 使徒の働き2:4 エペソ5:18~19 ガラテヤ5:16~18

 

  • 2017年2月26日 礼拝メッセージ 角和 正毅牧師
  • テーマ:父の約束を待ちなさい。
  • 聖 句: 使徒の働き 1章 4節 ~ 5節


 ここでは、復活したイエス様が弟子たちとお別れをする際に、命じられた言葉が書いてあります。
 その中の「父の約束」とは、イエス様が天の父より頂いた聖霊様を、弟子たちに送る事でした聖霊様は、助け主、教師、そして、イエス様から聞いた御言葉を思い出させて下さる記憶の管理者でもあります。また、イエス様の証人、世の人に対しては、罪と義と裁きを示します。  
 水のバプテスマがはっきりわかるように、聖霊のバプテスマもはっきり自覚できるものです。次にイエス様は、その聖霊様が臨まれる時、地の果てにまで福音を伝える事を命じられました。今は、あらゆる方法で、この福音が伝えられています。神様は一人でも多く人が、悔い改めて、救われる事を願っておられます。
 大切なのは、完成している十字架の救いである福音を伝える事です。その事が、神様の働きの最終段階です。私たちは、聖霊様より力を頂き、世の終わりまで、キリストを着て、福音を伝えてまいりましょう。文責:吉田 愛子 
参考聖句;ルカ24:49 ヨハネ14:16、26 使徒1:4~5、8 ヘブル1:1~3 マタイ24:14 28:18~20



  • 2017年2月19日 礼拝メッセージ  角和 正毅牧師
  • テーマ:迫害が起こる訳
  • 聖 句: ヨハネの福音書 16章1節 ~ 5節


イエス様は「わたしは道であり、真理であり、いのちです。わたしを通してでなければ、だれひとり父の御許に行くことはできません」と言われました。イエス様が天国への唯一の道です。そしてこの道を歩くためにイエス様は別の助け主である聖霊様を送ろうと言われました。実はイエス様は聖霊様を通して一緒にいるのです。
 イエス様が私たちをこの世界から選んだのです。ですから私たちの主導権を握っているのはイエス様です。イエス様が選んだのですから、イエス様が責任を持っているのです。
 神の国に入るのは非常に難しいことです。自我の強い人が自分の自我を捨てて狭い門に入ることはなかなかできません。しかし、悔い改める時、私たちの考えも人生のすべての計画も目標も神のもとに転化され、この狭い門から入ることができます。
 聖霊様が来ると、世の人の罪と義と裁きを示します。聖霊様は私たちだけに関わるのではなく、この世にも大きな働きをします。また真理の御霊は私たちをすべての真理に導いてくれます。あなたが敬虔な思いで聖書を読んでいくと、聖書が解かれるのです。文責:川村 則之
参考聖句;マタイ7:13~14 ヨハネ10:7~16 14:6 15:20 16:7~13、33


  • 2017年2月 12日 礼拝メッセージ  角和 正毅牧師
  • テーマ:イエス様の選ばれた人たち
  • 聖 句:ヨハネの福音書 15章16節


 今年に入って、ヨハネ14〜15章を中心に、イエス様が十字架に掛かられる直前のメッセージを学んでいます。この過越しの祭りの聖餐において、心の平安を失った弟子たちにイエス様は、天国の保証と、ぶどうの木(イエス様)、枝(弟子たち)、農夫(天の父)といういのちの繋がりを約束されました。
 そして、15:16には、自分中心の生き方をしてきた弟子たちが、自分の意志や思いによってイエス様を信じ選んだのではなく、イエス様が彼らを選んでくださったことが書かれています。それは、イエス様ご自身が私たちを選んだ故に、私たちの人生に責任を持ち、背負ってくださるという意味です。私たちは、主にあって新しくされ、完璧な人に造り変えられるのです。
 主に選ばれた私たちは、主といのちの繋がりを持ち、その実を結ぶ者とされました。みことばにとどまり、みことばにきよめられ、また、御霊に助けられて歩むことが出来ます。この父のみもとから遣わされた御霊が、イエス様をあかしします。私たちも全てを主にゆだねて、イエス様をあかしして生きていきましょう。 文責: 金子 和子
参考聖句: ヨハネ13:5~15 14:1~31 15:1~27 Ⅱコリント5:17

  • 2017年2月 5日 礼拝メッセージ 角和 正毅牧師
  • テーマ:最高の関係
  • 聖 句:ヨハネの福音書 15章1節 ~ 8節


 この15章では、天のお父様とイエス様、弟子達との関係を言っています。天のお父様が地上にぶどうの木を植えたのです。
天のお父様は、ぶどうの剪定をする農夫です。実を結ばない枝は切り捨てられるのです。その幹はイエス様であるまことの幹です。弟子達はその枝です。幹にしっかりついていれば、イエス様との命の繋がりが有るのです。
 イザヤ5:1~7では、神様は、よいぶどうとして植えましたが、ユダの部族はありとあらゆる悪を行い、「酸いぶどうに成ってしまった。」と神様は嘆いています。甘いぶどうを待ち望んだのにと言っています。良いぶどうとしての実を結ぶことが出来ないのです。
 イエス様は「わたしの言葉があなたの中にとどまっているならば、良い実を結ぶのです。」と言っています。イエス様と私達の関係も同じです。もし、私達が、ぶどうの木に繋がっていなければ、枯れてただ燃やされてしまうだけです。実を結ぶ事は出来ないのです。クリスチャンとして、生きるならイエス様の愛が流れるのです。愛は良い実を結ぶのです。絶えずみ言葉を読み、主に祈る事が良い実を結ぶことなのです。このイエス様に繋がっているなら勝利者です。イエス様に習えば、自然とそれが、外見の立ち居振る舞いとなって表れるのです。また、私達が良い実を結んでいくことは、天の神様が栄光を受けるのです。主の栄光を帰する者と成りましょう。文責:志賀 孝作
参考聖句;ヨハネ13:20 14:1~6 15:9~12 イザヤ5:1~7 エペソ3:14~21


  • 2017年1月 29日 礼拝メッセージ  角和 正毅牧師
  • テーマ:もうひとりの助主
  • 聖 句: ヨハネの福音書 14章1節 ~ 6節


 イエス様は弟子たちに最後の話しをしていました。弟子たちは3年半も一緒にいたのに動揺し心の平安を失っていました。イエス様は安心させるために天に住まいを用意していること、備えたらまた来ると希望を示して下さいました。
またイエス様が天と地を結ぶ道であること、イエス様の名において祈るときに答えがあること、イエス様が天に帰ったときにもう一人の助け主をお与えになることを話されました。
 「パラクレイトス」もう一人の別の助け主で、助言者、慰め主、忠告者、執り成し者、協力者、友 など意味を持っています。沢山の出来事に対応してくださる助け主なのです。それは「真理の御霊」で神様がくださる御霊は真理で変わることがありません。ペンテコステの日に聖霊を受けた弟子たちは180度性質を変えられました。イエス様は聖霊を通していつも一緒に居てくださいます。
 旧約時代、神様は幕屋に住まわれました。イエス様は肉体という住まいを持たれ、そして今聖霊は信者(生きた教会)の内に留まっておられます。聖霊は力を与えます。わたしたちは生ける神の宮です。神様に貰った賜物を聖霊により守るのです。わたしたちは世の光となり、地の塩になり、その援助を聖霊はしてくれるのです。聖霊の火を消してはいけません。
文責:小原 照代
参考聖句;ヨハネ14:13~18、26 ローマ8:26~27 Ⅰヨハネ2:1 
ヘブル7:25 Ⅰコリント3:16 Ⅱコリント6:16 Ⅱテモテ1:14


  • 2017年1月 22日 礼拝メッセージ ベアンテ・ボーマン師
  • テーマ:ソロモンの人生の結論
  • 聖 句: 伝道者の書13章1節~6節


 この伝道者の書は、ソロモンが晩年に書いたものです。ソロモンは沢山の富を得て、物質的には、とても豊かになりました。しかし、神様がいない人生はむなしく、心が満たされる事は無いと言っています。
 私たち人間は、過去の経験や自分の視野の中で決断してしまいがちですが、神様は全知全能のお方です。私たちが、神様に助けを祈り求めるならば、聖霊様によって、その時に必要な御言葉が与えられ、正しい方向へと導いて下さいます。その事によって、私たち自身の心も変えて下さるのです。
 1節のパンとは、聖書の御言葉です。私たちは、この御言葉を携えて、この福音を隣人に伝えていく事が大切です。私たちは、神様の御業を全て知る事はできませんが、いつでも、どこでも、御言葉の種を蒔いていくならば、むなしく帰って来ることはありません。そして、イエス様を心に受け入れた時から、その人の全ての罪は赦されて、心は豊かになり、イエス様が人生を導いて下さいます。文責:吉田 恵子

  • 2017年1月 15日 礼拝メッセージ
  • テーマ:どうしてその道が私達にわかりましょう。
  • 聖 句: ヨハネの福音書 14章 1節 ~ 6節


 イエス様は天国への道を作るために、まず全人類を罪から解放しなければなりませんでした。イエス様は十字架に架かって死んで、復活して、昇天して、イエス様自らの御血を携えていって、サタンによって汚された天国をすべて聖めて、天国にすばらしい聖所を設けました。イエス様は私たちのために住まいを用意されたのです。  
聖所の垂れ幕は至聖所に入る道を塞いでいました。イエス様が死んだ時に、その幕が二つに裂けたことで天国への道が開かれました。イエス様は生きた新しい道を設けられたのです。(ヘブル10:20)
 生ける神様を信じる時に、すばらしい神様の導きがあります。私たちが神の御声に忠実に従うかどうかが私たちの大きな進歩の鍵になります。(イザヤ書30:18~21)
 神様は「狭い門から入れ。」と言われました。私たちが遜って主の示す門に入ろうと決心するなら、私たちは主の前に献げようではありませんか。そして「はい。」と言って、心の中にある物を全部主に委ねる時、この狭い門はあなたを速やかに通して、いのちに至る道へと導くのです。(マタイ7:13,14)文責:川村 則之
参考聖句;10 titles of God 栄光の神(使徒7:2) 忍耐と励ましの神(ローマ15:5) 望みの神(ローマ15:13) 平和の神(ローマ15:33) 全ての慰めの神(Ⅱコリント1:3) 慈愛の父(Ⅱコリント1:3) 愛と平和の神(Ⅱコリント13:11) あらゆる恵みに満ちた神(Ⅰペテロ5:10) 真実の神(申命記32:4) 万民の審判者である神(ヘブル12:23) ヘブル10:20 イザヤ30:18~21 Ⅰペテロ2:21~25


  • 2017年1月 8日 礼拝メッセージ
  • テーマ:苦悩を喜びに変える解消法
  • 聖 句: ヨハネの福音書 14章 1節 ~ 6節


 ヨハネ14:1は、私たちの心の支えとなるみことばのひとつです。今日は、この箇所を中心にして困難が解消される道を考えていきます。
 イエス様が最後の過ぎ越しの祝いをするためにエルサレムに入られた頃、イエス様は弟子たちに、十字架で死なれること、弟子の中に裏切る者が出ることなどを話されてきました。そのために弟子たちの心は騒ぎ、彼らは不安とパニックの中にいたのです。そんな弟子たちにイエス様は、この言葉を語られました。そして、彼らはこのことばによって、神とイエス様が同等の立場であることを知ったのです。
 また、ヨハネ14:1〜3節には、「私を信じなさい」という主の命令、「天に住まいを用意する」という主の保証、「場所を備えに行く」という主の別離、「備えたらまた来る」という主の約束、「イエスのいるところに共におらせるため」という主の目的の5つ事柄が記されています。
 どんな困難も主を信じて、主の元に持って行くことが、最善の解決の道です。ここで最も大事なことは、信じることです。天国にあるのは、やがて滅びる宇宙、地球にはない私たちの永遠の住まいです。今年もまた、私たちは共に、イエス様の真理の道、いのちの道を見失わずに歩み続けましょう。文責: 金子 和子
参考聖句: ルカ22:24~30 13:18~21 13:33、36~38 5:24 
6:28~19 11:25 19:17 20:31 ローマ19:9~10 Ⅰヨハネ3:23 Ⅱペテロ3:10

  • 2017年1月 1日 礼拝メッセージ
  • テーマ:  志の堅固な者
  • 聖 句: イザヤ書 26章3節~4節


 古いものは廃れていくと言いますが、必ずしも新しいものが良いとは限りません。失望することも有ります。イスラエル人にとってイエス様の到来は彼らが待ち望んだメシアの姿では無かったのです。イエス様を信じないが故に、十字架に付けて殺してしまいました。
 神の約束をイルラエル人はもらっています。地上のカレンダーは1年ですが、志の堅固な者を守って下さる神様の約束は、永遠に続くのです。地上に安全な場所は有りません。世界の至る所に混乱が起こっています。だから、一番安全な神様に信頼する事が必要です。神様に信頼すれば、主が守って下さいます。
 クリスチャンの戦いは血肉の戦いでは有りません。サタンとの戦いです。私達は人生のしっかりした土台を持つことが必要です。キリスト以外に土台を据える事は出来ません。この土台はとこしえの岩です。み言葉に立っているならば、ぐらつくことは有りません。祈りは不安を封じることが出来るのです。祈りは重要です。
イエス様以外に天国に行く道は有りません。神の道から外れて死の淵を歩んでいる人が多いのです。主の道を信仰を持って祈りながら歩みましょう。 文責;志賀 孝作
参考聖句;エペソ6:10~20  Ⅰコリント3:10~11  詩篇23:3 ピリピ4:6~7